All Chapters of 再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話

夕月は娘に優しく問いかけた。「瑛優、まだ桜井で学びたい?」瑛優は人だかりの中から、自分を切なげに見つめる古望時雨と橘望月の姿を探した。二人はすでに校内に入っていたはずなのに。しかし、校門前での騒動、園長の連行、そして規律監察部の捜査開始で状況は一変していた。主任や教師たちが次々と事情聴取に呼ばれている。特に園児たちは落ち着かない様子で、授業どころではなかった。何が起きているのか理解できないながらも、首を伸ばして校門の様子を覗き込み、珍しそうに騒ぎを見守っている。瑛優は先ほどの保護者たちを見据えて言った。「私とママにちゃんと謝ってくれたら、桜井に戻ってもいい」まだ五歳とは思えない凛とした態度。藤宮瑛優になってから、園の先生たち、友達、そして保護者たちがどれほど冷たい目を向けてきたか、痛いほど分かっていた。この保護者たちが園長に同調して、自分を追い出そうとした時の悲しみを、瑛優は忘れていなかった。何も悪いことはしていないのに。なぜ藤宮瑛優になることが、この人たちの目には、そんなに軽蔑すべきことなのだろう。「美優ちゃん」保護者たちは柔らかい声を装った。「私は藤宮瑛優です」保護者たちは口をすぼめ、毅然とした態度で娘を支持する夕月の姿を窺った。一人の保護者が小言を言いかけたような表情を浮かべたが、他の保護者たちに慌てて制止された。にこやかな笑顔を作り、深々と頭を下げる。「瑛優ちゃん、瑛優ママ、先ほどは申し訳ありませんでした。本当にごめんなさい!」「瑛優ちゃんには是非このまま桜井に残ってほしいの。うちの子も瑛優ちゃんの大切なお友達でしょう?別々になるのは寂しいわよね?」瑛優が一番心残りなのは、桜井で出会った大切な友達たちだった。「ママ」瑛優は夕月を見上げた。「どうしたら、皆が自分の間違いに気づいて、本当の気持ちで謝ってくれるの?」夕月は少し考えてから答えた。「そうね。皆さんSNSのアカウントをお持ちですよね。瑛優が今後、園で差別を受けないためにも、ご自身のアカウントで瑛優へのいじめの経緯と謝罪を投稿していただけませんか」すると、一人の母親が顔を強ばらせた。「私のSNSは数十万人のフォロワーが……」言い終わる前に、横から肘で突っつかれ、言葉を飲み込んだ。馬鹿じゃないの!サブアカウントを作って謝罪す
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第72話

瑛優は両腕に望月と時雨を抱え込むと、くるくると回り始めた。「橘美優!!何してるの!早く私の娘を降ろしなさい!」橘京花の悲鳴のような声が響いた。しかし返ってきたのは、三人の女の子たちの弾けるような笑い声だけ。まるでハンマー投げのように二人を放り投げてしまわないか――そんな心配を抱きながら、夕月は優しく瑛優の背中を叩いた。「さあ、教室に行きましょう」瑛優が二人を下ろすと、望月と時雨の額には汗が浮かんでいたが、瑛優は息一つ乱れておらず、頬も上気していない。丸い黒い瞳が、夕月の手にある書類に注がれた。「私の学籍書類、もう取り出されちゃったけど、戻せるの?」「改名したでしょう?ママが来たのは、新しい名前で書類を書き直してもらうためよ」夕月は説明した。夕月はしゃがみ込んで、真剣な表情で娘に語りかけた。「瑛優、お友達と離れたくないという気持ち、ママは理解したわ。他のお母さんたちも少しは反省したでしょうけど、悠斗くんと同じクラスで……」「逃げないよ、ママ!」瑛優の瞳には強い決意が宿っていた。「悠斗くんに教えてあげる。私のこと、藤宮瑛優のことを、バカにしたり、いじめたりしちゃダメだって!」春の風のように優しい笑みを浮かべながら、夕月は「そう」と頷いた。これは娘が自分で選んだ道。夕月は娘に自由を与え、思う存分羽ばたかせてあげようと決めていた。瑛優は左手に望月を、右手に時雨を繋ぎ、三人の幼い姿が弾むように園内へと消えていった。