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第1000話

Penulis: 夏目八月
紫乃は独特な視点で物事を捉える性格だった。しばらく黙っていたかと思うと、首を傾げてさくらに尋ねた。「もしかして、降格と減俸が気に入らなくて、拗ねてるの?」

北條守がそうだったかどうかは分からない。でも、自分なら……

家族や師匠から期待以下の扱いを受けると、すぐに引くふりをして攻めに転じる。そんな自分の姿と重なって見えた。

さくらの表情の険しさに気付き、紫乃は話を切り替えた。「もう、あの人の話はやめましょう。陛下が許可なさらない以上、好き勝手もできないでしょう」

話題は自然と桜餅の味わいへと移っていった。玄武はまだ戻っていない。「親王様のお分は取り置きしておきましょう」お珠が立ち上がり、丁寧に桜餅を別の器に移し始めた。

客が去った後、紫乃はさくらに向き直った。「辞めさせた方がいいんじゃない?あんな男に玄鉄衛の指揮官なんて、もったいないわ」

さくらは穏やかに首を振った。「今は関ヶ原に関わる者すべてが、できるだけ物議を醸さない方がいい。彼が辞官しても、陛下に罷免されても、必ず話題は外祖父や叔父上たちへと及ぶわ。それを狙う者たちの手に渡る口実になりかねない」

「そうね、そうね」紫乃は頷きながら、少し首を傾げた。「でも、どんな口実が?」

怒りが収まったさくらは、静かに説明を始めた。「燕良親王は長年、佐藤家を関ヶ原から退かせようとしている。鹿背田城の件は、平安京でも関ヶ原でも大きな騒ぎになった。これは間違いなく、平安京と燕良親王の仕組んだこと。今は葉月が首謀者として平安京に引き渡され、外祖父は総兵として監督不行き届きの責を負い、北條守は鹿背田城への出兵の責任を取る。表向きは筋が通っている。叔父上たちへの影響も最小限に抑えられた。でも、北條守が引責辞任すれば、燕良親王はこれを利用する。佐藤家が罪を知りながら兵権に執着していると噂を流す。それは佐藤軍の民心における威信を損なうことになる」

紫乃はさくらの横顔を長く見つめた。胸の内に複雑な感情が渦巻く。その中に、かすかな痛みのようなものが混じっている。

戦場でさくらと出会って以来、時折感じるこの感覚。

梅月山での日々を思い返す。あの頃は、さくらはただ武芸に優れているだけ。経験も見識も、世間の機微も、自分の方が上だと思っていた。ただ、そういったものに興味を示さないだけだと。

だが今のさくらは、何もかも理解している
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    北冥親王邸に戻ると、紫乃は馬車から降りるなり、門前で何度も跳び上がった。体中に纏わりついた不吉な気を振り払うかのように。「なんてことなの!」顔を真っ青にして吐き捨てるように言った。「この私を手に入れようだなんて!自分の息子が私より年上だということも考えないの?厚かましい老いぼれ!」ちょうど出迎えに来た道枝執事は、その言葉を耳にして一歩後ずさった。丸々とした顔に困惑の色を浮かべ、誰が厚かましいというのだろうと首を傾げた。「もう二度と燕良親王邸になんて行かないで!」さくらも憤りを隠せず、紫乃の手を引いて屋敷の中へ入った。「あの人があなたを見る目つき……まるで穢されたみたいで、気持ち悪かったわ」今夜目にした燕良親王は、あの野心に満ちた燕良親王と同一人物なのだろうか。まるで別人のように思えた。ただの好色な老人に成り下がっていた。議事堂に入ると、玄武は燕良親王の紫乃への欲望を有田先生に報告した。「まさか……」有田先生は目を丸くした。「そんなに露骨でございましたか?」「ああ」玄武は苦々しい表情を浮かべた。「あまりにも露骨すぎて、本物かどうかすら疑わしいほどだ。これまでの調査では、奴は女色など眼中になかったはずだ。どんな美女でも、所詮は駒にすぎなかったというのに」燕良州の官僚たちを掌握する手段として女性を利用することはあっても、その場合は厳選された美女たちばかりだった。沢村万紅との結婚でさえ、沢村家の財力と、兵器製造、軍馬の調達が目的だったはずだ。座に着くと、玄武はさくらに向かって真剣な面持ちで尋ねた。「さくら、これは考え過ぎかもしれんが……あれは誰かが燕良親王に成り済ましていて、本物の燕良親王は既に燕良州に戻っているという可能性は、ないだろうか?」さくらはまだ怒りが収まらないものの、よく考えれば玄武の言葉にも一理あるかもしれなかった。武芸界の変装術は極めて精巧で、注意深く観察しなければ本人と見分けがつかないものもある。有田先生も可能性は十分にあると考えていた。彼らの知る燕良親王なら、このような無分別な行動は決してしないはずだ。仮に紫乃に何か企みがあったとしても、それは沢村家の寵愛を受ける嫡女という立場ゆえのはずである。そうであれば、なおさらこのような形跡を残すはずがない。三人は深い思索に沈んだ。その可能性について思いを巡らせる

