「……なんだよ美味しい思いって」訝しく眉根を寄せる佑さんに、ふふんと得意顔で鼻を鳴らす。「電車の中で結構混んでて、俺がいないと慎さん押されて大変だったかもしれないし」実際には邪魔だと言わんばかりに睨まれた挙句、気持ち悪いと胸を殴られたが。「パン好きで焼き立てホカホカに弱いってわかったし、携帯番号も教えてもらえたし」携帯はほんとは浩平の次いでだが、そんなことよりもほかほか発言はマジで可愛かった……! 今思い出しても顔がにやけてくるのが止められない。「……お前、哀れなやつだな」それのどこが美味しいんだよ、と佑さんが頬を引き攣らせていたが、その中に微かに安堵が混じっているのを確かに見た。ような、気がする。む……と眉根を寄せているとくつくつと肩を揺らしながら「で、何を飲むんだ」と尋ねてくる。「コロナで」「拗ねんなよ」手際よく栓が抜かれた瓶に、櫛切りのライムが押し込まれて目の前に置かれた。「佑さんはなんでそんなに心配するんですか」「あ?」馬鹿にされて拗ねていると思っていたらしい佑さんは、胡乱な目で俺を見てぽかんと口を開けた。「慎さんだって男ですよ? いくらなんでもちょっと過保護なんじゃ」昼間からずっと持っていた疑念を取っ払おうと、本人に直接聞くことにした……って別に考えてたわけじゃないけど口から飛び出た。 暫く呆気にとられていた佑さんは、数秒経って漸く俺の疑念に気付いたらしい。 「お前なあ」と呆れた声を出しながら、がしっと片手で俺の頭を掴んだ。頭の天辺を握られたまま、佑さんがカウンター
なんだ?と首を傾げる。だが慎さんも此方を見たことに気が付いて、俺はこれ幸いと片手を上げた。「慎さん」客と話してるとこ、急に声かけんのもどうかと思ったけど。目が合ったんだから、許されるだろう。相変わらず接客モードの固い微笑みだが、それでも笑ってくれたことに気を良くしていると、慎さんが男に軽く会釈をして此方に近づくような素振りを見せた。だがすぐに足が止まって、また男を振り向く。男の手が慎さんの腕を、捉えたのだ。引き留めた、ただそれだけなのはわかるけど。その瞬間、いらっと了見の狭い感情が湧いて出た。慎さんがもう一度言葉を交わし、一時離れることを告げたような素振りだった。男の手は、掴んでいた肘の辺りから手首、指、と名残惜しむように滑り。まるで口づけでも落とすように、その掴んだ指を掲げた。「っ!」がた、と椅子から立ち上がりかけて止まったのは、ここが店内で今が営業中であるということと。慎さんがそれを慣れた様子でするりと躱して手を引き抜き、実際に口づけが落とされることはなかったからだ。「陽介、お前顔に出し過ぎ」横から苦笑いの茶茶が入るが、いや、仕方ない。これは仕方ない。なんなんだあいつ、しかも他の客もいるのにお構いなしか。佑さんが、見ればわかると言っていたのはこういうことかと合点がいく。俺の方へ近づいた慎さんまで俺の顔を見て苦笑いをした。「なんて顔してるんですか」「あ……いや」本当なら今すぐ大丈夫だったか気持ち悪くなかったか(例え自分のことは棚上げだろうと)心配で聞き出したいとこなのに、慎さんの見事な躱し方を目にして俺に今できることなどないと知らされ、情けなく言葉に詰まる。ちくしょう、不甲斐ない俺。そんな俺に彼は何を思ったのか、ぱちぱちと瞬きをして言った。「耳と尻尾が垂れてますよ」「は?」「いえ別に。で、何かご用ですか?」「え、あ、用っつーか……」にこりと艶やかな微笑でころりと話しが変わる。慎さんと目が合って嬉しかったから声をかけただけ、だったのだが。またあのおっさんのとこにすぐ戻られるのも癪なので、ちょうど聞きたいと思ってたことを聞くことにした。「慎さん、何か欲しいものはないですか!」「欲しいもの?」「ほら、昨日誕生日だったなんて知らなかったもんで」「ああ……別にそんなの」「要らないとか言わないでくだ
「火曜と木曜……すか」いわずもがな、仕事だ。だが当然、外に出ていることもあるから立ち寄るのくらいは問題ない。……しかし長時間並んで、というわけにはいかないな、と思案していると。「陽介さんも、普段はお仕事ですよね。祝日とかはお休みですか?」「はい、祝日は休みっすよ」そこではたと気が付いて、スマホを取り出してカレンダーを開いた。「そっか、祝日!」「はい、今度の祝日、火曜なんですよ」祝日なら確実に休みだし、何時間前からだって並ぶことができる。よっしゃ、と弾んだ声の俺につられてか、慎さんの声も落ち着いてはいたけれど少しそわそわとしたもので。「……行けそうですか?」スマホから顔をあげると、やっぱり期待して表情もそわそわしていた。