夕月が振り返ると、そこには悠斗の姿があった。じっと自分を見つめる息子の瞳に気付く。母親の視線を感じ取るや否や、悠斗は素っ気なく顔を背けた。「ふん!」ママが仲直りしたがってるのは分かってるけど、僕だってそう簡単には許さないもん!「楓兄貴、バイバーイ!」悠斗は藤宮楓に向かって手を振った。「じゃあね、悠斗くん!お迎えは私とパパで来るからね」悠斗の表情が途端に明るくなる。やっぱり楓兄貴は最高だ!パパを説得して幼稚園までお迎えに来させられる人こそ、世界で一番すごい人なんだから!夕月はすでに息子から目を逸らしていた。「先生、お送りいたします」石田局長の後ろについて、公用車へと向かう。局長の口元に何やら意味深な笑みが浮かんだ。桐嶋のやつ、まるで隠せてないな、その想い!夕月に対してどのように
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第73話

その声に社員たちの注目が一斉に集まった。「マジで?見せて!」「この専業主婦の下には、プリンストン大学やスタンフォード大学、カリフォルニア工科大の学生が並んでるぞ!」エレベーター内に驚愕の吐息が響き渡った。冬真の秘書も社員たちの話題に興味を引かれたが、より冷静な態度を保っていた。「きっと運営側のデータ入力ミスでしょう」秘書は冬真に向かって笑みを浮かべながら言った。「これまでALIの金賞受賞者と言えば、欧米帰りのエリートか、国内トップ校の著名な研究者ばかり。専業主婦が一位なんて、ALIの看板に傷をつけることになりますよ」その言葉が終わらないうちに、ある社員がスマートフォンの画面を覗き込みながら読み上げた。「予選一位は……藤宮夕月さん、27歳。花橋大学卒業後、七年間専業主婦として……」これはALI公式サイトで誰でも確認できる参加者情報だった。この注目度の高い数学コンテストは、大手企業への就職や一流大学院への進学の足がかりとなる。そのため、参加者は自身の経歴を公開し、企業や大学からのアプローチを待っているのだ。上位100名の中で、学部卒は藤宮夕月だけだった。他の参加者たちは毎年のように輝かしい受賞歴を持ち、留学経験や華々しい職歴を誇るなか、藤宮夕月の履歴だけが空白に近かった。七年の月日は「専業主婦」の四文字に集約されていた。秘書の頭の中が真っ白になった。「え、一位の名前は?」「藤宮夕月さんです。清水さん、こちらをご覧ください」社員が差し出したスマートフォンを、清水秘書は目を見開いて凝視した。まるで画面に穴が開くほどの勢いだ。「はは……」不自然な笑みを浮かべながら、「なんとも……興味深い偶然ですね」戦々恐々とした様子で冬真の方を窺う。冬真は記憶を辿った。夕月は確かに花橋大の出身で、その後七年間専業主婦として過ごしている。まさか本当に彼女なのか?「ありえない」その思いが頭をよぎった瞬間、冬真は即座にその可能性を否定した。十年前の夕月が人並み外れた知能を持つ天才少女だったことは認める。だが、数学から七年も遠ざかっていれば、記憶は確実に薄れているはずだ。今となっては高校数学さえ怪しいだろう。仮に今回のALI数学コンテストの予選首位が本当に夕月だとしたら、それは明らかに運営側の採点ミスとしか考えら
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第74話

「もし先輩が博士課程を修了され、研究の道を選んでいたら……」高橋は深いため息をつく。「今頃は私などはるかに超える成果を上げていたはずです」「なんて恋愛脳なんでしょう!」「履歴書に『純愛貫徹七年』って書いた方が正確かもね」「天与の才能を持ちながら、それを家庭に捧げるなんて……」「でも、なぜ今になって数学コンテストに?」高橋も首を傾げながら、「いつか先輩と一緒に仕事ができる日が来ることを願っています」エレベーターを降りる高橋の背中を、社員たちの私語が追いかける。「急に数学コンテストって、きっと結婚生活に問題でも……」「旦那さんが応援してるんじゃないの?」