All Chapters of シャープペンシルより愛をこめて。: Chapter 51 - Chapter 60

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5・新たな一歩 Page7

「っていうか、昨夜電話くれた時に話してくれたらよかったのに」「ああ……、そうですね。あの時は重版の報告で頭がいっぱいでしたから」「…………そうですか」「それに、ちょっと厄介なことになってて。お電話だけじゃ伝わらないかな、と思ったもんで」「……は?」 作家の担当から外れるのって、もっと簡単なことだと思っていた。「そんなに大変だったんですか?」「大変というか……。結果的には、僕は蒲生先生の担当から外してもらえたんですけど。その代わりに、交換条件を出されまして」「交換条件?」 私は原口さんの話に眉をひそめる。 何だか物騒(ぶっそう)な言葉が飛び出してきたなあ。無理難題をふっかけられたんじゃないといいけど……。「はい。僕に、『〈ガーネット〉のレーベルそのものから外れろ』と、蒲生先生が」「そんな……! 横暴(おうぼう)じゃないですか、そんなの!」 自分が言われたことでもないのに、私は大憤慨した。 いくらベテランだからって、いち作家に出版社の人事にまで口を出す権限はない。それも、ただのワガママで。「島倉さんは何もおっしゃらなかったんですか? 上司なのに」 島倉さんは部下思いの編集長だ。原口さんがパワハラを受けていたのに、その場にいて何も言わなかったとは考えにくいけど。「一応、僕のことを庇(かば)っては下さったんですけど、結局は力及(およ)ばなかったみたいで……。『最後まで庇えなくて申し訳ない。でも君は何も悪くないから』とおっしゃってました」「そうですか……。じゃあ、もう決定なんですね? 原口さんが〈ガーネット〉から異動になるのって」 とどのつまりは島倉さんもただのサラリーマン、しかも作家ファーストの出版業界の人なのだ。作家が下した決定は、そう簡単には覆(くつがえ)すことができないんだろう。「まあ、そうなりますね。ですが、僕は今度の異動を機(き)に、新レーベルを立ち上げることにしたんです。――もちろん、島倉編集長のGOサインも頂いてます」「新……レーベル?」 原口さんてば、落ち込んでいるどころかすごくポジティブだ。というか〝新レーベル〟って……、なんかすごい話になってきたぞ?「そうです。名前は〈パルフェ文庫〉。〈ガーネット〉とは違い、文庫での刊行のみで、電子版も同時に配信されるという、若手の先生にメインで活動して頂くレーベルになりま
last updateLast Updated : 2025-03-07
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5・新たな一歩 Page8

「先生みたいに手のかかる作家さんが、果たして他の編集者の手に負(お)えるかどうかが心配で」「はあっ!?」 私は眉を跳ね上げた。〝心配〟ってそっちの意味かい! ……やっぱりこの人、Sだ。ドSだ!「しっ、失礼な! 私がいつあなたの手を煩(わずら)わせたっていうんですか!?」 私は猛(もう)抗議。頼まれた仕事は一度だって断ったことがないし、手書きだから遅筆(ちひつ)なのは仕方ないとしても、毎回キチンと入稿だってしているじゃないか! ――ところが。「じゃあ逆にお訊きしますけど、先生が僕の手を煩わせなかったことなんてありましたっけ?」「…………あーうー」 胸を張って「ある!」……とは言い切れない。思い当たるフシが多すぎて。 締め切りを延(の)ばしてもらったことは数知れず、催促されれば逆ギレして大ゲンカ。これらの所業(しょぎょう)の数々を、「手を煩わせた」と言わずして何と言うのか。「……ゴメンなさい。ないです」 猛省(もうせい)した私はうなだれた。……けれど。「――というのは冗談で、本当は僕以外の人に先生の原稿を任(まか)せたくなくて」「は?」 ……冗談だったんかい。時々私は、この人の思考回路が分からなくなる。「言ったでしょう? 僕は先生の小説が大好きだって。あんなおいしい役目、他の誰にも取られたくないですから」「……そうでしたね」 嬉しいけど、どうリアクションしていいのか。――「おいしい」って、「役得」って。彼がそれだけの理由でこんな大きな決断をしたとはどうしても思えなくて。「――それでですね、新レーベルは八月初旬(しょじゅん)に創刊予定なんですが。先生にはさっそく創刊第一号の執筆をお願いしたいんです」「創刊……第一号? って、私でいいんですか!?」 私は彼の依(い)頼(らい)の言葉を、すぐには理解できなかった。 新しいレーベルから刊行される第一作目を書く。それは作家にとって、一生に一度あるかないかの大仕事である。そして、その売れ行きによってレーベルの将来が決まるといっても過言(かごん)ではないため、任された側は責任重大だ。 そんな大役を、本当に私が……?「はい、もちろん。先生が一番の適任者だと僕は思ってます」「そうですか……」 何だかんだ言っても、彼は私を信頼してくれている。それなら、彼のためにぜひとも引き受けなきゃ!「
last updateLast Updated : 2025-03-07
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5・新たな一歩 Page9

