All Chapters of 秘めた過去は甘酸っぱくて、誰にも言えない: Chapter 101 - Chapter 110

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第三章 体が熱くなってくるのは、アルコールのせい14

撮影を終えると、夜も遅かったのに大澤社長に呼び出された。何かあったかなと考えつつ裏から出るとファンが出待ちをしていた。「大樹!」声援を送ってくれる中、手を振りながら車に乗り込んだ。池村マネージャーと事務所に向かう車の中で、いつもと雰囲気が違うのを感じていると池村マネージャーが小さな声で語りはじめた。「あなたの過去を聞きました。先ほど、収録中に社長から電話があって」「そう。その件で社長は話があるのかな」「おそらく、そうだと思います。……紫藤さん」「ん?」流れる景色を見ている俺に池村マネージャーが切羽詰まった声で呼ぶ。「愛しているのですか?」「……うん」だけど、一方通行な思いなのかもしれない。「どうして彼女なんですか?」「運命の人なんだよ。池村もいつか出会うよ」「運命なんてあるのでしょうか?」池村を見ると怪訝そうな表情だ。美羽、会いたい。どうか、俺に連絡をくれ。そんな気持ちが胸を支配していた。事務所に到着して社長室に入るとメンバーと社長がいた。ソファーに腰を下ろすと、社長は近づいてくる。「大樹、お疲れ様」もう時計は深夜を回ろうとしていた。今日話さなければいけないことなのだろうか。俺の目の前に社長が座り、赤坂は社長のデスクに軽く腰をかけこちらを見ていて、黒柳は社長の隣に座っている。赤坂と黒柳のマネージャーはいなかったが、池村はドアの近くにまっすぐと立っていた。「またあの子に会ってるのね。宇多さんから連絡が入ったの。これからも仕事を続けていきたいなら、会うのはやめなさい。過去のことは誰にも言えない秘密なのよ」「…………」俺は唇を噛みしめる。美羽のことは命をかけてでも守りたい。でも、美羽の心はどこにあるのだろう。「あなたは芸能人なのよ。芸能人は結婚という大事な転換期をプラスに変えていく必要がある。COLORだってもういい大人よ。結婚や恋愛は反対する時じゃないと思っているわ。しかし相手が問題なの」俺をなだめるような言い方をする。「社長には感謝してます。無名だった俺らをここまで育ててくださった恩人です。でも、ビジネスのために結婚や恋愛する相手を選ぶのは賛同できません」「宇多さんは業界でも力がある人なの。その娘に好かれているってどういうことかわかってるの?」社長はイライラしはじめてタバコに火をつけた。ふーっと煙
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第三章 体が熱くなってくるのは、アルコールのせい15

「どちらかというと俺が惚れ込んでるんです。俺にはアイツしかいない」真剣な一言に社長室はシーンとなる。そして、黒柳がゆっくりと口を開く。「大樹がそんなに必死になるなんてな。笑える。解散はしたくない。だから、大樹があの子を選ぶなら俺と赤坂は応援するしかないと思う」その言葉に驚いて黒柳を見ると不安そうだけど優しい目をしていた。「俺らだって人間だし、一般人の子を好きになることもあるから……」「まあな」赤坂が言うと社長は眉尻を下げた。「過去に悲しい思いをさせて悪かっただと思ってたんだ」黒柳が言うと赤坂もうなずいた。「あなたたちが結束すると……強いのよね」半分諦めたような言い方だった。「ただ……美羽は俺のことをどう思っているかわからないから……」「どうして、そんなこと思うの?」俺の次の言葉にみなの視線が集まる。「素直に打ち明けますね。美羽と別れてから……男として機能しないんです」正直に告げると皆、息を飲んだようだ。隠す必要は何もない。誰にも言えなかったからスッキリした。「そうだったの……」社長は深刻そうな顔をして立ち上がって窓際まで歩いて行く。「俺はそれでも一緒にいたいけど、美羽は年齢的なことも考えて子供を作れる人と結婚したいと思っているかもしれない。そうだったとしたら、俺は一生独身でいるつもりです」自分の意志は固い。誰に何を言われようが気持ちは曲げないつもりでいる。「地位を手に入れた代わりに、深い傷を負ってしまったのね」社長の悲しそうな声が耳に届いた。池村はうつむきがちに黙って立っている。「遅くまでお疲れ様。また話し合いをしましょう」
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第三章 体が熱くなってくるのは、アルコールのせい16

