第2話

「啓司、ここ数年とても不幸だったでしょう?

「彼女を愛していないのはわかっています。今夜会いましょう。会いたいです」

画面が暗くなっても、紗枝は正気に戻ることができなかった。

タクシーを拾って、啓司の会社に行こうとした。

窓から外を眺めると、雨が止むことなく降っていた。

彼の会社に行くのが好まれないから、行くたびに、紗枝は裏口の貨物エレベーターを使っていた。

紗枝を見かけた啓司の助手の牧野原は、「夏目さんいらっしゃい」と冷たそうに挨拶しただけだ。

啓司のそばでは、彼女を黒木さんと見て目た人は一人もいなかった。

彼女は怪しい存在だった。

紗枝が届いてきたスマホを見て、啓司は眉をひそめたた。

彼女はいつもこうだった。書類でも、スーツでも、傘でも、彼が忘れたものなら、何でも届けに来たのだ…

「わざわざ届けに来なくてもいいと言ったじゃないか」

紗枝は唖然とした。

「ごめんなさい。忘れました」

いつから物忘れがこんなにひどくなったの?

多分葵からのショートメールを見て、一瞬怖かったせいかもしれなかった。

啓司が急に消えてしまうのではないかと危惧しただろう…

帰る前に、我慢できず、ついに彼に聞き出した。「啓司君、まだ葵のことが好きですか?」

啓司は彼女が最近可笑しいと思った。

ただ物事を忘れたではなく、良く不思議なことを尋ねてきた。

そのような彼女は奥さんにふさわしくないと思った。

彼は苛立たしげに「暇なら何かやることを見つければいいじゃないか」と答えた。

結局、答えを得られなかった。

紗枝は以前に仕事を探しに行ったが、結局、黒木家に恥をかかせるという理由で、拒否された。

姑の綾子さんにかつて聞かれたことがあった。

「啓司が聾者と結婚したことを世界中の人々に知ってもらいたいのか?」

障害のある妻…

家に帰って、紗枝はできるだけ忙しくなるようにした。

家は彼女によってきれいに掃除されていたが、彼女はまだ止まらなかった。

こうするしか、彼女は自分が存在する価値を感じられなかったのだ。

今日午後、啓司からショートメールがなかった。

普通なら、彼は怒っているか、忙しすぎるかのどちらかだったが…

夜空は暗かった。

紗枝は眠れなかった。

ベッドサイドに置いたスマホの音が急になり始めた。

気づいた彼女はスマホを手にした。

知らない番号だった。

電話に出ると、甘くて彼女を恐怖させる女性の声だった。

――柳沢葵。

「紗枝さんか?啓司が酔っ払った。彼を迎えに来てもらえないか?」

…

桜会館。

　啓司はメイン席に座って、ぼんやりと飲んでいた。

彼の隣に座っていた葵は、金持ちの御曹司達に囲まれ、歌を頼まれていた。

「葵、今回は黒木社長を取り戻すために戻ってきたじゃないか?」

「歌でも歌って、啓司に告白しようよ！」

葵は可愛くて美しかった。とても人気だった。啓司の初恋であったため、御曹司達が二人を合わせようとした。

葵はひねらず、すぐに「The Evening Breeze Blows in My Heart」を歌い始めた。

「…夜風があなたの心に差し込みますように…」

彼女の甘くて人を惹きつける声を聴いて、皆静かになった。

紗枝がVIPルームに着いたとき、歌が終わったばかりだった。

その時、啓司が皆に説得されたところだった。特に彼の親友の澤村和彦の声が一番高かった。

「啓司、葵を3年間待ったよね。今は彼女が戻ってきた。早く言えよ！」

「女だった葵がすでに告白したのよ！」

紗枝はその場で凍りつき、手を握りしめた。

丁度この時、トイレに行きたがっていた男性がドアを開けた。

紗枝を目にしたとき、皆は唖然した。

「紗枝さん」

皆はドアの方に顔を向いた。

一瞬、VIPルームが静まった。

紗枝は一目でメイン席にいる啓司を見つけた。彼は意識がはっきりしていて、酔ったとは思えなかった。

葵に騙されたとその場でわかった。

紗枝を見かけた啓司は少し驚いた。

そして、啓司に葵へ告白させた和彦を含むすべての人が恥ずしくなった。

この場に、紗枝は来るべきじゃなかった。

「紗枝さん、誤解しないで。和彦は冗談を言っただけだ。啓司とは普通の友達だ。」

最初に静けさを破ったのは葵だった。

紗枝が答える前に、啓司は焦って立ち上がった。

「彼女に説明しなくてもいいんだ」

話すると同時に、彼はまっすぐに紗枝に近寄った。「何しに来たの?」

「酔ったと思って迎えに来たの」紗枝は正直に答えた。

啓司は嘲笑した。「今日話した事、一つも覚えてないようだね！」

彼は声を低くして、二人だけに聞こえる声で聞き返した。

「この3年間で、僕が3年前に騙されたことを皆が忘れたから、わざわざ思い出させてもらうために来たのか?」

紗枝は唖然とした。

啓司の目は冷たかった。「目立とうとしないでくれ。お前のそんな態度、ただ僕にもっと嫌われるだけだ！」

言い終わって、彼は向きを変え離れた。

彼の高い背中を見て、紗枝はしばらく気を失った。

今日、彼女に最も多く話しかけた日だった。そして、彼女を最も傷つけた日でもあった。

VIPルームの御曹司達は、残された紗枝を見て、一切同情しなかった。

和彦はなおさら、悲しそうなふりをしていた葵に言い出した。

「葵、君は人好しだ。説明など必要なのか?」

「紗枝に騙されなかったら、啓司の妻は君だろう。君は海外に行かなくて、つらい生活を送らなくて済むだろう。」

紗枝は耳鳴りしたのだが、全てはっきり聞こえた。

彼女は誰よりもよく知っていた。

啓司が自分と結婚するかどうかにもかかわらず、家族の背景がない葵と結婚するはずはなかった。

そして、葵もよく分かったので、彼に別れを告げ、海外へ行くことにした。

しかし、今は、どうしてすべてが彼女のせいになってしまったか?

紗枝は家に帰った。

いつも通り、静かで暗かった。

彼女は出かける前と戻ってきたのと、何も変わらなかった。

啓司は帰らなかった。

傘を差しながら入り口に立ち、紗枝は暗闇に包まれているように感じていた。

突然に、いつも一人だったこの家に帰りたくなくて、外の東屋に座り、冷たい風に当たられて、冷たい雨を眺めていた。

どれくらい時間がたったかわからなかったが、美しい人影が彼女のところに寄ってきた。

葵だった。

彼女は派手な服装を着て、ハイヒールで地面を叩いて、彼女に歩み寄って、隣に座った。

「今夜は本当に寒かった。啓司に会い、揶揄されてどう思うの?」

紗枝はその言葉を聞いて答えなかった。

葵は気にせず、言い続けた。

「最初、君をとてもうらやましかった。良い家族を持っていて、父親に愛されて、心配のない生活を送られるなんて。

「しかし、今、哀れな君を同情するよ。10数年啓司のことを愛して、彼からわずかな愛ももらえなくてね！」