Chapter: 番犬の役割《6》「火曜と木曜……すか」いわずもがな、仕事だ。だが当然、外に出ていることもあるから立ち寄るのくらいは問題ない。……しかし長時間並んで、というわけにはいかないな、と思案していると。「陽介さんも、普段はお仕事ですよね。祝日とかはお休みですか?」「はい、祝日は休みっすよ」そこではたと気が付いて、スマホを取り出してカレンダーを開いた。「そっか、祝日!」「はい、今度の祝日、火曜なんですよ」祝日なら確実に休みだし、何時間前からだって並ぶことができる。よっしゃ、と弾んだ声の俺につられてか、慎さんの声も落ち着いてはいたけれど少しそわそわとしたもので。「……行けそうですか?」スマホから顔をあげると、やっぱり期待して表情もそわそわしていた。「行きますよ勿論。ってか三週間も先なんですけど」「今までずっと食べられなかったんだし、三週間くらい待ちます」ぱっと輝いた表情は営業でもなんでもない……ように俺には見えてそれだけでまた手やら……まあ色んなとこがウズウズする。ああ、抱きしめたい触りたい、って。こうしてバーテンダー姿を見ると改めてこの人男なんだよなーと思うけど、それ以上に触れてみたいという欲求が強い。いやいや。ダメだってお触り禁止だし。怖がらせたらダメだし、そこは佑さんに言われるまでもなく。と、自分の中で欲求不満と格闘を交えていると、目の前の慎さんが変なものでも見るような胡乱な瞳を俺に向けていた。「&hellip
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Chapter: 番犬の役割《5》なんだ?と首を傾げる。だが慎さんも此方を見たことに気が付いて、俺はこれ幸いと片手を上げた。「慎さん」客と話してるとこ、急に声かけんのもどうかと思ったけど。目が合ったんだから、許されるだろう。相変わらず接客モードの固い微笑みだが、それでも笑ってくれたことに気を良くしていると、慎さんが男に軽く会釈をして此方に近づくような素振りを見せた。だがすぐに足が止まって、また男を振り向く。男の手が慎さんの腕を、捉えたのだ。引き留めた、ただそれだけなのはわかるけど。その瞬間、いらっと了見の狭い感情が湧いて出た。慎さんがもう一度言葉を交わし、一時離れることを告げたような素振りだった。男の手は、掴んでいた肘の辺りから手首、指、と名残惜しむように滑り。まるで口づけでも落とすように、その掴んだ指を掲げた。「っ!」がた、と椅子から立ち上がりかけて止まったのは、ここが店内で今が営業中であるということと。慎さんがそれを慣れた様子でするりと躱して手を引き抜き、実際に口づけが落とされることはなかったからだ。「陽介、お前顔に出し過ぎ」横から苦笑いの茶茶が入るが、いや、仕方ない。これは仕方ない。なんなんだあいつ、しかも他の客もいるのにお構いなしか。佑さんが、見ればわかると言っていたのはこういうことかと合点がいく。俺の方へ近づいた慎さんまで俺の顔を見て苦笑いをした。「なんて顔してるんですか」「あ……いや」本当なら今すぐ大丈夫だったか気持ち悪くなかったか(例え自分のことは棚上げだろうと)心配で聞き出したいとこなのに、慎さんの見事な躱し方を目にして俺に今できることなどないと知らされ、情けなく言葉に詰まる。ちくしょう、不甲斐ない俺。そんな俺に彼は何を思ったのか、ぱちぱちと瞬きをして言った。「耳と尻尾が垂れてますよ」「は?」「いえ別に。で、何かご用ですか?」「え、あ、用っつーか……」にこりと艶やかな微笑でころりと話しが変わる。慎さんと目が合って嬉しかったから声をかけただけ、だったのだが。またあのおっさんのとこにすぐ戻られるのも癪なので、ちょうど聞きたいと思ってたことを聞くことにした。「慎さん、何か欲しいものはないですか!」「欲しいもの?」「ほら、昨日誕生日だったなんて知らなかったもんで」「ああ……別にそんなの」「要らないとか言わないでくだ