「行きますよ勿論。ってか三週間も先なんですけど」「今までずっと食べられなかったんだし、三週間くらい待ちます」ぱっと輝いた表情は営業でもなんでもない……ように俺には見えてそれだけでまた手やら……まあ色んなとこがウズウズする。ああ、抱きしめたい触りたい、って。こうしてバーテンダー姿を見ると改めてこの人男なんだよなーと思うけど、それ以上に触れてみたいという欲求が強い。いやいや。ダメだってお触り禁止だし。怖がらせたらダメだし、そこは佑さんに言われるまでもなく。と、自分の中で欲求不満と格闘を交えていると、目の前の慎さんが変なものでも見るような胡乱な瞳を俺に向けていた。「&hellip
――――――――――――――――― いや、犬だろ?それは確かにそうなんだけど。彼はまるで水のようだ気付いた時には足元を濡らしていて僕のテリトリーを侵食し今彼は当たり前のような顔ですぐ傍にいる―――――――――――――――――【神崎慎】陽介さんが番犬に任命されたあの日から。 彼は律儀に週末の夜は店に通い、平日でも暇さえあればやってくる。……この性格最悪髭オヤジにからかわれているとも知らずに。「お、そろそろ陽介来る頃じゃねえ?」「佑さんお洒落ヒゲのつもり? 全然似合ってないからやめれば」「なんでいきなり不機嫌なんだよ」「佑さんが面白そうだからだよ!」土曜の午後。 絶対、ほとんど寝れてない。 はずだ。 店に泊まらせたのは酔いつぶれたあの日だけだが、さすがにこれだけ頻繁に通って来られては、彼の健康状態が心配になっても当然だと思う。 昨夜も朝方近くまでここに居たので、一度家に帰らせたのだが。 僕が道場に向かう時間には、またやってくる……多分。「面白いのは確かだけど、手綱引いてるのはお前だからな」「なんだよ手綱って」「……パーカーの紐?」ますます意味がわからん。 眉根を寄せながらスツールの椅子をカウンターに上げて掃除機をかける準備をしていると、佑さんが続けて言った。「それに、あいつと一緒だとお前、ちゃんと飯食って帰ってくるし」「僕だって腹が減れば飯ぐらい食うよ」「そうじゃなくて。道場と店くらいしか行き来しない引きこもりみた
「……だってあのおっさん、しょっちゅう来るじゃないすか」いわずもがな、あのおっさんとは梶さんのことだ。ぶう、と効果音が鳴りそうなくらい拗ねた顔をするが、デカい図体でそんな顔されてもちっとも可愛くない。「それに、マリちゃんも頻繁だし。あんにゃろ、俺と店で鉢合わせするたびにじろじろ睨むわすれ違いざまに足引っ掛けようとするわ」「マリちゃんは可愛いもんじゃないですか、女の子相手にピリピリしてみっともない」「……慎さんは女の子には優しいですよね」「女の子なんだから優しくするのは当然」まあ、マリちゃんは兎も角……最近、梶さんは確かに以前より頻繁だ。海外出張を終えた後で、暫くは仕事が暇だと言ってたから、そのせいかもしれないけれど。それだけでなく、元々僕を口説くと公言しているだけあって余り他の客の目も気にせずに物を言うところはあったが、近頃少々度が過ぎている、気もする。手を握られたり引き寄せられたり……憚らず距離を縮めようとするのだ。その度わが店の番犬が今にも唸り声を上げそうなのを、目線で制する、というようなことが続いていて。……はっきり言って、仕事がしづらい。梶さんに対しても勿論だが、僕一人でも上手く躱しているというのにいちいち牙を剥くのはやめて欲しい。「梶さんは今仕事が暇だと言ってたから。一時的に来店回数が増えてるだけですよ」これ以上刺激してもいけないので、あえて大したことではないと流してしまおうとしたのだが。「それだけとも思えんけどな」それまで黙って聞いていた佑さんが、また何か煽るようなことを言う。「何言ってんですかそれだけですよ」「違うな。お前が煽るから」「そうっすよ、慎さんが煽るから」どういうわけか、突然タッグを組んだ佑さんと陽介さんに白い目で見られた。陽介さんに至っては、若干恨めしそうに見えるのはなぜだ。「は? なんでいきなり僕のせい?」「お前があのおっさんの前でこいつの手綱引くから」「だから……意味がわからんと」言うとるだろうが。なんなんだ。僕がいつ、番犬の手綱を引いたって?わざわざ引かなくても、勝手に来るのはこの人じゃないか。「ああいう、誘うような表情は誰も見てないとこで……」「お前は調子に乗って毎回パーカー着てくんのやめろ」パシン、と頭を叩かれても、へらへらと笑っている陽介さんは嬉しそうというよりも
