All Chapters of 秘めた過去は甘酸っぱくて、誰にも言えない: Chapter 21 - Chapter 30

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第一章 過去と現在が交差する20

「美羽」優しいトーンで呼ばれる。「は、はい……」「ただ、呼んだだけ。呼びたかったの」そう言うとTシャツを着てくれた。空気が動いて紫藤さんの香りがする。男の人の匂い……だ。こんなにも紫藤さんを男の人として意識するなんて、どうしちゃったんだろう。間違いなく胸は、トクトクトクと変な動きをしていた。このまま一緒に朝まで過ごすなんて、無理だ。ぷるぷると頭を横に振り出す私。「どうしたの?」「紫藤さん……。か、帰ってください」「なんで?」なんでって。帰ってほしいから――。心臓が苦しいから!「あなたがここにいると、苦しくてたまりません。胸が痛くて泣きそうになるんです」「胸が痛い? どんなふうに? いつから?」「お医者さんみたいに問診しないでくださいっ」私の顔は、すごく熱い。耳がヒリヒリする――。「へぇー」なんだか面白いものを見て、興味ありそうな態度だ。「治す方法、知ってるよ?」カーペットに座り込んでいる私の隣に、しゃがんで至近距離で見つめてくる。治す方法があるなら、早く教えてくれたらいいのに。紫藤さんは笑ってなかなか言わない。意地悪。ゆっくり顔を上げて紫藤さんを見る。そして、頭を左に傾けて問いかけた。「とにかく楽になりたいんです……。どんな、方法ですか?」「こんな方法」――チュ。リップ音がした。目をパチパチさせて状況を確認する。五秒。十秒。二十秒……。このまま唇がくっついていると、呼吸ができなくなってしまうと思って両手で紫藤さんを突き飛ばした。「ハァ……、ハァ……。な、に、するん、ですかっ!」「キス。まだ三十秒もしてないけど? 鼻で上手く呼吸しなきゃ。美羽。やっぱり、おこちゃまだな、お前」あの美人さんとは、大人なキスをしたのだろうか?こんな緊急事態発生中なのに、そんなことを思ってしまう。紫藤さんは何事もなかったかのように、ソファーに腰をかけてテーブルに置いてあった女の子向けのファッション誌をパラパラめくっている。キスをしてしまったのだ。こ、これは一大事!……ど、どうしよう。「いつまでフリーズしてんの? さ、寝るぞ」紫藤さんはソファーに横になった。私も布団を敷いてとりあえず横になると、目が合った。「どう? 治った?」「全然っ。むしろおかしくなりました!」「そりゃあ重症だね。もっと練習しばきゃね」
last updateLast Updated : 2025-01-09
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第一章 過去と現在が交差する21

――可愛すぎるそんな声が聞こえて唇に何かが触れる。あ、……また、キスされた。セカンドキス……?バタンとドアが閉まる音。鍵がポストに落とされる音。朝が来て、紫藤さんが帰ってしまったんだ……。体をゆっくり起こしてテーブルを見ると、メモがある。『明日から二週間ほど海外ロケが入って、会いに来られないから。いい子にして待ってろよ』二週間も会えない。理解すると涙がポロッと落ちた。「寂しい……」そっとつぶやいてメモを胸に抱きしめた。「紫藤大樹さん……。会いたいよ」そのメモを捨てることがなんとなくできなくて、最近気に入っている作家の恋愛小説にそっと挟んだ。ページをめくって読んでみる。――心臓の位置がわかるほど、ドキンドキンと胸をうつ鼓動。わたくしは、あの男性に会うといつもそんな風になるのです。気がつかないふりをしておりましたが、もう、目を背けないことに致します。わたくしは、あなたを好きです。愛おしく思っているのです――まるで私の心と同じだ。私の心のことを書かれているようで恥ずかしくなった。紫藤さんのことが好きなんだ。私は彼に恋をしてしまったようだ。でも、この好きという気持ちをどうすればいいかわからない。彼は夢を追いかけている新人の芸能人だ。もしこれから先どんどん売れていけば恋愛を禁止されてしまうかもしれない。そんな人に私は好きですなんて言ってもいいのだろうか。せっかくはじめて人を好きになったのに……。私の胸の中には切なさがどんどんと膨らんでいた。
last updateLast Updated : 2025-01-09
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第一章 過去と現在が交差する22

