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逃げた私を、兄たちは追いかけて
逃げた私を、兄たちは追いかけて
著者: 遥路 真実

第1話

ドン!

私は荒々しく、底なしの海へと投げ込まれた。

クルーズ船のデッキから歓声が上がる。周りの人々は興奮して拍手喝采を送っている。

海に投げ込まれた人間が生きて岸に辿り着けるかどうかなど、誰一人として気にかけている様子もない。

必死に手足をバタつかせ、「助けて!」と叫ぼうとした瞬間、塩辛い海水が口の中に流れ込んできた。

「た、助けて......!

お願い......誰か......!」

私の必死の叫びは、彼らの興を添えるだけの余興でしかなかった。

むしろ、それを面白がってパンやワインまで投げ込んでくる者までいる。

甲板の上の人々は腹を抱えて笑っていた。まるで海の中にいるのは一人の人間ではなく、ただの見世物のように。

次第に腕も脚も動かなくなり、足がつり始める。徐々に沈んでいく体。

朦朧とする意識の中、甲板に立つ二人の男の姿が目に入った。

一人は、私に新しい人生をくれた人。今、その人は無表情なまま、海の中で必死にもがく私を見下ろしている。

もう一人は、一生大切にすると約束してくれた人。なのに今、その人は別の女性を優しく抱きしめ、周りの人々と同じような表情を浮かべていた。

嘲笑、愚弄、そして冷たい興味。

彼の目には、私はただの玩具としか映っていないのだろう。

疲れた。心も、体も限界だった。

少しだけ、休ませて——。揺れる波は、幼い頃に母が私を寝かしつけてくれた時の温もりのようだ。私はゆっくりと目を閉じ、微かな笑みを浮かべた。

母の腕の中で安らかに横たわっているような気分。周りの嘲笑も、彼らの偽りの優しさも、もう何も気にしなくていい。ただ、静かに眠りにつけばいい。

でも、この安らぎは束の間のものだった。

耳元で交わされる小声の会話に、私は目を覚ました。

まぶたが震え、ゆっくりと目を開けると、真っ白な天井が広がっていた。

頭の中が真っ白で、何も思い出せない。自分が誰なのかさえ、分からない。

その時、周りの声が慌ただしくなった。

「患者さんが目を覚ましました。すぐに陸橋様と深水様にお知らせを」

「もう一度検査をして、追加の治療を行いましょう」

私はベッドに横たわったまま、医療スタッフの処置を受け入れた。

誰かが水を飲ませてくれた。カラカラに渇いた喉が潤され、頭の中も少しずつ冴えてきた。

思い出した。私は陸橋謹治の同伴として、霧島晴のクルーザーでの誕生日パーティーに出席していた。

気分が高揚していた霧島晴は、パーティーの主役として、陸橋謹治と深水望に賭けを持ちかけた。

賭けの対象は、彼女と私。負けた方の女性同伴者を、安全措置なしで海に五分間投げ込むという、命懸けの賭けだった。

生死は運次第——。

霧島晴はスリルを求めていたが、私は彼女の狂気に付き合うつもりはなかった。まして命を賭けるなど御免だった。

けれど陸橋謹治も深水望も、彼女の歪んだ願望を叶えるため、私を強引に押さえつけ、狂気じみた賭けを始めた。

ルールは単純。カードの大小を競い、三回戦で二勝した方が勝者となる。

私は陸橋に懇願するような目を向けた。少しでも分別があることを願って。でも彼は目も合わせず、ただカードを見つめているだけ。

深水の方を見ても、彼の目には霧島晴の姿しかなかった。

彼は私を嘲るように一瞥し、軽く笑って言った。「杏ちゃん、怖がらなくても。もしかしたら最後は陸橋が勝つかもしれないよ?」

そう、すでに二回戦が終わり、結果は一勝一敗の互角。

私は陸橋に望みを託した。この先の人生の全ての幸運を、この勝負に賭けてもいいと思った。

だが結果は......陸橋がカードを伏せ、降参を告げた。

周囲からは信じられないという声が上がり、私も目を見開いた。

いつも勝負に執着する陸橋が、生まれて初めて「負けを認める」と言ったのだ。

「ごめんね、杏ちゃん。この勝負、僕の勝ちだよ」深水は嘲るように笑った。

私の目から光が消え、全身の血の気が引いていく。

霧島晴は手を叩きながら、狐のような目を細めた。

「残念でしたね、城井さん。今夜は貴女が海に潜ることになりましたよ。

みなさん、真ん中を開けてください。特等席で観賞させていただきますから」

私はボディーガードに両脇を抱えられ、陸橋の前を通り過ぎる時、彼の服の裾にすがりついた。目には最後の望みを宿して。

「お兄さん......謹治お兄さん、私、泳げないの。助けて......」

陸橋は無表情なまま私を見下ろし、私の手の甲に自分の手を重ねた。

「杏、兄さんが負けたんだ。賭けは賭けだ」

真夏だというのに、私の体は震えが止まらなかった。

枯れ木のように硬直した私の体は、力任せにクルーズ船から投げ落とされた。

海面への衝撃で頭がクラクラし、こめかみに鋭い痛みが走る。

そして、一生の支えになると約束した二人は、冷ややかな目で、いや、むしろ興味深そうに私を見つめていた。

その瞬間、私は今までに感じたことのない絶望を味わった。

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