鈴は第二周回の遅れを全く気にしていなかった。彼女の視線は、常に第三周回のカーブに向けられていた。――そこが、勝負の決め手になる。そして、最も重要なタイミングで、彼女は翔平をわずかに追い抜いた。最後の直線コース、鈴の馬が先にゴールへと飛び込んだ。この対決は鈴の勝利で終わった。スタンド席の観客たちは、緊張した息を吐き出したあと、大歓声を上げた。これが競馬の醍醐味、ゴールするその瞬間まで、誰にも勝敗は分からない。レース終了後、緩やかに馬を流しながら、鈴は翔平の前で手綱を引いた。そして、軽やかに馬から飛び降りた。明るく生き生きとした五官に、はつらつとした笑顔が広がる。彼女はヘルメットのストラップを外し、首を軽く振った。漆黒の髪が、ふわりと肩へ落ちる。太陽の光を受けたその姿は、息をのむほど美しかった。彼女は、少し息を整えながら、勝者の余裕を込めて言った。「安田社長、あなたの負けですね」彼女はかつて「クイーンズカップ」の優勝者であり、イギリス女王から直々に表彰を受けたこともある。幼い頃から馬を愛し、陽翔はそんな妹のために最高級の競走馬を与え、世界トップクラスの馬術トレーナーを何人も雇った。15歳の頃の「ペット」は、二億円以上の価値を持つアハルテケだった。実践を重ねた技術の前では、どんなプロ級の趣味も太刀打ちできない。かつての彼女は、従順で控えめな妻という仮面を被り、慎重に強さを隠していた。ただ、翔平に、もっと見てもらいたかっただけ。それが、今となっては、愚かだったとしか思えない。翔平の胸に、未だ静まらぬ鼓動が響いていた。彼の目は、目の前の鈴に留まり、複雑な色を帯びていた。そして、低く問う。「……いつから馬術を?」彼女が馬を乗りこなすことすら、今まで知らなかった。それどころか、プロ級の技術を持っているとは――。今、彼の目の前にいる鈴は、野生の薔薇のようだった。鋭い棘を持ち、情熱的で危険な美しさを放つ。翔平は、そんな彼女に魅了されかけていた。だが、鈴の返答は、彼の疑問を容赦なく切り捨てた。「安田社長、話が逸れていますね。今、議論すべきなのは――帝都グループの参入です」翔平は、一瞬言葉を詰まらせた。そして、静かに飲み込んだ。「……明日、契約書を持って安田グループへ来い」しかし、鈴は
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