「――ところで、新しいレーベルについてもっと詳(くわ)しく聞かせてもらっていいですか? 創刊するに至(いた)った経緯(けいい)とか、レーベルのコンセプトとか」 彼のこれまでの説明から察するに、もうだいぶ前からこの計画(プラン)は煮詰(につ)まっていたんだと思う。「はい。――えーっとですね、実は僕、もう一年くらい前から新レーベルについては考えてたんです。その頃はまだ漠然(ばくぜん)と、でしかなかったんですが。先生のような若手の作家さん達をどうにか救済(きゅうさい)したい、と」「私みたいな、っていうと?」 彼の言葉の裏には、「不遇な」という形容詞(?)が隠れている気がするけれど。「書店で働いてらっしゃる巻田先生ならご存じでしょうけど、今の〈ガーネット〉ではベテランの作家さん方が台頭(たいとう)してますよね? 書店での著書の扱いにも、それは顕(あらわ)れています」「ええ、確かにそうですね」 それは私も感じていた。いつも平積みにされているのはベテランの先生の作品がほとんどで、私みたいな若手の作品はメディアミックスでもされない限り、棚に数冊並べばいい方だ。「でもそれだと、せっかく頑張ってデビューされた若手の作家さん方の努力が報(むく)われませんし、モチベーションも下がってしまう。『いい作品(モノ)を書きたい』という意欲は、若手もベテランも同じはずですよね」「もちろんそうです」 〝売れたい〟 〝有名になりたい〟という気持ちもないわけじゃないけれど、まずは一作でも多くいい作品を執筆して、自分のファンに届けることが大前提だ。「それを打開するためには、新しいレーベルを作ってそこで若手の先生方に活躍して頂くのが一番いいと思い立ったんです」 彼はそこで一旦話を区切り、コーヒーブレイクを挟(はさ)んでからまた話し始めた。「コンセプトは〈ガーネット〉とほぼ同じですが、やや恋愛ジャンルに特化したレーベルになります。もちろん、他のジャンルの作品も刊行します」 恋愛小説に特化したレーベルか。――なんか、私のために作ったレーベルっぽいけど、まさかね……。「――あの、私以外にはどんな作家さんが活動される予定なんですか? 琴音先生は?」 〝若手〟というなら、まだ三十歳そこそこの彼女だってそこにカテゴライズされてもおかしくないはず。
last updateLast Updated : 2025-03-07
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5・新たな一歩 Page10

