「美羽」優しいトーンで呼ばれる。「は、はい……」「ただ、呼んだだけ。呼びたかったの」そう言うとTシャツを着てくれた。空気が動いて紫藤さんの香りがする。男の人の匂い……だ。こんなにも紫藤さんを男の人として意識するなんて、どうしちゃったんだろう。間違いなく胸は、トクトクトクと変な動きをしていた。このまま一緒に朝まで過ごすなんて、無理だ。ぷるぷると頭を横に振り出す私。「どうしたの?」「紫藤さん……。か、帰ってください」「なんで?」なんでって。帰ってほしいから――。心臓が苦しいから!「あなたがここにいると、苦しくてたまりません。胸が痛くて泣きそうになるんです」「胸が痛い? どんなふうに? いつから?」「お医者さんみたいに問診しないでくださいっ」私の顔は、すごく熱い。耳がヒリヒリする――。「へぇー」なんだか面白いものを見て、興味ありそうな態度だ。「治す方法、知ってるよ?」カーペットに座り込んでいる私の隣に、しゃがんで至近距離で見つめてくる。治す方法があるなら、早く教えてくれたらいいのに。紫藤さんは笑ってなかなか言わない。意地悪。ゆっくり顔を上げて紫藤さんを見る。そして、頭を左に傾けて問いかけた。「とにかく楽になりたいんです……。どんな、方法ですか?」「こんな方法」――チュ。リップ音がした。目をパチパチさせて状況を確認する。五秒。十秒。二十秒……。このまま唇がくっついていると、呼吸ができなくなってしまうと思って両手で紫藤さんを突き飛ばした。「ハァ……、ハァ……。な、に、するん、ですかっ!」「キス。まだ三十秒もしてないけど? 鼻で上手く呼吸しなきゃ。美羽。やっぱり、おこちゃまだな、お前」あの美人さんとは、大人なキスをしたのだろうか?こんな緊急事態発生中なのに、そんなことを思ってしまう。紫藤さんは何事もなかったかのように、ソファーに腰をかけてテーブルに置いてあった女の子向けのファッション誌をパラパラめくっている。キスをしてしまったのだ。こ、これは一大事!……ど、どうしよう。「いつまでフリーズしてんの? さ、寝るぞ」紫藤さんはソファーに横になった。私も布団を敷いてとりあえず横になると、目が合った。「どう? 治った?」「全然っ。むしろおかしくなりました!」「そりゃあ重症だね。もっと練習しばきゃね」
Last Updated : 2025-01-09 Read more