午前九時になり朝礼がはじまった。
「おはようございます。初瀬美羽〈はせみう〉と申します。はじめての部署で不慣れなこともありますが、頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」 広報部の皆さんが拍手で歓迎してくれる。会社の商品の宣伝する部署でいろいろと忙しいらしい。 今までは総務部で地味な仕事をしていた私にとっては、畑違いの仕事で不安な気持ちでいっぱいだ。 自分の席に座ると千奈津が資料を渡してくれる。 「さて、早速新商品のCM会議があるから出席してもらうわよ」 「はい」 笑顔を向けて返事をした。 杉野マネージャーが近づいてくる。 「初瀬は、早速、リッチマンゴープリンCMの仕事から関わってもらう」 「よろしくお願いします」 いきなりCMの仕事なんて……大丈夫だろうか。大くんが頻繁にテレビに出ているのであまり見ないようにしているから……心配だ。 千奈津も、大くんとの過去のことは知らない。 家族と数少ない限られた友人しか知らない過去なのだ。封印したんだから、思い出す必要はない。無かったことにしたんだから……。 過去をスッキリ忘れられることを願って、私は会議室に行くために立ち上がった。 会議室に入ると社長と広報部部長が最終チェックのために参加している。そのせいか、空気が張り詰めていた。 「では会議をはじめます」 杉野マネージャーの声で会議がはじまる。 資料を開くと『リッチマンゴープリンCM企画案』と書かれている。テレビ用のコマーシャルを作るなんてカッコイイ仕事だなと気楽に考えつつ杉野マネージャーの話に耳を傾けていた。 「八ページにあるように、イメージキャラクターはCOLORの紫藤大樹さんに依頼しようと思います」 う……そ……。 頭が一瞬、真っ白になった。落ち着け私。 イメージキャラクターに大くんが選ばれたからって、実際に会うわけじゃないし、関係ないじゃない。 名前を聞くだけで心臓が過剰反応してしまう。 終わった過去なのに、封印しているのに……どうしてこんなところで、過去と関係することが起きるの? 「来週の水曜日に紫藤さんのマネージャーが来社しますので、その時に契約の話をします」 ほら。やっぱり、本人が来るなんてありえない。 深呼吸して会議に集中しなければ……。 「まずは俺が契約の話を進めていくが、初瀬にも同席してもらう」 「了解しました」 大くんのマネージャーに会うだけだから問題ない。会議が終わり千奈津と一緒に昼休憩に入った。
我が社にはホテルのように広くてきれいな社員食堂がある。 トレーに好きなものを取って食べられるバイキング形式だ。フルーツが食べ放題なのが嬉しい。ハネ品らしいけど、味はたしかだ。 向かい合って座り食事を頬張りながら会話をしていた。 「はじめての仕事が紫藤大樹なんてラッキーだね、美羽」 「う……ん……そうだよね」 曖昧な返事をすると、千奈津は不思議そうな顔をする。COLORは国民的アイドルグループだ。
リーダーの紫藤大樹は、金髪で甘いマスクをしている。
ふわふわしている黒柳リュウジは黒髪にゆるくパーマをかけている。
赤坂成人は赤い髪で切れ長の目。
「どうなんだろうね……」
ベッドの上というか、布団の上での大くんとの戯れなら覚えている。
上手なのかどうかは他の男性との経験がないからわからないけど、すごく優しかった。 大事に、大事に、抱いてくれた。 たくさん愛してくれた。 甘いだけじゃない酸っぱい思い出もいっぱいあったけど、心から大くんを好きだった。 大好きだからこそ、大くんの才能を信じて、私はあなたに憎まれて恨まれることを選んだのだ。* * *十年前――――― 私は大学の近くに一人暮らしをはじめた。 実家は千葉にあり通えない距離ではなかったが、社会勉強したほうがいいと母に言われて一人暮らしをさせられた。 一人っ子で大事に育ててもらったので、料理も洗濯もできなかった私の将来を両親は心配していたのだろう。 私と母が決めた家は古いアパートだった。家賃が安いわりには1DKの広さがあって一人で暮らすには充分だった。 階段を上がって二階の一番右の部屋。玄関は外にむき出しだけど、大学を卒業して就職するまでの間だし、ちょっとボロボロな家でも我慢しよう。 実家は金銭的に余裕がなく、丸くて小さな座布団とちゃぶ台などの家具はリサイクル店で購入した。 