仕事の疲れと精神的に具合悪いせいで重い足取りで自宅のエレベーターに乗った。家に入ると自動的に玄関の明かりが灯り、視線を落とすと小さな女性物のブーツがあった。リビングが明るくなっている。慌てて中に入って行くと、美羽がソファーで寝ていた。目尻には涙の跡があった。――会いに来てくれたんだ。嬉しくて俺まで泣きそうになる。愛しいってこういう気持ちなんだ。じっと見つめていると視線に気がついたのか美羽はそっと目を開いた。「大くん……お帰り」「ただいま、美羽」そっと髪を撫でてやると気持ちよさそうな顔をするが、避けるように体を起こすとバッグの中に手を入れて合鍵を見せてきた。一気に不安な気持ちが膨れ上がって俺の顔は強張ってしまう。「なに?」「返そうと思って」俺から目を逸らしながら鍵を差し出してくる。「なんで?」「大くん、無理しなくていいんだよ。過去のことは忘れてしまえばいいの」「……なにそれ」「償いとか、そういうのいいよ、もう。大くんのこと恨んでない。大くんと過ごせた日は、果物みたいに甘い日だけじゃなかったけど……いい思い出だったよ」悲しそうな表情をしながら弱々しい声で言うなんて矛盾している。「俺が美羽を抱けないから軽蔑したの? だから、朝起きたら姿を消して連絡もくれなかったのか? 俺は、美羽のことが好きだ。美羽のことだけは失いたくない。償い? ふざけんじゃねぇよ」美羽をぎゅっと抱きしめるとヒックヒックと、呼吸を乱しながら泣きはじめる。「だって、大くん……っ、連絡くれなかったから……っ。不安だったんだもんっ」「俺だってそうだよ」美羽をソファーから降ろしてカーペットの上で向かい合って抱きしめ合う。美羽は俺を好きなのだ。俺も美羽を信じてやらないと、お互いがお互いを見失ってしまう。愛することって難しい。信じ合うことってすごく大変なことなのかもしれない。「宇多寧々さんが会社の前に来たり、大くんの事務所社長さんが来て怖かった。悪魔のように皆、大くんとの交際を反対してくるの。実家にまで脅しが入ったみたい。でも、お母さんは自分の人生だからって言ってくれたの」俺の首に額をぴったりとくっつけながら、会えない間にあった出来事を教えてくれた。抱きしめたままカーペットに横になると美羽は俺の上にぴたりとくっついている。「美羽と毎日暮らすと体が治
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第三章 体が熱くなってくるのは、アルコールのせい17

次の日も朝から収録があって家に戻ったのは深夜一時過ぎだった。部屋に入ってビールを流し込んだところでチャイムが鳴る。美羽が来たのかと思ってインターホンを覗くと寧々が立っていた。ドアを開けてやると中にズカズカ入ってくる。俺と美羽のことをおかしくかき乱しているのは、間違いなく寧々だろう。ソファーに座った寧々は一段と機嫌が悪そうだ。「大樹はさ、誰の力で今の地位を確率したと思ってるの?」「単刀直入に言えば?」コーヒーを出してあげると、寧々は大きなわざとらしいため息をつく。「あたしのパパがCOLORを番組に使ったから、知名度が上がってきたんでしょ?」「色んな人の協力があって今があるのはたしかなこと。感謝してるよ」「じゃあ、あたしと結婚して! あたしは大樹のことが大好きなのっ!」立ち上がって俺に抱きついてきた寧々を、引き剥がす。今までも思わせぶりな態度は一度もしたことがなかったのに、どうしてこんなに俺に執着するのかわからない。「俺は寧々をそういう対象に見てない」寧々をじっと見つめて少しきつい口調で言うと、涙目で睨んできた。「どうして振り向いてくれないの? あたしの何が悪いの?」「寧々が悪いんじゃなくて、俺は美羽を愛してるんだ。他の女性を好きになるなんて考えられない。理解してくれ」諭すように語りかけるが、寧々は息を荒くして顔を真っ赤にして怒りまくっている。「ありえない。もう、絶対に許さないんだからっ!」そして、俺の部屋を出て行った。美羽に災難が襲いかかるかもしれない。だけど、絶対に守り切ってみせる。
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで1