   *「それは、間違いありません。恋ですね。美羽はその彼を好きになってしまったのです」講義を終えて近くのカフェでお茶をしている私と真里奈。真里奈に紫藤さんに会えなくて寂しいと伝えると、まるで学校の先生のように言った。「いいじゃん。素直に好きだって思えば?」「……でも、のめり込んでいきそうで怖いの。空いた時間があれば、彼のことばかり考えているんだもん」「それが恋っていうの。で、その人ってイケメン?」コクっとうなずく。「でも、カッコイイから好きになったんじゃないの。なんて言うか、魅力的なの。……いい人だし、とにかくすべて……好き。ちょっとマイペースなところはあるけど一言一言、彼の言葉に考えさせられるというか……彼の表情とか仕草とか頭の中に残るの」好きという言葉を口にするだけで顔が熱くなってしまう。恥ずかしくて顔を両手で抑えると、真里奈はケラケラと笑っている。「いいねぇ。初恋かー」これが、恋なのか。次会える時は、可愛い服を着て綺麗にメイクした状態で会いたいな。恋すると、よく見られたくなっちゃうんだってはじめて知った。「でもね。彼、好きな人ができたみたいなの」「えー。なにそれ。好きな人がいるのに美羽の家に来るの? それって、美羽のことが好きなんじゃなくて?」「えっ」ポワンっと音がして頭に花が咲いた気分だった。ま、まさか。「ありえないよっ」カラオケで見たあの綺麗な人に恋をしているはずだ。「美羽が恋する準備ができてないと思って待っているのかもよ。美羽から告白しちゃいなよ」軽い口調で言う真里奈を睨む。「好きっていう気持ちが心にあるだけでも余裕がないの。好きなんて言えないよ」「ま、ゆっくりでいいけど。イケメンなら誰かに取られちゃうよ」
last updateLast Updated : 2025-01-09
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第一章 過去と現在が交差する23

今日で海外に行って二週間が過ぎた。ファミレスでバイトをしながら帰ってきたとメールが来ないかそわそわしていた。バイトを終えて家に戻ってシャワーを浴び終えた。熱い夜でキャミソールとショートパンツという格好で麦茶を飲んでいるその時、チャイムが鳴る。きっと紫藤さんだと思ってドアを開けると、会いたくてたまらなかった紫藤さんがいた。「美羽、ただいま」「……ど、どうして、来るって連絡くれないんですか?」私は自分のみすぼらしい姿が恥ずかしくて泣きそうになり、責めるような口調で言ってしまう。玄関の中に入ってきた紫藤さんは驚いた顔だ。来るってわかっていたら、可愛い服を着てメイクをして待っていたのに。「突然来ちゃ駄目なわけ?」「……だって、だってっ」「なんでイライラしてんの? 寂しかったか?」「……べ、べつに、寂しくなんか……ないです」オドオドしていると長い腕が伸びてきて抱きしめられる。包み込まれると切なくて愛しくて涙がボロボロ溢れた。「美羽、ただいま」「……っ」「お帰りなさいは?」「お、お帰りなさい……」「いい子。ちゃんと待ってたんだね。お土産いっぱいあるよ」優しく言われて私はすんなりと、中へ入れてしまった。「そういえば、この前のキスで息苦しいのは収まった?」首を横に振る。「そう。重症だね」何も言えずにソファーに腰をかける。なんだか、視線を向けられると体が反応する気がしてクッションを抱えた。「防衛? 何もしないって」買ってきてくれたプレゼントを差し出されて受け取る。「開けてみ」と言われて開けてみた。綺麗な景色が写っているポストカード。「綺麗」「綺麗だろ」優しく笑って隣に座ってきた紫藤さんは、私の肩に頭を乗せてきて甘えるような仕草をする。「疲れたよ。美羽……」吐息のような声と頭の重み。それまでもが愛しく思ってしまうのは、重症なのだろうか。「ゆっくり休んでください」「美羽の膝枕で?」「えっ?」イエスと言っていないのに、紫藤さんは私の膝に頭を乗せてくる。綺麗な顔を上から覗き込むと、ドキドキが激しくなるのだ。足の長い紫藤さんは、ソファーから足をはみ出した状態。窮屈そうだから布団に行くようにおすすめする。「お布団のほうが楽ですよ」「いいね。添い寝もいい」 セクシーな笑みを浮かべられてドキッとする。紫藤さんは、起き上
last updateLast Updated : 2025-01-09
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第一章 過去と現在が交差する24

