「下心あんのはてめえだろうが! ゲイかよ! こんなとこまで追っかけてきやがってどんだけ必死だああ?」
「俺はゲイじゃねえ! お前が性質悪そうだから様子見に来たんだよ!」
「自覚無しかよ馬鹿みたいに張り合ってきて鬱陶しい!」
ゲイじゃねえ!
ついこないだまで女もいたんだよ俺は! そう怒鳴り返そうとした時だ、パン!と破裂音のようなものが鳴る。 背後で慎さんが手を打ち鳴らしたのだと一瞬後に気が付いた。「こんなとこで怒鳴り合って、警察でも呼ばれたらどうするんですか二人とも」
腰に手を当てて睨みながらそう言うと、慎さんは俺の横をすり抜けていく。
は、なんで。 迫られて困ってたんじゃないのかよ。 どうして俺まで怒られるんだと納得がいかずにいると、慎さんが男に手を差し伸べて起き上がらせた。 尚更俺が悪い気がして、面白くないが慎さんに諭された手前黙るしかなく二人の会話に耳を傾ける。 またしつこく迫るようだったら、もう一度割り込んで引きはがす気満々だったのだが。「翔さんも。こんなとこで迫るから勘違いされるんですよ。早く自分の店に戻って仕事したらどうですか」
「使えそうな人間発掘してくるもの仕事のうちなんだよ」
「だったら他を当たってくださいってば」
思っていたような展開ではなく、首を傾げながら嫌な予感が頭を過る。
「できませんよ、僕にホストなんて」
続けて言った慎さんの言葉に確信した。
どうやら俺は、激しく勘違いをしてしまったらしい。「ああ、ほら。タクシー来ましたからさっさと乗ってくださいね」
慎さんが男の背中を押して大通りへと促す。
そこには、路側帯に停車したタクシーが見えた。 俺の存こうして近くに立つと身長差がよくわかる。 多分七十ちょいくらい。俺が九十超えてるから、あんまり背の低いやつは苦手だった。 そうそう、こんくらいがちょうどいいんだよ、とまた一歩近づいた。「陽介さん?」あんまちっさすぎるとさ。 小動物に覆いかぶさる捕獲網になった気がするっつーか。だからこんぐらいがちょうどいい。一歩遠ざかったから、一歩進めて距離を縮めた。 その行為になんら疑問も感じなかったのは、やっぱり結構酔ってたんだろう。後にして思えば。 頭もぼんやりしていたし、視界もなんだか白く靄がかかっていた気がする。その靄の中で、より白い肌と潜められた柳眉は色気があった。 上から改めて見下ろしていると、随分と細い肩だ。そういえば、指も細かった。「ちょっ……酔ってるんですか」戸惑う声も色っぽくて、横に逃げ出そうとするのをつい慎さんの後ろにある壁に手をついて塞いでしまった。ふわりと風が流れて、シャンプーの香りが鼻を掠める。ああ、やばい。 どストライクなんだよ、まじで。咎めるような視線に、胸が痛くなる。 翔子と別れたばっかりなのに、不謹慎だと思われたんだろうか。 いや、でもさ。 恋を忘れるには新しい恋を、とかいうだろ。 腕を曲げて更に距離を縮めると、綺麗な目が威嚇するように鋭さを増す。ああ、気の強いのとかもかなり好きだ。 悪いけどその表情、逆効果だ。「……いい加減、離れてください」っていうか、あれ?俺なんか大事なこと忘れてないか。 そう気づいた時には、考える間もなかった。