  • 桜華、戦場に舞う   第1025話

    燕良親王邸に重要な物が隠されているとは考えにくい。あるとすれば往来の書状程度だろう。それも重要なものは既に隠匿されるか、焼却されているに違いない。書斎への侵入は容易ではなく、もし騒動を起こせば面倒なことになるだろう。彼らが紫乃を招いた背後には、必ず何か言えない理由があるはずだ。その目的が何なのか、先ほどまでは分からなかったが、今になってやっと見えてきた。今日の来訪前、さくらは親王邸内の武芸者の数を探り、死士たちが潜んでいないか確認するつもりだった。もし死士が府内にいなければ、紫乃を次回また招かせることもできたはずだ。しかし、燕良親王の欲望に満ちた眼差しを目の当たりにした今、さくらは紫乃を危険に晒すわけにはいかなかった。あの卑猥な視線を思い出すだけで、胸が悪くなる。侍女たちが次々と菓子を運んでくる中、さくらは突然立ち上がり、棗のお菓子の盆を持つ侍女の前に立った。その侍女は一歩も退かず、まばたきひとつせずに立っている。金森側妃が警戒の目を向けると、さくらは侍女に告げた。「この棗のお菓子は親王様のお気に入りですわ。正殿へお持ちになってください」侍女は目を伏せ、柔らかな声で答えた。「かしこまりました」盆を持ったまま、侍女は優雅に一礼して退いた。その足取りは少しも乱れることなく、揺るぎない安定感があった。「まあ」金森側妃は思わず笑みを漏らした。「王妃様は玄武様を本当に大切になさっているのですね。口争いをなさったばかりなのに、お好みのお菓子まで気にかけていらっしゃる」さくらは席に戻ると、作り笑いを浮かべただけで、相手にする気はなさそうだった。むしろ、欄干に寄りかかり、遠くを行き交う人々を眺めている。「あら」沢村氏も笑みを漏らした。「紫乃よ、うちの金森側妃ときたら、こういう冷たくあしらわれることが大好きなのよ」金森側妃は沢村氏を冷ややかに一瞥した。この愚かな女は、日々権力争いばかりに執着している。今は都での一時的な滞在に過ぎないというのに、何の権力があるというのか。正妃でありながら、まともな考えひとつ持ち合わせていない。まったく見苦しい限りだ、と金森側妃は密かに思った。だが、紫乃のような武家の娘は弱き者への同情心が強く、自分なりの正義感で物事を裁く傾向がある。そう理解していた金森側妃は、あえて何も言わず、わずかに赤みを帯びた