はじめて紫藤さんの家に足を踏み入れる日が来た。朝から緊張でたまらなかったけど、楽しみでもあった。男の人の家に足を踏み入れるということはある程度は覚悟を決めてお邪魔することにした。2LDKで綺麗に片付けられている。一人で暮らすには広い。「広いですね」「ああ。財産は両親と兄が残してくれたからね。一緒に住もうか?」「ま、まさか」「冗談だって。適当に座って」「……はい」ソファーの端っこに座って小さくなっていると、紫藤さんはオレンジジュースを出してくれる。いただきますと言ってコップを持つが緊張して、手が震える。「美羽が嫌がることはしないから緊張しなくていいんだぞ」夕日が差し込んできて紫藤さんの横顔を照らす。素敵すぎていつまでも見つめていたい。リードしてくれる性格も好きだ。心の中では好きだと言えるのに、どうして口には出せないのだろう。きっと、カラオケにいた女性が気になっているからだ。「新鮮だね。美羽がここにいるなんて」「そうですね」「来月からはレコーディングで忙しくなるから、たまにしか会えないけどな。缶詰状態でレコーディングしたいプロデューサーでさ。参るよね」また会えなくなるのか。寂しい。「夜中にお仕掛けに行くわ。男連れ込むなよ」「ありえないですよ。私なんかと付き合ってくれる人いません。胸も小さいし……」「なんだそれ」話をしていると日が暮れて、一度つけた電気をまた消してから窓から外を覗くことになった。窓際に置かれたソファーに膝立ちをして、背もたれに体重をかけつつ並んだ。肩がぶつかるほど近い距離に、一人胸をトキメカせて空を見上げる。光が上がってドンっと音がするのと同時に、火の花が咲く。遠目だけどしっかり見えてとっても綺麗だ。「穴場スポットですね」「だろ?」至近距離で目が合ってしまい、思わずフリーズしてしまった。数秒間、空ではなく紫藤さんを見つめる。街の灯で薄っすらと表情が見えて、花火が上がると一瞬明るくなってハッキリ見えた。「どうしたの?」「い、いえ」紫藤さんの甘い声での問いかけに、膝から崩れそうになった。こんな経験したことがなくて、変な気分だ。顔がだんだんと近づいてきて、キスされた。くすぐったくて鼻から甘い声が出てしまう。そして私は力が抜けてソファーに正座してしまった。「熱いね、ほっぺ」頬を手のひらで包
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第一章 過去と現在が交差する25