「応援する気があったら、大学院まで行かせてたはずよ」「はぁ……男に尽くすだけじゃダメね。学も愛も手に入らず、結局自分で這い上がるしかないなんて」エレベーターを出た社員たちが呟く。「今日のエアコン効きすぎじゃない?」残されたのは冬真と清水秘書だけ。清水は恐る恐る上司の様子を窺っていた。やっぱり奥様だったんだ……清水は冷や汗を流しながら考えた。社員たちの命知らずな噂話、全部聞かれてたのに……冬真はスーツのポケットに片手を入れたまま、エレベーターを出て会議室へと足を向けた。待ち構えていた株主たちが、彼の姿を認めるや否や、一斉に歩み寄ってきた。「社長、おめでとうございます!奥様がALIコンテストで首位に立たれたそうですね!」「マスコミが大騒ぎですよ。桜国放送局の取材班がすでに動いているとか」「冬真君、他所に取られる前に、すぐにも会社に迎え入れるべきだ。まさか彼女がこれほどの数学の才能を秘めていたとは!開発部門に配属すれば、IBMの社長も我が社への信頼を一層深めてくれる。研究開発に1200億円の追加投資を約束してくれているんだ!」冬真が顔を上げると、会議室の大画面には時差を越えてM国の投資会社社長が映し出されていた。「冬真君、君の奥様が私が高給で雇った技術顧問を予選で打ち負かしたということで、重ねて祝福させてもらいたい」スクリーン越しでさえ、M国側の社長の態度が一変したことが見て取れた。周囲から祝福と期待の声が溢れる中、冬真の表情は相変わらず深い氷河のように冷たく、その胸中を読み取ることは誰にもできなかった。「予選に過ぎません」男は謙虚
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第75話

インタビューが続く中、会議室は凍りついたような静寂に包まれた。その後のインタビューで、夕月は橘グループのことも、冬真の名前も、一言も口にしなかった。大画面の向こうで、IBMの社長が慣用句辞典を取り出した。彼は目当ての言葉を探し出す。「『言及に値しない』……ふむ、『取るに足らない』『論ずるに及ばない』という意味ですね。つまり、相手のことを完全に軽視する表現というわけか」「つまり、冬真君」IBMの社長は感嘆の声を上げた。「君は彼女にとって、もはや重要な存在ではないということだ」彼は両手を広げ、画面越しに会議室に立つ冬真を見つめた。「数学コンテスト首位の君の奥様が、『元夫』と呼ぶあなたと……本当に離婚されたのですか?」会議室の空気が一変した。他の株主たちも平静を失っていく。「社長、まさか本当に離婚を?」「全国放送で『元夫』と言われましたよ!本当に離婚したんですか?」「確か単なる離婚騒動だとおっしゃっていましたよね?これは……開発部門への採用の可能性は?」冬真の周りに冷気が漂い始めた。彼が何か言いかけた時、清水秘書が慌てて自分のスマートフォンを差し出した。「社長!奥様が……SNSで離婚を公表されました!」清水秘書の額に冷や汗が滲む様子にも気付かず、冬真は携帯の画面に映る夕月のSNSの投稿を凝視していた。一瞬にして男の顎先が鋼のように締まり、眉間に漂う気配は一層鋭利なものとなった。自分のスマートフォンを取り出した途端、はっとする。自分のアカウントでは夕月の投稿など見られるはずもない。とうの昔にブロックされているのだから。その時、冬真のアカウントには未読メッセージが溢れかえっていた。大半は妻のコンテスト優勝を祝う言葉。しかし、一部では夕月の離婚宣言を目にした人々からの問い合わせだった。本当に離婚したのかと。まるで見えない力に引き裂かれるような感覚が全身を包み込む。夕月の投稿のスクリーンショットを開くと、離婚証明書と共に一言が踊っていた。『人生最高の喜び』その一言が幾千もの針となって冬真の目を突き刺し、毛細血管を破り、生々しい痛みとなって全身を貫いた。クラシック・ローズ・ガーデン。桜都の名門夫人たちが集う優雅なアフタヌーンティーの会が開かれていた。今回の主催は橘大奥様ではなかっ
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第76話

