第16話 彼が輝和だったなんて！

紅葉が体勢を整え立った時、彼女は横目で隣に立っている男性をちらっと見た。彼は黒い礼服を着ており、片手をポケットに突っ込み、冷たい雰囲気を漂わせながら静かに立っていた。

彼の登場はまるで鎮静剤のようで、紅葉は少し安心した。

紅葉は唇を軽く噛みしめ、口を開こうとしたが、周囲がざわめき始めたことに気づいた。多くの人が集まり、ひそひそと話していた。

「あれは吹石輝和じゃないか！」

「いつ帰国したんだ？しかもこのパーティーに来るなんて」

何ですって？！

紅葉は再び冷静な表情をした男性を見つめ、目を見開いた。

森吉家は確かに豪門の一員だが、百年の歴史を持つ吹石家とは比べ物にならない。吹石家のビジネスは小規模な豪門には手が届かず、知り合う機会もない。

吹石家については、紅葉も業界の友人から聞いた話だ。

聞くところによると、現在吹石家の主な産業は、庶子である輝和が掌握しているらしい。彼は妻に不運をもたらす男だと言われており、すでに二人の妻を亡くしている。結婚が間近になると、新婦が謎の死を遂げるという…

彼が輝和だったなんて。

周りでは小声で話している人もいた。

「さっき吹石さんは紅葉を彼の同伴だと言った？」

「彼女は平手打ちされたからね。吹石さんは報復するのだろうか…」

輝和と関わったことのある者は、皆吹石家の事情を知っており、彼が冷酷非情な性格であることも知っている。今、彼の同伴を殴ったというのは、彼の顔に平手打ちをしたも同然。

彼が放っておくわけがない。

時久と萌美もビジネス界にいて、輝和を知っていたので、二人の顔色も悪くなっていた。

先に口を開いたのは萌美だった。

「紅葉が吹石さんの同伴だとは知りませんでした。磯輪さんも紅葉を平手打ちしようとしたのは、彼女が先に無礼な言葉を吐いたからです…」

「謝る必要はない」

輝和は萌美の長々しい弁明を遮り、冷淡に言った。

「彼女はただの同伴者に過ぎない」

その言葉を聞き、紅葉の心は沈んだ。

萌美も輝和の言いたいことをすぐに理解し、緊張はすっかり消えていた。

彼女は皮肉にもこう言った。

「紅葉、お金に困っているなら私に言ってくれればよかったのに。友人として少しくらいは貸せたわ。森吉家の令嬢だからって、すぐに誰かにすり寄ろうなんて」

周りの人たちも嘲笑し始めた。

「この紅葉って本当に笑える。吹石さんの同伴になったからって、威張り散らせると思ったのか？」

「吹石さん、こんな女に騙されないように目を見開いてくださいよ」

無数の嘲笑が紅葉に向けられ、輝和はただ冷たく立っているだけで、彼女が侮辱されるのを黙って見ていた。

紅葉は崩れそうになり、人混みを押しのけて洗面所へと走った。

顔に冷たい水を何度も浴びせ、崩れた感情は少しずつ和らいだが、目元はまだヒリヒリしていた。

時久と萌美を罰してもらいたいとは思っていなかったが、彼女を侮辱する者たちの前で、「彼女はただの同伴者だ」と言い放ち、彼女を見捨てた。

このパーティーに呼んだのは、彼女を恥さらしにするためだったのか？

「森吉さん」

その時、洗面所の扉がノックされ、紘の声が聞こえた。

紅葉は顔の水滴を拭き取り、扉を開けてかすれ声で言った。

「自分で帰るから、送ってくれなくていいわ。ドレスが汚れたから、後でお金ができたら…」

「森吉さんは復讐したいと言っていましたが、ご自分の弱さに目をつけてください。少し言われただけで、もう我慢できないのですか？」

紅葉は俯き、唇を噛み締めながら、

「吹石さんが助からなかったから…」

「ご自分の仇をご自分で取らないと」

紘は首を振って、一部の携帯を紅葉に渡った。

「旦那様が言っていました。森吉さんが頼れるのはご自分だけだ、と」

紅葉は別荘で意識を失っていた数日間、この言葉をかすかに耳にしていたことを思い出した。

もしかして、あの数日間、吹石さんは別荘に来ていたのだろうか？

スマホにはパスワードがかかっておらず、紅葉は簡単に開くことができた。紘が何を見せたかったのかと考えながら、すぐに動画が一つだけ保存されていることに気づいた。

動画を見終えた後、紅葉は自分がすべきことに気づき、陰鬱な気持ちは一気に消え去った。

彼女は再び宴会場に戻り、ある給仕に声をかけて彼に何かをささやいた後、スマホと一束の現金を手渡した。

給仕はそのお金に目を奪われ、すぐにその場を立ち去った。