私の遺体が見つかったことで、当然撮影は続行できなくなった。お父さんは、美羽から誘われた食事も断り、久しぶりに自宅へと戻った。玄関のドアを開けると、中は真っ暗。そこには、かつてお父さんが帰ってくるのを待っていた私の姿も、もうなかった。「詩凜......家にいるのか?」お父さんは手探りで電気をつけ、空っぽの部屋の中で、私の名前を呼び続けていた。彼にしてみれば、自分が少しでも優しい顔を見せれば、私が必ずすり寄ってくると思っていたのだろう。実際、以前の私はその通りだった。愛されたいと願って、どうしても期待してしまっていたから。でも、もう何度呼んだって、私は返事をしない。お父さんはどこか諦めきれないような顔をして、再び名前を呼んだけれど、静まり返った空間には彼の声が虚しく響くだけだった。誰もいないはずの部屋の中で、私は彼の目の前に立っていた。だけど、もちろん彼には見えない。お父さんのそんな姿を見ていると、心が少しだけ痛んだ。私なんていなくてもいいんじゃなかったの?外で死んでくれたほうがいいって言ってたのに......どうして今さら、私を呼ぶの?お父さんは疲れた様子でソファに腰を下ろすと、眉間をもみほぐしてから、ふとスマホを取り出して画面を見た。お父さんが何を見ているのか、私には分かっている。この時間になると、私はいつもお父さんにメッセージを送っていた。今日あった出来事を長々と書き連ねて、最後に「お父さん、大好きだよ」って言葉で締めくくっていたから。でも、ここ数日、そんなメッセージは一度も届かなかった。通知欄には、いくつかのグループチャットのメッセージ以外、何もなかった。イライラしたようにお父さんはスマホを放り投げ、立ち上がるとそのまま私の部屋へと足を運んだ。お父さんは部屋の中をじっと見渡し、何か痕跡を探し出そうとするように、すみずみまで目を配っていた。私の部屋に入ったのはこれが初めてだ。彼は私にこの家を与えたあとも、ほとんど帰ってくることがなかったし、帰ってきても自分の書斎にこもりっきりで、私の部屋に踏み入れることなんて一度もなかった。まさか、私が死んでから初めて来るなんてね。数歩で私のデスクまで歩み寄ったお父さんは、机の上に置かれた数枚の紙に目を留めた。それは、私の診断書だった。お父さんはその紙を手に取ると、何
車のスピードは限界に近いくらいまで上がっていた。それでもお父さんは、さらにアクセルを踏み込んでいた。バックミラーに映る彼の目は赤く充血していて、そのまま猛スピードで走り続け、ようやく病院の前で車を止めた。私が診断を受けた、あの病院だ。お父さんが車を降りたとき、その足取りはよろけていて、受付にたどり着くと、私の診断書を握りしめながら必死に私の病状を尋ねていた。けれど、医師は冷静に告げた。「病院は患者のプライバシーを簡単に漏らせません」と。お父さんの表情が一気に崩れて、握りしめた診断書をさらにぎゅっと掴んだ。目を真っ赤にして、受付の医師を睨みつけると、ついに叫んでしまった。「この診断書は、私の娘のものだ!私は彼女の父親なんだ!どうして娘の病状が分からないなんてことがあるんだ、どうしてだ!」言葉を最後まで言い切る前に、声が震えて涙がこぼれていた。医師はその様子に驚き、急いで主任を呼びに行った。お父さんは主任の後に続いて、すぐに医師のオフィスに入ると、焦った様子で私のことを必死に伝えた。主任は眼鏡をかけ直し、診断書をじっくり読み返してから言った。「この子のことは覚えていますよ......診断が遅すぎたんです。もう少し早く来ていたら助けられたかもしれないのに。ただ、そのとき私は言いましたよ、痛みを和らげる薬ならありますから、治療を続けましょうって。でもその後、彼女は二度と病院には来ませんでした。その時の服装や持ち物を見る限り、家庭には少しはお金があるように見えましたが......どうして娘さんを治療に連れて来なかったんです?この病気はかなり辛いはずですから」その言葉は雷のようにお父さんを打ちのめし、彼は動けなくなってしまった。あの日、私が治療費を求めに彼のもとを訪ねたことを、お父さんは思い出していた。お父さんは顔を両手で覆って、消毒薬の匂いが充満する狭いオフィスで、泣き崩れた。息もまともにできないほどに、嗚咽がこみ上げていた。そのそばに座っている私の魂は、静かに彼を見つめていた。お父さんはようやく気づいた。私は嘘をついていたんじゃない。私のために速度オーバーで車を飛ばしてきて、今も私のために泣いている。彼はついに、私という存在を少しだけでも大切に思ってくれたのかもしれない。でも、遅すぎる。全てが、あまりにも遅すぎ