「まったく、あの養父が恩を盾に取って冬真を追い詰めなければ、まさかこんな結婚話にはならなかったものを」「やっと、分際もわきまえぬ田舎者を、冬真が追い払ってくれたというわけ!」その言葉を口にした途端、橘大奥様の表情が一変し、まるで春の日差しを浴びるかのような華やかな笑みを浮かべた。「みなさま、どうかお力添えを。桜都の名家から、ふさわしい花嫁候補をお探しいただけませんこと?冬真の再婚話を進めねばなりませんの。何より、私の大切な孫に母の愛情は欠かせませんもの」貴夫人たちは一斉に計算高い表情を浮かべ、橘大奥様の理想の花嫁像を探り始めた。「まあ!」突然の驚きの声が上がる。「藤宮夕月さんが桜国放送局の取材を受けているわ!ALIコンテストの予選で首位だなんて、とんでもない快挙ですわね!」「藤宮夕月」という名前が出た途端、橘大奥様の口元が不機嫌そうに歪んだ。他の貴夫人たちは興味津々で話を続ける。「ALIコンテストと言えば、上位20位に入れば、一流企業も官庁も、超一流大学も引く手あまたですものね」「でも、確か夕月さんは学部卒止まりだったはず。どうして数学コンテストで首位なんて……」「もしかして、運営側が橘家の面子を立てて……」「まさか。審査員は学者揃いですもの。それに、夕月さんご自身が離婚を公表なさった以上、もう橘家の庇護は受けられないはずよ」橘大奥様は物思いに沈んでいたが、突如として何かに思い至ったように顔を上げた。「ALIグループとは取引がありますから。後ほど冬真に話を通させて、あの女への便宜は止めさせましょう」ここまで言うと、大奥様は意地の悪い笑みを浮かべた。「運営側が私たちへの配慮で予選首位にしてあげたというのに、図々しくも桜国放送局の取材まで受けるなんて。自分の実力も分からないのかしら!メディアの前で橘家と縁を切るなんて結構。決勝の結果が出れば、恥をかくのは彼女自身。全国放送で見せた大見得が、そのまま大恥になるというわけね!」橘大奥様の言葉に、貴夫人たちが頷きを重ねる中、彼女の携帯電話が鳴った。画面を確認すると秘書からの着信だった。受話器を耳に当てる。「社長!彼らが入って来ました!」秘書の声が切迫している。「何ですって?」眉を寄せる大奥様。意味の分からない報告に苛立ちを覚える。「誰が入って来たという
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第77話

冬真はゆっくりと目を開け、スマートフォンを手に取った。楓が作った「桜都会」のグループチャットには、未読メッセージが99を超えていた。普段から楓は他の名門の若旦那たちと下らない話で盛り上がっているが、今日の異常な盛り上がりは、間違いなく自分に関係していることだろう。そんな予感が冬真の胸をよぎった。グループを開くと、誰かがALIコンテストの予選順位表を投稿し、楓にメンションしていた。「首位が君の姉さんって本当か?」「楓さん、お姉さんってそんな天才だったの?今まで一言も聞かなかったぞ」場を煽るような投稿も現れた。「離婚したばかりで全国区の数学コンテストを制覇とは。ここで@橘冬真、元ご主人様からの喜びの声をどうぞ」その時、楓が割って入ってきた。冬真へのメンション付きで:「7日に夕月姉さんが桐嶋さんと一緒にいたの、覚えてる?あれがコンテストの日だったんだぞ!」「確か、その日姉さんはブルー・オーシャンを出たはずだろ?ネット遮断したって言ってたじゃないか。どこでコンテストに?」冬真は即座に返信した。「桐嶋家だ。一日中そこにいた」楓は驚愕の絵文字を送ってきた。「マジかよ……桐嶋家で受験したのか?桜都大数学部長の桐嶋幸雄教授がいる場所で?これは流石に……」楓の一言で、グループの話題は一気に別の方向へと傾いていった。「まさか……コンテスト中に桐嶋教授が指導してたとか?」藤宮パパ(藤宮楓):「知るかよ!ALIって確かオンライン試験だけど、ネットで資料は見られるんだよな。問題漏洩と相談はNG。