秘めた過去は甘酸っぱくて、誰にも言えない のすべてのチャプター: チャプター 71 - チャプター 80

287 チャプター

第二章 再会は最悪で最低15

   +「紫藤さんが甘藤のCM出たから、ツアーのスポンサーになってくれたわ」池村マネージャーから報告を受けたのは、振付の確認をCOLORメンバーとしていたダンススタジオでのことだった。汗を拭きながら冷静なフリをする。また美羽の会社と関係することができたが、美羽に会うことはできるだろうか。「マネージャー。関係者席で甘藤の社長さんにチケット送るでしょ? コマーシャルの撮影に来てくれたあの人たちも招待してあげたら?」「そうですね。用意しておきましょうか」必ずしも美羽が来るとは限らないが、可能性はある。次こそ、会えるチャンスがあったら絶対に逃がさない。そんな決意を胸の中でそっとして仕事に励んでいた。家にいる時は、いつもあの「花のしおり」を見ている。今日も一人でビールを呑みながらネットでいろいろ調べる。「しおり」について有力な情報は得ることができない。美羽は、なぜあんなにも取り返そうとしたのだろうか。チャイムが鳴りドアを開けると、寧々がいた。「帰ってきてたんだ? お邪魔するよ」寧々は、わざわざ俺と同じマンションに引っ越してきた。最近は、モデル業の傍ら女優としても才能を開花させている。入っていいと言ってないのに、寧々は中に上がってきてソファーに座った。「また見てたの? ボロボロしおり」「悪い?」「大樹ったら、相変わらず冷たいな。そんなにあたしのこと嫌い?」顔を覗き込んでくる。「嫌いじゃない。恩は感じてるよ」細い足を組んでフーっとため息をつかれる。「なんかさ、最近、大樹おかしくない? 様子が変というか。あの時に似てるというか、抜け殻みたいな……」あの時とは、美羽と別れた直後のことだ。俺のスキャンダルを消してくれたのは、寧々の親父である大物プロデューサーのおかげだった。だから、寧々には頭が上がらない。「べつに、普通だけど?」「大樹。また変な女に引っかかっているんじゃないよね?」「……まさか」美羽は変な女じゃない。寧々は、失礼な奴だ。「なんで大樹は、あたしのこと好きになんないのかなぁ」「俺は簡単に人を好きにならないから」「あたしは大樹のこと、大好きなのに、報われないの?」つぶやくように言う寧々は、俺の様子を窺っている。「寧々みたいな美人なら男なんて選び放題でしょ」「うん。でも、大樹がいい」「お前もそろそろ
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低16

+九月になり、ライブツアーがはじまった。ライブがはじまると、かなりハードな毎日だ。でも、ファンと生で会えるのは一番エネルギーをもらえるから、ライブは大好きだ。東京でのライブは十一月三日。俺と美羽が付き合いはじめた日なのだが、覚えているだろうか。自分だけが大事な日だと思って生きてきたのかな。その日、美羽は来てくれるだろうか。来てくれたとしても、直接言葉を交わすチャンスはあるかな。ツアー中もしおりを持って回っている。まるでお守りだ。なんだか、これを見ると落ち着くんだ。不思議だな。なんでだろう。ツアーを回ってきて東京に戻ったのは、十月末だった。業界人が集まる居酒屋で俺はプロデューサーと呑んでいた。そこに店のスタッフがきた。「デザイナーの小桃さんがいらしています」耳打ちをされる。これは、店の厚意だ。業界は横の繋がりがすごく大事になるから、芸能関係の人がいると教えてくれるのだ。プロデューサーとある程度呑んだところで、俺は小桃さんの部屋へ挨拶に行く。世界的に有名なデザイナーの小桃さんは、寧々のファッションショーも手がけたことがあり、面識もあった。「失礼します」ノックをして中へ入ると、派手派手な紫のワンピースの女性が目に入る。小桃さんは、相変わらず奇抜な洋服を着ているが似合っている。「あら、大樹くんじゃない。いたの?」「ええ、プロデューサーと」俺の視線に入ってきたのは、見覚えのある女性だった。美羽の友達の真里奈さんだ。真里奈さんは俺を見て固まっている。「友人の真里奈さん。あー、正確に言うと友人の友人だったの。今日は女子三人で会う予定だったんだけど、もう一人は残業で来られないみたいで」小桃さんは真里奈さんを丁寧に紹介してくれた。もう一人って、まさか美羽じゃないだろうか。「……俺のこと、覚えていますか?」少しでも美羽に繋がれるチャンスがあるなら、逃したくないと思って真里奈さんに話しかけた。「もちろんです」真里奈さんは、俺の目を真っ直ぐ見つめて答えた。「二人、知り合い? えぇ、びっくり。何繋がり?」小桃さんは、一人テンションが高い。そんなことを気にしないで俺は真里奈さんに頭を下げる。「美羽に会わせてください」「なになに、美羽ちゃんとも知り合いなの?」小桃さんは、わけがわかっていない状態だ。「美羽に会いたがってい
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低17