頭の天辺から強目のシャワーを浴びて、全身の泡を流して落とす。排水溝に消えていく泡を見ながら、ぼんやりと夕べの事を思い返していた。くそ。 変な夢を見たのは、絶対あいつのせいだあの酔っ払い。結局あのあとべらぼうに飲んだ挙げ句に、連れの浩平さんにも見捨てられ、最後は店で爆睡しやがったあの木偶の坊。壁際に追い詰められた時の、あの目を思い出すとぞくりと鳥肌が立つ。 悪い人じゃない、善人だとは思うのだが。あの身長は、卑怯だ。 僕が長身な方であっても身体を鍛えても、あんな上から見下ろされたら流石にすくんだ。鳩尾に拳を入れてやったものの、あの時の空気がまとわりついて夢の中にまで侵入され忌々しいことこの上ない。「……くそ」夢の中だけで、現実には何一つされていないというのに手首を掴まれた感触が生々しい。シャワーの中で手首を掴んで手のひらでこすり上げ、架空の感触を泡と一緒に洗い流して、カランを捻った。きゅっ、という少し油の切れた音がしてシャワーの音が止む。 脱衣所に出て、バスタオルで乱暴に頭を拭った。ぽたぽた、と前髪の先から雫が落ちる視界の中、洗面台の鏡に映る自分の姿を視た。痩せた肩、鎖骨の下と視線を下ろすと、そこには僅かな膨らみがある。 自分が弱い生き物であることの証だった。溜息をつくと、脱衣かごに用意した着替えの中のチューブトップに手を伸ばす。 大した膨らみでもないからこれで十分かと思っていたが。「……めんどくさ」今日は、さらしでも巻いた方がいいかもしれない。 しっかりと鍵をかけた扉を隔てて、店内でまだあの男が寝ているはずだから。身支度を整えて髪も乾かして、一部の隙も見せないつもりで扉を開いた。 その音と同時に、奥のテーブル席のソファからむくりと起き上がる影がある。「よく眠れました?」声
自分がゲイの男にどうにも好かれやすい見てくれなのは、自覚している。 そういった好意を感じる度に、適当にあしらう癖もついてしまった。だが、正面切ってこんなにはっきりと言われたのは初めてだ。 何より、抑々がおかしい。「何言ってんですか。貴方ゲイじゃないでしょう」そう、陽介さんはつい最近まで彼女がいたという話をしていたのだ。 だったら男に惚れるわけがないだろう。まさかの両刀使いという可能性もあるが、そんな風にも見えない。 この仕事をし始めてから、人間観察には鋭くなったつもりでいたが。「いや、男に惚れたのは俺も初めてで」びっくりです、と驚いた顔をしたけれど、悩む様子も欠片も見せないこの男に裏があるとも思えなかった。というか、少しは悩まないのか。 普通悩むだろう。「なんでそんな疑り深い顔するんですか」「は?」余程僕が訝しい顔をしていたのか、不思議そうに此方を見上げる男の目がまっすぐで、僕にはそのことの方が不思議だ。何でも何も、ないだろう。 満面笑みでその告白を受け入れるとでも思ったのか。だけど陽介さんは、僕の予想とは斜め上の方角を行く。「嫌そうな顔か気持ち悪そうな顔されると思ってたんで」そこは覚悟できてたんかい、と突っ込みそうになって踏みとどまる。 本気で突っ込んだら、調子に乗られてこっちが苛つきそうだ。「嫌に決まってるでしょう」突っ込む代わりに思いっきり顔を顰めてやったのに、どういうわけか全くへこたれた様子がない。「あ、やっぱり」「やっぱりって何が」「慎さんもゲイじゃないんだなあと」
流石に真剣に悩み始めた男の手が緩む。 その隙に振り払って、距離を取った。「少しは頭が冷えましたか」若干眉根を顰めて見えるのはきっと、脳内でおぞましい映像でも流れてるんだろう。 その様子を見ていると、さっきまでの苛立ちがすっと収まった。 かといって、代わりに溢れて来たのは好意的な感情でもなく、寧ろ逆で、軽蔑に近い。 自然と男を見る目が冷やかになる。 馬鹿なお調子者といった雰囲気ではあったが、嫌いなタイプではなかった。 だが、なんて浅慮で物を言う男だろう。「冷えたっつーか……男同士で諸に想像してしまうと」「だったら無理でしょう。軽いノリで言っていいことではないですよ」実際にそういった性癖の人間だっているというのに。 彼らが聞いていればきっと、「馬鹿にするな」と言いたいだろう。 