大体あの日からだ、あのおっさんのボディタッチがやたらと増えたのは。そう思うと番犬の存在が忌々しいが、いそいそと嬉しそうに店に顔を出すあの邪気の無さを目の当たりにすると、余りくどくどと言えなくなるから不思議だ。かと言って、僕が煽っただのなんだのと佑さんと二人して言われれば苛つくけど。隣で美味そうにパンを齧る彼に目を向けると、すぐに視線に気づいて嬉しそうに破顔する。「美味いですか?」「塩パンは微妙だった」そう言うと、たちまちしょげて眉尻を下げるのが可笑しい。本当に、よく表情が変わる奴だ。「イチジクのは、美味しかったですよ」陽介さんのパーカーの紐が片方だけ襟のフードに引っかかっていて、「またか」と指で軽く引っ張って直してやると、真っ赤な顔で鼻の下を伸ばした。うん。こいつも大概気色悪いかもしれない。―――――――――――――――――――――――――――――――陽介さんとの約束の祝日、前日の月曜は定休日でゆっくり休んだ為、朝は割と早く目が覚めた。決して、約束のパンが楽しみだっただけ……では、ない。「……あ! やばい、ゴミの日だ!」繁華街の中央付近は自治体が契約している業者が毎朝ゴミ収集に回るけど、この辺りは少し離れていて飲食店が少ない為、二日に一度の回収だ。うちの店から出る生ごみは高が知れてるが、それでも衛生上余り長く店に置きたくない。急がなければ、と慌てて簡単に身支度をする。いつもならきっちりチューブトップか、ボディタッチの増えた梶さん対策にさらしを巻いてから外に出るのに。油断した、としか言いようがない。スラックスに、ラフなニットだけでゴミ出しに外に出た。回収場所が路上なので邪魔になる為、八時には回収に来てしまう。慌ててまとめてあったゴミをいつもの場所まで引っ張って行った。ついでに入り口付近の掃き掃除をしようと、メーターボックスに隠してある箒とちりとりを出してくる。朝の空気がひんやりと肌に冷たく、大きく深呼吸すると冷えた空気が身体の中心を通って漸くすっきりと目が覚めてきた気がする。11月だというのに今年はどうも暖冬らしく、朝方にこんな薄着でも耐えられないほど寒くはない。心地よい気候の、心地よい朝だった。「やあ、おはよう」この声を聞くまでは。声を聞いただけでぞわっと鳥肌が立つのは、もう条件反射と言っていいだろう。
「脅かさないでください、まだ開店時間ではないですよ」「ほんの少し、珈琲を飲む時間くらい付き合ってくれてもいいだろう」どうしても不気味さを拭い切れないことに、頭の中ではガンガンと警鐘が鳴っている。なるべく背を向けないように店のドアノブに手を伸ばすと、同時に彼は最後の段差を降りたところだった。「申し訳ありません。梶さん、冗談もここまでくるとスマートではないですよ」もう断る理由を考えるのも面倒で、おざなりの謝罪を口にする。そこでつい余計な軽口を叩いてしまうのは、もう条件反射というか現実逃避というか。冗談で済んで欲しい、頼む。「いやあ、ちょっとやりすぎたかな」とか言ってくれ、でないと気色悪くてかなわない。いざとなったら、脛かも一つ上段の男の急所狙って蹴っ飛ばして店の中に逃げ込んでやろうと、身構えながら扉の中に滑り込める位置まで身体を横に滑らせる。「私はいつも本気で口説いているつもりだけどね。それに、不公平じゃないか? あの男とは最近よく外で会ってるじゃないか」「……いいかげんにしてください」あの男とは陽介さんのことに間違いはなく……土曜の道場通いにお伴で付いて来ているところを目撃されたに違いない。他には何の心辺りもないのだから。面倒くさいやりとりに、先にしびれを切らしてしまったのは僕の方だった。「余り度を超すと出入り禁止にしますよ。失礼します」小さく扉を開けてギリギリで店内に滑り込む。それさえできれば、例え邪魔されても扉を閉めるくらいは簡単だと思ったのだ。「ちょっ……、梶さん?」閉まるはずだった扉は、大きく隙間を開けたままびくとも動かなかった。梶さんの両手がいともたやすくそれを阻んで、少しも閉じさせてはくれない。あ、と声を出す暇もなかった。大きく押し開けられた弾みに、足がたたらを踏んで真後ろに倒れそうになる。まず……っ!何かを掴もうと手を伸ばしたが空を切るばかりで、一瞬で視界から梶さんが消え天井の照明が目に映る。背中に衝撃を受ける覚悟をして、ぎゅっと強く目を閉じたその瞬間、腕を掴まれ腰を引き寄せられた。「悪かった、そんなに乱暴に開けたつもりはなかったんだが」気付いた時には、梶さんの腕の中に居た。咄嗟に胸が密着しないよう腕でガードはしたものの、この状況は危険すぎる。過度に緊張して、恐らく相手にも伝わるくらいに身体が強