第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで今日はクリスマス。大くんは生放送があって遅くなるみたいだけど、夜を一緒に過ごすことにしていた。クリスマスらしいものを買ってお邪魔しようと思っている。一緒に暮らそうと言ってくれたのだけど、ちゃんと私の両親に挨拶を済ませてから同棲をすることにした。「千奈津はデートなの?」「もちろんよ」化粧室で入念に化粧をしている姿を見て心が温かくなる。私も、今日は大好きな人に会えるのだ。そう思うと嬉しくてつい顔が緩んでしまうけど、誰にも言えない恋愛だ。「楽しんでね」「美羽は? デートの予定とかないの?」「あぁ、うん。ケーキくらいは食べようかな」「本当? 最近すごく綺麗になったから彼氏ができたのかと思うんだけど。今度ゆっくり聞かせてね。お疲れ様」颯爽と去って行く千奈津を見送る。言えなくてごめんね。私も軽く化粧を直した。会社から出ると寒くてブルっと震える。ベージュのマフラーで鼻の下まで隠す。そして手を擦り合わせた。小さなケーキと生ハムのサラダとチキンを購入した。クリスマスのイルミネーションがキラキラしていて綺麗。飲み物は必要ない。大くんは芸能界の仕事をしているからか、ワインなどをプレゼントされることが多いみたいだ。歩きながら母に電話をする。「メリークリスマス、お母さん」『なによ、改まって』「年が明けたら大くんと挨拶に行っていいかな」『ええ』覚悟をしているような声だった。「どんなにバッシングされても彼と生きていくって決めたの」『美羽がそう決めたなら、それでいい。しっかりと貫きなさい』「うん」電話を切って息を大きく吸い込んだ空気は、すごく冷たくて胸に染みこむ。気持ちがシャキッとする。大くんのマンションに向かって歩いていると、気配を感じて後ろを振り向いたけど誰もいない。「気のせいだよね」少し早歩きで歩いて行くが、この前も誰かに見られているような気がした。マンションについて急いで大くんの部屋に入りほっとする。テレビをつけるとクリスマスの音楽番組がやっていた。今日はCOLORも出演するらしいが、司会は大くんがやっている。テレビの中の大くんはハキハキと滑舌のいい口調で話していて、完璧に仕事をこなしていく。大くんが帰って来たらすぐに食べることができるように、お皿にサラダを盛って冷蔵庫にしまっ
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで2

『美羽、終わったよ。これから帰るからね』大くんのメールにほっこりした気持ちになり、そわそわと待っていた。イベントがあるとついつい考えてしまうことがある。ここに、はながいたらきっと楽しかっただろうなって。何年過ぎてもやっぱり思い出してしまうのだ。それほど、私は大くんを愛していて産みたかった。しばらくしてドアが開く音が聞こえ玄関に迎えに行く。「大くん、お帰り」嬉しくて抱きつくと大くんも力いっぱい抱きしめてくれる。「会いたかったよ。テレビ見てたよ」「よしよし、美羽。いい子で。待ってたんだな」「今日の大くんも素敵だったよ」大くんの香りを胸いっぱいに吸い込んでハッピーを補充する。大くんに抱きしめられるのが一番の幸せだ。「美羽。俺も美羽に会いたくてたまらなかった」「大くーんっ」頬を胸にうずめる。「おーい。いつまでいちゃついてんの?」男性の声が聞こえてビクッとなる。大くんから離れて大くんの後ろを見ると、黒柳さんと赤坂さんが立っていた。「お邪魔します」赤坂さんが甘ったるい笑顔を向けてくる。二人が来るなんて聞いてない。「あまり邪魔はしないから。少しだけお話させてもらってもいいかな」赤坂さんが言うと黒柳さんは「入るぞ」とズカズカ中まで入ってきた。ソファーに座る黒柳さんと赤坂さん。過去に会ったことがあるけど、二人ともオーラを放っている。大くんが二人にコーヒーを出すと黒柳さんが口を開いた。「過去のこと……謝りに来た。苦しい思いをさせて申し訳なかった」「ごめんなさい。今日は三人で仕事だったから一緒に来たんだ。クリスマスなのに悪かったね」赤坂さんも一緒に頭を下げてくれた。「正直、キミと大樹が再会した時は愕然としたんだ。でもさ自分だけの利益を考えていたと反省した。これからは応援する。芸能人である前に人として生きていきたいと思ったんだ」きっと私と大くんのせいで二人には色んな負担をかけてしまったと思う。色んな人に迷惑をかけながらだったけれど、大くんを愛してしまった。こんな私達を認めてくれたことに感謝しないといけない。「あの、ありがとうございます」頭を下げると二人はクスクスって笑いながら大くんをいじる。「大樹。美羽さんのこと可愛くてしかたがないだろう? いろいろあると思うけど負けんなよ」「あんがと」「邪魔しちゃ悪いし。帰るわ」
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで3