溜息を落としながら壁に手をあて照明のスイッチを入れると、ぱぱっと点滅した後に白色灯が部屋を照らして、薄暗い部屋に慣れていた目が一瞬眩んだ。目を細めて、明るさに慣れるまで数秒かかった。 軽く瞼に力を入れて漸く視界がクリアになったころ、同じように目頭に皺を寄せている男の姿が目に入る。向こうも丁度、焦点が合ってきたところだったんだろう。 ぱちりと視線が絡まって、身構えたままなぜか言葉に詰まった一瞬。彼が、笑った。 それこそぱっと光が差したように嬉しそうで、思わずどきりと心臓が跳ねた。「……何をへらへらしてるんですか」動揺したせいだ。 ちょっと告白されたくらいで、変に意識してどうする、と説明のつかない鼓動を動揺のせいにした。余りにも陽介さんの言葉が直球過ぎるから、動揺させられるんだ。 ほんと、迷惑な男だと脳内で散々悪態をつく。「いや、すんません。確かに、軽率だったなあと……なんで訂正します」彼は随分あっさりと、さっきの言葉を改めた。ほら、見たことか。 案外我に返るのが早かったな、と安堵の溜息が漏れそうになったが。「抱きしめたい、は訂正します。近づきたいです。慎さんに」その言葉にぎゅっと顔を顰めて、溜息は飲みこんだ。「……何が違うんですか、それ」「キスとかセックスとか、そんなんはとりあえず置いといて。慎さんに近づくチャンスが欲しいなあと……だめっすか」「だから、何が違うんだって」「女とでも、別に最初っからセックスばっかり考えるわけじゃない
「は?!」「だってお前、今日道場行く日だろ。だったらこいつに掃除手伝ってもらえば早く済むだろ」何がそんなに不服なんだとでも言いたげな、不思議そうな表情で僕を見る。が、わからないのは僕の方だ。確かに今日は週に一度の道場通いの日だけど、別に掃除くらい頼まなくてもできるし時間がなければ佑さんがしてくれていいはずだ。今までずっとそうだったんだから。「やります。いいんすか、全然やりますよ俺」「いいって! 大丈夫だから!」「頼むわ。俺もっかい寝る」「うぃっす!」僕の言葉は丸無視で佑さんはごろんとソファに寝転んでしまい。ビシッと、挙手付きで返事をした陽介さんが、嬉しそうにこちらを向いた。耳と尻尾の幻影が見える。まるで大型犬に全力で懐かれている感覚で疲労感が半端ない。毒気を抜かれる、という単語が頭に浮かぶ。何か悪態をついてやろうかと口を開くのだが、もはや何を言えばいいのかわからなくてはくはくと唇が空ぶった。「何からしたらいいっすか。床掃き?」ぶんぶんと尻尾を振る大型犬がお座りで指示を待っている。再びソファに身体を沈めて、背もたれの影で見えなくなった佑さんに舌打ちを一つ鳴らして溜息をついた。「……そこ。小さい取っ手の付いてる倉庫に、掃除機が入ってるから」「うぃっす!」と軽い返事でキビキビと僕が指を差した方へと向き直る。壁に馴染んだデザインで目立たないよう配慮された倉庫の扉を開き、中からイソイソと掃除機を出す後ろ姿に追って言った。「椅子は全部上げて、隅まできっちりかけてくださいよ!」ガーガーと掃除機の音がする中で、僕は寝たふりをする佑さんのソファを軽く足で蹴った。「どういうつもり?」掃除機の音は僕達には会話の邪魔にはならない程度、だけど掃除機をかけている男には聞こえないだろう。「何が」「何がじゃないよ。あんなやつさっさと追い出してくれたらよかったのに」もう一つ、ソファの底を蹴ると佑さんはむくっと身体を起こしてくつくつと喉を鳴らした。「いやだってお前、面白いだろあの男」「ただの馬鹿なお調子者だよ、少しも面白くない」佑さんにとっては面白い他人事なのだろう。だったら他人事なのだから変な口出しも気回しもしないで欲しい。「まあまあ、いいだろ。向こうだってまずは近づきたいって言ってんだから誠実じゃねえか。ようはお友達からってこと