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Chapter: 番犬の役割《4》「……なんだよ美味しい思いって」訝しく眉根を寄せる佑さんに、ふふんと得意顔で鼻を鳴らす。「電車の中で結構混んでて、俺がいないと慎さん押されて大変だったかもしれないし」実際には邪魔だと言わんばかりに睨まれた挙句、気持ち悪いと胸を殴られたが。「パン好きで焼き立てホカホカに弱いってわかったし、携帯番号も教えてもらえたし」携帯はほんとは浩平の次いでだが、そんなことよりもほかほか発言はマジで可愛かった……! 今思い出しても顔がにやけてくるのが止められない。「……お前、哀れなやつだな」それのどこが美味しいんだよ、と佑さんが頬を引き攣らせていたが、その中に微かに安堵が混じっているのを確かに見た。ような、気がする。む……と眉根を寄せているとくつくつと肩を揺らしながら「で、何を飲むんだ」と尋ねてくる。「コロナで」「拗ねんなよ」手際よく栓が抜かれた瓶に、櫛切りのライムが押し込まれて目の前に置かれた。「佑さんはなんでそんなに心配するんですか」「あ?」馬鹿にされて拗ねていると思っていたらしい佑さんは、胡乱な目で俺を見てぽかんと口を開けた。「慎さんだって男ですよ? いくらなんでもちょっと過保護なんじゃ」昼間からずっと持っていた疑念を取っ払おうと、本人に直接聞くことにした……って別に考えてたわけじゃないけど口から飛び出た。 暫く呆気にとられていた佑さんは、数秒経って漸く俺の疑念に気付いたらしい。 「お前なあ」と呆れた声を出しながら、がしっと片手で俺の頭を掴んだ。頭の天辺を握られたまま、佑さんがカウンター
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Chapter: 番犬の役割《3》「なんで浩平?!」当然心の声はストレートに口から飛び出す。「あ、でも人伝に聞き出すわけにもいかないですし僕の携帯を」ショックのあまり前のめりに身体を乗り出す俺には素知らぬ顔で、不意に店内を見渡すと通りがかったウェイトレスを呼び止めた。「申し訳ありません、ペンを貸していただけますか」なんつって、王子さまスマイルをキラッキラ振り撒いているが、その美貌の犠牲者を増やすのはやめてくれ!と叫びたい。慎さんはテーブルの隅にあった紙ナプキンの束から一枚抜き出しそれにペンを走らせて、ウェイトレスに向かってペンと一緒にまた笑顔を差し向けた。「ありがとうございました」案の定ウェイトレスは顔を真っ赤に染め、受け取ったペンをぎゅっと胸元にそれはそれは大切そうに握り締めて、ぺこりとお辞儀すると走り去る。ああ、なにこれ。浩平やらウェイトレスやらこの人と一緒にいるとずっとこんなハラハラしていなければならんのか。慎さんを相手にする場合、男も女も関係なくライバルになるということか。これはかなり気合いをいれていかねばならない、とテーブルの上で拳を握っていると、そこへぱたんと二つに折られた紙ナプキンが差し出された。「え、」「僕の携帯。あなたがまた酔い潰れたら、引き取りにきてもらわなければいけないので」「もう二度と潰れませんよ!」「そうしてください。僕から浩平さんに連絡する必要がないように」ふわりと、まるで薔薇の花が咲いたような笑顔でそう言われた。そんな顔で言われたら逆らえるはずもなく、渡された紙ナプキンをじっと見下ろす。ちくしょう!もう絶対潰れねえ!「ちゃんと浩平さんにも教えといてくださいよ」折りたたまれた紙ナプキンの内側を、見たくて見たくて仕方ないのを堪えていたが。続いた言葉に、一瞬「んっ?」と首を傾げた。「……え。俺も見ていいんすか」「……いらないならいいですけど」「いりますめっちゃいります!」「……ちょっと、声でかいですから」眉を顰めて俺を諫めてから、カフェオレのカップに口を付ける。その時の慎さんが少し照れたような顔に見えたのは気のせいじゃない。と、思いたい。――――――――――――――――――――――――――――――――慎さんの店のあるこの通りは、夜になると随分イメージが変わるなと改めて思う。もう深夜近い時間帯なのに未だにカッ
