あの人のいない春
娘が生後1ヶ月を迎えたあの日、藤井遙華(ふじい はるか)はこの子を連れて、この世界から出て行くことにした。
「宿主、本当に出て行くのですか?」
それを聞いて、遙華の腕の動きは一瞬で止まった。ただそのまま赤ちゃんを抱き上げていた。しかし、遙華はすぐに固い決意を表している目つきで、「はい」と答えた。
そのような迷いもない答えを得るとは思っていなかったからか、システムは少し残念そうな口調で、「もう少し待ちませんか?広瀬景市(ひろせ けいいち)はもうすぐ記憶が取り戻せるかもしれませんし」と言った。
それに対して、遙華はまるで何の感情もないような目をして、ただ落ち着いた口調で、「もう待ちくたびれた。こんなに長い間、ずっとずっと待ってたから」といった。
遙華の話を聞いて、システムもこれ以上何を言っても無駄だと分かった。
「カウントダウンが始まりました。7日後、宿主は完全に元世界へ戻ります!」
日差しが窓の外から、色とりどりのガラスを越して、机の上に置いてある写真を照らした。遙華は目つきが微妙に変わった。そして写真を手に取って、その中に映っている景市の顔を優しく触っていた。
遙華は攻略ミッションの執行者であることを、誰でも知らなかった。
小さい頃から、遙華はミッションの世界に来て、景市を攻略し始めた。この十年間、二人は学生時代の出会いから白無垢の日まで辿り着いた。
景市は遙華のことを死ぬほど愛していると、誰もが言っていた。
遙華に伝説の結婚式を挙げるために、何千万円も使って海外からバラを1万枚航空便で運送してもらったもの。