親房夕美は嫁ぐ前の自室に戻った。三姫子が天方家へ向かったことも知らず、母はまだ自分のために方策を練っているのだと信じていた。母がどれほど怒っていようとも、娘を将軍家で苦しませることだけは忍びないはずだと分かっていた。あそこは命の危険がある場所だ。沙布と喜咲もそこで命を落としたのだから。それに、母は天方十一郎のことを常々気に入っていた。もし自分が十一郎と復縁できれば、母も怒りが収まった後には喜んでくれるに違いない。しばらくして、母の様子を侍女に尋ねると、落ち着きを取り戻したとの返事があった。夕美は義姉に叱責されるのを避けるため、将軍家への帰途を急いだ。三姫子のあの厳めしく説教じみた顔つきには、もう嫌気が差していた。何様のつもりだろう?兄の爵位があればこそ、伯爵家の夫人面ができるのではないか。それに、実家に戻るための口実も考えていた。いつものように体調不良を理由に、専属の医者が自分の体質を理解していて、適切な養生法を知っているからと言えば、一ヶ月ほど実家で療養することも、将軍家は疑わないだろう。念には念を入れ、夕美は侍女のお紅を薬王堂へ連れて行った。お紅に診察を受けさせ、養生の薬を処方してもらう算段だった。帰ったら自分の体調不良を理由に、薬を飲む必要があると言えば良い。もちろん、薬は全てお紅に飲ませるつもりだった。薬王堂は都一番の規模を誇る医院だった。二十人を超える医者が控えており、ここからの薬であれば誰もが疑いを差し挟まない。夕美はお紅を連れて診察を受けに行った。お紅は実際とても健康だったが、八月に入ったばかりで残暑が厳しく、暑気が溜まっているということで、医者は診察後、暑気を払い火気を鎮める漢方薬を数服処方した。薬剤師が薬を調合している間、上原さくらと沢村紫乃が薬王堂に入ってくるのを見かけた。夕美は不吉な気配を感じた。都は本当に狭い。会いたくない人にまでここで出くわすとは。顔を背けようとした瞬間、夕美の目の端に見覚えのある人影が映った。その刹那、血の気が一気に頭に上った。耳鳴りがして、思い出したくもない過去の記憶が蘇る。全身が震えた。村松光世だった。まさかの村松光世。しかし、なぜ上原さくらが村松光世と一緒に薬王堂に?心は動揺したが、自分に言い聞かせた。まさか、あの件を村松光世が話すはずがない。話せば彼自身に
Last Updated : 2024-12-12 Read more