「はい。西原先生も参加されるそうです。僕がお声がけしたら、『ナミちゃんが参加するならあたしも!』って。彼女の担当者もこちらに異動するそうです」「担当の人が異動するってことは、琴音先生はもう〈ガーネット〉からは本出して頂けなくなるってことですか?」 ……いや待てよ? それを言ったら私もそうじゃないか。担当の原口さんが〈パルフェ文庫〉の編集長になるんだから。「――ってことは私も? じゃあ、今まで〈ガーネット〉から出して頂いてた作品の版権(はんけん)とか、重版ってどうなるんですか?」「そうですね……。残念ながら、巻田先生も西原先生も、今後〈ガーネット〉からの刊行はできなくなります。ですが、作品の版権は新レーベルに引き継がれることになってますので、重版ではなく〈パルフェ文庫〉から新たに刊行、という形になります」「なるほど……、そうなんですね。分かりました」 私の作家としての原点である〈ガーネット文庫〉からもう本を出してもらえないのは淋しいけれど、私の作品が世の中から消えるわけじゃないんだと分かってホッとした。 たとえ活動の場が変わっても、私はこの先も作家でいられるんだ。私の夢は、まだ終わらないんだ!「――というわけで、先生。レーベルは変わりますが、今後ともよろしくお願いします。編集長としてはまだ若いですし、頼りないかもしれませんが……」 原口さんが改まった態度で、謙遜しながら私にペコリと頭を下げた。「いえいえ! こちらこそ、これからもお手を煩わせると思いますけど……。とりあえずエッセイのお仕事、頑張ってやらせて頂きます!」 私もペコリで返す。 食べかけのパフェは、もうだいぶアイスが溶けてきている。――そんな私のパフェグラスに注(そそ)がれた、原口さんの熱視線に私は気づいた。「うまそうですね、それ」 視線が合うと、ニッコリ笑われた。食べたいならもっと早く言えばいいのに。というか、チーズケーキを平らげたのにまだ食べるんかい! ……というツッコミはどうにか堪えた。「…………え? 私のスプーンでよかったら一口食べますか? だいぶ溶けちゃってますけど」 私が使っていたパフェ用のスプーンを差し出そうとすると、彼はわざわざコーヒーについていた未使用のスプーン(そういえばブラックで飲んでたっけ)を伸ばしてきてアイスをすくい、口元に運んだ。 ――ああ、間接
last updateLast Updated : 2025-03-07
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5・新たな一歩 Page11

   * * * *「――ごちそうさま。そろそろ出ましょうか」 伝票を手に席を立ち、会計を済ませようと私がお財布(サイフ)を取り出すと――。「あ、先生。ここは僕が」 原口さんもお財布を出して、支払いを申し出た。作家である私にお金を出させるのは忍(しの)びないらしい。「いいのいいの! ここは私が払います。誘ったの私ですから、ね?」 割り勘(カン)、という手もあったけど、それは私がイヤなのだ。――好きな人に気を遣わせるのが。「……分かりました。先生、ごちそうさまです」 原口さんは私の気持ちを汲んでくれたらしく、素直にお財布を引っ込めた。「――マンションまで送らせて下さい」 喫茶店を出ると、原口さんがそんな申し出をした。「えっ? いいですよ! すぐそこなのに」「僕がそうしたいんです。さっきごちそうになったんで。――お願いします」 彼は意外と頑固だ。〝お願い〟までされたら、私も「イヤ」とは言いにくい。……イヤじゃないし。「しょうがないなあ……。いいですよ」 ――というわけで、私は彼に送ってもらうことにした。「そういえば原口さん。最近私にあんまりイヤミとか言わなくなりましたよね」 私はごく自然に、世間話のつもりでそう言った。「えっ、言ってほしいんですか? もしかして先生って……、実はドMですか?」「ちっ、違いますよっ!」 私は顔を真っ赤にして否定したけれど、完全に否定できたかどうかは分からない。 そういえば、今まではっきり指摘されたことがなかったから自覚はなかったけど。……私って本当にドMだったりするかも?「――あ、着きました。本当にすぐですね」 五分も経たないうちに、私の住むマンションに到着してしまった。「それじゃ、原稿用紙は明日にでもお持ちしますね。僕はこれで失礼します。――先生、お疲れさまでした」「はい。送ってくれてありがとうございました」 原口さんの背中を見送ってから、私はマンションの階段を上がった。二階の部屋に着く頃にはいつもクタクタなのに、今日はいつになく清々(すがすが)しい気持ちで、足取りも心なしか軽かった。「ただーいま」 鍵を開けると玄関でスニーカーを脱ぎ、誰もいない室内(一人暮らしなんだから当たり前だ)に一声かける。――これは潤が入り浸っていた頃に身についてしまったクセというか、習慣というか。 いつ
last updateLast Updated : 2025-03-10
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5・新たな一歩 Page12