ベッドは高いから家にある布団でいいと持参したが、小さいソファーと可愛い花柄のカーテンは奮発して買った。そこで私は一人暮らしを満喫していた。 アルバイトは、近くのファミリーレストランで週に三回。少しずつ生活に慣れつつあった。 大学に入って気がつけば一ヶ月が過ぎていて、友達もできて、それなりに充実した毎日だった。 そんなある日曜日。 今日はアルバイトが入っていなかった。外はあいにくの雨だったので掃除をしたり洗濯をしたりしていた。洗濯物は部屋干し決定だなと思いつつ窓から外を見ると、昼なのに真っ暗だ。 チャイムが鳴り、窓から玄関に振り返る。 誰だろう? 「はーい」 疑いもせず、玄関のドアを開けると知らない男の人が立っていた。 「ちゃんと誰か確認してからじゃないと、危ないよ」 今まで男性に興味を持ったことがなかったけど、すごくカッコイイので見入ってしまう。目がキラキラしているが、凛々しい眉毛が印象的な人。 「そっか。あなたが入居したんだね」 「……はい?」 優しい笑顔になった彼は、天井を見上げる。 「あ、まだ使ってたんだね。このランプ可愛いでしょう?」 玄関の天井にあるランプは、花びらみたいな形をしていた。 入居した時からついていたもので、可愛いからそのまま使っていたのだ。 「これね、兄貴の付き合っていた人からプレゼントされたんだ」 ……ここに住んでいたのだろうか。 謎すぎる。怪しい。私はいまさら警戒しだす。 気がついた彼は、眉を下げて力なく笑った。 「突
「あの、もしよければ、どうぞ」座布団を差し出す。「あ、ありがとう」彼はゆっくりと腰を降ろした。居間に戻って読書をしよう。冷蔵庫から作り置きのアイスティーをグラスに注いで座ろうとしたが……紫藤さんも、喉が乾いているかもしれない。もう一つガラスを取ってアイスティーを注ぐ。それを持って私は玄関へと移動した。「あの、もしよければどうぞ。アイスティーですが大丈夫ですか?」 グラスを差し出すと笑顔を向けてくれた。すごくキュートだ。 男の人に対して可愛いと思うのは、失礼なのかな。 「ありがとう。気を使わせて悪いね」 「いえ」 「あ、ほら見て」 携帯の画面を見ると、この家の居間でピースをしている紫藤さんが映っている。 「ここに住んでいた時の写真だよ」 「今はどちらに?」 「K大の近くなんだ。俺そこの大学生をしてるよ」 なんとなく優秀な雰囲気は漂っている気がしたのは、一流大学に通っているからなのか。学生証を見せてくれてウソじゃないことを証明してくれる。 「小さい頃に両親が事故に遭って、兄貴が俺を育ててくれたんだ。俺を大学に入れるために一生懸命働いてくれてさ」 「そうだったんですね」 「あぁ。俺は期待に応えようと思って努力して合格することができたんだ。兄に知らせようと思って携帯電話を手に持ったら電話がかかってきてさ。警察からだった。合格発表の日に兄貴まで交通事故で帰らぬ人になったんだ。その時に、大学の近くに引っ越ししたんだ」 紫藤さんは、きっと寂しかったんだ。 私も二年前に可愛がってくれた祖母が亡くなった。祖母と兄ではまた違うかもしれないけれど身内が亡くなるという悲しみは私にも理解できていた。 「私もお婆ちゃんを亡くしているので、少しは気持ちがわかります」 ふふっと柔らかく笑った紫藤さん。彼はそんなに悪い人じゃないかもしれない。 「人は泣きながら生まれてくるでしょ? 呼吸をするために泣いているんだろうけど、どうも俺は、別れの時を予感して泣いているように感じるんだ」 なんとも、芸術的なことを言う人だ。 「ごめん。なんか、ごめん。おかわりもらってもいいかな?」 「あ、はい」 空っぽになったグラスを差し出してきた紫藤さんとしばらく玄関で話していたのだけど、一向に雨が止む気配はない。 「もし
リビングに戻ると、紫藤さんは喉でクククって笑っている。「すごい慌てようだったね」「男の人を部屋に入れたことが無いので、洗濯物を隠すとか気が回らなかったんです」「男とか女とか以前に普通は洗濯物を隠すでしょ? きっとキミは大事に育てられたお嬢さんだったんだね」「そうかもしれないです。料理も洗濯もできない娘でした。親がなんでもやってくれるのが当たり前だったんです。甘え過ぎていたなぁって、今は反省しています」今は本当にそう思っている。だからこうして一人暮らしをはじめたことは正解だったのではないだろうか。「反省しているならいいじゃん。これから頑張ればいいさ」前向きな考え方ができる紫藤さんを尊敬する。