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第3話

森川慎也は私が救急車で同じ病院に運ばれたことを覚えていた。

でも今、彼は桜井玲奈のために私を探しに来たのだ。

彼がちょうど桜井玲奈の病室を出たとき、遺体を乗せた担架が彼の目の前を通り過ぎた。

そう、私は知っていた。

白い布に覆われているけれど、その担架に載せられている遺体は私の体だ。

私の左手には結婚指輪が見えていた。それは八年前、森川慎也が私にプロポーズした時にくれたものだ。それ以来、私はそれを一度も外したことはなかった。

だから、私は、彼がこの指輪を覚えていたことを信じていた。

魂は彼のそばを漂いながら、私は何度も訴えた。「森川慎也、この担架の上にいるのは私だよ」

もし森川慎也が、たった一度の過ちで私と私たちの子供を死に追いやったと知ったら、彼は悲しみで崩れ落ちるのか、それとも何も感じずに無関心でいるのか。私はそれを知りたかった。

「すみません、通ります」

担架は森川慎也の前にやって来た。担架を押していたスタッフが彼に声をかけた。

それを聞いた森川慎也は眉をひそめ、私の手にちらっと目を向けた。

そして、彼は苛立ったように一歩後退した。担架はそのまま彼の前を通り過ぎていった。

彼は、最後まで私のことを気づかなかった。

八年という長い歳月を共にしたにもかかわらず、この瞬間の私はただの道化だった。

私の亡骸が静かに霊安室へと運ばれていった。その後、森川慎也は私が最後に息をしていた病室へと姿を現した。

「ここに運ばれてきた松下千代子はどこです?」病室に足を踏み入れた途端、彼は無造作に看護師に問いかけた。

看護師は彼に気づくと、戸惑いながら答えた。「あ、森川さん、松下千代子のことをご存じなのですか?実は松下千代子は重傷を負ってしまい、残念ながら亡くなられました」

「彼女のお父様も、あまりの悲しみで倒れてしまい、今はご家族と連絡を取る必要があります」

「もし、森川さんがのご友人であれば、お力をお貸しいただけないでしょうか」

森下慎也は、看護師の言葉に耳を貸すことなく怒りを露わにした。

「あの女は自分の芝居のために周りを巻き込んでる!どこまでふざければ気が済むんだ!」

「ただの二階からの転落だろう?玲奈は元気にしているじゃないか!」

案の定、森下慎也は看護師の話を信じようとしなかった。

桜井玲奈が無事でいられたのは、森下慎也が彼女に迅速な手術を施したおかげだった。

一方、私は重傷を負い、もはや助かる見込みはなかった。

険しい表情を浮かべた森下慎也に圧倒され、看護師は何も言わずに小さく首を振って部屋を去っていった。

森下慎也は私を見つけられず、仕方なく桜井玲奈の元へ戻っていった。

桜井玲奈は、私が死んでしまったかもしれないという話を聞きつけて、すぐに森下慎也に言った。

「ねえ、松下さんを見に行った方がいいです。万が一、本当に何かあったら困ります」

桜井玲奈が私を階段から強く突き落としたのに、彼女はまるで事実を逆さまにして語り始めた。

「きっと松下さんも、私を押そうなんて思ってなかったと思います。おそらく無意識にします」

「もし松下さんも階段から落ちていたら、きっと怪我をするはずです」

「何と言っても、松下さんは慎也森下さんの婚約者ですから、一度見に行くべきじゃないですか?」

そんな彼女に、森下慎也は優しい眼差しを向けて、うっとりとしたように答えた。

「玲奈、本当に君って優しいです」

でも、彼は優しい表情を一瞬で引き締め、鋭い目つきに変わった。

「僕は松下のこと、よく知っています。あいつはいつもお前に嫉妬しているし、僕と玲奈の関係を誤解します」

「先、玲奈を病院に連れて行こうとした時も、あいつはそれを止めようとします!あんなに酷い奴だから、絶対にわざと玲奈を突き飛ばします」

それを聞いた桜井玲奈は涙を堪えるような顔をして言った。

「大丈夫です、私は松下さんを責めてません。ただ、松下さんも怪我をしてないかと心配します」

「そんなのありえない!」森下慎也はきっぱりと言い切った。

「あいつはいつも同じ手を使っています。前にも病気でもないのに肺炎だって言って、僕をわざわざ海外から呼び戻そうとしたことがあります」

「彼女はいつも可哀想なふりをするのが得意です。僕が一番信じられない人間、それは桜井玲奈です」

私は口を開いたが、声はまったく出なかった。

私の体調は確かにずっと良くなかった。そのことは、森下慎也も知っていた。

でも、彼に心配をかけたくなくて、彼の仕事の成功に悪影響を及ぼしたくなかった。

だから、私はいつも一人で病院に行っていた。

時には体調が戻らず、どうしても弱々しく見える時もあった。

そんな私に対して、彼はいつも冗談めかして言った。

「また僕を引き留めて、傍にいてほしいですか」

私もそれに合わせて微笑んで答えた。

「そうです」

でも、私が無理に強がっている間に、桜井玲奈はたびたび彼に電話をかけた。彼女は体調が悪いと訴え、森下慎也を自分のもとに呼び寄せていた。

森下慎也は、そんな彼女の儚さにすっかり心を奪われてしまった。

そのことを知った時、私は心底怒りを覚えた。

彼女に直接会って、何を考えているのか問い詰めたかった。

でも、数言話すだけで、彼女は涙をぽろぽろと零し、まるで壊れた人形のように泣き続けた。

結局、私は何も聞き出せず、その場を後にするしかなかった。

その後、森下慎也は怒りに燃えながら私に詰め寄ってきた。

「どうして玲奈をそんな目に遭わせるんだ?彼女は体が弱いんだよ。子供の頃から見守ってきた兄のような存在として、病院に付き添うことの何がいけないんだ?」

彼はスマホを取り出し、私に写真を突きつけるように見せてきた。

「お前、なぜヒステリックになったのか?言葉で伝えられないのか?なぜ玲奈を殴るのか?」

私は驚愕しながら写真を見つめた。そこには桜井玲奈の顔にくっきりと浮かぶ手の跡があった。

でも、私は桜井玲奈を殴ることはなかった。

どれだけ弁明しても、森下慎也は私の言葉を信じようとはしなかった。

彼は私の鼻先に指を向け、冷たい目で私に言い放った。

「私達の問題は僕にぶつければいいよ。無関係な人を巻き込むんじゃない!」

どれほど言いたかったことか、初めから最後まで、私は一度も桜井玲奈を傷つけることなんてなかった、と。

だけど、あの無邪気に見えた彼女が、私に手を差し出した。まるで運命を弄ぶかのように、私を地獄へと突き落とした。
コメント (1)
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青山千春
森下が信じられないの玲奈でなく千代子ですよね
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