「彼女は本当に......そんなに優秀なんですか?」お父さんは視線を落とし、誰にもその目の奥の感情を読ませないまま、ぽつりとそう尋ねた。「もちろんですよ。何年も教えてきましたが、彼女のような生徒は滅多にいません。本当に立派な子ですよ」目頭が少し熱くなった。だけど、それはお父さんのためではなく、この先生のためだった。名前も知らない先生だけど、私のことを知ってくれていた。私が知らないところで、私を評価してくれる人がちゃんといた。私の人生は、思っていたほど惨めではなかったんだ。お父さんの手が、わずかに震えているのが見えた。そして、先生が「彼女は一週間の欠席届を出しており、ここ数日は学校に来ていない」と告げたとたん、お父さんの平静さが一気に崩れ去った。「学校にもいない、家にもいない......じゃあ、一体どこにいるっていうんだ!」お父さんは声を荒げ、焦りを隠しきれなくなっていた。その時、ポケットの中でスマホが鳴り響いた。慌ててスマホを取り出し、画面を確認する。見知らぬ番号が表示されているのを見て、お父さんは肩を落とした。「詩凜じゃないのか......」......そんなに、私からの電話が欲しいの?お父さんが電話に出ると、相手の男性の厳しい声が響いてきた。そして―『パシッ』お父さんの手からスマホが床に落ち、その衝撃で画面が粉々に砕けた。でも、そんなことを気にしている場合ではなかった。電話の相手はこう告げてきたのだ。「遺体の確認に来てください」と。冷凍された遺体安置所の中、誰もが神妙な面持ちで立ち尽くし、張り詰めた空気の中で呼吸すら控えめにしていた。お父さんは私の遺体の周りを何度も歩き、まだ信じられない様子でつぶやいていた。「そんな......そんなはずがあるか?こんなの、詩凜であるわけがない......」お父さんは急に思いついたように、顔を上げて言った。「分かったぞ......詩凜、お前、彼らと一緒に俺を騙してるんだろ?お前が学校に行かなかったことなんて、もう怒らないから。さあ、目を覚ましてくれ!今すぐ起きれば、お父さんは何も咎めない。こんな悪い冗談、もうやめにしよう。詩凜、お父さんを怒らせないでくれ」その様子を見ていた警官の一人が、重い口調で言った。「結果は嘘をつきません。これは間違いなくあなたの娘さん
「彼女は重力により肺が破裂し、血液が肺と気管に満たされて窒息死しました。検査結果では自殺と見られ、他殺の可能性は現在のところ......」その後の警察の言葉が、お父さんにはもう耳に入らなかった。だって、お父さんには分かっていたから。私が飛び降り自殺をしたのは、まぎれもなくお父さんのせいだったと。お父さんが私のことを気にもかけず、治療のチャンスを逃させた。信じようともせず、助けを求めた私を侮辱した。だから、娘を死なせた「犯人」は他でもなく、お父さん自身だった。私の病気は本当だった。お父さんにほめられたくて、必死に勉強したのも、病気を治すために助けを求めたのも、全部本当だった。でも、お父さんはただ母さんへの憎しみだけで私のすべてを拒絶し、どんな思いも届かなかった。お父さんは、急に肩を震わせて笑い出した。疲れ切った顔に、狂気のような笑みを浮かべて。誰もがその姿に声を失っていた。お父さんは、私の青白く血の気のない顔を見つめ、何度も視線をさまよわせていた。まるで、私が生前に感じた痛みを追体験しようとするかのように。医者は、お父さんに言っていた。「この病気はとても痛みが強いんです」と。痛がりの私が、どれだけの苦しみを味わい、どれだけ絶望して自ら命を絶ったか......お父さんには、想像もつかないだろう。だけど、私は分かっていた。どんな苦しみよりも、お父さんの無関心こそが私を傷つけたのだと。お父さんの目に涙が浮かび、床にひざまずくと、口からこぼれるように何度もつぶやき始めた。「全部......俺のせいだ......全部俺の......」その眼差しは空虚で、まるで魂が抜けてしまったかのように見えた。その日、警察署にいた人々はみな、テレビに何度も映るあの有名な俳優が、ひとりの遺体の前で取り乱して泣き叫ぶ姿を目撃した。最後にお父さんは、ぽろりと血を吐き、その場で倒れ込んだのだった。