ゆっくりと唇にキスが降ってくる。朦朧とする。必死でキスを受け止めた。「……抵抗、しないんだな」キスが止まって質問される。逃げようだなんて、まったく思わなかった。本当は好きって言ってもらいたい。今は紫藤さんともっとくっつきたいって思う。でも素直に言葉にできず何も答えられなかった。もう一度キスをされ今度は首筋にキスが落ちてきた。固まったまま、紫藤さんを見つめる。付き合っていない人とこんなことしていいの?すごくイケないことをしている気がする。プチン、プチンとボタンが外されていく。恥ずかしくて手で隠す。紫藤さんは顎のラインを撫でてきた。あまりにも優しいタッチだったからゾクッとしてしまう。「怖いのか?」「……わかりません」「どうする?」聞いてくるなんて、ずるい。紫藤さんと離れたくない。カラオケにいたあの女性のように色っぽくなりたい。切実に大人になりたい。不安を押し殺しながら私はうなずいた。「俺に委ねろ。余計なことは考えるな」すべて任せよう。どんな未来になっても後悔しない。そう思うと緊張がほぐれてきた。まるで固く結ばれた紐が緩んでいくような。紫藤さんの指は、素肌をなぞっていく。くすぐったくて思わずフフって笑うと「余裕あるじゃん」って言われて、胸の膨らみを優しく揉まれた。大きな手で触れられるのは、不思議な感触で何とも言えない。ボタンは途中まで取れていたけど、まだワンピースは着たまま。袖から腕を抜かれ手を脱がされ、下着だけになった。恥ずかしい。クーラーは効いていて涼しいけど、体は汗ばむ。じっと見つめられると、トク、トク、トクって心臓の動きが速くなって、さらに体温を上げていく。紫藤さんは自らのTシャツを脱ぐ。相変わらずスタイルがいいなと見惚れていると、覆いかぶさってきた。紫藤さんに頭を撫でられて、キスをされる。そのキスはだんだんと下がっていき、敏感な部分を刺激する。余裕がなくなってきた私は、呼吸が乱れるのだ。はじめての経験なのに、紫藤さんに触れられていると思ったらすごく幸せ。「俺にも触れて」わからないことだらけだったけど、必死だった。紫藤さんの幸せそうな顔を見ていると、胸がくすぐられるように幸せな笑みが溢れてしまう。あぁ、私――この人のことが大好きって思った。紫藤さんは、すごく優しかった。今までに
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第一章 過去と現在が交差する26

  *   *   *土日に出張なので、月・火と代休をもらった。平日の休みは新鮮で普段は見ない昼の情報番組を見ていると、大くんがゲストとして出ていた。番組の宣伝のようだ。結局、夜までだらだらと過ごしてしまった。「そろそろ、準備しないとね」ひとり暮らしにしては、大きい押し入れを開けて中に入る。四日後に迫った撮影のため、旅行キャリーを出しているのだけど――……。「あれ、こんな、奥にしまったっけなぁ」旅行なんてほとんどしてないしねー。ちゃんと片付けておけばよかったわ。おいしょ。バサバサッ。「痛いっ」上から落ちてきた古い本。あぁ、懐かしい。その本をペラペラとめくっていると、メモが出てきた。『明日から二週間ほど海外ロケが入って、会いに来られないから。いい子にして待ってろよ』大くんの字だ……。はじめてキスをされた日に泊まった時のメモだった。メモの裏には私の字で『六月二十八日』って書いてある。人生はじめてのキスの日を忘れたくなかったのかもしれない。懐かしい。あの時は、好きだって思うだけで精一杯でそれ以上のことは望んでいなかった。ただ会えればいいって思うだけだったのだ。なのに、いつからだろう。大くんのすべてを知りたくなって、すべてが欲しくなった。恋に憧れて恋を知って恋の甘さに溺れて、恋の苦味を知った。人を好きになれば、嫉妬心が湧き上がってくることもあって、綺麗なままの心ではいられない時もあった。はじめて交わった日は、花火大会の日だった。痛みと、快感と、好きな気持ちが入り乱れて終った後は、なんだか気まずかった。裸になっている自分が恥ずかしくてたまらなかったけど、すぐに起き上がって着替える体力も残ってなくて。大くんは、私を濡れたタオルで綺麗に拭いてくれたんだっけ。そして、タオルケットで体を包んでくれてこう言ったの。「ベッドに連れて行く余裕なかった。ごめんな、はじめてがソファーって」気だるそうに笑っていたよね。あの頃、思いを伝えることができなくて不安だったけど、いつもそばにいることができて、幸せだったな。スマホが鳴って現実世界に引き戻される。電話の相手は真里奈だった。明日の夜、会社近くで会う約束をした。
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第一章 過去と現在が交差する27

