和樹のほうは少しの緩みも見せなく、弁護士まで私のところに送り込んだ。彼は、全財産の半分と今私たちの住んでいる屋敷だけをくれることを承諾した。それ以外は、一歩も譲らなかった。私は頭を振って、その離婚協議書を弁護士の方に返した。「共有財産の何も持たずに家を出るか、地位も名誉も失うか、ご自由に選んでくれとあの人に伝えてください」話し合いが物別れに終わってから三日後、楢崎が訪ねてきた。彼女は、自分の恰幅をうまいことにアピールできた黒いドレス姿できた。どうやってここを知ったのかは分からないが、彼女が客人として来ている以上、私はここの主ではないけど、温かいお茶一杯でもてなしてあげた。行儀よくお世辞を交わした後、彼女は本題に入った。「和樹さんは文郁さんのせいで体調を崩しているの」それを聞いていると、私は目を伏して、手のひらに乗せていた湯呑みを強く握った。そして、私は頭をあげて彼女を見た。「和樹は体が弱いから、最近気温が下がってきたし、病気なのも無理がない」「財産の半分をあげても離婚してくれないとは、随分と欲張りだったこと」私は頷いた。「私があの人に三十五年間こき使われてきたその間、あなたはあの人に花や蝶やで、大事にしてもらっていた。多めに請求するのも妥当だと思うが、これは精神的苦痛に対する損害賠償だというのだ」楢崎は私の言い分で、怒りのあまりに笑ってしまった。彼女はバッグから、新しくできた離婚協議書を持ち出した。「これは私たちのできる最大限の譲りだ。文郁さんと離婚しても、和樹さんには生活がかかってるのよ」「ことがこうなってる以上、文郁さんと和樹が離婚しなと治らないから、もうこの辺にしましょう」私は新しいの離婚協議書をめくって、条款に目を通していた。元の条款のほか、養老のためのお金を増やしてくれた。私は躊躇しながら、楢崎のことを見つめた。このことは確かに大いに世間を騒がせいていた。私たちももう若くではないので、このことが長引いてしまったら三人仲良く笑い物になるだけだ。それに、私は和樹という人間の本性をよく知っている。楢崎が、彼のおねだりに耳を傾けていられるのもいまだけだ。私は目を伏して、離婚協議書の最後のページを指で指しながら言った。「ここで一つ加わって欲しいのだ。柏原隼人に、私の財産を継承する権利
私は栄子と朝一のフライトに乗って東京へ行った。浅草で雷門を仰いでいたら、涙がなんとなく頬の輪郭を沿って流れてきた。若い頃、和樹が一回東京に出張しに来たことがあった。あれは私が妊ったばかりの時のことだった。私は和樹に、浅草で雷門を見に連れて行ってくれと頼み込んだ。けど、彼は自分が仕事で来てるからと私を断ったのだ。後ほど、帰ってきた彼は自分が雷門の前で立ち姿で撮った写真を見せてくれた。その時は、私は羨望の気持ちを抱いて、子供を産んだら私は絶対一回雷門を見に行くと思った。子供が生まれてきて、私もあの家に囚われ、まるで疲れのしない独楽のように、生涯の大半を家に捧げた。息子が結婚したその年、私は再び雷門を見に行きたいと言った。でも、相変わらず誰も私の気持ちを気にしてくれなかったし、行かせたりもしなかった。今私は一人ぼっちで浅草に来て、観光客のなみに混じって、雷門を眺めていた。栄子は手をあげて私の涙を拭いてくれた。「もう泣くなって。これからはこの親友の私が、世界中あっちこっち一緒に回ってあげるから」「以前の文郁はお金に困ってて、いつも私の助けを頼りにしていたが、今の文郁は年を取ったのわりに、金持ちになってる。このような好機私は逃せたりはしないわよ」栄子を抱き締めていた私は子供のように泣いた。「うん......」東京をでた私たちは、伊豆高原に行くために、静岡行きのフライトに乗った。