でもネット試験なんて抜け道はいくらでも……」グループは一気に盛り上がった:「それだ!七年も専業主婦やってたのに、そんな数学力が残ってるわけない。桐嶋家で受験して、教授が手助けしてた可能性大だろ!」楓が更に投稿する。「そういえば、桐嶋教授って姉さんの大学時代の恩師だった!」数秒後、慌てた様子で追加メッセージ。「あ!この発言撤回しようとしたのに、消しちゃった!」「いや、桜都大数学部長ともあろう方が、不正なんてするわけ……」意味ありげな発言に、メンバーの思考は更に膨らんでいく。しかしグループは突如として静まり返り、予選首位の話題は途絶えた。程なくして、冬真の携帯が鳴った。楓からだ。「なあ、本当に夕月姉さんが不正をする
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第78話

冬真の表情が一瞬で強張った。漆黒の瞳の奥に、今にも嵐が荒れ狂いそうな暗雲が立ち込めていく。全国中を騒がせた「七年間の専業主婦がALI数学コンテストで首位」というニュース。その栄光の陰で、疑惑の声も次第に大きくなっていた。藤宮夕月の名前は、一日中トレンドの上位に居座り続けた。桜国放送局のインタビューによって、その注目度は最高潮に達していた。その夜、影響力のあるSNSアカウントが爆弾発言を投下した。夕月の指導教官が桜都大学数学部長の桐嶋幸雄教授だという情報だ。フォロワー数百万を誇るこのアカウントは、内部情報として、予選当日、夕月が桐嶋教授の自宅でオンライン試験に臨んでいたと暴露した。投稿では、夕月が問題を桐嶋教授に見せ、教授がホワイトボードで解答を書き出し、それを夕月が書き写したのではないかという疑惑が提起された。「これこそが、夕月が予選で突如として首位を獲得した真相なのではないか」と。「七年もの間、専業主婦をしていた人間が、ALI数学コンテストでこれほどの高得点を取るなんて、常識では考えられない!」この投稿をきっかけに、ネット上の世論は一気に様相を変えた。あるネットユーザーは、試験当日の夕月が桐嶋教授宅付近にいたことを示す衛星写真のスクリーンショットを投稿。さらに、桜都大の学生たちが次々と証言を始めた。夕月は桐嶋教授が最も期待を寄せていた学生だったこと、花橋大学から夕月を引き抜くため、桐嶋教授が花橋大の教授と激しい口論になったことまでもが明らかになった。間もなく、桜都大学の掲示板に、数学科の学生が新たな投稿を寄せた。「藤宮さんは頻繁に桐嶋教授のお宅に来ていて、私たちと一緒に問題を解いていました。ALIコンテストの準備期間は一ヶ月足らずでした。確かに桐嶋教授は彼女を特別扱いしていました。以前、藤宮さんが結婚のために中退して教授の期待を裏切ったにもかかわらず、教授は自宅での個人指導を快く引き受けていたんです」その投稿の信憑性を裏付けるように、学生は密かに撮影した夕月が桐嶋邸にいる写真も添付していた。これで、藤宮夕月と桐嶋教授の密接な関係は、もはや疑いようのない事実となった。投稿から10分と経たないうちに、匿名アカウントが新たな憶測を書き込んだ。「この専業主婦、藤宮夕月を取り巻く大騒動の黒幕は桐嶋教授に他な
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第79話

「主婦なんかに数学コンテストを受ける資格はない!」ALI数学コンテスト実行委員会の電話は、予選名簿が公表されて以来、鳴り止むことがなかった。ALIグループが数学コンテストを主催して以来、これほどの信用危機に直面したことはなかった。藤宮夕月の成績を疑問視する声がネット上で日増しに大きくなる中、コンテスト実行委員会は緊急会議を招集した。「オンライン試験を何年も実施してきて、五台のカメラで五つの角度から受験者を常時監視している我々を、なめているんじゃないのか?」「正体の知れない連中が署名運動だなんて言っているが、実際に出場した受験者は一人も名乗り出てこない。学校の名前を勝手に使って。学校の面子を丸つぶれにしているのは、むしろ彼らの方だ!」