「おはようございます」「おはよう。初瀬、これ、頼まれてくれる?」「はい。わかりました」「よろしく頼んだぞ」出社すると、すぐに仕事を頼んでくる杉野マネージャーは、今日もスーツを着こなしている。颯爽とした姿も素敵だ。デキる男って感じ。「なんか、杉野マネージャーって美羽のこと、お気に入りだよねー」千奈津がつぶやいた。何を言っているのだ。仕事だからでしょ。と、言い返そうと思ったのに先日の言葉を思い出して、言葉に詰まってしまった。――可愛いなって想った子しか連れてこない隠れ家的な場所なんだ。「ん? なんかあったの? 怪しい」千奈津は探偵のように目を細めてくる。まるで謎解きをしようとしているみたい。「そ、そんなことないよ」「でも、美羽も杉野マネージャーのこと、ちょっといいかもって思っているでしょ? 仕事もできるし男前。人気もあるし。それに、お似合いだよ」「えっ」大くんと離れ離れになってから、男性なんか目に入らなかった。でも、杉野マネージャーのことは、少しだけ男の人だと意識している。それはきっと、両親が私に結婚を勧めてくるからだろう。結婚するなら杉野マネージャーなら優しい父親になりそうだからだ。過去まもう忘れて新たな人生を歩んでもいいんじゃないかと母は言う。いつまでも独りで居る娘のことを心配して言ってくれているのだろうけれど、そんな簡単に運命の人には出会えない。『お見合いをしてみたらどう? 誰か素敵な人がいないか紹介してもらおうか?』母にそう言われたけれど私は曖昧に笑ってごまかした。はなのことを、大くんを胸の中にある状態で別の男性と結婚して家庭を築くなんて私にはやっぱりできないと思った。仕事が定時に終わり、退社準備をする。「デートか?」杉野マネージャーが話しかけてきた。「まさか。大学時代の友人と食事するんです」「そっか。あまり呑み過ぎるんじゃないぞ」優しい視線を注いでくれたから、素直に「はい」と返事をした。その様子を見ていた千奈津はクスッと笑っている。絶対に変な想像をしていそう。弁解したかったけど、時間が迫っているのでそのまま退社した。
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第一章 過去と現在が交差する28

