教え子に裏切られたと思い込んでいた教授は、夕月が自ら研究成果を斎藤鳴に譲渡したと信じていたのだ。それゆえに、五年後の再会の時、桐嶋教授は複雑な思いを抱え、何かを言いたげな表情を浮かべていたのだった。「論文の下書きは、まだ手元にありますか?」涼が尋ねた。夕月は疼く目を手で覆った。「昔使っていたパソコンに牛乳をこぼしてしまって……起動不能になって……結局、家政婦さんが処分してしまったんです……」当時、まだ幼かった悠斗を抱いていた時のことだった。彼が誤って牛乳をキーボードに零してしまったのだ。その瞬間、夕月の最初の反応は子供を守ることだった。パソコンから悠斗を遠ざけ、火傷していないか確認し、泣き止むまでずっと抱きしめていた。やっとパソコンを拭こうとした時には、既に画面は青一色に変わっていた。必死に冬真に助けを求めた。技術者に修理を依頼してもらえないかと。「うちのエンジニアはお前のパソコン修理なんかする暇はない。自分で何とかしろ」「大学時代の研究データが全部入ってるのよ!」「退学した身分で、学部生程度の戯言が研究だと?」酒に酔った男の声は、いつもより低く怠惰に響いた。傍らで楓の陽気な笑い声が聞こえる。「冬真、誰からの電話?」「ただの迷惑電話だ」電話が切れる音と共に、熱い涙が頬を伝い落ちた。夕月は起動不能のノートパソコンを抱えて、修理店を巡り歩いた。店を訪れるたびに、技術者たちは首を横に振るばかり。四軒目の修理店に向かおうとした夜、携帯が鳴った。橘家の大奥様からだった。「どこを出歩いているの?なぜ子供の面倒を見ていないの?」「お手伝いさんがいますから……」「悠斗があなたを探して泣いているのよ。今何をしているかは知らないけど、すぐに戻ってきなさい!」夕月は椅子に腰掛け、膝を抱え込んだ。かつては、子供のことを何よりも大切に思っていた。でも今、結婚して子供を産んで、自分は何を得たのだろうと、考えずにはいられなかった。滝のように流れ落ちる漆黒の髪。膝に頬を押し付けながら、むせび泣く鼻をすすった。「私、桐嶋教授を裏切ってしまった……」唇を噛みしめる。斎藤鳴が研究成果を盗んだことを知っても、それを証明する手立てはない。「こぼれた牛乳を嘆いても仕方ありません」涼の声には温もりが滲
Read more