ぐ、と奥歯を噛みしめる。怖い、大丈夫、落ち着け。逃げなければ、早く。女だとばれてはいけない、男の前で女であってはいけない。「おい? 君、何もそんなに……」怯えることはないだろう?そう言いたげな訝しい表情の男と目が合う。まずい、変だと思われた?焦りだけが先走り、冷静さを見失う。「離せって言ってるだろ!」男の腕の中ですぐにも逃げ出そうともがくが、掴まれた手首はびくともしない。腰にある手が、宥めるように背中を擦るが、おとなしくなってたまるかと相手を睨みつけた。女とバレたら。いや、この人はゲイなんだから、バレたとしても安全なのか?いや、抑々それを信じていいのか?「慎くん?」つ、と男の腕が脇腹を辿って上がり胸付近に近づいた時、ひっと上がりそうな悲鳴を飲みこんだ。「触んなっ!」「うわっ!」しっちゃかめっちゃかに腕を振り回して、漸く鼻っ柱を掠めたのか梶さんの手が緩む。その隙に思い切り突き飛ばして、梶さんがどうなったかまでは見届けていない。外に逃げ出そうと振り返った瞬間、急速に方向転換したのが響いたのか、くらりと立ちくらみがした。やべ、こんな時に。最近は馬鹿陽介のおかげで結構食ってたのになんで。ああ、そういえば……生理が近かったかも、しれない。ぐらつく視界で、それでもよたついた足で外への扉に近づこうとした、その時。再びその扉が大きく開かれた。「慎さんっ? なんかあった……」「うわっ」もう随分聞き慣れた声が聞こえ、目の前にパーカーの大きなロゴが飛び込んできた。「よ……」陽介さん、と声は続かなくて、暫し茫然と上を見上げる。彼の目が僕と僕の背後を交互に見て、それからぎりっと眉を吊り上げた。今にも飛び掛かりそうな勢いに、その腕に抱きついて捕まえる。いや、捕まえたというか足元がおぼつかなくて掴まった、が正しいかもしれない。どうして、こんな朝から彼が来たんだろうか、とか。まだ約束のパン屋に並ぶには早すぎる時間なのに、とか、疑問ばかりであるが。「おせぇよ番犬」は、と安堵したら気が抜けた。「え、すんませ……あ、えっ?!」膝をついた覚えはない。そこで、ぷつっと意識が飛んだ。――――――――――――――――――――――――――――――――決して最初から、僕は男に成りすましていたわけじゃない。女子高だった為校内で
【神崎慎】「ほんと、何か変っすよ」陽介さんが、心配そうに僕に向かって手を伸ばす。その手に過剰反応して、思わずびくんと身体が跳ねた。「すみません、つい」驚いて手を引っ込めた陽介さんは、それでも尚、僕の心配をしてくれているのはひしひしと伝わってくる。確かに、僕は今、おかしい。原因の大半は、陽介さんが店に戻ってくるまでの間、佑さんと二人の時に起きた出来事にある。陽介さんたちが店を出てから、暫くして他のお客も居なくなり、普段より早めに店じまいをすることになった。有線で流れていた音楽を止めると、佑さんが何かにやにやと唇を歪ませながら僕を見た。「お前さ、なんか間違ってねえ?」「は? なにが」「気になって仕方ないからって、何女の方を悩殺しようとしてんだよ」くつくつと可笑しそうに肩を揺らす。佑さんに指摘されたことは十分に身に覚えがあって、僕はいっそわかりやすいくらいに狼狽えた。「そ……そんなことない。いつも通りだ」「まあ、お前にしかできない妨害かもしんないけどさー、妨害にしちゃ消極的だ。どうせやるなら結婚詐欺くらいの勢いで落としにかかんねえと」「別にそんなんじゃないってしつこいな!」確かにいつもより若干、女の子が喜びそうな接客をしたかもしれないが。それは、アカリちゃんが僕から見ても可愛らしかったからで。僕は、元々可愛い女の子を見るのは好きだし、ほら、言わばマリちゃんに対して見せるのと同じような。と、脳内で勝手に慌てて誰に対してかわからない言い訳を並べ立てていた。だけど本当は自覚している。合コンという名目で、浩平さんが陽介さんにあてがおうとしているアカリちゃんを見た時、僕は軽くないショックを受けた。陽介さんの隣に並んで店に入って来たのは、小柄で華奢で、清楚な長い黒髪をハーフアップにした、可愛らしい女の子だった。僕とは全く、正反対の。男というのは、一般的にああいう子が好みだろうなと見ていて思った。だけど陽介さんは、僕を好きだと言う。信じてくれと、真摯な言葉で訴えてくれたことを忘れたわけじゃない。その言葉に、僕はまだ一度も応えていないというのに、ショックを受けた自分も嫌だ。独占欲ばかり一人前に成長して、僕は一体何がしたいんだろう。テーブル席とカウンターテーブルをダスターで綺麗に拭いて、カウンターに戻ってくると、流し台に汚れた
