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第93話

初めてこの病院に来た私は道に不慣れで、病棟をぐるりと回ってからようやくトイレを見つけた。

ちょうどドアを開けようとした時、隣の喫煙室から話し声が聞こえた。彼らの声は決して小さくなく、私にはっきりと聞こえた。

「もう演技はやめるの?気持ちが揺らいだの?」それは松沢先輩の声だった。

「うん、もう我慢できない」

「まさか、あなたみたいな人がこんなことになるとはね…まあ、いいわ。美咲のこと、ちゃんと面倒見てあげてね。何か手伝えることがあれば、いつでも言って。恋人にはなれないけど、友達としてはそばにいさせてよね」

翔太兄は微笑んで立ち上がり、「もちろん、今回はいろいろとありがとう」と答えた。

松沢先輩は喫煙室から出てくると、トイレの前に立っていた私に気づき、もう一度振り返って翔太兄を見た後、意味深な笑みを残してそのまま去って行った。

松沢先輩と翔太兄が恋人になれないと聞いて、私が少し嬉しかった。

でも、彼らの言っていた「演技をやめる」とか「気持ちが揺らいだ」とか、どういう意味なのか全然わからなかった。もう少し早く来て、会話の最初の部分を聞いておけばよかったのにと、少し後悔した。

「トイレに行きたいの?どうぞ、僕はここで待っているから」

病室に戻ると、私は退院させてほしいと駄々をこねた。

翔太兄は私を連れて医者のところに行き相談したが、医者は私の病状は軽くないと告げ、喉も炎症を起こしているので、あと二日ほど様子を見て安定したら退院できると言った。

私は頬を膨らませ、不機嫌そうに病室に戻り、布団にくるまってふて腐れた。

この医者は本当にひどかった。やっと翔太兄が私に怒らなくなったというのに、美味しいものを食べに連れて行ってもらいたかったのに、これじゃあ機会がなくなっちゃった。

翔太兄はしばらく私をなだめてくれたけど、私は布団から頭を出しただけで、何も話さなかった。

翔太兄は私のわがままを許してくれて、一緒に座ってリンゴを剥いてくれた。

ふと、夏休みに崖から落ちて入院したときのことを思い出した。あの時もこんな晴れた日で、私は心の中であの人が見舞いに来てくれることを待ち望んでいた。友達や隣人としてでもいいから、少しでも私に気を使ってくれることを望んでいた。

その時、私は病室のベッドで目が覚めたら、拓海が日差しの中でリンゴを剥いてくれているのを見たかっ
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