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第90話

田中一郎は「椅子を夫人に持っていけ」と言った。

「かしこまりました」

森本長官は気まずそうに立ち尽くした。

伊藤千佳は目を丸くして、常盤太郎が椅子を持って渡辺玲奈のそばに行って、座るように促すのを見ていた。

渡辺玲奈でさえ、少し戸惑いを隠せなかった。

伊藤千佳は怒りで足を踏み鳴らし、「一郎お兄様、ケガをしているのは私なのに!あなたは本当に心があるの?」と叫んだ。

田中一郎はまったく気に留めなかった。

しばらくして、数人のプログラムエンジニアが装備を持ってやってきた。コンピュータをセットし、プロジェクターをつなぎ、監視映像を出力し、すぐにその場で修復作業に取り掛かった。

兼家克之はゆっくりと森本長官の前に歩み寄り、自信たっぷりに説明した。「僕たち軍戦グループには、混沌国で最高の技術力を持つプログラムエンジニアが揃っています。最も複雑なミサイルデータの偏差ですら簡単に修正できるのですから、監視カメラの映像くらい何でもありません」

その時、一番慌てていたのは伊藤千佳だった。

彼女は額を手で押さえながら、虚ろに兵士の肩に倒れ込み、か弱い声で訴えた。「一郎お兄様、もうダメ…...頭が痛いの…...早く病院に連れて行って…...」

田中一郎は一言も発さず、松のように背筋を伸ばし、磐石のようにその場を動かなかった。

数分後、エンジニアが落ち着いた声で報告した。「田中様、修復完了しました。投影可能です」

「始めろ」田中一郎の声は重々しかった。

プロジェクターは大堂の白い壁に映像を映し出した。

大堂は薄暗く、映し出されたスクリーンには、渡辺玲奈と伊藤千佳がエレベーターから出てきた映像が流れた。

伊藤千佳は渡辺玲奈に絡み続け、彼女の耳元で何かを言った。

渡辺玲奈は二言三言も言わず、振り向いて伊藤千佳に平手打ちをした。

ここまでの映像を見て、伊藤千佳は再び泣き出し、指を指して渡辺玲奈を罵った。「なんてひどい女!理由もなく私を平手打ちするなんて!」

その場にいた人々は全員呆然としていた。

ただ一人、田中一郎だけは、顔がますます険しくなり、渡辺玲奈の傷ついた手に目を向け、かすかに哀れむような表情を浮かべていた。

この一撃で、彼女の傷口は裂けてしまったのだろう。どれほど痛かったのか。

以前、彼女が人を殴ったのを見たのは、渡辺直步が彼女を売り飛ばそうと
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