緊張で固くなった唇は、何度も重ねて舐めるたびに柔らかく熱を持った。抵抗しないのをいいことに、唇を貪ることに夢中になって、苦しそうな彼女の息遣いも扇情的なものにしか感じられなかった。「……ん、も……やめっ……」「もう少し……すんません」最初は片手で支えていただけだったのに、いつのまにか両手でがっちり彼女の首筋を捕まえていて、よくもまあ、あの慎さんが大人しくしていてくれたものだと、気付くのは後になってからだが。「……くるしっ……」「もう、ちょい」止まんないんだよ、仕方ない。声を遮るように角度を変えて深く口づけると、咄嗟に閉じようとした歯の間に舌をねじ込んで絡みつく。唾液にまみれて滑りのよくなった唇がこすれ合って、心地よさに恍惚とする。柔かくてあたたかくて、気持ちよい。舌を絡めることに慣れてない様子に、益々身体が熱くなった。無理だ。止めろって言われても、無理。ほんとに嫌なら、噛みつくなりなんなりしてくださ……。「いっ!!」突如、口の中でガリッという音がして同時に鉄のような味が広がり、陶酔しきっていた意識が現実に引き戻される。舌先に走った激痛に、慌てて彼女の唇と首筋を解放した。いってぇえええええ!噛まれた!おもっきし噛まれた!口を片手で押さえて前屈みになる。声も出せないくらいの痛みを地団駄を踏んで逃がしていると、息も絶え絶えといった様子の慎さんの声が聞こえた。「くっ、苦しいって、言ってるだろう、いいかげんにしろ!」見上げると、涙目で顔も真っ赤な慎さんが般若のような表情を浮かべて肩で息をしていた。やべえ。調子に乗りすぎた。「す、すんませ……気持ちよくてつい」「き、きもちよいって……」かああ、と一層赤く染めながら、慎さんが一度言葉に詰まる。照れてるのか恥ずかしがってるのか、でも間違いなく怒ってもいる。やばい、嫌われてたらどうしよう、と、散々貪っておきながら今更不安になってきた。「いくらなんでも、苦しい! 息継ぎくらいさせろ!」「い、息継ぎ?」そんなん……どうやったっけ?無意識にやってるから、あんまり考えたことがない。キスの最中のことを思い出しながら、ふと、気が付いたことを言ってみた。「……鼻、息止めてました? 合間に口でするのもありますけど……苦しかったら多分、鼻?」「鼻……」恐らく今、慎さんの中で
中途半端な位置で留まったままの拳と俺の顔とを、綺麗な榛色の瞳が行き来して、少し肩の力を抜いたのがわかった。スツールが極々小さな、「キィ」という音をさせる。慎さんが椅子ごと俺の方を向いたからだ。すぐ間近からまっすぐに見つめられて、ますます手と目のやり場に困ってしまう。見つめてくる目はやっぱりどこか不安げに揺れていて、そのくせ潤んで艶っぽく……思わず生唾を、飲みこんでしまった。やばい。もうちょい、いつもみたくガード固くしてくれないと、今の俺はホントにヤバイ。「ちょ……っと、」トイレ、と言ってその場を逃げ出そうとしたのに。「……なんで、止めたんですか」慎さんが俺の手を見ながら、呟いた。何を尋ねているのかは明白だった。「……すんません、その……ちょっと」「僕が、怖がったから?」「俺が悪いんす。ちょっとだけ、のつもりで……あ、頭! 頭、撫でようとしただけで!」いや、ほんとは。頬に手は向かってたけど、怒られそうな気がしてつい控えめに言ってしまった。「……」「……すんません」そんな、まっすぐ見つめられたら。些細な嘘だけど、なんかめっちゃ悪いことをした気になってしまうからほんとに止めて、ごめんなさい。これは、なんだ。拷問か、それとも試練か。俺の忍耐力の限界を誰かが測っているのだろうか。やっぱりトイレに逃げよう、と立ち上がろうとしたら。「……いいよ」と、慎さんの声がして、一瞬何がいいのかぴんと来なかった。「え……」「いいよ、触れば。……別に、陽介さんが怖かったわけじゃない」ぶっきら棒で、ちょっと早口なのは照れ隠しなのだとすぐにわかった。視線が斜め下に逃げて、眉間に皺を寄せてはいるものの頬は触れたら熱そうなくらいに赤い。触っていいよ、というよりも、触って欲しい、と表情はそう言ってるように見えるのは、俺が調子に乗ってるからか?「い、いいんすか、ほんとに」「嫌ならい」「触ります!」……触ります、って宣言はどうなんだ。と自分でも思いつつ、じゃあ……と右手をゆっくり髪に触れさせた。緩くウェーブのかかった髪は、思っていたより艶やかで、想像するよりずっと柔らかく指に絡む。……細。絹糸みたいな細い髪を、最初は手のひらで撫でる。慎さんは恥ずかしそうに目線は背けたままだけれど逃げる様子もなかったから……髪の中に指を差しいれ