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Chapter: 番犬の役割《2》佑さんの過保護も俺が慎さんに対して感じてしまう守護対象的なものと同じなのだとしたら……佑さんと慎さんの関係って何なんだ?違和感から滲んだその疑惑は、義理の兄弟だとさらりと言いのけた慎さんによって半分は晴れた。慎さんは少なくとも、そう思っているらしい。佑さんは、どうだかわかんねぇな。だが「昼ドラみたいな如何わしい妄想に僕を巻き込むな」と慎さんに釘を刺されたことだし、それ以上は考えないことにした。佑さんが慎さんを案じていることに嘘はなかったと思うし、ならば俺がどうこう言えることでもないのだ。そんなことよりも、今は。佑さんにもくれぐれも頼むと言われたミッションをこなさなければならない。一緒に飯食って、店までちゃんと連れ帰る。それだけだが、慎さんは確かに細い。昼飯も殆ど手を付けていなかった。これはなんとしても、何か食べさせないと。道場で稽古した後ならば、少しは腹も減るだろうし。洋食が好きなのか和食が好きなのか、好き嫌いはあるのか、とか。知らないことが多すぎて、これから知ることが楽しみだった。見学すらさせてもらえなかった空手だったが、何度も御伴すればその内見せてもらえるだろうか。無理にくっついて行って嫌われても意味ないし、と周辺を散策して店を探すことにしたが。「……あ。そういや、携帯も聞いてねぇや」聞いたら、教えてくれるんだろうか。なんか店の名刺とか渡されそうだよな、店の番号だけ書いたやつ。なんとか言い包めて、番号くらいは聞き出したいところだ。慎さんにはダメ出し拒否を食らってばかりなのに、何故だか心は浮足立っていた。ビル周辺では、慎さんの好みもわからないので結局大した店も見つけられず、和食洋食どちらでもいけるよう
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Chapter: 番犬の役割《1》【高見陽介】※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※◎番犬の心得1.お触り禁止 2.必要以上の接近は禁止注:どちらも下心がある場合に限る(つまりエロ目的で触るな近寄るな)3.怖がらせない4.傷つけない仲良くなりたいなら、3,4項目は特に必須事項である。◎番犬の役目木曜以降、週末は出来る限り店に顔を出す。特に閉店後の時間帯は要注意人物の出没に細心の注意を払うべし。⇒要注意人物梶 孝弘 (35)独身、ゲイであることは本人から確認済み百貨店のバイヤーらしい。買付の為世界各地を飛び回っている、らしい。金は持っている。らしい。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※……と、箇条書きにしてみた。慎さんが出かける用意をしに部屋に戻った時、佑さんが俺に出した注意事項は、仮にも男である慎さんに関することにしては随分と過保護な内容だった。まあ、それも全部、梶っておっさんがいるからなんだろうけど。「半年くらい前からかな、梶さんっていう客が慎目当てに来るようになったのは」「慎さん目当てってのは、確かなんすか」「見りゃわかる。お前も近々会えると思うけどな」何をどう見りゃわかるんだと首を捻ったが、佑さんがそう言うなら余程わかりやすいオーラかなんかが出てるんだろうか。と、とりあえずそれは男に会った時に確かめてみるとして、話の続きを黙って聞くことにした。