ジャケットの内ポケットから、美羽が大事にしていたしおりを出してみせると、真里奈さんの表情は変わった。きっと、彼女は何かを知っているのだ。だけど、小桃さんの手前言えないのだろうか。その時、タイミングよく小桃さんの携帯が鳴り部屋を出て行く。二人きりになったタイミングで真里奈さんは、口を開いた。「なぜ紫藤さんがこれを持っているんですか?」先月からコマーシャルが流れている。「実は最近流れているコマーシャルの仕事で再会したんです」「そうだったんですか? そんなこと一言も言ってなかった」「情報解禁できるまで言えなかったのではないでしょうか?」なるほどというような顔をした。「これは美羽の口から言うべきかもしれないですが、おせっかいかもしれないけど、もしあなたが今でも美羽を愛しているのなら言いますが?」真剣な口調で言うから、俺も真剣にうなずいた。「愛しているから、こんなに必死なんです。俺が芸能人じゃなきゃ、会社の前で待ち伏せしたいですよ。でもそんなことをしたら、美羽にも会社にも迷惑かけてしまう。美羽の気持ちもわからないし……」必死で言うと、真里奈さんは厳しい口調で問いかけてくる。「なんであの時、迎えに来なかったの? そんなに芸能界に残っていたかったわけ?」そんなふうに思うのも仕方がないだろう。キツイ口調なのも、美羽を思ってのことだと理解できるから、受け止める。「想像を超えるパパラッチがいたし、行きたくても行けなかったんです。それでも落ち着いた頃実家に行ったこともありましたが、お母さんに美羽の幸せを願うなら、現れるなと。悔しかったけど、俺は身を引くことが一番だと思っていたんです。それなのに、再会してしまって。勝手に子供を降ろされて憎んでいたはずなのに、俺はまだ美羽を愛していると気がつきました」一気に言うと、真里奈さんの表情が少し和らいだ。「信じますよ。あなたの、言葉」「ええ」一呼吸置いた真里奈さんは「赤ちゃんです」と言った。「赤ちゃん……?」「産みたくて守ろうとした赤ちゃんは、お腹の中で……亡くなったんです」「……堕ろしたんじゃなく?」金属バットで殴られたような、すごい刺激が頭を走った。堕ろしたんじゃ……ないだと?「残念ながら、亡くなってしまったみたいなんです。手術をして退院した日に、咲いていた花だったみたいで。『はな』って名前
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低18

   +東京でのライブが明日に迫っていた。真里奈さんに会ってから何度か電話をかけているが一度も出てもらえなかった。今日も、俺は番組の収録をしている。頭の中は美羽のことでいっぱいで、胸が痛い。明日、もしも会えたらなんて言おう……。二人きりになれるのだろうか。せめて、子供のことだけでもお詫びしたい。「では、続いてのVTRを見てみましょう」明るい声でふって映像が流れているのを見つめるが、ワイプ撮影もあるから気を抜けない。驚いた顔をしたり、うなずいてみたりしている。……美羽。早く、会いたい……。ライブの当日、リハーサルをして本番に向けて精神の統一をしていた。楽屋でテンションを上げつつ、時間が来るのを待っている。美羽は現れるだろうか。ソワソワする気持ちを落ち着かせるため、深呼吸をした。「いつになく緊張してるな」メンバーの赤坂が声をかけてくる。「そうかな。普通だけど……」自分の緊張が表に出ているのか。なんだか恥ずかしくて身を隠したい気分になった。「甘藤の社員さん、ライブ終了後に挨拶にいらっしゃるから挨拶来てもらいますね」池村マネージャーが俺に伝える。「わかった」その社員の中に、美羽がいますように。もし、会えたら……。どうか美羽の心に届いてほしい。気合いを入れてステージへと向かった。
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低19