グラスに赤ワインを注いでケーキとチキンとサラダを用意した。大くんとこうやって幸せなひと時を過ごせると思っていなかったから、ジーンと熱いものが込み上げてくる。たとえ抱き合えなくてもいい。心が繋がっていればそれでいい。「料理が上手だったら手作りにしてあげたかったんだけど、ごめんね」「美羽と過ごすことができればそれでいいんだよ」大くんがニッコリと笑ってくれるから、ものすごく癒される。「年末のテレビ出演が終わると少し落ち着くから、美羽の実家に挨拶に行きたいんだ」「うん。わかった」「緊張するけど……頑張るから」「うん」じっと見つめるとニッコリしてくれた、立ち上がった大くんは寝室に向かって歩き出し、何かを手に持って戻ってきた。「これ、クリスマスプレゼント」「え……?」どうぞと言って渡してくれたのは小さな四角い箱。パカっと蓋を開けて中を見るとダイヤモンドがついたリングが入っていた。「こんな高価な物……もらえないよ」困った表情で大くんを見ると、大くんは王子様のように片足をついて跪く。そして真剣な表情で見つめられる。あまりにも熱い視線に頬が焦げそうになった。「美羽。俺と結婚してください」「え…………」驚いて息が止まりそう。「もちろん、今すぐにという訳にはいかないけれど。社長も認めてくれた。事務所と相談して一番いいタイミングで入籍したいと思っている。必ず幸せにするから」じわじわと込み上げてくるこの気持ちは何なのかな。きっと歓喜していて全身を駆け巡っているのかもしれない。目頭が熱くなり、私は大くんの胸にしがみついた。「こんな私でよければ、よろしくお願いします」抱きとめてくれる大くんは、私を包み込んでくれる。私の良いところも悪いところも全部を受け止めてくれる人はこの人しかいないだろう。「美羽、一緒に眠ろう」「うんっ」唇が唇を塞ぎ甘いキスをする。赤ワインの渋みが残った口内をお互いに味わう。大くんのキスは極上のスイーツを食べているようで幸せだ。大くんと私は一緒にベッドに倒れ込む。程よく酔っていてふわふわしながら大くんの体温を感じつつ目をそっと閉じた。「大くんと一生一緒に居たい」「俺も」向き合って抱きしめながら眠りについた――。朝になって目を覚ますと大くんは私をじっと見ていた。恥ずかしくて布団の中に隠れようとする
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで4

   +年が明けて私と大くんは実家に挨拶に行くことになった。別々に行かなきゃいけないのは仕方がない。結婚する前の大くんが女性と車に乗っているところを撮られてしまったら大変なことになる。電車で向かう私。大くんの事務所社長が結婚を認めてくれたことには驚いた。寧々さんのお父さんと話し合いをしてくれたらしい。当初はCOLORの番組起用を減らすと言われたそうだけど、数日後にやっぱりなんか違う気がすると言ってくれたみたいなのだ。『娘が可愛いが言うことを聞いていられないほどCOLORは成長した。我局だけCOLORを利用しないのはマズイ』と言って考えを改めてくれたみたいだ。大くんが教えてくれたけど、甘藤とCM契約を切ったのも、宇多サイドの脅しがあってのことだったらしい。今後はまた機会があれば契約をすると言ってくれたみたいだ。「ただいまー」玄関を開けると懐かしい匂いがする。実家に一足早くついていたのは大くんだった。昼間なのにビールを飲んでいるお父さんと大くんの和気あいあいとした姿が目に入った。「お帰り美羽」とお父さんに言われ「ただいま」と言ってから大くんを見た。大くんは緊張しているみたいだ。「座りなさい」父の言葉に素直に座るとお母さんが私にお茶を出してくれて、大くんの隣に座った。「紫藤君がここに来た時、事務所社長さんから電話をもらったんだ。過去にはいろいろあったけど、父さんと母さんは美羽が選んだ道を信じるよ。幸せになりなさい」その言葉が胸に染みて涙が溢れそうになる。「孫が楽しみだ」との言葉に私は笑顔が引きつらないようにした。大くんも切なそうな顔をしている。でも、今ここで伝えることではないと思って口をつぐんだ。隠すつもりはない。私は……いつか絶対に大くんの赤ちゃんを授かる日が来ると思っている。「紫藤君のご両親にも挨拶に行かないとな」「いえ、両親と兄は亡くなっているんです」「そうだったのか」「はい。ずっと孤独だった心を美羽さんが救ってくれたんです。美羽さんに出会っていなければ今の自分はないと思います。過去に悲しい思いをさせてしまいましたが、未来は幸せに溢れた時間にしていきます」大くんはそこまで言い終えると床に正座をした。「結婚させてください」真剣な眼差しで言うと、両親に頭を下げてくれた。父は凛々しい声で「よろしくお願いします」
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで5