  • 桜華、戦場に舞う   第1024話

    燕良親王は玉簡を叱責し、恥を晒すばかりだと諭して退出を命じた。金森側妃は玉蛍を連れ、共に席を離れた。金森側妃は部屋を出るや否や、侍女を従えてさくらたちの後を追った。この屋敷には牢獄こそないものの、勝手な行動は許されない。愚かな沢村氏が利用されでもしたら大変だと危惧したのだ。無相は玄武の様子を密かに観察していた。玄武は燕良親王と言葉を交わしながらも、明らかに不機嫌な様子で、時折外を窺う視線からは、夫婦喧嘩の後の複雑な心境が垣間見えた。妻への苛立ちと心配が入り混じっているようだった。先ほどのさくらの怒りに満ちた一瞥も、あれほどの感情は演技では表現できまい。少なくとも一つ確かなことがある——さくらが燕良親王邸を訪れた本当の目的は、亡き燕良親王妃の恨みを晴らすことだったのだ。その思いは、きっと長い間さくらの胸の内に秘められていたのだろう。今回、それを吐き出せる機会があったのは、むしろ良いことかもしれないと無相は考えた。女性たちが席を外した今、北冥親王と話を進めるには都合が良い。「玄武よ、母妃様のご様子はいかがかな?」燕良親王が玄武に声をかけた。「ご心配いただき恐縮です。母上は至って健やかでございます。榮乃皇太妃様の容態は少しお良くなられましたでしょうか?」「ようやく好転の兆しが見えてきたところだ」燕良親王は安堵の表情を浮かべた。「それは何より」玄武は微笑んで続けた。「では叔父上は、いつ頃燕良州にお戻りになるおつもりで?」「はっはっは」燕良親王は声を立てて笑った。「それは、この叔父が京に留まることを望まないということかな?そんなに燕良州への帰還を急かすとは」「いえ、そういうわけではございません。何気なくお尋ねしただけです」玄武は軽く笑みを浮かべた。「申し上げます」無相が代わって答えた。「月末には燕良州へ戻らねばならないかと存じます」玄武は茶碗を手に取り一口すすったが、その関心は明らかに別のところにあった。時折外を見やる視線が、その証だった。しばらくの沈黙の後も、玄武から別の話題は出てこなかった。無相には、彼らの真の来訪目的が掴めないでいた。沢村紫乃への招待に便乗しただけとは到底思えなかったが、その真意を探るには、まだ慎重になる必要があった。無相が話題を探っていた矢先、玄武は燕良親王の方を向き、やや責めるような口調で切

  • 桜華、戦場に舞う   第1023話

    玉簡はさくらを恐れていたものの、その言葉を聞くや否や立ち上がり、怒りを露わにした。「上原!私の名誉を傷つけて、あなたに何の得があるというの?」「何と無礼な!姫君ごときが王妃様のお名前を呼び捨てにするとは!」棒太郎が厳しい声で叱責した。さくらは軽く手を上げ、棒太郎に下がるよう指示すると、玉簡を見上げ、皮肉を込めて言った。「口では人を攻めることはお上手のようですが、母妃様がこのような扱いを受けているというのに、一言も発することができないのですね。言い出す勇気がないのなら、せめてお側に仕えるべきではありませんか。母妃様はあなた方を産み育ててくださったというのに」玉簡は激しい怒りに駆られたが、玄武の冷たい視線が注がれるのを感じ、背筋が凍るような思いに襲われた。罵倒の言葉は飲み込んだものの、不満げに言い返した。「それがあなたに何の関係があるというの?そんなにできる人なら、あなたが面倒を見てあげればいいじゃない。人のことを言うだけなら簡単でしょう。あなただって母妃様のことを伯母上と呼んでいたはずよ」「まぁ、なんて理にかなったお言葉でしょう」さくらは冷笑を浮かべた。「子として孝行を尽くさない者が、他人の心遣いを非難できるものなのですね。これは是非とも覚えておかねば。今度、穂村夫人にお話ししましょう。きっと姫君様のご立派な考えを広めてくださることでしょう」燕良親王の表情が一段と険しくなった。「玉簡、さくらに無礼な態度を取るものではない」玉簡はさくらを恨めしげに睨みつけながら、不承不承に応えた。「はい、父上」燕良親王は玉簡以上に憤りを覚えていた。さくらの言葉は、自分が正妃を冷遇していると公然と非難するものであり、しかも紫乃の前でそれを口にするとは。これでは体面が丸つぶれではないか。そんな険悪な空気を察したのか、玄武が早々に取り繕った。「まあまあ、せっかくの楽しい席だ。過去の不快な話題は控えめにしておこう。皆の気分も悪くなるばかりだからな」だが、さくらは夫の言葉にも動じなかった。「私に口を噤めというの?少し物を言っただけで何が悪いのです?伯母上のことを思えば、不孝な娘を二人も、不孝な息子を二人も育ててしまったなんて、本当に残念でなりません」燕良親王の顔色が青ざめては紅潮を繰り返した。これはもはや子女の不孝を責めているのではない。明らかに自分への非