【高見陽介】よくよく考えたら、いきなり男からそんなセリフ言われたって気持ち悪いに決まってるよな。「俺、慎さんに惚れました」言っちゃってから、しまったと思ったのは確かだけど、言っちまったもんはもうしょうがない。 うん、しょうがない。 第一嘘は欠片もない。 俺よりずっと男前のこの人に、普通ならやっかみやら憧れやらを抱くのが本当なんだろうが、それもないことはないけれど。「何言ってんですか。貴方ゲイじゃないでしょう」白くて綺麗な陶磁器のような肌にちょっとだけでも触ってみたいし、胡散臭そうにこちらを見る、気の強そうな目もすげえ好きだ。 そう、接客中は只管営業スマイルで物腰は一見穏やかだけど、時々ちらりと攻撃的な色を滲ませる瞳が、見ていてなんか、うずうずする。 営業スマイルの防御壁の向こうに隠されたものが、知りたい。じろじろと上から下まで。 眉間に皺を寄せた顔で何度も往復する視線。 若干引き気味に、気持ち悪いというよりも不審なものを見るようだった。 俺だってほんと驚いたし昨日は悩んだ。 けど仕方ないだろ、なんでか感覚の全部が慎さんに向かっていて、さながら慎さん専用のアンテナのようだ。「いや、男に惚れたのは俺も初めてで」あんまり疑わしい目で見るので本当のことだと主張してみたが、なぜだか疑いが晴れた感じがしない。「なんでそんな疑り深い顔するんですか」「は?」気持ち悪いと言われるならわかるんだけど。 それよりも疑いの目の方が強いのはなんでだ。 わからないから素直に聞いてみただけなのに、まるで珍獣でも見るような目で見られた。 酷い。
セックス……セックス。男同士でどうやるかなど、知識として知っているのは使う場所くらいで実際に映像や生現場を見たことは勿論ない。いや生現場ってどういうことだよ。自分の脳内思考に自分自身で突っ込んでそちらに気が取られていたら、いつの間にか手が緩んでた。ここぞとばかりにぱしんと冷たく手を振り払われて、ちょっと悲しい。怒られた。目が怒ってる。「少しは頭が冷えましたか」「冷えたっつーか……男同士で諸に想像してしまうと」「だったら無理でしょう。軽いノリで言っていいことではないですよ」冷やかに諭されたことで、慎さんの怒りの発生源を知る。そうだ、現実にそういう性癖の人間はいる。彼らにしてもきっと、最初はそんな自分に戸惑い悩み、周囲との折り合いを付け乍ら過ごしているのだ。俺の考えなしの言葉は、彼らを馬鹿にしているようなものなのかもしれない。確かに浅慮だったなと少々反省もしたけれど、別に俺も軽いノリで言ったわけではない。ただ、それを主張し返すことよりも、嬉しかった。俺が好きだと思った人が、誰かを気遣う優しい人なんだということが。壁のスイッチを押す音がした。ぱぱっと白色灯が点滅して薄暗がりに慣れていた目が眩む。何度か目を閉じては開くを繰り返して明るさに慣れた頃、目の前の慎さんと目が合った。「何へらへらしてるんですか」「いや、すんません。確かに、軽率だったなあと……なんで訂正します」面食らったといった表現がまさに当てはまる慎さんの反応に、「嬉しくて」と言えば被虐趣味だと勘違いされそうなので止めといた。別に怒られた事実が嬉しいわけじゃねえし。そんなことよりも、もう一度きちんと口
