「メル、食パン焼き上がったから持っていって」
「はーい」
厨房にいるお父さんに言われ焼き上がった食パンをトレーに置き、お店に運ぶ。
「食パン焼き立てでーす」
食パンを並べてからハンドベルを鳴らす。すると、お店のドアが開きお客様が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
「メルちゃん、おはよう。今日も一斤ください」
お父さんが営むパン屋【lumière(リュミエール)】は天然酵母を使ったふわふわパンで有名で近所からは勿論のこと、市外からも来てくださるお客様もいる人気店だ。
「はい。ありがとうございます」
私、双葉(ふたば)愛瑠(める)はパン屋【lumière】の一人娘でありこの春に製パン専門学校を卒業したばかりのブーランジェだ。
「メル、クロワッサンも焼けたよ」
「あっはーい!」
お父さんに返事をしてお客様に「何か有ればお呼びください」と言い厨房へ向かった。
夢だったお父さんと一緒にブーランジェとして働くことも叶って、充実した毎日を送っている。
楽しくて楽しくて、仕方ない。
「お父さん、前掃いてくるね」
「おぅ、ゴミも出しといてくれ」
お父さんが指を差したゴミと箒を持って裏口を出ると、見たことのない模様が地面に描かれれば私を光が包んだ。
***
「――お目覚めですか? 聖女様」
眩しさがなくなり目を開けると、思い切り起き上がった。周りを見渡せば、全く知らない光景が広がっている。
「聖女様?」
それに目の前には知らない女の子が心配そうに見ていた。
「あの、誰でしょうか?」
「すっ、すみません! 私は、侍女のメリッサでございます」
「じじょ?」
優しく微笑むメリッサという女の子は何故か聖女様と私を呼んでいる。
聖女ってなんなのか、それにここはどこなのか知りたいのだけど……
「その“聖女様”ってどういうことでしょうか? それにここはどこでしょう?」
「ここはヴァルシア大陸の三大大国のひとつ、エミベザ王国です」
「は、はぁ」
ヴァルシア大陸?エミベザ王国?そんな国、知らない……
「私、ジーク様にお伝えしてきますね!」
「えっ、ちょっと待って!」
メリッサは私の声をスルーをし、部屋を出ていった。放置されても困るんだけど、と考えているとそれからすぐに豪華な服を着た男性が入って来た。
「なんなんだこの女は。こんな女、聖女ではない。すぐに追い出せ!」
え? 聖女ってなんなのかわからないのに、聖女じゃない? どういうこと!?
「あなたにはここから出ていってもらいます」
「はい!?」
私は建物から追い出された。知らない男性によくわからないまま追い出された私は周りの景色を見て驚いてしまう。
そこは日本ではないことはわかる。だけど、ヨーロッパとかの街並みとも違っていた。大使館とか探した方がいいのかもと思ったが、何て言うべきかわからない。
それに、パスポートも持っていない。
「お嬢さん、こんな場所でどうかされたかな?」
「へっ?」
「驚かせてすまない。ここにいては、通行の邪魔になってしまうよ」
「あっ、ごめんなさい」
私は頭を下げる。なにやっているんだろう……早く帰りたい。もう何がなんだかわからない。
「大丈夫かい!? いや、泣かせるつもりはなかったんだ、すまない」
「私、泣いてなんかないです。助けていただきありがとうございます」
そうお礼を言った瞬間、彼に横抱きされた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 私っ」
「まずは、私の屋敷に行こう」
「えええ!?」
男性は私を横抱きのまま馬車に乗せられた。というか馬車って……初めて乗ったよ。
「屋敷までは1時間ほどかかるのだが、喉乾いていないかい?」
「は、はい。少し」
「そうか、ではこれを」
木でできたコップを渡され、中に入っている飲み物を見つめる。これ、本当に飲んでもいいものだろうか。
「そんなに睨めっこしなくてもただの水だよ。毒なんて入れていないし」
「あ、すみません。いただきます」
コップに口をつけて一口飲む。ぬるいけど普通の水だ。安心かな。
「あの、助けていただきありがとうございました。私、双葉愛瑠といいます」
「フタバ、メル? 私は、オスマン・セダールントです」
「あっ、メルが名前です。オスマンさん……えっと私、聖女として呼ばれたらしいんですけど聖女じゃないって言われまして追い出されちゃって」
オスマンさんは黙り込む。やっぱりそんな子連れては帰れないって思ったのかもしれない。
「私、聖女ってよく分からなくて……」
「メル嬢、『ヒール』と唱えてくれないかい」
「え? わかりました……ヒール?」
私がそう唱えると、私の体から何かが溢れ出しきらきらと金色の光がふわふわと輝きだした。
「なるほど、ありがとう。答えを言うと、聖女と言うのは魔を祓う力を持つ乙女のことだ」
「魔の力……?」
「あぁ、悪い気によって汚れた世界を浄化してくれるといわれている。あと、召喚の儀で呼ばれたのだろうと私は思うのだが、帰る方法は分からないんだ。すまない」.