美羽side社長室に呼ばれた私と杉野マネージャーは、何事かと思いながら目を合わせた。こじんまりとした社長室で、社長の前に並んで立つとにっこりとする。「COLORのライブスポンサーになっただろう。行きたいのは山々なんだが、どうしても外せない接待があってね。チケット、三枚届いてるから、コマーシャルを作ったキミら二人と、誰か社員を連れて行きなさい」「しかし、役職者の方でどなたか行かれたほうが……」杉野マネージャーが言う。「いやいや、堅苦しい雰囲気になるからね。まかせたよ。それとだね。孫が紫藤大樹のフアンでね……サインを貰えたらもらってきてくれないだろうか?」顔を赤くしながら、フアンという社長が可愛く見えた。ファンじゃなくて、フアンって言うところが妙にツボに入った。社長室を出ると、杉野マネージャーがポツリと言う。「とことん、初瀬と紫藤大樹は縁があるんだな」「え?」「俺はあんまり賛成したくないけど、初瀬が今でも思っているなら素直になれば? フラれるかもしれないけど」着信拒否をしてテレビに映る大くんの姿から目をそらしていたけれど、やはり辛い。エレベーターの前にたどり着いた杉野マネージャーは、振り返らずに言葉を続ける。「熱愛報道あるだろう?」その通りなのだ。同じマンションで愛を育んでいると書いてあった。「失恋したら慰めてあげるから。なーんてな」おどけたように言うから、ついついにこっとしてしまう。「杉野マネージャーらしくないですよ、そういうキャラ。マネージャーはもっと紳士でいてほしいんです」「そっか。紳士ねぇー」到着したエレベーターに乗り込む。私と大くんが出会っていなければ杉野マネージャーと、お付き合いしていたのかもしれない。それほど、素敵な人だけど、やっぱり私は大くんを忘れられない。「ライブのチケットどうしよっか。争奪戦になるよな。平等にクジかな」「そうですね」「俺らはコマーシャルを作った関係で行かなきゃなー。いい音楽歌ってるし、楽しみだな」「……はい」会えたとして、二人きりで話す時間はあるのだろうか。部署に戻ってあみだくじを作る。女子社員はキャッキャ言いながらクジを選んでいた。「やったあ!」当たったのは、千奈津。私と仲良しの千奈津に当たってよかったと安堵した。でも、千奈津にも大くんとのことは言っていない。「ね
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低20

その夜、真里奈からの着信が入っていて仕事を終えた後、かけ直す。この前の呑み会に行けなかったから申し訳ない。小桃さんにもたまに会いたい。大学時代に小桃さんを真里奈に紹介したら仲よくなったんだよね。あの二人、おせっかいで親切なところが似てるんだ。温かい気持ちでコールを鳴らしていると、出てくれた。「もしもし、真里奈。ごめん」『相変わらず、仕事大変なのね』「うん。この前、ごめんね。小桃さん元気だった?」『あぁ、うん。あのね、謝らないといけないことがあるんだ』深刻そうな声を出した真里奈。一体、なんだろう。「なに? どうしたの?」『実は……小桃さんと飲んでいたら紫藤さんが入ってきてね。はなのしおりの秘密を聞かれたの』「……うん」『本当は美羽の口から聞かせるべきだったのに……ごめん……教えてしまった』「どこまで言ったの?」『本当は産みたかった。そしてお腹の中で天国へ行ってしまったということまで全部伝えちゃった。彼はきっとまだ美羽を愛しているよ』「そっか。ありがとう」ずっと隠していたのにあっけなく本人に知られてしまったことには複雑な感情に陥ったが、自分で言えなかったことを友人の真里奈が伝えてくれたのだ。どんな気持ちで言ったのか私にはわかるから、真里奈を責める気にはならなかった。『美羽に会いたがってたよ』「そっか」『仕事で会ってたんだね。情報公開までは言えないから苦しかったね』「うん。言えなくてごめんね」子供のことを聞いて、大くんはどんなふうに思ったのかな。少しは私への憎しみが消えたかな……。憎まれ役でいいと思っていたのに、善人に見られたいって思うなんて私は自分勝手な人間だな……。『着信拒否してるんだって?』「……うん。もう少し心の整理がついたら電話しようかなって最近決心がついたの。その前にライブに行くから、直接会っちゃうかもしれない」駅に向かって歩いていると、大くんがモデルになっている時計の広告がある。それを思わずじっと見つめた。『それでね、小桃さんにもいろいろと教えちゃった……』「そっか。言いふらすような人じゃないから、いいよ。いろいろと気を使わせてごめんね」『美羽。幸せになりなよ』「ありがとう」電話を切って深呼吸をする。あの頃はお互いに子供だったけど、今はもう大人。ちゃんと判断できる年齢なんだから、大丈夫だ
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低21