『――はい、巻田です』「もしもし、お母さん? 奈美だけど」『ああ、奈美?』 母の声はいつも優しい。作家デビューが決まった私が「家を出る」と言った時も、母は「そう。頑張りなさい」って背中を押してくれた。私の一人暮らしにあまりいい顔をしなかった父を説得してくれたのも、母だった。『元気にしてる? お仕事はどう? ちゃんとゴハンは食べてるの?』「うん、元気だよ。ちゃんと自炊してるし、作家の仕事もバイトも大変だけど楽しいよ。毎日すっごく充実してる」 毎日楽しくて充実しているのは、きっと今恋をしているからだ。――いつか母にも話せるといいな。『そう、よかった。――お父さんがね、今月出た奈美の新作、予約してまで買ってきて。今じゃすっかりハマってるのよ』「へえ……」 父も丸くなったもんだ。昔はあれだけ「夢だけじゃ食べていけないぞ」とか言ってたくせに。でも正直、そんな父の変化が私は嬉しかった。『――ところで、今日はどうしたの? 電話くれるなんて珍しいじゃない。何か困ってることでもあるの?』 母が不思議そうに訊いてきた。「えー? そんなことないでしょ? コマメに連絡はしてるじゃん」『メールとかメッセージではね。でも、電話はたまにしかくれないじゃない』「あー……、そうかも」 母の指摘はごもっともだった。困った時だけ電話して、あとはメールやLINEばっかり。これじゃ言われても仕方ない。「あー、いや。別に困ってはいないんだけどね。――あのさ、お母さん。今度の土曜日、久しぶりにそっちに帰っていい? あたしバイト休みなんだけど」『いいけど。どうして?』 私が実家に帰りたがるなんてめったにないことだから、母はむしろそっちの方が心配なんじゃないだろうか。「えっと、あたし今日新しいお仕事もらったんだけどね、それが初めてのエッセイの執筆で。昔のアルバムとかあったら、それを資料として使いたいな、って」  これは、自分自身の過去への〝取材〟だ。両親以外にも昔の友達とか学校の先生とかにも話を聞こうと思っている。『新しいお仕事って、あんたこないだ新刊出たばっかりじゃなかったの?』「うん、そうなんだけど。色々と事情があって……」 原口さんが私にこの仕事を依頼したのは、蒲生先生に対する意地もあったのかもしれない。――自分が担当している中で一番若い作家の私に、原稿を書き上
last updateLast Updated : 2025-03-10
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5・新たな一歩 Page13

『――分かった。いいわよ。今度の土曜日、待ってるから。お父さんも奈美に会いたがってたから、二人で待ってるわね』「うん! ありがとね、お母さん!」 通話を終えると、私はスマホとバッグを手に部屋に入った。 着替えて夕飯(ゆうはん)を済ませたら、久しぶりに電話してみようと思っている友達が一人いる。高校を卒業(で)てから進路が別れ、しばらく会っていないのだ。「――さて、今日の夕飯は何にしよう……」 楽なスウェットの上下に着替えた私は、キッチンで冷蔵庫を開け、中身をチェックし始めた――。   * * * * ――翌朝の出勤前、原口さんがわざわざマンションまで原稿用紙を届けてくれた。 慌(あわ)ただしい時間だし、朝早くに来てもらうのは(色~んな意味で)彼には申し訳ない。来てもらうのは夕方でもよかったけど、原稿用紙は早く受け取った方がモチベーションが上がる。「とりあえず、予備の分も合わせて三百枚お渡ししておきます。足りなくなったらまた僕にご連絡下さい」「〝足りなくなる〟ってことはないと思いますけど。私の場合は」 私の場合、確かに〝手書き〟だけど使っているのはシャープペンシル。修正や書き直しの時にも消しゴムで消して書き直せるので、〝間違えたら丸めてポイッ〟はないと思う。「まあ、僕もそう思いますけど念のため。余(あま)った分は次の作品の執筆にも使えますから」「そうですね。ありがとうございます。じゃあ、執筆頑張ります!」 私は作家の〝生命(いのち)〟ともいえる三百枚の原稿用紙を受け取り、これから洛陽社に出勤するという原口さんを玄関先で見送った。 一枚一枚に「巻田ナミ」と名前が入っている洛陽社の原稿用紙は、私の作家としての誇(ほこ)りだ。私専用の、他の人は使うことを許(ゆる)されない原稿用紙だから。   * * * * ――その日から土曜日までの数日間、私はバイトに励みながらエッセイの内容について構想(こうそう)を練(ね)り始めた。 書きたいことは山ほどあるけど、それを原稿用紙二百五十枚(十万字)の中に収める必要があるのだ。 何より、この仕事は新レーベル〈パルフェ文庫〉の編集長となる原口さんのスタートを飾(かざ)る仕事だから、そういう意味でも絶対にいい作品(モノ)を書き上げたい。そう思うのは、もちろん物書きとしてのプライドもあるけれど、彼への恋心が
last updateLast Updated : 2025-03-10
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5・新たな一歩 Page14

