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第005話

矢野涼馬は姿勢を正し、「協議書に誤字があったので、修正して持ち帰る必要があります。申し訳ありません」

松本若子は少し呆然とした。「…」

誤字?

彼女は一瞬、何か良い兆しがあったのかと思った。

しかし、自分がまだ希望を持っていることに気づき、苦笑した。

矢野涼馬が去った後、松本若子は部屋に戻った。彼女はどうやってこの一日を乗り越えたのか、自分でも分からなかった。昼食も夕食もきちんと食べた。

しかし、悲しみのせいなのか、それとも食べ過ぎたせいなのか、普段はあまり強くない妊娠の吐き気が、その夜はひどく襲ってきた。

彼女は嘔吐しながら泣き、最後には床に丸まって震えていた。

もうすぐ夜中の12時。以前は、彼が10時を過ぎても帰ってこない時は、必ず彼女に電話をかけて、どこにいるのかを伝えていたものだ。

しかし、もうそれは必要なくなった。

突然、電話が鳴り響いた。

松本若子は耳をすませ、その音が徐々に大きくなるのを聞いた。

彼女は床から飛び起き、矢のような速さで浴室から飛び出し、ベッドの上にある携帯を手に取った。

表示された名前は「うちの旦那さま」だった。

松本若子は瞬間的に子供のように笑顔になり、顔の涙を拭き取り、大きく深呼吸をしてから電話に出た。「もしもし?」

「どうして今日、俺のメッセージに返信しなかった?」彼の声には冷たい怒りが含まれていた。

まるで責められているような口調だった。

「…」

彼女はまさか彼がそんなことを気にしているとは思わなかった。

「矢野さんがすでに来ていたから、返信しなかったの。必要ないと思ったから」松本若子は小さな声で言った。

「そうか」彼の声は平静でありながら、どこか圧迫感があった。「もう返信する必要がないと思ったわけだ。どうりで、今日、協議書にサインするときに、君が笑顔で嬉しそうにしていたわけだね」

松本若子は自分の服の裾をぎゅっと握りしめ、手のひらに汗が滲んでいた。おそらく矢野涼馬が彼に話したのだろう。

「私は…」

「離婚できて嬉しいのか?」彼女が答える前に、彼は追及した。

「…」

松本若子の目が赤くなった。

「どうして黙っているんだ?」彼はさらに追い詰めるように言った。

彼の声は冷静であっても、松本若子にはその厳しさを感じた。

「私は…ただ、あなたがあまりにも大盤振る舞いしてくれたことが嬉しかっただけだわ。こんなにも多くをいただけるとは思っていなかったから」

彼女はただ適当な理由を見つけて言うしかなかった。

「…」

電話の向こうの彼は突然沈黙した。

しばらくして、彼はようやく口を開いた。「君は俺と一年間一緒に過ごし、すべてを捧げてくれたのだから、それ相応の報酬は当然だ」

松本若子は右手で口を覆い、泣き声が漏れ出すのを必死に抑えた。

「ありがとう。今日、矢野さんが言っていた通り、離婚協議書に誤字があったから、まだサインしていない」彼女はそこまで言って、彼が不快に思わないようにと慌てて付け加えた。「でも心配しないで。協議書が修正されたら、すぐにサインするわ」

彼に、彼女がわざとしがみついていると思われるのが怖かったから。

「分かっている」藤沢修は続けた。「協議書をもう一度調整しなければならない。物件に関する手続きに問題があるから、数日かかるかもしれない。だが、それらの物件は君のものだ。処理が終わったら、君がそれを受け取っても問題がないようにする」

松本若子の心には重いものがあった。彼は彼女が金銭だけに関心があると思っているのか?

「他に欲しいものがあれば言ってくれ」藤沢修は続けて言った。「それ以外の物質的なものは、もう何も与えられないけれど」

「…」

爪が手のひらに食い込むほど、彼女は拳を握りしめていた。

彼女は心の中で叫びたかった。自分に、完璧な家庭をくださいって。

彼が時折彼女に優しくするその姿に、彼女は彼が自分のことを思ってくれていると錯覚してしまうことがあった。

彼女の手は無意識にお腹に触れ、その時、どこからか勇気が湧いてきた。

今日は離婚協議書に誤字があり、サインするのを阻まれた。これは何かの兆しなのだろうか?

彼が彼女を望んでいなくても、少なくともこの子供の存在を知ってもらいたかった。

「今、どこにいるの?」

松本若子は尋ねた。

「何か用か?」藤沢修は質問を返してきたが、直接に答えなかった。

「修、私、もう…」

「修、お風呂のお湯を沸かしておいたわ。早く入ってね」

電話の向こうから、突然不適切なタイミングで女の声が聞こえてきた。柔らかくて美しい声だった。

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