+「きゃー、テンション上がる!」ライブ当日があっという間に来てしまった。千奈津は朝からテンションが高い。私は冷静さを保つように、何度も深呼吸をしていた。仕事を早めに切り上げて向かう予定になっている。「ね、楽しみだよね?」「あ、うん。でも、仕事だから」でも、内心は口から心臓が出てきそうなほど、バフバフしていた。十七時開場の十九時開演。大きな会場でコンサートをしてしまうほど、大くんは有名になったのだ。「今日は十六時半に会社を出るぞ」杉野マネージャーが、業務の一環というような口調で言う。「了解しました」千奈津は、愛想のいい返事をしたけど、杉野マネージャーが遠ざかって行くとこちらを見る。「ギリギリじゃない?」不満を漏らしていた。コンサート会場に着いた私たちはスタッフに声をかけると、関係者席へ連れて行かれた。「終了後にご挨拶させていただけますか?」杉野マネージャーが聞くと、ご案内に来ますと言ってスタッフは去って行く。「ヤバイ、近くで見れちゃうってわけ?」千奈津がはしゃぐ。まるで女子高生みたい。真ん中に千奈津が座り、私と杉野マネージャーが挟むように座った。関係者席は、スタンド席にあってステージからは遠い位置にある。けれど、会場を見渡すことができる眺めのいいところだ。圧倒的に女性客が多い。デビューしてから十年は過ぎているから、お姉さん系も多いけど、まだまだ女子高生からの人気もあるようだった。パイプ椅子に座っていると、関係者が数人案内されていた。会場内に流れているのは、COLORの曲ではなくダンスミュージック。早く出てこないかとワクワク感をかき立てる曲なのに、私は緊張している。まるで、身内がステージに立つような気分だ。ステージが暗くなると、黄色い声援が爆発する。「キャー」悲鳴に近い声の中、私たちは関係者席ということもあって大人しく座って見ている。ヒット曲のイントロが流れると、更に観客の声は大きくなった。そして、COLORが登場すると夢の世界へ一気に連れて行かれるような感覚に陥る。体がふわっとしてCOLORの世界観に一気に引きこまれた。気持ちが高揚するなんていつぶりだろう。COLORの曲をしっかり聞いたことはなかったけど、売れている曲ばかりだったから自然と耳に入ってきていて。どの曲も楽しめた。会場が一体になってい
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低22

今日のこのステージを見せてもらえたことで、心から納得した気がする。コンサートはアンコールも含めてあっという間の三時間だった。会場のお客さんの満足そうな顔を見ながら待っている。「いや、すごかったな」杉野マネージャーがやや興奮した口調で言う。千奈津は頬を真っ赤に染めて「これから、COLORメンバーに会えるんだよね」と興奮していた。ドクドクドク。釣り合う二人じゃないのにどうしてドキドキするのだろう。赤ちゃんのことを知った大くんは、どんな気持ちだったかな。今日は、はなのしおりを返してもらえるだろうか。「お待たせしました」ぼんやりと考えていた頭に声が降ってくる。スタッフさんが迎えに来たようだ。「では、ご案内いたします」立ち上がって後ろを着いて行くと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回っていた。一歩ずつ歩いて行くと、その中でも賑わっているお部屋がある。「こちらに、いらっしゃいます。マネージャーを呼んできますのでお待ちください」頭を下げて立ち去ったスタッフさんを見送ると、千奈津が肩をポンポンと叩いてくる。「ヤバイ」完全に仕事だってこと、忘れているみたいだ……。「甘藤様お連れしました」スタッフさんが言うと、池村マネージャーが軽く笑顔を向けて近づいてきた。「お久しぶりです」挨拶をしてくれる。杉野マネージャーと私と千奈津が頭を下げると、事務所の方が来て挨拶してくれた。声が聞こえてビクッとなる。その声のほうを見ると大くんがいた。COLORのメンバーもいる。大くんは、スタッフさんや来客に笑顔を向けながら話している。ライブを終えたばかりなのに、対応しなきゃいけないんだ。大変そう。杉野マネージャーに名前を呼ばれて慌てて笑顔を作る。「いい、コンサートだったよな? おい、初瀬」「は、はい」ビクッとして思わず大きめの声で返事をしてしまった。……視線を感じる。大くんがこっちを見た。慌てて目線を下げる。ドドドドドド……。心臓が痛いほど鼓動を打つ。近づいてくる足音に手のひらは汗でびしょびしょだ。「お久しぶりです。甘藤の皆さん来てくださったんですね」さわやかな声が耳を撫でる。大くんのピッカピカの笑顔を間近に見て逃げ出したくなった。杉野マネージャーが挨拶を終えると、千奈津も頭を下げる。「その節はありがとうございました」ビジネス
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低23