「……あの?」「何か?」余りない、距離間だった。いや、慎さんを空手道場に送る時だとか、食事に連れ出す時だとか、俺から近寄っていくことはあっても、慎さんの方からここまで近づくことは余りない。ましてや、店内で。「いや……そうだ。佑さんは?」「今夜はもう帰ってもらいました。後片付けもそれほど残ってなかったし」「あ、そう……っすか」しかも、二人きり。何がどうしてこうなった、と理解ができないままに自然と鼓動は早くなる。男としては、大変美味しいシチュエーションだ。だからといって、簡単に手が出せる相手ではないのだが。スツール同士はあまり離れていないから、すぐ隣だと肩が触れそうなくらいに近くなる。手を伸ばせば触れられるくらいに、抱き寄せられるくらいに、近い。かといって全力で近づいてくるわけでもなくて……なんだろう。この感覚、どこかで覚えがあるぞと思いめぐらすと、すぐに思い当たった。実家で飼ってる猫だ。不愛想でこちらから構ってやろうとすれば、つんと澄まして見向きもしないくせに、たまにソファでテレビを見ているとそろっと近づいてきて隣に座る。それと、似ている。慎さんは例えるならシャム猫みたいで、実家の雑種猫とはずいぶんと雰囲気は違うけど。「あ。えっと、あの子なら、ちゃんと家まで送って来ましたから」「ああ、アカリちゃん。小さくて可愛らしい子ですね」「……送っただけで、何もないっすよ?」「そうですか」いつもと違う空気のわけを、思い当たる節から確かめようと敢えてアカリちゃんのことを口に出してみたが、手ごたえがない……ような、あるような。「……てっきり告白でもされたかと思いました」はは、と笑った顔が平静を装っているだけのようにも見えた。「……されました」「えっ」「俺は会うつもりないんすけど……ここに多分、ちょくちょく来ると思います」こんな雰囲気で、何か不安そうな慎さんに言いたくはなかったけれど、アカリちゃんが本当に来るなら話しておいた方がややこしくならない、気がした。俺が居ない間に来られてアカリちゃんの口から喋られるよりは、ずっといい。『だから―――また、会いたいな。あの店に行けば会えるよね?』最後に言われた言葉を思い出して、溜息を付く。アカリちゃんに毎度毎度来られたら、慎さんと話す機会が絶対に減る。ましてや、その度送れとか
―――――――――――――――――――――――――急いで駅まで走ったものの、やっぱり終電には間に合わなくて慌ててタクシー乗り場を探す。ところが、俺と同じように終電を逃した連中か、とっくに営業を終えてるバスの利用者かで長蛇の列となっていた。しかも見ていると回転率が悪い。中々タクシーが戻ってこないのだ。「……くそ」どうしようか。携帯から連絡しようかと思ったけれど、タクシーに乗るくらいなら家に帰れと言われそうで、結局止めた。この駅から店までは、線路上で言えば三駅分。でも、直線距離で結べば三駅もない……はず。走るか。いや、それならタクシー待つ方が早いか。悩んでいても答えはでないと、結局じっとしていられないのが性格ってやつで。店の方角を確かめながら、適当な道を選んで車も人通りも少ない暗がりを行く。走る必要もないのに走るのは、一分一秒でも早く会いたいからで。案外ヤキモチ妬きのあのひとを、不安にさせたくないからで。あ、いや。不安に思ってくれるならちょっとは嬉しいけど、不安にさせたいわけじゃない。応えてくれない人を好きで居続けるという恋愛を、今までしたことがなかったから、俺にとっては複雑で初めての心境だった。「くっそ、あつ……」半分くらい走ったところで、一度足を止めて呼吸を整える。バスケ現役で走っていた頃なら、もうちょい走ることができたのに。再び走り出してすぐ、流しのタクシーを捕まえることができて、それからは店まではものの数分だった。タクシーを店の前で降りると、ぶるりと寒さが身体に堪えた。散々走ったおかげでシャツが汗で濡れていて、今度はそれが逆に身体を冷やしている。当然だ、来週には十二月だ。慎さんに出会ったのは、まだ秋のはじめの頃だった。ふと、風の温度に季節の移り変わりを感じて、あれからまだ二か月ほどしか経っていないのだと気が付いた。随分長い間、この店に通っているような気がしていたけれど……それほどの回数、ここに訪れているということだろう。「……はあ」階段を降り切った踊り場、店の扉にかけられたプレートの「close」の文字に溜息をつく。今夜は最後の客が早く帰ってしまったのかもしれない。場合によっては、週末は特に明け方近くまで開けていることが多いのに、今夜に限って早々に閉めてしまったようだった。素っ気ないけど律儀な