「――やっぱり、私の生(お)い立ちとか作家デビューまでの経緯は書くべきだよね。あとは恋愛遍歴(へんれき)と、私がいつもどんな風に原稿を書いてるか……かな」 書きたいことの大まかなテーマを、呟きながらプロット用のノートに箇条(かじょう)書きでメモっていく。ここからさらに取材を重ね、プロットを作るのだ。 原口さんに電話で「どんなことを書けばいいですか?」と訊いたら、彼の答えはこうだった。『内容は先生にお任せしますので、お好きに書いて下さい。……ああでも、一応恋愛モノメインのレーベルなんで、恋愛絡みの内容を入れて下さった方が……』 ―― そう言われても、二十三年間ろくな恋愛をしてこなかった私には、読者が喜んで飛びつくようなトピックスがほとんどない。 となると、読者の興味を引く内容は筆者である私自身の私生活や創作にまつわるエピソード……だろうか。 私がシャープペンシルで執筆していることは、実は読者さん達にはあまり知られていない(由佳ちゃんみたいに個人的に親しい間(あいだ)柄(がら)の人は知っているけれど)。今どきの若者でもある私がこんなアナログ作家だと知ったら、読んでくれた人はビックリするだろうか……?「そうだ!」 そう思った時、このエッセイのタイトルがフッと降(お)りてきた。 見ただけでネタバレになりそうなタイトルだけれど、これ以外にピッタリはまるタイトルはないんじゃないかっていうくらい、内容にマッチしていてしっくりくる。「うん、いい! タイトルはこれに決定」 私は独断(どくだん)だけで決定したばかりのタイトルを、メモ書きのページの冒頭(ぼうとう)に書き込んだ。 本当は原口さんと相談してから決めるべきなのかもしれない。でも、それをしなかった理由は、このエッセイを彼へのメッセージにしようと思っているから。 これを書き上げたら、原口さんに告白しよう。――私はこの仕事を引き受けた時から、そう決心していたのだった。
last updateLast Updated : 2025-03-10
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6・伝えたい想い Page1