「よく見るんだよ、営業時間以外にも店の周りうろついててさ」「は? それってストーカー行為なんじゃ」「わからん。家が近いから前の道はよく通るんだと本人は言ってる。その時も話しかけたら普通に会話に応じるから、ただの思い過ごしだといいんだけどな」その時の佑さんの表情は、真剣だった。この店の周辺でその男を見かける頻度がかなり高くなっている、そのことを慎さんは知らないらしい。俺はそれなら身を守るためにも知らせるべきなんじゃないかと思うのだが、そこで出てくるのが、3と4の項目だ。怖がらせない。傷つけない。「あいつ。ああ見えて蚤の心臓なんだよ。そんなこと知ったら店に閉じ籠っちまう、今だって精々週に一度出かけるだけなのに」その時は『そういうもんか』となんとなく聞き流していたが、よくよく考えれば違和感が拭えない。傷つけない、とは。現実的に身体につく傷のこと
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《10》翌日、一瀬さんにお願いして、お店にあるラッピング素材やショップバッグを見せてもらった。大体のものは揃っていて、ミニブーケに使うショップバッグの束を現物で目の前に差し出される。良かった、ちゃんと考えてくれてたんだ。ホッとしながら束から一枚抜き出して広げてみる。マチもしっかりあるし、充分使えそうだった。「どうですか?」「充分です、ありがとうございます」「お店にあるラッピング素材は全部好きに使ってくださっていいですよ」「はい!」リボンにフィルムにペーパー、ショップバッグ。それらにかかるコストのことを考えると、余り高価な花は使えない。一瀬さんはカフェスペースへと戻り、カウンター内でグラスを磨き始めた。私は花の陳列をくるりと見渡して、様々な組み合わせを頭の中でシミュレーションする。バラは人気はあるけど高くて使えないし……ガーベラとか?スプレーマムも可愛いけど。自分の世界に入ってぶつぶつと呟いていると、厨房から出てきた片山さんの私を呼ぶ声がした。「綾ちゃーん! ちょっとこれこれ」片山さんが手にお皿を乗せてちょいちょいっと手招きするのが見え、呼ばれるままに近づく。「はあい。なんですか?」「はい。味見係」「うわ、可愛いっ」片山さんの手には白いお皿があり、可愛い小さ目のフォンダンショコラがデコレーションされていた。「はいどーぞ」とカウンターのスツールに促されて反射的に座ってしまった。仕事中なのにいいのかな、と戸惑って一瀬さんを見ようとしたけど、目の前に可愛いプレートが置かれて一瞬で目が釘付けになる。真っ白な四角のディッシュの中央にフォンダンショコラ。ラズベリーソースで絵を描くように、細い曲線や水玉模様でディッシュが飾られ緩く泡立てた生クリームが添えられている。それだけじゃなく、ハート型のチョコレートとトリュフ、チョコレートガナッシュが皿の隅に三つ並んでいた。「すっごく可愛いです、美味しそう!」「良かった。まずはウチのお姫様にご試食願おうと思って」「お姫様って」どうぞ、とデザートフォークを差し出される。お姫様扱いなんて当然されたことはないからどう受け流していいかわからない。なんだか気恥ずかしくて苦笑いしながらフォークを受け取った。顔が熱いです、片山さん。「客の大半は女だろうしね、女の子の意見を聞くのが一番」「えっ、
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《9》悠くんと二人、駅から家までの道を歩く。少し高台にある住宅地からは、下を見下ろせる展望台のようなスペースがあった。真冬の空はまだ早い時間からもうすっかり闇色で、空にも地上にも人工と天然のキラキラが散りばめられている。小さい頃から、ずっと一緒に見てきた景色を目の前に、私は不思議と緊張しなかった。「あのね、悠君。二月十四日、時間ある?」「バレンタイン当日?」