そうよ、なんで私なんかを?私だってわけが分からないよ。高校生の時に初めて彼に出会った。緒方章は私の学校の優秀な先輩で、後輩たちから招待されて母校に演説にやってきた。国旗の下に立ち、彼の目はキラキラと輝いていた。大学生特有の青春と、いくぶんか幼さを失った大人っぽさが無数の後輩たちを虜にしていた。もちろん、私も彼に魅せられた一人だ。でも、彼は空に輝く月で、私は地面の土の上。そんな私たちが交友関係を持てるなんて絶対にありえない話だった。しかし、思いもよらないことが起きた。なんと彼のほうから私に近づいてきたのだ。私が大学に受かったあの日。私は彼と同じ大学を受けると彼に約束していたが、父から志望校を変えるように言われたのだ。両親は私が合格できずに一家が恥をかくのを恐れていたからだ。私は両親を満足させられる学校に行くしかなく、入学初日にがっかりしてその学校へと向かった。すると大学の入口で、ぴしっとスーツを着こなした彼が待っていた。数年前と比べて、彼はもっと大人になっていた。彼は大人になった。そして、それは私のほうも同じ。この時の私も彼同様に大人っぽく成長していた。彼は私が希望していた大学を受けられなかったことを知り、わざわざ私のために慰めに来てくれたのだ。私はとても感激した。それから、だんだん彼とは親密な関係へとなっていった。でもずっと私たちの関係をはっきりとさせていなかった。なぜなら私は鬱病を患っていたから。大学生になってからというもの学業のストレスも緩和され、透明人間扱いされる家にもいる必要はなくなったというのに不思議なこともあるものだ。病状はさらに悪化していった。その感情の中で、私は得るのも失うのも怖くて親しい人に近づいたり、また急に遠ざけたりするようになっていた。これは緒方章にとって、辛いものだっただろう。結局、彼に正直に話した後。彼は私から離れることを決めた。彼に再び会った時には、彼はもう姉の婚約者になっていて、私に気を遣い、疎遠になっていた。そして私も不自然に口角を上げ、一言こう呼ぶしかなかった。 「お義兄さん、こんにちは」私たち二人は二度と交差することのない平行線上に立ってしまった。私はこう思っていた。彼はもうさっさと私のことなんて忘れて
番外編:姉の視点から以前、花岡桃香が生きてきた20年の人生について。生まれてからずっと、私は何も不条理さを感じたことはなかった。彼女が鬱病にかかった事でさえも。私は彼女を軽蔑していた。でも後々、私は彼女が経験した全てを身にしみて感じた。そうして初めて他人から無視される恐怖に気づくことができたのだ。私が緒方章と結婚してから、緒方家の家族全員が私をまるで空気のように扱っていた。使用人が作るごはんは私好みではなく、私の分がないこともあった。食卓でのおしゃべりに私が口を挟める隙間はなく、誰も私の話なんて聞いたことはないかのようだった。私は良い嫁になることを求められた。以前の芸事や趣味など全てを禁止された。表に出ることは許されず、誰の前でも謙遜して頭を下げ、義理の両親を敬わなければならない。このように過ごす日々。私は花岡桃香が以前、どうやって十数年もこのような地獄に耐え続けたのかさっぱり分からなかった。三ヶ月だけなんとか我慢して、名家の集まるパーティで父と母にこの結婚を解除したいという望みを込めて助けを求めた。私は彼らにとって、残ったたった一人の娘だから、どうあっても最終的には私のことを気にかけてくれると思っていたのだ。しかし、母は父の手を引っ張るだけ。そして、以前花岡桃香にしていたのと同じように、冷たくその場を離れていった。息が詰まりそうだった。……緒方家に嫁いで三年目のこと、家からの連絡があり、母は目が見えなくなってしまったらしい。ここ数年、ずっと思い煩う日々で、花岡桃香のことを懐かしんでいたという。私が彼女に会いに家に帰った時、彼女は花岡桃香の写真をプリントした人形を抱きしめ、光のない瞳で茫然としていた。私は彼女に近寄り、近況を尋ねた。彼女が口を開いて言った最初の言葉は「桃香ちゃんなの?私の桃香ちゃんが帰ってきたの?」だった。母の目の中には本当に私の姿は映っていなかった。でも、私は悔しかった。私は意地を張って彼女の手を引っ張り、彼女に私は花岡桜子なのだと教えた。彼らが二十数年間目に入れても痛くないほど可愛がっていた花岡桜子なんだと。以前、彼女たちが花岡家の顔として扱っていた花岡桜子だ。しかし、彼女は力強く私の手を振りほどき、甲高く鋭い声で叫んだ。「
