「そうですかあ? じゃ、僕のこと下の名前で呼んでみて下さいよ」 ……出た、久々のドS原口。しかも上から目線で。「分かりました。――こ……、こ……晃太さん……」 男性を下の名前で呼ぶのなんて潤の時以来のことなので、すんなりとは呼べずにどもってしまう。恥ずかしくて顔も真っ赤だ。でも、彼はそんな私のことを「可愛い」と笑ってくれた。「まあ、それは焦(あせ)らずにボチボチ変えていきましょうか。――あ、着きました。先生、ここが〈パルフェ文庫〉の編集部です」「へえ……、ここが。小さな部署ですね」 そこは五,六人分のデスクと小さな応接スペースがあるだけの、小ぢんまりしたセクションだった。当然、一番奥のデスクが編集長になった彼の席なんだろう。 まだ片付いていない荷物もあるらしく、あちこちに段ボール箱が残っているけれど、ジャマになっているわけではない。「〈ガーネット〉の編集部も、最初はこのくらいの規模からスタートしたそうですよ」「へえ……、そうなんだ」 それが今や、あれだけの大所帯になるなんて。大したもんだ。「ここもいずれは……と思ってますけど、まだスタートを切ったばかりですからね。――どうぞ、座って下さい」「失礼します」 私が応接スペースのソファーに腰を下ろすと、原口さんは自分のデスクからプチプチマットに包(くる)まれた一冊の文庫本を取ってきて私に差し出した。「これ、先生が書かれた『シャープペンシルより愛をこめて。』の見本誌です。ご自宅に郵送しようと思ってたんですが、今日来て下さったんで先に一冊お渡ししておきますね。残りはご自宅にお送りします」「わあ……! ありがとうございます!」 私は受け取った文庫本を、後生大事に胸に抱き締めた。「私ね、毎回この瞬間が一番『あー、作家になってよかったなあ』って実感できるの。今回は初挑戦のジャンルだったから余計に」 今回の原稿では〝産みの苦しみ〟を経験した分、こうして無事に本になってくれて、喜びも一入(ひとしお)だ。「この表紙、他のレーベルの編集者さん達からも評判いいですよ。『シンプルでいい。特に直筆の題字がいい』って」「そうなんだ? 直筆やっててよかった」 私はプチプチの外装(がいそう)を剥(は)がし、カバーの手触りを確かめるように表面をひと撫(な)でして感慨に耽った。そんな私を見つめる彼の目は、深い愛情
最終更新日 : 2025-04-15 続きを読む