「我々試験監督チームは藤宮さんの解答プロセスを三度も確認したが、不正の痕跡は一切見つからなかった。ネットの連中は今回、よっぽど痛い目に遭いたいようだな」「夏目理事長、一言お願いします!このまま黙っていたら、舐められますよ!」その言葉に、普段は温厚な七十歳の夏目那岐(なつめ なぎ)理事長の表情が一変した。机を強く叩いて立ち上がると、即座に指示を下した。「確かに、世間に説明責任を果たすべきだ。各メディアプラットフォームに連絡を取れ。明日、藤宮夕月の試験監視映像を全て公開する。彼女が本当に不正をしたのか、みんなの目で確かめてもらおうじゃないか!」夜も更けた頃、藤宮夕月の携帯が鳴った。桜国放送局の記者からだった。「藤宮さん、トレンドはご覧になりましたか?予選の成績について、疑問の声が相次いでいますが」「ええ、確認しました」夕月は淡々とした口調で答えた。「桐嶋教授のお宅で予選を受験されたのは、本当なのでしょうか?」「はい、事実です」電話の向こうで、記者が息を呑む音が聞こえた。その記者は春川栞(はるかわ しおり)。以前、桜井幼稚園の前で夕月と瑛優のために声を上げてくれた女性記者だった。「証拠もないまま、桐嶋教授の自宅での受験イコール不正だと決めつけるのは間違っています。確かに今回の件で桐嶋教授にご迷惑をおかけしましたが、あの時は教授宅以外に選択肢がなかったんです」夕月は説明した。「どうしてですか?なぜ教授のお宅でなければならなかったんでしょう?」春川が食い入るように尋ねた。夕
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第80話

着信に応答すると、夕月は淡々とした声で告げた。「桐嶋さん」その素っ気ない口調は、深夜の通話が醸し出す甘い空気を一瞬で払拭した。磨きのかかった男性の声が響く。「トレンド、見ました」「桐嶋教授は……大丈夫でしょうか?」夕月は急いで尋ねた。「もう就寝されました」桐嶋教授がネット上の噂に動じていないと知り、夕月はほっと胸を撫で下ろした。「安定剤を二錠、こっそり飲ませました」涼が続けた。夕月は言葉を失った。「教授は……ネット上の書き込みを見て、怒っていらっしゃいましたか?」夕月は恐る恐る尋ねた。「不正に加担したという中傷よりも、四年前の斎藤鳴との確執を蒸し返されたことの方が、震えるほど怒っておられました。みんな、教授が優秀な人材を妬んで斎藤を潰そうとしたと思い込んでいる」桜都大を中退して以来、後ろめたさと良心の呵責から、夕月は大学に関する全ての情報を意識的に遮断していた。そのため、自分が去った後の桐嶋教授の経験したことを、何一つ知らなかった。「斎藤鳴なら、私も存じ上げています」夕月は静かに言った。斎藤鳴は橘京花の夫で、家族の集まりで何度か顔を合わせたことがあった。黒縁メガネをかけた、どちらかといえば整った顔立ちの男性で、質素な身なりだった。寡黙ながら場の空気をよく読み、几帳面な性格で、橘家の年長者からも文句のつけようがないほどだった。藤宮家という後ろ盾を持つ夕月と比べれば、斎藤鳴は本当に何一つ持っていなかった。北方の地方都市の出身で、貧しい家庭に育ち、必死に勉強して花橋師範大学に合格。さらに努力を重ね、桜都大の博士課程まで進み、そのまま教壇に立つことになった。京花は彼の「知的で魅力的な頭脳」に完全に魅了されていた。今年の初めには、京花が誰彼構わず自慢していた。斎藤鳴の学部長就任は確実で、桜都大最年少の学部長になるのだと。斎藤鳴も数学科だったはずだと、夕月は記憶を辿った。「斎藤鳴と斎藤教授の間に、何かあったんでしょうか?」「四年前に斎藤鳴が発表した論文、ご覧になっていないでしょう?送らせていただきます」夕月が困惑の表情を浮かべていると、手元のノートパソコンに通知が届いた。涼から送られてきたファイルだ。斎藤鳴の論文を開き、まだ四分の一も読み進めていないうちに、マウスを握る夕月の手が
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