お父さんが病院で目を覚ましたとき、彼のそばには美羽が付き添っていた。彼が目を開けると、美羽はすぐに水を持ってきて、お父さんに差し出した。だけど今のお父さんは、まるで錆びついたロボットのように、誰かに動かされるままのぎこちない反応しかできなかった。何かを思い出したのか、突然、こう言い出した。「詩凜は......詩凜を迎えに行かなくちゃ。そうだ、ここにいたらダメだ、今日は学校まで迎えに行くって約束してるんだ」それは、私が小学校一年生の頃のことだった。通学路で、私を連れて行ってくれるはずの家政婦と別れ、私が見かけたのは美羽を学校へ連れて行っていたお父さんだった。私は泣きながら走り寄って、お父さんの足にしがみついてこう言った。「パパ、私も一度でいいからパパに迎えに来てほしい」おそらく、涙で顔をくしゃくしゃにした私があまりにみじめに見えたからだろう。もしくは、美羽を遅刻させたくなかったのかもしれない。お父さんはそのとき「放課後、迎えに行く」と約束してくれた。父親から初めて受け取った温かくも力強い約束に、私は胸をときめかせて、放課後が来るのを心待ちにしていた。だけど、お父さんは来なかった。父親としての約束を、お父さんはすっかり忘れてしまったのだ。そして十数年経った今になって、ようやくそのことを思い出したなんて。お父さんがふらつく足で立ち上がろうとしたその時、美羽は少し慌てた様子で彼の腕を引き止めた。表情にはどこか焦りが見えた。生きている者が死者に勝つことはできない。美羽は分かっていた。もし私が生きていたら、おそらくお父さんが私を気にかけることはなかったかもしれない。でも、今私はもうこの世にいない。お父さんの罪悪感は増幅して、全てが美羽にとって不利に働くのだと。「月夜おじさま、あまりご自分を責めないでください。詩凜ちゃんのために、十分なことをしてあげましたよ。彼女の死なんて、誰も望んでなかったんです。でも......今となってはもう......それに、詩凜ちゃんがいなくなっても、月夜おじさまには私がいますから。私は小さい頃からずっと、月夜おじさまを本当のお父さまみたいに思ってきたんです。私は、おじさまの娘ですから」美羽の気持ちはいつも隠されていたけど、このときばかりは、その焦りが隠し切れていなかった。美羽が言い終わら
私が死んだのは、十八歳の誕生日の日。その日は、空はよく晴れてて、風も気持ちよく吹いてた。廃ビルの屋上までよじ登って、私は両腕を広げて、風の力を感じていた。微笑みが自然とこぼれて、心がやっと解放されたみたいだった。病気でずっと苦しんで、もうこれ以上耐えられないって思ってたから、死んで楽になれるならそれでいいって、やっと思えたんだ。熱い陽射しが目に飛び込んできて、ふいに涙がこぼれた。もう決めたのに、ここまで来て、少しだけ未練が残ってるなんて、我ながら笑っちゃう。お父さん、私が死んだら......ほんの少しは悲しんでくれるかな?自分で自分をからかうように、そっと笑ってみる。いや、きっと悲しまない。お父さんは私のことが嫌いでたまらないんだから、むしろ喜ぶんじゃないかな?そう思ったら、心が針で刺されるみたいにチクリと痛んで、私も迷いを振り払って、目の前に広がるビルの下の暗闇を見つめた。両手を大きく広げて、風に身をゆだねた。......ああ、自由だなあ。来世では、何の心配もない小鳥にでもなれたらいいのに。思った通りの痛みを感じた後、私は確かに死んだ......はずだった。でも、魂は消え去ることなく、どういうわけか、お父さんのそばに留まっていた。あれから三日が経ったけど、お父さんは私がいなくなったことすら知らない。ひと気のない廃ビルを選んだから当然かもしれない。でも、まさかその撮影場所があの廃ビルだったなんて。そう、お父さんとその仲間たちは、撮影中に私の遺体を発見したんだ。神様が最後にもう一度、私を見つけてもらうようにしてくれたのかな......なんて、どこかで期待してしまった。だけど、皆が私の無残な姿を見て、ざわめく中で、お父さんの冷哉は傍にいた美羽の手を取って、眉をしかめながら言ったのだ。「汚らしいな......お前は近づくなよ、縁起でもない」その瞬間、私の心が凍りついた。ほんの数メートル先に横たわる私を一瞥もせず、別の子の手を取り、「縁起でもない」だなんて。「お父さん、それ、私だよ!あなたの娘だよ!せめて最後くらい、顔を見てよ、お願いだから......!」空中に浮かぶ私は大声で叫んだ。涙が顔中を濡らす。でも、この世の誰にも私の声は届かない。