「もう、すっごく素敵でした」千奈津が言うと赤坂さんがにっこりと笑って対応してくれた。気をよくした千奈津はどんどん話しかける。「杉野マネージャー? おお! お久しぶりですね」男性が話しかけている。偶然過去に仕事にお世話になった人らしく、話が盛り上がっている様子だ。そんな中で突き刺すような視線を感じ、その方向を見ると大くんと目が合った。その場から動けなくなったみたいに、私の体は硬直する。まるで金縛りのような感じだ。ゆっくりと近づいてくる大くん。一体、何をしようとしているのかな。胸が締め付けられるように痛くなり、泣きそうになった瞬間――手首をつかまれて廊下へと連れて行かれた。歩く速度が速くてあっという間に人が少ないところへ連れて行かれる。ところが、遠くからはスタッフ達の声が聞こえるほどの距離だ。壁にドンと背中を押しつけられる。「会いたかった」声を震わせながら言われ、その声に胸がわしづかみにされたような衝撃が走った。「美羽、疑ってごめんな。……子供のこと……。やっぱり、美羽は産もうとしてくれてたんだな」「……真里奈から聞いたんだね」「ああ。もっともっと美羽といろいろ話がしたい。今日は打ち上げがあって遅くなるかもしれないから、明日にでも電話をする。だから着信拒否、解除してくれないか?」「でも、大くんと話をしたら……過去を思い出して気持ちが溢れてしまうかもしれない」「それでいい。俺は美羽を」紫藤さーん、と探している声が聞こえる。私は咄嗟に隠れようとしたが、大くんは顔をぐっと近づけてきた。「着信拒否解除してくれないなら、今ここでバラしちゃうよ? 俺らの過去を。たくさん、スタッフがいるしいい機会だし」そんなの、いきなり過ぎて心の整理がつかない。本気で言っているのだろうか?昔から大くんはちょっぴり意地悪で強引なことを言ってくることがあった。ぼんやりしている私にはそこが魅力的に感じる部分でもあるのだけど。「さあ、どうする? あと数秒で見つかっちゃうよ?」私の顎のラインを親指で優しく撫でて、艶やかな微笑みを向けてくる。それだけのことなのに、心臓が激しく乱れるのだ。「美羽。過去を思い出して怖いのは同じだよ。でも、俺は美羽といろいろと語りたいんだ」真剣に言ってくれるその言葉が、胸にじんわりと広がっていく。過去に怯えていてはいけない。勇
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む

第二章 再会は最悪で最低24

「どこ行ってたの? 探したのよ」千奈津に心配されて私は嘘をついた。「ごめん、お手洗いに」杉野マネージャーは、疑わしげな目で私を見ている。が、あえて何も言われない。「じゃあ、挨拶も終わったし帰ろうか」「夢のような時間だったなぁー。本当に素晴らしいねCOLORって」千奈津は心からの感嘆の声を上げていた。そう言えば……、社長から頼まれていたことがあった。バッグから色紙と油性ペンを出す。社長からのお願いだし忘れたことにできない。「杉野マネージャー、社長から頼まれていたサインどうしましょう」「言いづらいけど、初瀬から頼んでみたら? 紫藤大樹さんに」意地悪。そう思ったけど、口には出さずに言葉を飲み込んで大くんに近づいていく。大くんはスポーツドリンクを飲んでいた。近づいていくスーツ姿の私は、明らかに浮いていて目立つ。「あの、私どもの社長のお孫さんが紫藤さんのファンでして……もしよければサインをしていただけますか?」「ええ、もちろん」言ってペンを受け取る瞬間、指が触れて落としてしまった。たったそれだけなのに身体にじわりと汗をかいてしまう。そこに池村マネージャーが来る。「サインや写真は遠慮していただきたいのですが」冷ややかな口調で言われ怖気づく。「いいじゃない。スポンサーの社長さんのお願いだよ?」大くんはさり気なくかばってくれる。「しかし」そこに杉野マネージャーが近づいてきた。「ご無理を言って申し訳ありません」場を和ませてくれた。大くんは「一枚だけですよ」と笑顔で言ってスラスラっとサインを書いて、渡してくれる。優しすぎると感動していると、池村マネージャーは不機嫌な顔をした。明らかにマネージャーの顔じゃなく、女の……嫉妬に満ちたような表情にびっくりした。――池村マネージャーも、大くんを……男性として見ているのかもしれない。「ありがとうございました。失礼します」一礼をして顔を上げると大くんは、にこっとしてくれた。本当に電話をくれるだろうか……。大くん、またね。私たちは頭を下げて出て行った。
last update最終更新日 : 2025-01-16
続きを読む
前へ
1
...
678910
...
29
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status