真里奈が予約してくれていた場所に向かう。彼女はいつもおしゃれな場所を探してくれていて料理もすごく美味しい。今日の待ち合わせは駅から近くにあるイタリアンだった。そんなに仕切りが高くないので気軽な気持ちで食事をすることができそうだ。「お待たせ」店に入って名前を告げるとすでに真里奈が到着していた。二人掛けの丸いテーブルに向かい合って腰をかけ白ワインを注文した。久しぶりに二人でゆっくりと食事ができて嬉しい。料理が運ばれてきて食べてみるとやっぱり美味しかった。「真里奈の選ぶ店はいつもセンスがいいね」「どうもありがとう。リサーチに命かけてるから」にっこりと自慢げに笑うので私は面白くてついつい声を上げて笑った。話題は恋愛のことになり、杉野マネージャーの話を真里奈にする。「それ、オフィスラブじゃん。素敵な上司と会社で恋愛なんて漫画みたいで憧れなんだけど」そう言った真里奈はワインをゴクッと呑んだ。「美羽、もう二十八歳なのよ。もうすぐ二十九歳。過去のことは忘れて新たな人生を歩もうよ」「お母さんみたい、真里奈」「なにそれ」大胆で引っ張ってくれる真里奈の性格が大好きだ。真里奈といればどんどん真っ直ぐ進める気がする。「母からも同じようなこと言われたんだよね」「でも、マネージャーに付き合ってとか好きとか言われたわけじゃないし、やっぱり過去のことは簡単には忘れられない」真里奈は難しそうな表情をする。「まずはプライベートで会うことが大事なんじゃない?」「うーん。あまりそういう気分じゃないかな」「別にこのことは言わなくてもいいと思うし。永遠に秘密にしてもいいんじゃないかな」真里奈の言ってくれていることは心から理解できる。でも……もしも、新しい誰かを愛する日が来た時に、大くんと比べてしまうなんてことはしたくない。だから完全に自分の心の中から消すことができなければほかの誰かと恋愛なんて無理なのだ。「熱愛報道出てたよね」質問されて私はうなずいた。「芸能人のことだからどこまで本当でどこまでが作り話なのかわからないけれど……。もう十年前のことだし、紫藤大樹だって三十歳でしょ。結婚を考えている人がいるかもしれないよ」「そうかもね。そうだったら、それでいい。彼が笑顔で毎日過ごすことができているならそれでいいの」「それなら美羽も前に進んで行くべきなんじゃないの?」
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第一章 過去と現在が交差する29

   +リッチマンゴープリンのコマーシャル撮影は明日に迫っていた。打ち合わせの進行表の最終チェックをしたり、現地スタッフの手配や宿泊先の確認をしたりで、緊張感が高まっている。今はもう大くんに会えるとか会えないとかは関係なくて、私がはじめて手配したことにミスがないかどうかそこが大きな問題となっていた。「初瀬、最終打ち合わせするから来て」「はい」会議室へ向かい杉野マネージャーと二人で中へ入ると「余裕が無い顔、してるぞ。リラックス」と言って額をツンと人差し指で優しく突かれた。二人きりになると、スキンシップが激しいような気がする。男性の免疫が少ないせいで意識しすぎてしまう。大くん以外の人とは密室でイチャイチャしたことがない。二十八歳なのに恋愛偏差値があまりにも低すぎる。「緊張しないで笑顔で爽やかに、対応しろよ。初瀬なら大丈夫だから」「ありがとうございます」杉野マネージャーは、過去のことを何も知らないから、ただ単に仕事に緊張しているように見えるのだ。芸能人に会うのを怖がっているように思っているのかもしれない。そんなんじゃないのだ。私は誰にも言えない過去がある。知っているのは、両親と真里奈と、大くんの事務所の社長さんとCOLORのメンバーだけだ。「とは言ってもはじめての経験だから俺がほとんど勧めるから心配はない」「まず明日は無事に撮影を済ませてくること。撮影が終わって完成されて放送されるまでまだやらなければいけないこともたくさんあるから最後まで気を抜かないように」「そうですね。わかりました」「他の仕事も掛け持ちしながらだから、体調管理もするんだぞ」「はい」明日は、朝一の飛行機で沖縄に向かい、十時からホテルで打ち合わせをする。十一時から十三時まで写真撮影をして、車で移動しながら昼食。十四時から海辺での撮影をする。十七時からはスタジオでの撮影をしてその日にすべて撮り終える。翌日は予備日だ。もし足りないカットがあれば撮って終了。次の予定があるらしく十四時には空港についてないといけないらしい。ハードスケジュールだ。発売は八月から九月の一ヶ月間。放送回数なども決まっており、報告業務がある。「我社としても気合いが入っている商品だから、紫藤大樹の機嫌を損ねないように頑張ろうな」「わかりました」「やっぱり撮影したくないって急にドタキャン
last updateLast Updated : 2025-01-10
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