星月美羽は、周囲の人垣の隙間から私の遺体をのぞき込んで、ちょっとだけ残念そうな口調で言った。「可哀そう......」その場にいた人たちはみんな、「なんて優しい子だ」と美羽を称賛する。でも、彼女の清純でおとなしい顔の下にどれだけの卑劣で残酷な心が隠れているか、私だけは知ってる。もし彼女がいなかったら、私はここまで追い詰められなかったかもしれない。だけどもう、「もしも」なんてない。お父さんは彼女を選んで、私を捨てた。間接的に、私を追い詰めて殺したのは間違いなく二人なんだ。警察を呼んだ後、監督が心配そうな顔でつぶやく。「こんなことが起きてしまって、これで撮影スケジュールもずれこむなあ......それにしても可哀そうに......亡くなった子は顔が分からないけど、年も若そうだったし、惜しいことだ」するとお父さん、冷哉は後ろに数歩下がると、冷めきった目でため息をつき、こう言った。「今の子たちは、ちょっとメンタルが弱すぎる。すぐに自殺だなんだって......どうせそんな程度のことで死ぬんだ、放っておけ」......放っておけ?その言葉を聞いた瞬間、泣き笑いみたいな声が私からもれた。立っていることすらできなくなって、その場にしゃがみ込んで膝を抱え、心臓が誰かにぎゅうっと締め上げられるような痛みを感じた。もう死んだはずなのに、病気の痛みからも解放されたはずなのに......どうして心だけは、こんなにも苦しいんだろう。言葉の棘が病気よりもずっと鋭く突き刺さってくるみたいに、痛くてたまらない。美羽は隣で、いかにも可愛らしい笑顔を浮かべながら言う。「月夜おじさま、心配しないでください。私はあんなこと絶対しませんから......ただ、この子を見てると、詩凜ちゃんを思い出しちゃいますね。もう何日もお返事くれなくて、ちょっと心配なんです」こんなときですら、美羽はお父さんに私への不信感を吹き込むのを忘れない。お父さんは口元に冷たい笑みを浮かべ、あっさりと答える。「あいつはいつも我がままで、手のかかる奴なんだよ。お前も心配するな。お母さん譲りのろくでもない性格で......やれやれ、ほんとどうしようもない」母さんのことを話すとき、彼の冷笑はさらに深くなる。「だけど......女の子がひとりでふらついてるのも危ないですよね、何か
冷哉お父さんが私という娘を持ったのは、いわば「事故」みたいなものだった。あの頃、お父さんは月夜グループの跡取り息子として期待されてたけど、家業の継ぐのは嫌だって、突如としてエンタメ業界に飛び込んでいった。もともと目立つ人だから、どこに行っても成功を手にして、俳優としてすぐにスター街道を歩み始めた。一方、私の母さん......晴子は、無名のいわゆる「十八線」の下積み女優。二人が出会ったのはあるパーティーの夜。父は仕組まれた薬入りの酒を飲まされて、ふとしたきっかけで、母とそのまま一夜を共にすることになった。そしてその夜がきっかけで、私が生まれることになったんだ。でもお父さんは、母さんが計画的に自分をはめたと思い込んでいたらしい。業界の裏にあるドロドロした手段が嫌いだったお父さんは、それ以来、母さんのことも激しく嫌うようになってしまった。でも母さんにしてみたら、ただのパーティー参加でしかなかったのに......仕事の都合で仕方なく出席したのに、身の潔白を奪われただけでなく、しかも業界での立場まで奪われて、お父さんの手によって干されることに。結局、母さんは大好きな仕事を断念し、次第に打ちひしがれていった。そして、そのせいで妊娠にも気づくのが遅れてしまって、わかった頃にはお腹が大きくなってた。母さんは、結局私を諦められず産んでくれたけど、生活はますます困難になっていった。そのとき、母さんはお父さんに私の存在を知らせることにしたんだ。でもこの行動がさらにお父さんを苛立たせた。晴子こそが薬を盛って無理やり自分と関係を持ったんだと、お父さんは確信を強めてしまった。だからお父さんは、私を受け入れて最低限の生活は保障してくれたけど、心の底から私を娘と認めたことは一度もなかった。私の誕生が間違いだと思っているし、母さんを愛していなかったから、その延長で私のことも愛することはなかったんだ。でも、私が小さい頃は、お父さんが優しく抱きしめてくれたこともあった。もしかしたら、ほんの少し父親としての気持ちが芽生えたのかもしれない。けど、そのささやかな希望も、星月美羽の出現とともに消えてしまった。美羽は、亡くなったお父さんの親友の娘だった。お父さんはその子を引き取って育て、実の娘のように大切にしてきた。お父さんが私より美羽に愛情を注いでいること