帰る方法はないんだ。
「そうだ、お腹は空いてないかい? この先にある村でご飯食べようか」
「ご一緒してもいいんですか?」
「もちろんだよ」
元の世界には帰れない。それはもう、お父さんにも会えないしお父さんのパンも食べれないんだ。だけど、オスマンさんに出会えたのは幸運だろう。
「ありがとう、ございます」
「あぁ。私の家には妻と息子がいるんだ。息子は君と同い年くらいで――」
オスマンさんは移動中いろんな話を聞かせてくれたけど、ポッカリと開いた心は埋まることはなかった。その後、ご飯屋さんに寄ったけどお腹は空いているはずが何も食べられなかった。
***
「メルちゃん着いたよ」
「え? どこにですか?」
馬車の扉が開き、オスマンさんにエスコートされ降りる。屋敷に入るとファンタジーの漫画で見たことのある光景が広がっていた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「あぁ」
「メル様もようこそ、公爵邸へ」
こうしゃく、てい……?
「メルさんをお部屋に案内してくれ、長旅で疲れているはずだ」
「はい、もう支度済みです」
朝のような服を着た女性に部屋まで連れられて階段を上がり、ひとつ大きな部屋に案内された。
「申し遅れました、私ライラと申します。メル様のお世話をさせていただくメイドでございます」
「はじめましてライラさん。メルといいます。よろしくお願いします」
ライラさんは「こちらこそ」と言うと、私を見つめてきた。
「なんでしょうか?」
「では、メル様。綺麗にしましょうか」
えっ? 綺麗に?
「さ、脱ぎましょう!」
「えぇ!?」
私はあれよあれよと服を脱がされ浴槽に入れられた。浴槽に入ったまま頭と肩から手の先まで三人のメイドさまが洗われ、浴槽から出るとベッドに寝かされエステのようなこともされて西洋風のドレスに着替えさせられる。
ライラと食事をする場所に向かうと、そこにはオスマンさんと綺麗な女性が座っていてにこやかに微笑んでいる。
「メルちゃん、綺麗だね」
「あ、ありがとうございます」
ライラに椅子を引かれ座るとすぐに料理が運ばれてくる。見た感じコース料理みたい。
「メルちゃんいただこうか」
「はい」
学校でテーブルマナーを習ったことがある。それを思い出しながら私はナイフとフォークを持ちお肉を一口サイズに切って口に入れた。
「ん……! 美味しい……」
このお肉、口の中で蕩けてしまいそうなくらい柔らかい。美味しい。その後も、野菜やコンソメスープが運ばれてきて全て絶品で美味しかった。この世界にはパンはないのかな……と思っていると運ばれてきたのはパンをスライスしてその上にトマトのような果物のスライスとカッテージチーズのようなものが乗っているもの。
「今日は新鮮なチーズが入手出来たんだ」
「そうなんですか。いただきます」
この世界にもチーズがあるんだなと思いながらそれを口に入れると、トマトのような果物の酸味にチーズの甘さがマッチしていて美味しい。だけど、その下にある肝心なパンはめちゃくちゃ硬かった。これはパンじゃない……乾パンのようだ。
「どうかしら? メルちゃん美味しい?」
「は、はい……とても」
心の中で『パン以外は』と付け加えてしまったけど許して欲しい。
ご飯を頂いていて文句はダメだと思い、私はなんとか硬いパンをスープと一緒に食べて完食した。
それから私は何をするでもなく、セダールント家で過ごすことになった。やってきた日に、オスマンさんにここにいてもいいと言ってくださったのでご好意に甘えてしまっている。