  • 桜華、戦場に舞う   第1022話

    「叔父上がそのようにお考えになるとは」玄武は笑みを浮かべた。「まさか、私に何か後ろめたいことでも?」「はっはっは」燕良親王は人差し指を揺らして見せた。「とんだ茶目だな」上座に進むと、衣の裾を整えて腰を下ろした。「さあ、皆も座るがよい」金糸で鶴が舞う模様が織り込まれた錦の衣に身を包み、唇は薄く紅を差したかのように艶めいていた。自信に満ちた笑みを浮かべる様子に、紫乃は一瞥を投げかけ、なぜか孔雀が羽を広げているような印象を受けた。一同が席に着いてから、無相が影森哉年、影森晨之介兄弟を伴って入室してきた。兄弟は当初、上原さくらと影森玄武の姿を見て喜色を浮かべたものの、今は妙によそよそしい。挨拶を済ませて着席すると、その表情は不自然で、まともに玄武の顔すら見られないほどだった。玄武は無相を一瞥した。燕良親王の軍師として知略を巡らす存在だと承知していたが、気のせいか、親王との間に何か言い争いがあったように見受けられた。しかもその口論は決して穏やかなものではなかったようだ。二人の眼底には怒りの名残が燻り、それは今にも憎悪の炎となって燃え上がりそうだった。武の道を極めた者には、そういった険悪な空気が肌に触れるように感じられた。視線を戻し、燕良親王の顔を見つめながら、玄武は穏やかに問いかけた。「突然のご招待、何かめでたいことでもございますか?」燕良親王は内心で憤っていた。そもそもお前など招いてはいない、と。沢村氏に一瞥を投げかけてから、辛うじて笑みを浮かべて答えた。「先ほども申したが、何度もお前の屋敷を訪れたものの、いつも暇がないと。それなら思い切ってお前とさくらを招こうと思ってな。同じ一族、度々往来があって然るべきだろう」玄武は心中で冷笑を漏らした。暇がないどころか、明確に門前払いをしていたというのに。「叔父上のおっしゃる通りです。確かに、親族として交流を深めるべきですね」玄武が会話を取り持つ傍ら、さくらは燕良親王を密かに観察していた。短い会話の間にも、親王の視線は何度も紫乃の顔に注がれ、その眼差しには、何とも言えない不快な色が混じっていた。さくらは、紫乃への招待に良からぬ意図があることは察していた。だが、せいぜい沢村氏を通じての懐柔工作程度だろうと思っていた。まさかこのような穢れた下心が潜んでいようとは。「王妃様?王妃様?」

  • 桜華、戦場に舞う   第1021話

    「親王様」無相は不安を拭えず、さらに言葉を続けた。「大事が成就すれば、どのような女性でも手に入れられましょう。その時になれば、沢村紫乃など取るに足らぬものと思われるはずです」「もういい」燕良親王の声は暗く沈んでいた。その言葉を吐き出した瞬間、堰を切ったように激情が溢れ出した。長年押し殺してきた感情が、もはや抑えきれない。「わしは長年、欲を抑え、己を律してきた。一瞬たりとも気を緩めず、本性を抑え込み、些細な過ちも犯さぬよう心を砕いてきた。心惹かれる女などいなかったわけではない。だが、決して近づかなかった。女色に溺れては大事を損なうと、分かっていたからだ。だが紫乃は違う。初めてだ……わしの心を揺さぶり、同時にわしの力となり得る女だ。燕良親王妃としては最適の人物なのだ」この告白に、無相は戦慄と怒りを覚えた。初めて厳しい口調で主君を諫めた。「親王様、『心を揺さぶる』とは、沢村紫乃への恋心をお認めになるということですか?もしそうだとお思いなら、それは違います。卑劣な行為を正当化する言い訳に過ぎない。欲望を愛という衣で包んでいるだけです。もし本当の愛情があるのなら、彼女の清らかさを穢すような手段は取られないはず。この薬が命取りになり得ると申し上げても、躊躇いすら見せなかったではありませんか」正鵠を射られた燕良親王は、恥じらいと怒りに顔を歪めた。「それがどうした?わしにそのような思いがあったところで?卑劣とは何事か。世の男どもは後宮に幾人もの女を囲い、さらには外にも手を出す。そのような中で、わしはむしろ節制してきたほうだ。たかが一度や二度のことを、そこまで大層な話にせねばならんのか?覚えておけ。お前はわしの謀士に過ぎぬ。わしの行動に口を挟む立場ではないのだ」「親王様!」無相はさらに厳しい声音で畳みかけた。「もし親王様の望みが女色に耽ることならば、この無相、親王様の栄達にお供する福分はないということ。どうか心の赴くままに、前途を歩まれますよう」書斎に凍てつくような静寂が下りた。燕良親王の顔色が青ざめては赤らみ、交互に変化していく。ようやく怒りを押し殺し、声を落ち着かせて言った。「先生、そのような言葉は、わしの心を痛めるではないか。わしは独りよがりな人間ではない。これまでも先生の意見は常に重んじ、実行してきた。都に来てからの度重なる失態で気が滅入っていたゆえ、

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