私はどちらかというと悪いほうへ物事を考える性格だから。一度落ち込んでしまうとだんだんとマイナス思考になってしまうのだ。話し込んで気がつけば時間は十九時になっていた。グーッとお腹が鳴ると恥ずかしさのあまり顔が熱くなってしまう。「たしかに、腹減ったよね……」なにか作りましょうかと言いたいところだが、作れる料理といえば、目玉焼き、スクランブルエッグくらいだ。唯一できる料理も焦がしてしまうことが多い。母は心配して、先日、にんじん・玉ねぎ・じゃがいも・お肉とカレールーを送ってきたのだが、それすら危うい。まして他人に食べさせるなんて無理だ。お腹を壊して病院に運ばれてしまうかもしれない。「ご、ごめんなさい。料理できないんです」頭を深く下げてお詫びする。「じゃあ俺が作ってあげようか?」予想外の提案に私は顔を上げた。「そ、そんな。お願いしてもいいんですか?」「うん。冷蔵庫見せてもらうね」ソファーから立ち上がった紫藤さんは、冷蔵庫を開けて中身をチェックしている。窓がカタカタいうほど雨と風は強くて、まだ帰れそうにもないようだ。私はとてもお腹が減っているけれど彼もお腹が空いているに違いない。それならお言葉に甘えて作ってもらう?「カレーライスできるじゃん」「すごい! そうなんですよ。お母さんが作りなさいって材料を送ってくれたんです」「……マジでキミ、ヤバいね」自分の女子力の無さにがっくり落ち込む。「じゃあ台所借りるね」「どうぞ」手際よく料理をはじめだした。包丁で人参の皮を剥き、ジャガイモはボコボコして複雑な形をしているのに簡単に皮を剥いていく。私は
「俺のこと、見たことある?」はて?紫藤さんの顔をじっと見るけど、こんなイケメンな知り合いはいない。「その様子だと知らないみたいだね」「ごめんなさい」「仕方がないさ。深夜番組にやっと出られるようになったんだ」「テレビ……ですか?」コクリとうなずいた紫藤さん。通りでイケメンなわけだ。芸能関係の仕事をしているということになる。「COLORっていう……一応ダンスができるアイドルグループなんだ。まだまだだけどね」「へぇ、踊れるんですね。すごいなぁ」「まあね」「サインもらっておかなきゃなぁ」カレーライスを食べ終えて外を見ると雨は落ち着いてきたようだった。ということは、紫藤さんとお別れの時間になる。ちょっと、寂しいかも。食器を洗ってくれた紫藤さんは、振り返ると軽やかにステップを踏み出した。体の動きにキレがある。すごいと言いながら手を叩くと、満面の笑みをくれた。「この家の前に来ると……なんだか、兄貴に会える気がしてさ。でも、びっくりさせてしまったね。もう、ここはキミの家だから来ないことにするよ」「え……」私は、紫藤さんにわかるくらい悲しそうな顔をしてしまったのかもしれない。真剣な表情で私を見つめてくる。誤解を与えたくないと思って咄嗟に考える。「実は私、お兄ちゃんが欲しいってずっと思っていたんです。一人っ子で……。お母さんにお兄ちゃん作ってと無理なお願いを小さい頃はしていました。ハハ……」そうだ。この寂しいと思う感情は、紫藤さんをお兄ちゃん的存在に感じているのだ。「お兄ちゃんか。そう言えば、俺も妹が欲しかったよ。女の子の気持ちを知りたくてね。女の子は俺のことを何も知らないクセに『カッコイイ。好きです』って言ってくるんだ。外見だけで人を好きになるなんて、なんか、違くない?」私は深くうなずいた。今まで恋らしい恋をしたことがなかったけど、外見だけで人を好きになったりはしないだろう。一目惚れをしたと話している人のことを否定するつもりはないが、私はその人の性格を知らなければ絶対に好きにならない気がしていた。「人を好きになるなんて、簡単なことじゃないと思います。私、一生恋愛なんてしないんじゃないかな?」「俺も」クスクスって笑い合う。「気が合いそうだな、俺とキミ。また、兄代わりで遊びに来てあげる。抜けているところもあるから心配だしね」「はい。