「……なにもやる気が起きない」
今までは実家であるパン屋で忙しく働いていた。休日はないに等しくて、でもそれでも楽しかった。だけど今はやることはない。ただ、召喚された特典なのか文字は読めることがわかった。この世界の多国語もわかることも理解できた。
だけど、暇だ。
「メル様? 夕食の準備ができました」
あの日は美味しいと感じた食事。だけど翌日には食欲が無くて食べられなかった。そして次の日も、その次の日も食べられなくて食欲も出ない。
「今日もいらないわ」
「そうですか。分かりました」
よくしてくれる方に申し訳ないと思うし、食べ物を無駄にするのもいけないことだ。わかっているけど体が拒否している……ホームシックという奴かもしれない。
「ふわふわのお父さんのパンが食べたいなぁ」
お父さんどうしてるんだろうか。私のこと心配してくれているんだろうか。
***
食欲がなかった私だけど、1日の半分をこの世界の常識やマナーを教えてもらっていた。
「昨日は貴族制度について話したんだけど、今日は勉強はお休みしてお茶会しましょう」
この世界には貴族制度があるらしく、この公爵家は王族の次に偉い家だと聞いた時は驚いた。そして教えてくれているのは、エミリー・セダールントさん。オスマンさんの奥様で、気さくで優しいザ淑女という感じの女性だ。
「私の息子は、王宮で騎士をしているの。今は遠征でいないのだけど……」
「そうなんですね」
お茶会で出されるお茶には果物が入っている。日本でいうフルーツティーだ。このフルーツで酵母菌できるかな……もし出来たらふわふわのパンが出来るかも!
「エミリーさん! この果物、分けて貰えませんか?」
「……え? 果物?」
「はい。あ、綺麗な瓶とお砂糖も欲しいんですけど」
「厨房に行けばたくさんあると思うわよ?」
欲しい! 可能性があるなら、作りたい。
「少し分けてもらえますかね……」
「えぇ、きっとね。一緒に行きましょうか」
エミリーさんと屋敷の厨房に行くと、コック帽をかぶっている料理人さんが数人作業をしていた。
「アルベルトさん、果物あるかしら」
「ちょうどパルムの実が届きました」
木箱いっぱいに日本でいう葡萄がたくさん入っていて、これなら作れるかもしれない。これが葡萄と同じものなら、出来るはずだ。
「ちょっとメルに分けてくれないかしら」
「あ、はい。いいですよ」
アルベルトさんは、カゴにパルムの実を入れると渡してくれた。
「あと、小さい瓶あるかしら?」
「はい、ありますよ。これでいいですか?」
「充分です! ありがとうございます」
私は早速お湯を沸かし瓶を熱湯消毒した。そして、パルムと一緒に入れるようのお湯もつくり冷ます。その間にパルムを水洗いして綺麗な布で水分を取った。
「メル様、何を……」
瓶にパルムを全て入れてから冷めた水を瓶にパルムがかぶるくらいにいれて砂糖をスプーン二杯入れて蓋をした。
「エミリーさん、あったかい場所ってありますか?」
「えぇ、あるわよ」
エミリーに案内してもらい温かい部屋に行くとテーブルがあり、底に瓶を置き太陽が当たらないように布を被せた。
「メルちゃん、ここに置いたら腐ってしまうわよ!」
「大丈夫です。明日から一日に二回蓋を開けて瓶を振ります」
「メルちゃん何をつくるの?」
「ふわふわのパンを作るんです!」
これは、ふわふわパンを作るための酵母菌作りをすることにした。
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