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第2話

今でも思い出すだけで、思わず体が震え、歯が鳴るほどだ。

病室の外から急ぎ足の音が聞こえ、陸橋と深水が続けざまに入ってきた。

霧島晴も一緒だった。

彼女はベッドの足元に立ち、目を赤くしていた。

「城井さん、本当にごめんなさい。私が軽率でした。医療費は全て私が持ちますので、どうか怒りを収めて、恨まないでください」

誠実な口調で、か弱げな表情を浮かべる彼女は、あのクルーズ船で賭けを持ちかけた時とは別人のようだった。

頭の中が蜂の巣をつついたように騒がしく、脳の芯が鋭く痛んだ。

私は目を閉じ、この痛みに耐えた。

しかしそれは陸橋と深水の目には、霧島晴への恨みの表れと映ったようだ。

陸橋は病床の傍らに立ち、上から私を見下ろしていた。相変わらず冷静そのもの。

私が目の前で死にかけても、彼の心は一片の波紋すら立てない。

でも、昔の彼は、こんな人ではなかったはずなのに。

私が十歳の時、父は私を歓楽街に連れて行った。

父は私に赤いバラを持たせ、優しく囁いた。「杏、よく覚えておきなさい。このバラを受け取った人について行くんだ。分かったか?」

なぜだろうと考える前に、初めて見る父の優しい態度に戸惑っていた。

私が頷かず、黙ったままでいると、父は焦り始め、私の痩せた体を腕を掴んで揺さぶった。

その瞬間、私は我に返った。いつもの父の姿を見た気がした。

そうだ、父が優しいはずがない。酒と賭博に溺れ、私と母を殴るだけの人だった。

母は父に殴り殺され、私は足手まといだからと、売り飛ばされようとしていた。

私と同じように赤いバラを持たされた子たちを見たことがある。バラを受け取る人について行かないと、歓楽街に売られてしまうのだ。

大勢の人が通り過ぎていったが、誰も私のバラを受け取ろうとはしなかった。

父は焦り、怒り出した。「役立たずめ!足手まとい!」

「お前なんか、最初から壁に射っとけば良かったんだ、この出来損ない!」

父に引きずられ、あの地獄の門のような入り口に近づいた時、一人の少年が私のバラを受け取った。

少年は無表情のまま、後ろのボディーガードに父との話を任せた。

父は分厚い札束を受け取ると、腰を低く曲げ、へいへいしながら私たちを見送った。

少年は私を大きな屋敷に連れて行き、人をつけて勉強や礼儀作法を教えてくれた。

でも、その日以来、彼の姿を見ることはなかった。

それから三年が過ぎ、私はひょろひょろした豆もやしから、すらりとした少女に成長した頃、やっと彼に再会できた。

相変わらず無表情な彼だったが、私を見た時、その目に一瞬だけ光が宿った。

その日、私は彼の名が陸橋謹治だと知り、「お兄さん」と呼ぶように言われた。

それから十年。

ずっと彼の後ろを歩いてきた。

陸橋は私を育てた者として、一生守り、誰にも私を傷つけさせないと約束してくれた。

でも今、その約束は忘れ去られ、彼の庇護は別の女に向けられていた。

私が死にかけていた時でさえ、他人の味方をして。

「杏、晴は少し酔っ払って、はしゃぎすぎただけだ。恨まないでやってくれ」

相変わらず冷淡な態度で、薄い唇を軽く結び、感情の読めない目で私を見つめている。

喉が渇いて、言葉が出てこなかった。

彼は眉をしかめ、不満げな様子で、諦めたような口調で私の名を呼んだ。

「杏」

「子供じみた意地を張るのはやめろ」

そうか。私の苦しみは、彼の目には単なる駄々と映るのか。

指先を強く摘んでみる。痛い。でも体のどこかが痛めば、心の痛みは和らぐ。

これも陸橋に教えてもらったことだ。

口を開いて、意地を張っているわけじゃない、怒ってもいない、ただ彼との関係に終止符を打ちたいだけだと言いたかった。

でも喉を開くと、刃物で切られるような痛みが走り、声さえ出なかった。

深水は苛立ち始め、最初にあった僅かな後ろめたさも、今では完全に消え失せていた。

「城井杏、芝居にも程があるだろう。晴だって謝ったんだ。『大丈夫です』の一言も言えないのか?

自分をそんなに大切だと思ってるのか?ちょっとした冗談も通じないってか?」

陸橋に十何年も養われて、ろくなことは学べなかったようだな。その代わり、わがままだけは立派に身についたみたいだ」

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