まるで水にでも洗ったような鮮やかな青さをしている空の下に立ち、私は花柄のスカーフを持ち上げて、カメラに向けて「チーズ」と叫んだ。栄子は私のことをダサいと言ったそば、自分でポーズをして、真似させてくれた。いつもと違う栄子を見て、私は肩が止まらなく震えるほど大笑いした。私たちは和樹がこの一生最も嫌いな鰻までも食べに行った。実際に食べてみると、鰻が全然不味くないことに気付いた。口の中では、ふっくら柔らかい食感だった。残念だったのは、私はもう年寄りなので、少ししか食べられなかったことだ。もし時間を十年前まで巻き戻したら、私はきっと二杯か三杯までいけたのだ。それから、私たちは共にメロンを食べに北海道に行き、湖を見に滋賀に行き、最後には京都の清水寺まで行った。本堂の前で、信心深く手を合わせていた私は、お天様に健康を祈った。私はま
病院で、ベッドで寝込んでいた和樹の息が荒かった。彼は憤怒で楢崎のことを指で指していた。「この悪女め、僕に手をかけるとは」「隼人から孫の面倒を見るのを頼まれたのいうに、百貨店まで連れて行ったのはともかく、麻雀までに連れて行ったとは。麻雀するだけでそんなに慌てる必要はどこにあった?孫を家まで送る暇も作れないのか!?」「文句を一つや二つ言っただけで、殴りかかってくるとは」「嫁にもらうのは、お前を神のように祭り上げるためじゃないぞ」「孫の世話くらいろくにできないうえ、僕を殴るなんて」「さっさと出ていくがいい。離婚しても、一円たりとも金は渡さないからよ」和樹の頬は怒りで真っ赤だった。顔中は爪痕だらけだった。私は目を伏して、楢崎の手を見た。新しいネイルのようで、かなり長かった。そして、ラインスローンまでつけた。楢崎は両腕を組んで、和樹に向けてにやついた。「一円たりとも金は渡さないだと?私たちは結婚してるのよ、婚姻届を出す前、和樹さんは自ら進んで私の名前を不動産証明書に他してくれたんだ。離婚するのなら、財産の半分を渡さないと」和樹はずっと白い目を楢崎に送り続けた。そして酸素マスクを握っていた彼は、彼女に向けて大声で叫んだ。「この恥じ知れず!僕の家庭を壊して、二十年近く僕の愛人でいておいて、今度成り上がったら、僕のことを大事にしないのだけではなく、手をかけるだなんて......」和樹は振り向いて、赤く染まった目で私を見た。「文郁、僕が悪かったのだ。僕たちはもう生涯の半分を共に歩んできた。僕の本性を一番よく分かったいるでしょう。これは全部楢崎のせいだ。僕には妻子持ちだって知りつつも......」私は冷たい目で和樹を見ていて、無性に虫唾が走った。「柏原和樹、それでも男か」「あの時、あなたは楢崎とのことを正当かにするためには、六十歳の誕生会で、私に大恥を欠かせた。あの時の私は無様だったのよ」「けど、楢崎と結婚して半年しか経っていない今、全ての汚名を彼女になすりつけようとした」「楢崎の片思いだったら、こんなことにはならなかったの。彼女宛のそのラブレターも、彼女に寄付した金も、彼女に強いられたからやったことか」和樹は私を見つめていて、口をなんとか開けた。「僕が悪かったから、許してくれないか」「孫もやはり文