姉の誕生日パーティはいつもこのように盛大に行われて喜びに包まれていた。三日三晩過ぎてから、喜びが冷めない中、母はようやく私のことを思い出した。彼女は私にどうして姉の誕生日パーティに参加しなかったのか、プレゼントさえ渡さないなんて、などというメッセージを送ってきた。母は「お姉ちゃんがとてもあなたのことを気にかけているのよ。あなたがどうしたのか何回も聞いてきたのに、お姉ちゃんに対してあなたはこんな態度なの?」と送ってきた。私はそれに返事をしなかった。母も特に気にはしていないようで、携帯をなおすと、いつものように姉と腕を組んで街へと出かけて行った。展覧会を見学したり、アフタヌーンティーをしたり、高級スパへ行ったりだ。彼女はそれらに忙しく、空が暗くなってからたくさんの戦利品を持って家へ帰り、時間がある時に携帯を取り出してちらりと見た。そして、彼女は一日経っているのに私がまだ返事をしていないことに、この時気がついた。母は一瞬にして不機嫌になった。「この不良娘ったらどうしたのよ。まさかまだ怒ってるのかしら?小さい頃から怒りっぽかったのよね。あんな小さな事くらいでヒステリー起こして。母親である私に謝れとでも思っているのかしら」姉は彼女の隣でマッサージをしてあげながら、優しい声で慰めて言った。「お母さん、怒らないで。怒りで体でも悪くしたら私はすごく悲しいわ」彼女は心配して言った。「だったら、電話をかけてみたらどうかしら?もしかしたら、あの子、ただメッセージを見てないだけかもしれないわよ」母は姉に慰められて、少し表情を和らげたが、私の話題になるとまた顔を曇らせた。「そんなまさか!一日24時間ずっとメッセージを確認しないなんて、死んだわけじゃあるまいし」そうだよ。私は死んだんだよ、お母さん。あなたはもうすぐ気づくことになるわ。警察が花岡家の別荘に私の死亡を知らせる電話をかけた時、母は最初信じなかった。彼女は何度も嘲笑った。「あんたは花岡桃香が雇った役者かなんかでしょ?あの子って本当に馬鹿なんだから、言い訳すら上手くできないのね。あの子はね、死ぬのを本当に怖がっているのよ。そんな子が死んだなんて、誰が信じるものですか。彼女のところに戻って伝えなさい。こんなおふざけなんか意味ないって!それよりおとなしく家に帰ってきて謝ったほう
警察官が今度は自ら私の死亡の知らせをしに家までやってきた。私は他殺だったので、検死しなければならず、家族の了承と同意書へのサインも必要だったのだ。その時、家には母一人でいて、警察官が警察手帳を見せるまで彼女はやはり私が騙そうとしていると思い、セキュリティを呼んで警察を追い立てようとした。警察手帳を見ると、彼女はすぐに驚いてその場で固まってしまった。彼女はまるでその瞬間、私がここ数日どうしてメッセージ一つよこさないのか、電話をかけても出ないのか、たとえ彼女が私の所有物の一切を捨てて私を脅そうとしても、私も動かなかった理由をようやく悟ったようだった。なぜなら私はもうこの世にいないからだ。死人がどうやって返事をすることができるのか。警察は死亡知らせをした後、冷ややかな目つきで母を見た。「今まであなた達のような両親を見たことはありませんよ。子供の死亡の知らせを聞いた途端、まさか怒鳴りつけてくるとは。子供が何日も失踪していたのに、全く心配なかったのですか?」母は口ごもりながら言った。「娘はもう成人なんですよ。家を出て行くのを止められるわけないでしょう。それに、まさかこんなことに......」私、死んだんだけど。彼女は私はしぶとい雑草のような命の持ち主だとでも思っているのだろう。警察署へと向かう途中、母はずっと心ここにあらずの状態だった。彼女は「桃香は良い子じゃないですけど、それでもそんな自暴自棄になって、あんな汚いところで遊び回るような真似をするはずがないんです」と言った。彼女は尋ねた。「お巡りさん、さきほど死体の顔はめちゃくちゃに切り刻まれていたとおっしゃいましたよね?もしかして人違いなんじゃ」彼女は信じなかった。「桃香は先週、私たちと電話したんですよ……」警察官は厳しい顔つきになりながら、辛抱強く私だと特定したその理由を話していた。警察は私の身分証明書から身元を特定できたのだ。それは一風変わった身分証で、私の鞄のポケットに収められていた。身分証を入れていたカードケースには猫の形の鈴がつけられている。その鈴のキーホルダーを見たとたん、母は生気を失った。彼女は覚えていた。その鈴のことを。それは母が私に贈ってくれた唯一のプレゼントだった。でも、このような鈴のキーホルダーなんてどこにでも売っている