「そう! あのね、お店でバレンタイン限定プレートを出すことになって」今は誰とも付き合ってない、と確信はあったけど。もしも悠くんに気になる人や仲の良い人がいたら、という可能性を私は少しも意識してなくて、当然空いてるものだと思っていた。「それでね。バレンタインプレート、悠くんにも食べて欲しくて」「もしかして御馳走してくれるってこと?」「そう!」悠くんは、すぐに「いいよ」と頷いてくれるものと思ってた。けど、ほんの少しの間が生まれて私は首を傾げる。「悠くん?」「ん? ああ、大丈夫。わかったよ」不自然な間は一瞬で悠くんの笑顔でかき消されて、私はすぐに忘れてしまった。「じゃあ、その日は閉店より少し早めに迎えに行くよ」「うん、来て来て!」多分悠くんには、毎年あげてる義理チョコと同じ程度にしか伝わってない。でも、今はそれでいい、ちゃんと告白するのはその夜なんだから。良い返事が欲しいだとか、悠くんと付き合ったら、だとか。不思議とそういう考えは余りなくて、それは多分今までがずっと妹みたいな扱いだったから。まずはそこからの脱却が必要だって、自分でも十分わかってたからだと思う。悠くんとバレンタイン当日の約束をすることが出来て、私は改めてブーケ作りに関して母に相談した。売り物にするんだから、やっぱりちゃんと長持ちするようにしてあげないといけないし、案外細かいところが人に指摘されるまで気が付かなかったりする。「確かにスイーツとブーケ、並んでたら可愛いし写真に収めても見栄えするからいいとは思うけど、ブーケは持って帰るんでしょ?」リビングのテーブルで、コーヒーカップを目の前に母が腕組みをして少し難しい顔をした。「そりゃ、勿論……」「持ち帰りのこととかも考えないと、下手したらクレーム来るわよ」意味がわかってない私に、母が呆れたように溜息をついた。最初は花の組み合わせや色、水揚げなど保持のこ
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《8》じと、と拗ねたような表情で睨まれて肩を窄めて小さくなった。そんな、怒らなくても。スーツ姿を想像して、似合うなあと思っただけなのに。……想像の中のマスターがやっぱり無表情だったことに、うっかり笑っちゃっただけで。「俺に図星刺されて綾ちゃんに笑われたからって八つ当たりしなくてもいいだろ。ねー綾ちゃん?」「え? 八つ当たり?」「違います。話を逸らさないで、バレンタインプレートの試作、早めにお願いしますね」そう言って一瀬さんは会話を締めくくり、そんな様子を片山さんは「逸らしてんのはどっちだか」と肩を揺らして笑った。一瀬さんの言葉がゴーサインとなって、ミニブーケとスイーツのセットメニューはバレンタイン限定プレートからスタートすることに決まり。「それじゃ、オープンしてきます」今日も一日が始まる。壁の時計を見ればもう開店時刻になっていて、私は扉を開けて外のプレートをひっくり返した。冷たい風に首を竦めながらすぐに店内に戻り、カウンター下の収納内を覗く。消耗品のチェックをしながら頭の中はすっかりお花畑だ。一瀬さんから聞かされてすぐは、緊張でいっぱいいっぱいだったけど、今は頭の中では記憶に残る花が次々と並べられて組み合わされている。どんな花がいいだろう。スイーツのプレートもどんなのができるのか先に見てみたいな。「幼馴染に食いに来てもらってさ、告白したら?」「へっ?!」想像をめぐらせていたら後ろから声がして、振り向くと厨房との境目のカウンターで片山さんが肘をついて此方を覗いていた。告白っ?悠くんに……。今まさに自分が想像の中で作っていたブーケと一緒に、悠くんと私の姿が頭に浮かぶ。ぼんっ、と音がしたような錯覚に陥るくらい、顔の熱が急上昇した。そんな私を見て片山さんが、にやぁと楽しそうに唇を歪める。「客の中にも、ここで告白してカップルが生まれることもあるかもね。綾ちゃんもやってみたら?」「いえっ、だって! バレンタイン当日は私だってここで働いてるわけだしっ?」慌てて否定した。だって、仕事中にそんなことできないし!でも。頭に浮かんだ想像図が、消えてくれない。イベントのプレートを御馳走して、帰り道に改めて告白するなら、問題はないはず。例え良い返事はもらえなくても、少しは私を意識してもらえるかもしれない。ブーケに集中しなくてはいけ