隼人は悔しそうな顔で私を見て、泣いた。「母さん、私が悪かった。昔の私は母さんが家庭主婦だから、母さんのことを馬鹿にしてた。そのうえ、何も出来ない母さんがいることを恥っていた」「この半年間で初めて、母さんがこの家のためにどれだけ尽くしたか初めて知った」「母さんのいなかったその半年間、私と花緒は今までにないほど忙しかった。あの楢崎理央は全然親父のことを気にかけていないし、私たちのこともだ。八時や九時までに残業して、帰りが遅くなった時、親父のところで温かい飯でも食べに行こうとしたら、一人でインスタントラーメンで夕飯をなんとか誤魔化そうとした親父を見たの」「お母さんにまめに世話をしてもらってきたから、ずっと女ならそうであるべきだと思い込んでいたのだ」「母さんをひどく傷つけたのは私たち全員だ。いくら怒られても殴らようとも、孫を免じて親父と復縁してくれないか......」そう言いながら、隼人は六歳の孫の歩を私の前に押し付けてきた。私を見たら、歩は「わ」と泣き出して、私の懐に飛び込んできた。「ばあば、帰ってきて、ばあば」歩の泣き声を聞いていたら、私は悲しくなって、こぼしそうになった涙を我慢して、歩の頭を撫でてあげた。何かを言おうとしたら、栄子は私を側に引っ張って、自分の体で私のことを庇って、冷笑して隼人のことを見た。「あの時、君が何を言ったのかは、全部お母さんから聞いたから。確か、自分のお母さんは楢崎とは比べものにならないって言ったかの」「そんなにあの楢崎がいいのなら、文郁に助けなど求めないで頂戴」「君たちのために、半生を捧げた彼女は、容易にあなたたちに捨てられたのだ。彼女の価値に気付いた今、全員揃って後悔しても、もう遅いのだ」私を見つめていた栄子の顔は、怒りで真っ赤になっていた。「もし、再びあの家に戻る真似などしたら、私はお前と縁を切るから」私は少し力を入れて、栄子の手を握り返した。「安心して、いくら私でもそこまで馬鹿じゃない。私はただ歩のことが可哀想で、気の毒に思っただけよ」隼人を見て、私はため息をついた。「親というものとは、一体どうあるべきかを他の人を見習え。希望を全部他人に託すのは筋ではない」「今の展開になったのも、全部あなたたちの自業自得だ。お父さんと言ったら、隼人と言ったら、冷たい人間だ」
再び隼人から電話がかかってきたのは、一年後のことだった。電話で隼人は潤った声で話していた。「母さん、親父はもうダメかも。最後に、もう一度母さんに会いたいそうだ」和樹が病気だったことはよく知らなかった。ただ、楢崎が財産の大半を持ち去って、老後の生活がなんとなく出来るくらいの金しか残してくれなかったことなら、耳にしていた。会いにいかいつもりだった。自分を二十年も裏切った男に会うなんて、考えてだけで癪に障る。けど、電話の向こうの隼人が泣き止まなかったのだ。多分、和樹の死後何をどうするのかわからないだろう。楢崎と離婚した和樹は、あまり良いとは言えない暮らしをしていたのは聞いたことはあったが、本気で彼を見た時、私は確かに彼のだらしいない様子で驚きを覚えたのだ。ひどく痩せていた彼は、ガリガリな体でベッドに丸まった。背中には褥瘡だらけだったから、彼は横向きに寝転んでいた。けど、この姿勢だと、骨が当てえられて痛くなるそうで、彼は呻き声をこぼすことで痛みを解した。私はを見た瞬間、和樹の濁っていた眼は一瞬だけ光った。そして、彼は苦痛のあまりに泣き出した。「あなたに申し訳ないことをしたのだ。僕はずっと自分が洒落た生活が出来たのは、自分一人の動力のお陰だと思い違いをしたいたのだ」「病気にならない限り、自分の苦しみは人には分からないという言葉の意味を知ることは出来なかったのだ」「楢崎理央は人でなしだ。なんと長年僕を騙し続けてきたのだ」「僕は今の自分をピエロのように思う。僕は二十年もあの女に弄んできたのだ」「今の僕はようやく分かったの。この世界で一番僕のことを表くれるのは、文郁、あたなしかないってことを。けど、もう遅い」「私は自ら一度手に入れた幸せを壊したのだ」「名誉も、金も、家も無くした......」「僕と楢崎理央がああいう関係だったのを知った時、文郁、あなたは悲しかっただろう。僕のこと憎いと思うか......」彼の苦しんでいた様子を見て、私は些か不憫に思った。彼に私の顔を見られないように、そっぽ向いた私は冷たく返事した。「そうは当然だ」「私は文句の一つも溢さずに三十五年間、あたなの世話をしてきた」「やっとのことで、六十歳の誕生会でちょっとだけでも羽を伸ばして天に登れたような気分になれると思えば、あっとい