「……何言ってるんですか。もう終電もなくなりますよ」「大丈夫です、走れば間に合うし。それに週末はあのオッサンまた来るかもしれないじゃないですか」「梶さんなら、最近は来ても別に僕に絡まないし、佑さんがお相手してるから特に困ってませんよ」呆れたと言わんばかりの顔で慎さんは言うけれど。確かに、近頃来店してもそれほどしつこく絡んでいる様子はないし、佑さんと話していることが多い。だが、それを認めてしまうともう番犬は必要ないから来なくていいと言われてしまいそうだ。っていうか、ちょっと……今。イヤなものを想像して、寒気が。「……あのオッサン、まさか佑さんに鞍替えっすか?」「は? いや、まさか……そんな」ぽかん、とした表情の慎さんと顔を見合わせる。恐らくは今、脳内で似たような絡みを想像しているのではないだろうか。次の瞬間、血の気が引いた青い顔色で思いっきり口と鼻を歪ませた。「……んなわけないでしょう。変なもの想像させないでください」「すんません……俺も鳥肌立った……」おえっ。オッサン二人の絡みなんか。当然美しいわけがない。当の佑さんは流し台で洗い物をしていて、こちらの話は全く聞こえていないようだが、もしも聞いていたら面白がって悪ふざけを考えたに違いない。「…っと、とにかく。戻ってきますから。閉店までには」「そんな、無理をしなくても」「無理じゃなくて、俺がそうしたいだけですから!」そうと決まれば、早く行かなければ。出来れば終電があるうちに戻って来たいところだ。急いで背を向けた一瞬、複雑な表情を浮かべながらもほんの少し、嬉しそうに見えたのは……希望的観測が過ぎるだろうか。三人の元に戻れば、まだ二回目だというのにまるで決まり事の如く俺がアカリちゃんを送る形で解散した。そこからの俺は気もそぞろで、電車の中でアカリちゃんと話はしたものの内容はさっぱり覚えていない。彼女の家の最寄り駅で降りてからも、つい早足になる歩調に気付いては、後ろを振り向いて慌てて緩める、の繰り返し。しまった。大した距離じゃないんだし、電車を降りたらすぐにタクシーに乗れば良かったのだ。一生懸命俺の後ろを着いてくる彼女に、罪悪感が沸いて少し気を落ち着かせようと深呼吸をする。「なんか、ごめんな」「ううん、こっちこそごめんね。またこんなとこまで送らせちゃって……」
浩平は、とにかく俺とアカリちゃんをどうにかしたいらしい。っつか、馬鹿め。この店に来た時点でそんな目論見は破綻している。慎さんがバーテンダーをしているこの店で、彼(彼女)以上に女を引き付けられるわけがないのだ。自分で言っててかなり虚しいが、俺の好きな人は俺なんか足元にも及ばないくらい女にもモテモテなのだから仕方ない。「ヤバイ、あのひとなに?! モデルとかじゃないの?!」「めちゃくちゃ綺麗だったね、男の人にしとくの勿体ない……」慎さんがカウンターの方へと下がっても、視線で後を追うように身体ごと振り向かせ、ほう、とピンクの溜息をつく。彼女たちの前には、慎さんが作った色合いの可愛らしいカクテルが並んでいる。赤い液体に、ミントの葉と白いパウダー状のものが雪みたいに散っているイチゴマティーニと、薄いピンク色のピンキーサワーはどうやらマンゴーらしい。『お二人のアクセサリーの色に合わせてみたんです。こういう楽しみ方もいいでしょう?』そう言って微笑んだ慎さんは、確かに誰よりもかっこよく麗しい、バーテンダーだった。「……馬鹿だろ浩平。ここに来たらこうなるに決まってんだろ」「いや、確かにちょっとは思ったけど……なんかあのひと、今日は特に接客気合入ってねえ?」そうだろうか?いつだって慎さんは女の人にはめちゃくちゃ優しいし、飛び切りの王子様スマイルだけど。「あああ、どうしよう。本気で暫く通っちゃおうかな」「やめとけやめとけ。お前なんか相手にされるわけないだろ」「うっさいわね、そんなのわかんないじゃないの!」浩平とミキちゃんが、喧嘩腰の軽口を叩き合う。大学時代から、これが二人の雰囲気らしい。付き合っている、というわけではないそうだが。「男だって見た目は大事よ! アカリもそう思うよねー」「あはは。そうねえ……すごく綺麗だから、目の保養にはなりそうだけど、緊張しそう」「そう?」「うん、私はもうちょっと、身近な感じの人の方がいいかな」そう言って、アカリちゃんがちらりとこちらを見て視線が合った。同意して欲しいのだろうか。確かに、慎さんが綺麗な人だということには何の異論もないが。「話してみると、結構面白い人だよ。人間味あるし」緊張する、という言葉が、なんとなく「自分たちとは違う人」と一線を引いたものに聞こえて、ついそんなことを言ってしまった。