* * *はっと顔を上げて時計を確認するともう二十時だ。パソコンに向かって集中して仕事をしていたので気がつけばこんなに遅い時間になっていた。明日は、COLORのマネージャーとの打ち合わせだ。私が交渉するわけじゃないのに緊張している。新しい部署に来て一週間が過ぎたけれど、覚えることとやることがいっぱいあってストレスがかかっていた。他の社員はすでに退社して私は一人だった。ふぅーっと息を吐きだし、右手で肩を揉み首を回す。「揉んでやろうか?」コーヒーの香りと一緒に聞こえたのは杉野マネージャーの声だ。誰もいないと思ってリラックスしていたのに突然登場したので慌てる。「え、いえ……! けっこうです」「初瀬って案外ピュア?」「……え」「彼氏とかいるの? あ、こういうのってセクハラになっちゃうのかな……」ぼそっとつぶやいた杉野マネージャーは、私のデスクの隣に腰をかける。足が長いと感心してしまう。「彼氏なんていません。私みたいな地味な女は一生独身でしょうね」「ずいぶん、自虐的だな。可愛いのに」か、可愛いなんて。大くんに言われてから言われてない。ということは、もう何年も言われてないことになる。私はこの先、恋愛はしないつもりだ。もう、あんなに悲しい思いをしたくない。「交渉は俺がするから、初瀬はそんなに緊張するなって。早く帰ってしっかり寝て明日に備えろ。な」諭すように言われたので私は素直に頭をさげた。杉野マネージャーは自分のデスクに戻ったのを見届けて、私は帰る準備をはじめる。容姿がよくて気配りもできる杉野マネージャーなら、綺麗な彼女がいるんだろうなぁ。まだ独身で過ごしているのが珍しいと女性社員が噂しているのを聞いた。「お先に失礼します」「お疲れ様」部署を出てエレベーターホールに向かう。もし、あの時――。大くんを部屋に入れていなければ今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。恋に怯えることなく、オフィスラブをして、結婚をして子供を産んで。忙しいけれど充実した毎日を送っていた可能性だってある。タラレバだ。過去に戻ることはできないし、その時自分で選んできた道なのだからこれからもその道の続きを歩き続けなければならない。
家に戻ってテレビをつけると、大くんが司会をしているバラエティー番組がやっていた。いつもなら、すぐにチャンネルを変えるけど、今日はすごく大くんを思い出してそのまま見てしまった。相変わらずカッコイイ。美しい滑舌で話していて聞きやすい声だ。キラキラしている。CMに入ると、大人気モデルの宇多寧々(うだねね)さんが可愛い笑顔で映っている。大くんと熱愛報道が出た人だ。あの時、私は心から大くんを愛していたけど、今は別世界の人。ふたをしていた悲しくて苦しい気持ちがあふれてできそうになったので、テレビを消してソファーに横になる。「ふぅ」大くんは、はじめて家を訪れてから一週間後にふたたび来た。たしか、手作りのお弁当を持参して。お母さんが作ってくれるような、カラフルなお弁当だった。まだ会って二回目なのに顔を見た途端すごく安心したのを覚えている。本当にはじめは男性ということを意識してなかった。大学時代にいつも心配して仲良くしてくれていた真里奈〈まりな〉には、大くんのことは話していなかった。そうだ。真里奈に久しぶり電話をしてみようと電話を手に持った。番号を選んでコールを鳴らすとすぐ出てくれる。『もしもし? 久しぶり!』明るく元気な声だ。最近は、お互い仕事が忙しくて会えていない。「元気だった?」『うん! まあ、仕事は忙しいけどね。美羽はどう?』「実は部署が変わっていろいろと大変なんだ。CMとか作る部署でさ……」『すごいじゃない。かっこいい!』イメージキャラクターに大くんを使うことになったとは、まだ外部に情報公開できないのでいうことができなかった。「最近すごく昔のことを思い出すんだよね」過去にあったすべてのことを唯一知っている友人だ。『忘れるのはなかなか難しいよね。毎日のようにテレビにも出てるし。街を歩けば広告に使われていて記憶からなかったことにするっていうほうが難しいよね』「うん……。私のことなんてもう忘れてしまってるのかな」『忘れられるわけないじゃない。もし忘れていたら人として最低ね』大くんのことを、最低なんて言わないで。いまだに、大くんをかばってしまうのだ。『近いうちに呑みに行こうよ』「ありがとう」久しぶりに真里奈の声を聞いて元気が出た。大くんは、私を恨んでいるだろうか。憎んでいるだろうか。今でも、私を思い出してくれることはあ