柏原和樹の視点文郁は目もくれずに、振り向かずに行ったのだ。彼女はもう戻らないことを、僕はちゃんと分かった。全部僕が悪にのだ。僕は理央に心を捕われたから、文郁の辛抱や捧げを疎かにしたのだ。昔、僕は文郁のことを学問のなく、いいようにされても平気な存在だと思っていた。だから、本心で彼女を尊重したことは一度もなかった。彼女が嫁にきた時、彼女の出身の村人全員が、運の良いことだと彼女を褒めた。運がいいから、都会で生まれ育たられた大学生の僕と結婚できたのだ。あの時、理央が急なことに結婚していなかったら、何がどうなっても文郁は決して、僕と結婚するなんていい話に恵まれることはなかった。僕がいなければ、彼女が都会のマンションに住めたはずがなかった。あの頃の暮らしは些か貧困だったが、彼女は一躍で都会の住人となり変わった。その後、僕は頑張って大学に教授になった。彼女もそのお陰で、教授夫人となった。彼女のことを買い被らない人なんていなかった。そもそも、彼女は僕が理央と結婚できなかったから、嫁に来たことが出来たのだ。宝くじに当たったようなもので、結婚して僕の性格悪さに当たられても、過酷に要求されても当然のことだろう。もう何年も耐えてきたというのに、どうして老婆になった今更、我慢し続けなかったの?文郁の六十歳の誕生会も、はなから本心で開いたあげたものではなかった。自分が僕の新たな妻になることを披露し、みんなの前で文郁に離婚を告げて欲しいと理央に言われたから、誕生会をやってあげたのよ。僕の想像では、彼女はきっと今まで通り弱虫でいてくれて、離婚することに頷き、財産を何も持たずに家を出てくれる。そしたら、私は理央と寄りを戻せる。けど、彼女が大暴れするのは予想外だった。六十歳の老婆が、なんと屋上に登って自殺しようとした。彼女がいつその手紙を探し出せたのか、僕は全く見当もつかなかった。ましてや、あんな派手な形でマスコミに投げたこと。昔の僕だったら、きっとやり返したが、世論に息ができなくなるまで追い詰めていた。大学のほうからも停職処分をもらい、自ら進んで退職届を出すと言われた。仕方なく私はプライドを捨て彼女に電話をした。彼女と話をして、ちゃんと自分の立場を弁えろと言ってやらないといけなかった。けど、まさかのことに、彼女のほうから
楢崎があまりの驚きで、悲鳴を上げたと思えば、もう気絶していた。和樹は気の抜けないほど小心翼翼な動作で楢崎を支え、腰をかがめて彼女を持ち上げようとしたが、自分はもう年で腰が持たないことに気付いた。彼は震えの止まらない手でスマホを持ち出して、救急車を呼ぼうとしたが、何度試しても119の三桁を入力することに失敗した。そうときたら、彼は慌てて息子を呼んで、車を出して楢崎を病院に運べと命じた。出発する前のほんの僅かの一瞬も逃さずに、怖い目つきで私を睨み、「悪女め」と私を罵った。客の数名は彼らと共にあわてて楢崎を運んで外に出た。残った客たちは、あれだこれだと私のことを指差した。「もう年だというのに、なんで気の強い女だったこと」「和樹は私の見守りで育ったようなもんだ。そりゃいい人じゃのう。こんな大勢の前で離婚だと言い出せたことは、ここ数年さぞ苦労したのに違いない」「そうなのよ。