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《7》出過ぎたことを言ったんじゃないかと少し後悔しながら一瀬さんの反応を待っていたけれど、彼はあっさりと了承してくれた。「花の扱いについては、君に任せます」「えっ? あ、ありがとうございます!」まさか任せるなんて言ってもらえるとは思っていなかったから、不意のことで背筋が伸びる。やっと花で役に立てそうな予感がして、嬉しい反面少し緊張も抱える私に。「それと、三森さん。ブーケなんかは作れますか?」一瀬さんは、更に緊張するようなことを、言い出した。「趣味の範囲でならありますけど……売り物にするようなものは」「お願いしたいことがあるんです」売り物にしたことは、ないんだけどなー……。という、私の主張は、綺麗に流されてしまったみたい。程なくして片山さんが出勤して、ケーキの番重から冷蔵のガラスケースにケーキを移す。その間に私と一瀬さんは開店準備を整えて、オープンまでに少しの時間を作った。「折角の花屋カフェですから。それを活かした何かを作れないかと思いまして、ずっと考えていたんです」一瀬さんと片山さん、私とカウンターを中心にそれぞれ思う場所にいる。私と片山さんはカウンター内の丸椅子に腰かけて、一瀬さんは作業台に腰を凭せ掛けていた。一瀬さんが私にお願いしたいことというのは、スィーツのプレートとセットにして出せるくらいの、極々小さなブーケの製作だった。「スィーツのプレートとセットですから、ミニブーケには殆ど予算はとれないんですが……」「えっ、じゃあ今朝みたいに処分する切り花からってことですか?」「いえ、売り物なんですからそれはしません。ですが、とても小さなものでお願いしてブーケの方からは採算は期待しません」「ってか、ただボケーッとしてるだけかと思ってたけど。ちゃんと考えてたんだ」それまで黙って聞いていた片山さんの突っ込みに、私と一瀬さんの視線が集中する。一瀬さんは特に表情を変えることもなく。「当然です。これでもマスターですから」と言い、私は可笑しくて口元を抑えて笑った。片山さんは何かと一瀬さんに突っかかる物言いをするけれど、どうやらそれが二人のスタンスらしくて、少しずつ私もその雰囲気に慣れてきた。「伸也くんには、ブーケとセットで目を引くようなプレートを考えて欲しいのですが」「それはいいけど、新しいこと始めても客が来なけりゃ意味ないよ」「
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《6》「それ……捨てちゃうんですか?」「ええ、もう傷んでしまっているので」淡々とした口調に、少し胸がずきりと痛む。それでも、「手伝います」と言って隣に屈んだ。手に取った花は、確かに売り物にはならないだろう、萎びて変色しはじめている花びらが目立つ。……可哀想。ゴミ袋に透けて見える花達を見て、ついて出そうになった言葉を飲み込んだ時、一瀬さんがぽつりと呟いた。「可哀想なことをしました」驚いて、隣の横顔を見る。私と全く同じ言葉を声に出してくれた、その横顔は相変わらず無表情ではあるけれど。「せっかく綺麗に咲いてくれているのに、誰の手にも渡らずに」ほんの少し哀しそうに見えたことが、私は嬉しかった。「あのっ……良かったら、私に任せてくれませんか」そんな横顔を見ていたら、思わずそう声に出してしまった。不思議そうに私を見る一瀬さんに新聞紙を広げてもらうように頼み、私は肩にかけた鞄から花鋏を取り出す。