母は警察官に姉と父には連絡しないようにと言った。そして自分から彼らに電話をかけた。彼女の声は震えていて、できるだけ平然を装おうとしていた。まず彼らにここ数日私を見かけたかどうかを聞いた。それから私についての情報が得られたみたいだと話した。それから、数日前に警察からかかってきたあの電話についても話し始めた。「あれは嘘なんかじゃなかったわ。桃香、あの子はもしかしたら本当に……」「死んだ?」父は軽蔑したような態度を見せた。「ただの身分証だろう。あの子はあんなにバカなんだから。うっかり落として誰かに拾われたんだろう。あの子が本当に死んだのなら、どうせ身から出たさびだろう。同情する余地なんかない!」 彼は私が小さい頃から言うことを聞かない子供だったと話しはじめた。また、私が大人になってからいつも反抗していたとも言った。彼の時間はとても貴重だから、一秒でも無駄にできないらしい。そう言いながら電話を切った。一方、私の姉はというと。話を聞いてしばらくの間黙り、優しい声になって慰めの言葉をかけた。「鑑定結果はまだ出ていないんでしょ?もしかしたらお父さんの予想通りかもしれない。たまたまその亡くなった人が桃香がなくした身分証を拾ったのかも」どのような場合でも、姉はいつも優しい美人さんだ。それは今も例外ではない。姉はタクシーを呼び、すぐに母のところまでやってきた。一体誰を説得したいのか分からないが、母を抱きしめた時、姉のその声は疑い混じりのものから確信へと変わった。「絶対に桃香じゃないわよ、お母さん。絶対に違うわ」母は無表情でしきりに頷き、姉の言葉を繰り返した。「絶対に違うわ。あの子はとっても怖がりなんだから。普段少しでも暗くなったら出かけたくないとか言ってたし、そんな子が夜中12時に夜道を歩くわけなんかない。それに……」バーに行って羽目を外すなんて。わざと大げさに言って驚かせているとしか思えない。しかし鑑定結果は嘘をつかない。だから彼女たちのそんな幻想は結果が出るまでのものだ。そして結果が出た。この死体は私だ。まるでネズミのように度胸のない私だと確定した。ある日突然、このように普段と違うことが起こった。それにこの非日常によって……彼らは逃れることができなくなった。「お母さん、
でも、これは彼が知らないことだ。すぐに彼は知ることになるだろう。なぜなら、私を殺した犯人はというと。何人かの以前たくさん盗みを働いたごろつき達で、すでに警察に捕まり取り調べを受けている最中なのだ。彼らは自分達の犯行について、ありのままに白状した。母が彼らに会う要求をした後、父も真相が知りたいと急いでやってきた。彼らに会うと母は感情が大爆発した。エレガントな振る舞いに慣れた名家の貴婦人が、この時はまるで狂った魔女如く、彼らの血肉を引き裂いてしまいそうな気迫だった。「おまえらが私の娘を殺したのね!あんたらの命で償え!私の娘はまだ若かった。たった20歳だったのよ。おまえらどうしてこんな残忍なことを。どうしてあの子を無情にも……」集団レイプ。バラバラ殺人。これらの言葉を口に出すのはあまりに悲惨すぎて残酷だった。母は彼らに殴る蹴るの暴行を加え、失神してしまうほど泣き叫んだ。目の奥にある憎しみが彼らを呑み込み消してしまうほどだった。姉は母を止めようとしても全く止められなかった。父も同じだった。私の無残な死体を平静に見た後。彼は口先ではどうでもいいと言いながら。いつもは暴力に訴えないと決めている世間では世渡り上手な父が、硬く握り拳を作り、犯人に向かって振り下ろした。その拳の一つ一つが彼らを流血させるほどに重たかった。数人いた警察官も彼のことを止めに入っても止められなかった。檻の中に囚われた獣のように、叫び声を上げながら怒りをぶちまけていた。「てめえら、この貧乏人の極悪人野郎どもが!俺の娘を殺したのを後悔するほど、俺がてめえらの残りの人生を死んだほうがマシだと思うくらいひどいもんにしてやる!」犯人グループのリーダーは殴られて横を向き、血が混じった唾を吐き出した。しかし、彼は笑っていた。「なに発狂してるんだ?おまえらのカワイイ娘が自分で望んだことだぞ」そんな言葉が発せられた。そして、その場はしいんと静まり返った。父の怒りはその瞬間に止まった。母の泣き声も突然腰を折られたようにピタリと止まった。姉でさえも口ごもりながら声を出した。「あなた何を……言っているの?」「わざとそんなデタラメを言うのね!」母は呼吸を荒くして胸を激しく上下させていた。彼らを指差して今にも卒倒しそうだ。「私の