 ――土曜日。私は母に電話した通り、墨田(すみだ)区内に建つ実家に帰った。 この家は二階建ての建(た)て売(う)り物件で、そんなに立派じゃないけれどちゃんとした父の持ち家だ。作家デビューするまでの二十年ちょっと、私はこの家で育ち、大学にもこの家から通(かよ)っていた。 そして、洛陽社からの大賞受賞の連絡を受けたのも、この家でだった。「――ただいま、お母さん!」 帰るのは実に数ヶ月ぶりとなる実家の玄関で、私は出迎えてくれた母に笑顔で言った。 前に帰ってきたのは今年のお正月だった。バイト先である〈きよづか書店〉もちょうどお正月休みで、その頃連載の仕事(今月出た新作の一コ前)を抱えていた私は実家に書きかけの原稿を持ち込んで、自分の部屋で仕事をさせてもらっていたっけな。「お帰りなさい、奈美。お父さんなら居間(いま)にいるわよ」「うん。ありがとね」 私は居間に向かう。母は「お茶でも淹れてくるわね」と台所に消えた。 母は四十八歳。今でも現役(げんえき)で高校の国語教師をしている。父は母の二歳年上で、大学時代の先輩後輩らしい。社会に出てから再会して、付き合い始めたんだとか。「――お父さん、ただいま。久しぶりだね」 居間のソファーに座ってTV(テレビ)を観(み)ていた父は、私が声をかけるとリモコンでTVの電源を落とし、嬉しそうに顔を綻(ほころ)ばせた。「お帰り、奈美! 元気そうで何よりだ」「うん、元気だよ。――ごめんね。お休みの日に、しかもこんな朝早くに」 今は朝の九時半。父も本当はもっとゆっくり寝ていたかっただろうに。私のために早く起きてくれたのだとしたら、ちょっと申し訳ない。「いやいや、気にするな。父さんがな、お前が久しぶりに帰ってくるって母さんから聞いて、楽しみで早く起きちまっただけだ」「そうなんだ?」 私もソファーに座った。居間のカーペットの上には、私がお母さんに頼んであったアルバムが山のように積(つ)んである。大小も、厚みもさまざまだ。「――ああ、それな。さっき母さんと二人がかりで家の中ひっくり返して見つけてきたんだ。大変だったぞ」「そっか……、ありがと。感謝します」 父とは、進路を巡(めぐ)って対立したこともあった。でも私は、父を恨(うら)んだことは一度もない。今思えばあれは、娘が心配な親心からだったんだと思えるから。
last updateLast Updated : 2025-03-10
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6・伝えたい想い Page2

「――お茶が入ったわよー」 母がお盆を持って居間に来た。そして自分と父の前には湯呑(の)みを、私の前には冷たい麦茶が入ったグラスを置く。私が猫舌だということを、ちゃんと覚えていてくれたらしい。「ありがと、お母さん。――あの、アルバムも。大変だったんでしょ?」「娘がいい作品書くためだったら、親ならこれくらいの協力惜しまないわよ。ね、お父さん?」 母に水を向けられ、父も頷いた。「ああ」 私っていい両親を持ったなあ。――そうしみじみと実感しながら、私はグラスの麦茶を飲んだ。「――今日はゆっくりしていけるのか?」「そうよ、奈美。今晩泊まっていったら?」 その両親が、矢(や)継(つ)ぎ早(ばや)に訊ねてくる。「ゴメン、二人とも! 泊まっていくのはムリなの。明日はバイトあるし、今日も午後から予定があって……」「予定って、もしかしてデートか?」「あら! あんた、そんな男性(ひと)いるの?」「いないよ、そんな人っ!」 私は麦茶を噴きそうになった。確かに好きな人はいるけれど、原口さんはまだそんな人(=(イコール)デートする相手)には当てはまらない。――私の中では〝予定〟もしくは〝候(こう)補(ほ)〟ではあるんだけど。「そうじゃなくて、友達に会いに行く約束してるの。――中(なか)野(の)美加(みか)ってコ、覚えてるでしょ?」「ああ、美加ちゃんね? 覚えてるわよ」 美加は私と小・中・高校まで一緒だった幼なじみの親友で、この家にもよく遊びに来ていた。「美加ね、この春から新宿(しんじゅく)の結婚式場で働いてて。今日も出勤してるらしいから、職場まで会いに行くことになってるの」 彼女は高校を卒業後、「ウェディングプランナーになる」という夢を叶えるべくブライダル関係の専門学校に進み、先月晴れて今の職場に就職できたのだと、本人からLINEをもらった。「そうか……、残念だ。久しぶりに帰ってきたと思ったのになあ」「そうねえ。――でも早いものね。美加ちゃんももう社会人なんて」  ……そっか。私の同級生だった子はほとんどみんな、今は社会に出てるんだ。私みたいに非正規だったりもするけど。「うん……。――あー、でもお昼まではこっちにいるから。アルバム見せてもらって、お昼ゴハン食べてからここ出るね」 親子三人揃ってゴハンを食べるのも久しぶりだ。普段は一人淋しく食事
last updateLast Updated : 2025-03-10
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