ずっと、出番を待ってた花鋏。一番最初の仕事がこれでは哀しいけれど、これも仕事だ。私は、ゴミ袋に入った花をもう一度新聞紙の上に出し、切り花の姿を保ったままだった花を長さ五センチ程に寸断していく。ぱちん、ぱちんと躊躇うこともなく鋏を使う私に、一瀬さんが眉を顰めた。「三森さん、何を?」「花に対する、せめてもの礼儀です。綺麗に見てもらうために切り花にされた花だから、最後の姿は人目につかないようにって……生け花をしている母に教わったんです」本来、咲いて実を付けて種となって、翌年またたくさんの花を咲かせ命を繋げる。その流れを、切り花として断ち切られてしまった花たち。切り花としての役目を終えたなら、せめて可哀そうな姿は隠してあげなくちゃ。それは、私が母から教わったことで、母はお師匠さんから。生け花をする人全てが、そうしているわけではないと思うけど、その考え方がすごく好きだったから私もそれに倣っている。「……手伝います」一瀬さんが、作業台から花鋏を取って隣に座り込んだ。そして私と同じように、ぱちんと鋏を鳴らす。「あっ……すみません。私、もしかして仕事を増やしてしまったかも……」考えてみれば、家で生け花をしているのとはわけが違う。店舗なんだから、売れなければ始末しなければいけない花の量は半端じゃない。「いえ、とても良いと思います。私には考えも及びま
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Chapter: 1話 チョコとパンジー《5》そう答えたものの確かに店は暇で、たまに入るお客さんくらいなら一瀬さんが居れば十分だし、最悪片山さんしかいなくても数時間対処できそうなくらい、暇だ。 ホール担当が必要なんじゃないかと思えるのは、精々ランチ時くらいだった。 店の経営状況って大丈夫なんだろうか、とほんの数日勤めただけの私でも心配になるくらいだ。三人でご飯を食べて、家に帰るともう夜九時を回っていた。 ベッドに寝転がって壁の模様を見ながら、姉の言葉を思い出してつい考えてしまう。『なんでバイト募集なんてしてたのかしらね?』私って本当に必要な人員だったのかな。 面接の連絡をした時、余り歓迎されているような声ではなかった気がする。 でも、それは一瀬さんが元々ああいう素っ気ない感じの人だからだと……思う。―――――――――――――――― ―――――――――― どきどきしながら、面接当日私はカフェの扉を開いた。 一番奥の客席に促され、目の前にはやたら整った顔を持つ大人の男の人。 もしかして、何人も面接に来たりしてるのかな? にこりともしないその人に、私は内心でびくびくしていた。「ここまで迷いませんでしたか?」「いえ! 駅から一本道だし、前に来たことありましたから……お客として」「そうですか」そう言うと、後は黙々と私の履歴書に目を通す。―――ほんの一週間前くらいの話なんだけど やっぱり覚えてないよねお客の顔なんて。余りにも素っ気なく感情の見えない店の責任者らしい人物。 私は歓迎されていないのだろうか、と不安になる。 有線から流れるクラシックの音楽と、明るい陽射し。 客として来るなら心地よいその空間に、目を閉じて現実逃避したくなった頃。「……フラワーアレンジ?」問いかけるような声がして、慌てて逃げかけていた思考回路を呼び戻す。 初めて、興味を持ってもらえたような気がした。「あの、母が生け花の先生をしててその影響で。好きなんです、花を弄ったりするのが。花器に生けたりブーケにしたり……生け花って一応型はあるんですけど案外自由で、生け花の基本を押さえておくとアレンジやブーケにも役に立って……その、えっと……趣味の、範囲ですけど」自分の得意なことをアピールするのは、なぜだか気恥ずかしいものがある。 だけど、フラワーアレンジに目を留めてくれたことが嬉しくてつい夢中で語っ
최신 업데이트: 2025-03-07