そして、私は。私も発狂していたようだ。両親は以前から他人のことばかりを聞いて、私の言葉には全然耳をかさずに信じなかった。それで私は怒りにまかせてはっきりと言い返した。「言ったでしょ、私はもう彼に対して分不相応な思いは持っていないって。あなた達が私のことを信じられないって言うなら、私は出て行く。この家から出ていけばいいでしょう?」学生時代からひそかに恋をしていて、もうすぐ結婚までできる人を諦めた。本当に難しいわ。だから私が諦めた後。もうこれ以上彼らの私に対する偏見には耐えられなかった。そして、私は寂しい後ろ姿を残して去っていった。その時、彼らのうち一人も気づいていなかった。ただ私は理屈では納得させられない手のつけようのない娘だとしか思っていなかった。今は?そんなに時間の経っていない記憶を掘り起こして、彼らは気がついた。おそらくあの一夜、一歩も引かず、強引に支配しようとしたせいだ。そのせいで私が死んだのだ。彼らは犯人が私を強姦して殺し、死体をバラバラにした極悪人だと思っていて、ヒステリックになり怒りの全てを彼らにぶちまけた。しかし実際は、私が死んだ全ての原因は彼らにあったのだ。私の一番親しいはずの家族。誰もこのような事実を受け入れることなどできない。父の話が終わった後、母はすぐにその可能性を否定しているようだった。警察が私の遺品を持って来て、彼らの自分さえも騙したい幻想を打ち消してしまった。鬱病の診断書。それは警察官が私の手持ちの鞄の中から見つけ出したものだった。彼らも私が夜中外に出て自殺をしようとしていたのだと判断した。ただちょうどごろつきに出会ってしまい、結局その自殺の結果をその犯人たちに背負わせることになったのだ。彼は私の家族全員に尋ねた。「死者は生前重い鬱病に悩まされていたと、ご家族はご存知でしたか?」彼らは驚いた。姉はすぐに目を閉じ、母は瞳孔を激しく動揺させていた。父は茫然として無表情だった。しかし、彼らは全員異口同音に首を横に振った。「いえ……知りませんでした……」「そんなはずある?桃香はあんなに明るかったのに……」「この子のことはよく分かっています。心の強い子なんですよ。あの、何かの間違いでは?」父と母は十数年間の私と彼らの交流を
私は死ぬ間際にも家族のことを想っていた。父と母はきっと私がこんなに彼らのことを愛していたとは思ってもみなかっただろう。しかし彼らは。私が死ぬ前に会った最後の一場面でも、私に対して凶悪な顔を見せていた。しかも私の死に、後押しまでしてくれた。彼らは目を閉じ見ていられないという様子だったが、遺書にはまだ続きがあることに気がついた。そうだ、まだ終わっていない。まだまだ何ページも何ページも続いている。私は自殺する前に思いつく限りの全てを小さなメッセージボックスの中に書き尽くしていた。画面いっぱいに書かれていたのは心遣いの言葉の他に、いい加減に生きてきた人生についてもあった。一言一句。一つ一つの言葉が深く心に傷をつけていった。私は小さい頃、幼稚園の時に初めてクラスメートにドブに落とされいじめられた。しかし、父と母は私の不注意だと責め、全くその経緯を尋ねなかった。彼らはキラキラしている姉だけに関心を持っていたからだ。小学校に上がると、内気だったせいで私はグループからいじめに遭ったが、父と母はやはり私のために味方や力にはなってくれなかった。やはり彼らは輝きを増した姉にさらに熱心になっていたからだ。そして中学校へ上がった時、私は初めて勇気を出して発表会に出た。父と母は私に見に来ると約束していた。私はステージ上で演技中に彼らを待ち続け演技を順調に進めず、みんなから嘲笑された。それでも彼らが来ることはなかった。後から知ったことだが、その日姉は県外の臨時試合に出ていたらしい。彼らはそっちに行ったのだ。臨時に出場することになったもので、嬉しくて私のことはすっかり忘れていたのだ。こんな状況になった時にどうするのか。どちらか一人が私のほうに来てくれればいい。もしくは。その愛の半分だけでも。私にちょうだい。だって彼らは始めから終わりまで、ずっと輝いている姉に関心を寄せているんだもの。このような些細な事は私が大人になる中で何度も何度もあった。もしくは、今までの些細なことなんて彼らは早々に忘れていたのかもしれない。記憶が掘り起こされた時、私のあの鮮明な感情が彼らの心の扉をノックした。あの不公平さは誰が見ても明らかだ。高校受験前に志望校を記入する時、おどおどしながら父に意見を求