しとしとと降り続く雨が数日目を迎えていた。駕籠から降りた親房夕美は、心ここにあらずといった様子で、水たまりに足を踏み入れてしまい、刺繍の施された緞子の草履が半ば濡れてしまった。「奥様!」つい最近買い入れた侍女のお紅が慌てふためいて声を上げた。礼儀作法もろくに心得ていない様子である。「申し訳ございません。お支えが至りませんで......」夕美は苛立たしげにお紅の手を振り払った。「ただついて来ればよい」お紅は「はい、はい」と頷きながら、主の後ろをおずおずと歩いた。買われて間もないため、まだ作法も身についておらず、西平大名家に入ると、将軍家よりも豪壮な邸内に目を奪われ、あちこちを見回してしまう。夕美は、この見識の浅い様子が何より癪に障った。「きちんとついて来なさい。何を右往左往している」老夫人付きの老女が出迎えに現れ、穏やかな笑みを浮かべながら言った。「夕美お嬢様、侍女ごときにお怒りになられても。作法など、ゆっくりとお教えになればよろしいかと。お嬢様の品格に関わりますゆえ」夕美は髪を整えながら、老女の言葉の真意を悟った。あまりに取り乱した態度は、教養の欠如と見られかねない。しかし、将軍家での日々は、教養などでは生き抜けない現実があった。どこで自分が泥沼に足を踏み入れたのか。品格も礼節も失ってしまったことにさえ気付かず、日々、狂気の縁を彷徨っているような有様だった。「孫橋ばあや、母上はどちらに?」夕美が尋ねた。「善保堂にございます。こちらへどうぞ」「善保堂、ですって?」夕美は眉をひそめた。あそこは義姉が普段から読み書きに使う場所。前回の金銭の件以来、特に二人きりでは顔を合わせたくなかった。「母上だけとおっしゃっていたはず......」「はい、老夫人様がお待ちです」孫橋ばあやは答えた。「母上もいらっしゃる?」「はい、老夫人様、奥様、そして蒼月様もご同席です」夕美の眉間の皺が更に深くなった。「蒼月もですか?一体何事でしょうか」「大名様からのお手紙が届きましたゆえ、老夫人様が特にお嬢様をお呼びになられたのです」夕美の表情が一変した。「兄上からの便りですか?なるほど、皆様がお集まりの訳ですね。善保堂へ参りましょう」夕美は足早に善保堂へ向かった。しばらくして、夕美は椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。その目には
最終更新日 : 2024-12-05 続きを読む