文郁さんは若い頃から、怒りやすい女子だったが、まさかいい歳して少しも控えめになってないなんて、情けないのう」私のことを叱責した三人の女たちのうち、一人は和樹のお祖母の妹で、一人は彼の叔母で、もう一人は彼の上の従兄弟の妻に当たる者だ。そのお祖母の妹は、私が和樹と結婚した年から、私のことを低く評価していたのだ。私が田舎出身で、和樹には相応しくない結婚相手だと言った。その叔母は更なる滑稽だった。力尽くしても、嫁ぎ先の姪っ子を和樹とくっつけようとした。私がその場にいたのにも関わらず、何度もその女を和樹の懐へと押し付けた。私はカッとなって、あいつらと大喧嘩した、その日以来、私は怒りやすくて、躾のない田舎者となった。あいつらは人に会うたびに、私の悪口ばっかりを言うのだけではなく、和樹が気の毒な生活を送っているのだと言いふらした。しかし、和樹と結婚していたこの三十五年間、私は何一つ柏原家の顔に泥を塗るようなことをしていなかった。それを引き換えに、あいつらは皆、夫に嫌われ、子供にも嫌がられる身で、安泰と言える日々をろくに送ってもいないのに、ここで私の生き方に口を挟むなんて、図太いものだ。私は一切の感情を目から拭き取り、袖をめくり上げ、険しい目つきであの三人を見つめた。「今日から、私はもう柏原家の嫁でなくなった。貴様らどっかで引っ込んでろ」急に怒られ
私は山道を沿って街のほうへと歩いた。雨が止んだのは、その道を半分歩いたところだった。そして急に、和樹から電話がかかってきた。私は寒さで全身が震えながら電話に出たら、和樹の怒り極まった声が耳に入り込んだ。「佐伯文郁、お前は人でなしだ。お前のせいで、理央は心臓発作を引き起こしてる」「彼女は今病院で、それはも衰弱でたまらない。彼女にもし何かがあったら、絶対許さないから」スマホを握っていた私の手は、ほんのりと震えていた。どんなに些細なことでも、楢崎のためなら、和樹は何にもかもを捨てられるのだ。一方で、たとえ私が彼の前で死んだとしても、寝たふりをしているのだと見なされるだろう......息子の隼人を産んだその年、うちは貧乏だから、ちゃんとした産褥期を過ごしていなかったため、私は低血糖値という病気にかかった。隼人が三歳だった時、厨房でご飯を作っていた私は、急に目の前が暗くなって厨房の中で倒れた。まな板の上に置いてあった包丁の位置が悪かったため、ちょうど私の額に当てたので、とんでもない傷口ができてしまったのだ。血が止まれなく流れていたので、驚かされた隼人はわんわんと泣き出した。私は精一杯でやっと起き上がり、電話機まで這って、和樹に電話をした。彼は業をにやした口調で私を叱った。「全く使えないへなちょこだ。どこまでもめんどくさいのだ、自分でなんとかして」と言われた。その後、和樹の同僚が口を滑らしたお陰で、私は事情を知れた。その日は、楢崎と彼女の旦那がみんなを食事に誘ったそうで、旦那と夫婦ラブラブにしていた楢崎を見て、溜まった不満ややけを晴らす術なく、彼はそれを全部私に当たったのだ。ここ数年、彼の心はずっと楢崎のところにあった。以前楢崎の旦那がまだいた頃には、彼は妄想だけを走らせていた。楢崎の旦那が死んで、隼人は思春期に入った少年となったのは、彼はちょうどキャリアの絶頂期にあった頃だったので、楢崎との関係を公にするのは不都合だったから、隠し通すしかなかった。今の彼はもうすぐ定年退職するし、息子ももう結婚して妻子持ちになってる。彼にとってもうなんの壁もないから、堂々と楢崎と一緒になれるだろう。けど、彼は一度たりとも、私の立場になって考えたことがなかった。彼は最初から、私のことを愛したことがないからだ。私と結婚