ランチの時お手洗いに行くと女子社員が化粧を直しているところだった。私も鏡を出してリップを塗り直していると、チラチラと見られている気がした。――なんだろう。廊下に出て行った二人組の女子社員の「あの子だよね」なんて言った声が聞こえてきた。私のことを噂している気がする。何かやらかしてしまっただろうか。でも関わりのない人に噂されて気持ちが悪い……。なんとなく気持ち悪い気分で過ごしていた。そう言えばランチ中も千奈津が何か言いたそうな顔をしていたけど、関連があるのだろうか。就業時間を終えると人がいなくなっていく。残業しているのは、千奈津と私と杉野マネージャーの三人だけしか残っていなかった。「美羽」千奈津に声をかけられた。「ん?」「美羽ってさ芸能界の人と付き合ってたこと、あるの?」カタカタとキーボードを打っていた手を止めてしまう。どうしてそんなこと聞いてくるのだろうか。視線をゆっくり上げると杉野マネージャーと目が合った。「ど、どうして?」冷静を装いつつ千奈津を見る。「なんか、マスコミみたいな人が聞き込みをしているようだよ」「聞き込み?」「甘藤の社員と大物スターの過去にあった出来事というか、過去の恋愛事情を調べているらしい。で、なぜか美羽の名前で調べているみたいよ」そういうことだったのか。だからランチの時お手洗いにいた社員も噂をしていたのかもしれない。マスコミって本当によく調べていてすごい。ある意味怖いとさえ思ってしまった。「でもねー。まさか、美羽がそんなのありえないよね。どうしてそんな変な噂が流れたんだろうね」明るい声で言った。「さー仕事、仕事」千奈津はキーボードをタイピングしはじめた。私も画面を見つめるけど力が入らない……。過去を隠して生きていくなんて辛い。悪いことは一切していないのだから堂々と生きていきたいと思うのに、言えない。もしも、私が言ってしまえば大くんに迷惑をかけてしまう。大好きな人を悲しませたくない……。杉野マネージャーは何も知らないふりをしてくれた。千奈津……言えなくてごめんね。仕事を終えて会社を出ると男の人が近づいてきた。私とは関係ないと思って避けて歩こうとすると、目の前に立たれる。「あの、すみません」「……はい?」「紫藤大樹さんとは、どういう関係なんですか?」
last updateLast Updated : 2025-01-17
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第四章 香りを胸いっぱいに吸い込んで6

コートを羽織っているまだ二十代であろう男性は、ここに張り付いて待っていたのかもしれない。大くんの名前を出されて恐ろしい気分になる。無視をしてその場から去って行こうとする私の背中に冷たい声が投げられた。「子供を過去に殺したのに、大物になったからまた近づいたんですか?」思わず立ち止まってしまうと、男性は近づいてきて顔を覗きこんできてニヤリとされた。「図星、ですか?」違うと言いそうになったけれど、そんなことを言うと過去に関係があったと肯定するようなものだ。「人違いではないですか?」グッと堪えて言い返す。どうにかバレないようにと思うと、鼓動が激しくなり、背中に汗をかいてしまう。男の人は口元に笑みを浮かべる。「写真、何枚かあるんですよ。それに情報提供もしていただいたんです」「とにかく、私は関係ありませんから」「へぇー」なんとか振りきって歩くけれど、すごく気持ち悪くてタクシーで自宅に帰った。家の中に居ても誰かに監視されているような気持ちになる。大くんに相談しようかと思うけどあまり負担をかけたくないから我慢しなきゃ。そんなことを考えていると大くんから電話が着た。私の不安な気持ちを察知しているようなタイミングだった。『美羽、今日は来ないのか?』「あ、うん。家に取りに行くものがあって……」『…………』「…………」『なんか、様子がおかしいけど、どうしたの?』鋭いな、大くん。それとも私がわかりやすい性格をしているのかな。「いつも通り元気だよ」笑って誤魔化すと、電話越しで大くんは悲しそうに、ため息をついた。『お願いだから俺から離れようとか、変なこと考えるなよ』「うん」『俺が美羽を守るからなんでも言えよ』「わかった」愛しの大くんの声を聞いて涙が出そうになる。本当は今すぐにでも会いたいけど外に出るのが怖い。私は一人でなんとか耐えていた。
last updateLast Updated : 2025-01-17
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