*予定通り、COLORのマネージャーさんが来社した。会議室で打ち合わせと交渉をする。私も同席させてもらい勉強する。これから私もこのような仕事をして行かなければならないのだ。「池村春子〈いけむらはるこ〉と申します」名乗ってくれた女性は、二十代後半というところだろうか。しっかりしている印象だ。交渉金額は八千万円で、頭がくらくらする金額である。芸能人ってすごすぎる。「先日企画書をお送りさせていただいたのですが目を通していただいたでしょうか? ぜひ、紫藤大樹様にお願いしたいと思います。リッチなマンゴープリンなんで、ちょっぴり贅沢したい日に食べるというコンセプトなんです」熱く語る杉野マネージャーの言葉を池村マネージャーは冷静に話を聞いている。一通り説明を終えたところで池村マネージャーはしっかりとうなずいた。「そうですね。では、ご提示された金額で受けたいと思います」「ありがとうございます」私も頭を深く下げる。「ただ一つ問題がございまして。スケジュールですが……。かなり埋まっていて厳しい状態なんです。来週末で調整してもらえるならぜひお願いしたいのですが」池村マネージャーは手帳を確認しながら淡々と言う。えっ、そんないきなり無理でしょ!CM撮影は、スタジオバージョン、沖縄バージョンに分かれている。パッケージに使う写真の撮影もあり、やることがてんこ盛りだ。さすがに杉野マネージャーは断るのではないかと私は予想したが、このまま話を進めたのだ。「了解しました。打ち合わせは……」言いかけたところで池村マネージャーが制する。「申し訳ありません。今伝えたスケジュールの中で打ち合わせも込めてやってくださらないと無理です。紫藤はどんなに忙しくても週に一度、休みを与えないとストレスが溜まって体に影響が出てしまうのです」あぁ……大くんらしい。彼は気まぐれの猫のようにマイペースだった。「なるほど。ではタイトなスケジュールになると思いますが、いただいた二日間で終わるようにいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」交渉が終って会社の玄関まで池村マネージャーを見送ると、杉野マネージャーはため息をついた。「CM一本八千万ももらったら、人間らしい生活なんてできないだろうな」「そうですね」エレベーターホールに向かいながら、会話を続ける。「ということで、来
「え? ファンなのか?」「違います」「大丈夫だから。俺が上手くやるから。初瀬は隣で笑顔を作っていればいい。そして、学ぶ。いいか? これは成長するチャンスだ」顔を覗きこんでくる杉野マネージャーと至近距離で目が合う。そしてにっこりと笑ってきた。「案外、可愛いな。お前」「え?」「メイクはバッチリなのにピュアっていうか。まぁ不安がるなって。相手は芸能人だけど同じ人間だからさ」仕事だということをすっかり忘れていた。しっかりしなきゃ。広報に来てまだまだ未経験の私は断るなんてことはできないのだ。「俺が丁寧に教えるから安心してついて来い」「は、はい」杉野マネージャーがもう一度『開』ボタンを押すと、エレベーターの扉が開いた。促されて中に乗った。彼は振り返り私に微笑みかけてくれる。「テレビを見てくれる人が印象に残るようなコマーシャルができるといいな」「そうですね」「気合を入れて頑張るぞ」グイグイ引っ張ってくれるタイプで頼りになる。今の私は仕事に生きるしかないのだ。いきなりすごい展開になってしまったけれど気を引き締めて前進していこうと決意をした。 *それからというもの目まぐるしい日々だった。撮影を行っている会社へ依頼をかけて、スケジュール調整を重ねてバタバタと一日が過ぎていく。仕事が定時の六時で終わることなんてほとんどない。隣の席の千奈津も忙しそうにしている。「完熟バナナのコマーシャルを作るんだけど、アイディアが浮かばない!」んーっと唸って、頭を抱え込んでいる。そんな私と千奈津に杉野マネージャーが缶コーヒーの差し入れをしてくれた。「糖分補給しろー。いいアイディアが浮かぶぞ。来週の会議までに案を搾り出せよ」「はーい」辛そうに返事をしている千奈津。杉野マネージャーって優しい。厳しい部分もあるけど、上司として尊敬できる。私もいずれまた役職が上がる日が来るかもしれない。その時は部下に頼りにしてもらえるような上司になりたいと新たな夢を持つようになった。杉野マネージャーは席に戻る。私も視線をパソコンの液晶に戻した。仕事は大変なのは当たり前だ。あるだけありがたい。恋人はいないけれど充実した社会人生活を過ごせているし、このまま、平和であればいいと願う。大くんに会ってしまったら、人生が狂ってしまうのではないか? い
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。