別に、ほんのちょっと妬いてくれたくらいでそれがイコール「好き」という感情に直結するとは思ってない。だけど、そのほんのちょっとの嫉妬と同じくらいに、希望があるって思っていいんだよな?胸の奥が苦しいくらいにきゅんきゅんと鳴っている。この人は、良くも悪くも俺の心拍数を上げてくれるから、そこんとこをもうちょっと自覚してほしい。すみませんでした、と小さく頭を下げた彼女に首を傾げると、少しもじもじとしながらもう一度謝罪の言葉が聞こえた。「……陽介さんの気持ちを、疑ったことです。すみませんでした」「ま、慎さん……!」と、またしてもカウンターを乗り越えたい衝動に襲われて、カウンターに阻まれる。いらないだろ。邪魔でしかないだろカウンター。しかし、遮られてなかったら本気で抱き着いて殴られてたに違いない。「受け入れたわけじゃないですよ! し、信じただけですから!」俺の気持ちを信じると言ってくれた。それだけで十分だった。俺はすっかり舞い上がって、その後俺の居ないところで、浩平と慎さんが話をしていたなんて、随分後になるまで全く知らなかった。―――――――――――――――――――――あれから、半月程。今夜のbarプレジスは賑やかだ。カウンターが俺の特等席だが、今は一番奥のテーブル席にいる。なぜなら今夜は、ものすごく不本意ながら……一人ではないからだ。「こんな素敵なバーがあるなんて、浩平ったら全然教えてくれなくて」「本当、こんなお洒落なバー、初めて来ました……なんかそわそわしちゃう」浩平の大学の頃の女友達、ミキちゃんと、その隣で、ほんのり頬を染めて小さな身体をさらに縮こませてモジモジしているアカリちゃん。そして俺の隣で若干白けた表情の浩平の四人という、俺としては何とも複雑な面子での来店だった。「ありがとうございます。ここは女性のお客様も良くいらっしゃいますよ。気楽に楽しんでくださいね」こんな状況にも拘らず、慎さんは今日も変わらず妖艶な微笑を浮かべ、ピンと伸びた綺麗な姿勢で立っている。ミキちゃんとアカリちゃんは、すっかり慎さんの王子様スマイルの虜のようで、ハートがキラキラ飛び散ってる幻影まで見えそうだ。慎さんがオーダーを聞こうとしているのに、何かと脱線してさっきから無駄話しかしていない。それでも、慎さんは嫌な顔一つ見せないのだから……やっぱ
どくどくどくと早鐘を打つ鼓動に焦燥感も煽られる。「アカリちゃんって子が明らかに陽介狙いだったんで、送ってやれって二人きりにさせてみたんすけどね」「だから俺は」焦って説明しようとする俺の言葉に被せるようにして、慎さんが言った。「恥ずかしがることないじゃないですか。陽介さんにも春が来たんですね」「……」ぷつん。と何かが切れた音が頭の中でした気がする。目の前には、慎さんがいれてくれたシャンディガフ。薄黄色の透明な液体で埋められたグラスの中、きらきらと小さな粒のような泡がくるくる昇るのを見乍ら、苛立ちを抑えようとしたけれど。我慢できずに、グラスを掴みひと息に飲み干した。冷えた液体が身体の中心を通ったけれど、頭は冷えてくれなかった。春が来た、って何。俺はずっと春だけど。慎さんと出会ってから、頭ン中ずっと春爛漫だけど?!なんで今更他の女と春を迎えなきゃならないんだ。好きだって言ったのに、なんで信じてくれてないんだ。だん!と勢いよくグラスを置いた衝撃で、会話を続けていた二人の声がぴたりと止まった。「陽介さん?」「俺は!」椅子から立ち上がり張り上げた声に、慎さんが目を見張る。今漸く、ずっと逸らされたままだった視線が合った。「俺は、慎さんが好きだって言いました!」信じてもらえない苛立ちそのまま言葉をぶつけてしまったけど、それでいいやと抑止は全く働かない。驚いた慎さんの手から、ダスターがぽとりと落ちた。「ちょっ、陽介さん……」「拒否されててもわかってはくれてるものと思ってました! もっと口に出した方がいいっすか、もっと態度で示さないとわからないですか」「ちょ、ちょっ……馬鹿かお前!」「どうせ俺は馬鹿ですよ!」嘘つきだとか節操無しだとか思われるより、馬鹿の方がなんぼかましだ。完全に頭に血が上った俺に、慎さんが動揺したのか目線がちらちらと他所を向く。なんだよ、俺に集中しろよ!子供染みた独占欲みたいなものが沸いてでて。その視線の先に、慎さんの動揺の理由に気付いた。「浩平ならもう知ってます。俺、言ったから」「は?」ぽかん、と口が開いたままおかしなものでも見つけたような、表情だった。「ば……馬鹿じゃないか、本当に」「なんとでも。男も女も関係なく、慎さんが好きです。何回でも言いますし誰に知られても、俺はいいです」そう