目が覚めて慎さんの顔を見て、改めて好きだと気づいてからずっと俺はハイテンションで、考えてみればもうちょいやりようがあった。とか多少の反省もしつつ、一目ぼれなんだからしょうがねえ。ひとめぼれ……ふためぼれ?そんなわけで開き直った俺は、慎さんの冷たい仕打ちにも全くめげずご機嫌で掃除機をかけている。近づくチャンスが得られるなら、掃除でもなんでもしますとも。どうやら佑さんを味方に付けとくことが、慎さん攻略の最短距離だと思われる。少し古い、小型のその掃除機はがーがーとうるさくて、何やら慎さんと佑さんが話している気配はしても声までは届かなかった。いかにも迷惑そうにしながらも慎さんも遠慮がなく、掃除機の次は拭き掃除を命じられる。いえっさー。元々惰眠を貪るだけになる予定のつまらない土曜日だ。喜んでやらせてもらいます。拭き掃除なら音に邪魔されずに二人の会話にも混ざれるしな。と、思ったら。どうやら、昨夜の俺の恥ずかしい勘違いをネタにされていたらしい。佑さんが、腹を抱えてゲラゲラ笑った。「だって仕方ないじゃないっすか。浩平から慎さんにご執心のゲイの男がいるって聞いたからてっきり」さすがにちょっと拗ね乍ら、カウンターの隅を拭いていると、その内側で洗いあがったグラスを丁寧に磨いて棚に戻していた慎さんが眉根を寄せた。「あー、なるほどな」佑さんが納得したというように、しきりに頷く。ちなみに俺と慎さんを働かせておいて、この人はソファで煙草を吸っていた。「やっぱいるんですか、そういう奴」もしかしたら、昨日の男のしつこい勧誘が客の誰かにそう勘違いされたのか、とも思ったが。どうやら、そうではな
緊張で固くなった唇は、何度も重ねて舐めるたびに柔らかく熱を持った。抵抗しないのをいいことに、唇を貪ることに夢中になって、苦しそうな彼女の息遣いも扇情的なものにしか感じられなかった。「……ん、も……やめっ……」「もう少し……すんません」最初は片手で支えていただけだったのに、いつのまにか両手でがっちり彼女の首筋を捕まえていて、よくもまあ、あの慎さんが大人しくしていてくれたものだと、気付くのは後になってからだが。「……くるしっ……」「もう、ちょい」止まんないんだよ、仕方ない。声を遮るように角度を変えて深く口づけると、咄嗟に閉じようとした歯の間に舌をねじ込んで絡みつく。唾液にまみれて滑りのよくなった唇がこすれ合って、心地よさに恍惚とする。柔かくてあたたかくて、気持ちよい。舌を絡めることに慣れてない様子に、益々身体が熱くなった。無理だ。止めろって言われても、無理。ほんとに嫌なら、噛みつくなりなんなりしてくださ……。「いっ!!」突如、口の中でガリッという音がして同時に鉄のような味が広がり、陶酔しきっていた意識が現実に引き戻される。舌先に走った激痛に、慌てて彼女の唇と首筋を解放した。いってぇえええええ!噛まれた!おもっきし噛まれた!口を片手で押さえて前屈みになる。声も出せないくらいの痛みを地団駄を踏んで逃がしていると、息も絶え絶えといった様子の慎さんの声が聞こえた。「くっ、苦しいって、言ってるだろう、いいかげんにしろ!」見上げると、涙目で顔も真っ赤な慎さんが般若のような表情を浮かべて肩で息をしていた。やべえ。調子に乗りすぎた。「す、すんませ……気持ちよくてつい」「き、きもちよいって……」かああ、と一層赤く染めながら、慎さんが一度言葉に詰まる。照れてるのか恥ずかしがってるのか、でも間違いなく怒ってもいる。やばい、嫌われてたらどうしよう、と、散々貪っておきながら今更不安になってきた。「いくらなんでも、苦しい! 息継ぎくらいさせろ!」「い、息継ぎ?」そんなん……どうやったっけ?無意識にやってるから、あんまり考えたことがない。キスの最中のことを思い出しながら、ふと、気が付いたことを言ってみた。「……鼻、息止めてました? 合間に口でするのもありますけど……苦しかったら多分、鼻?」「鼻……」恐らく今、慎さんの中で
中途半端な位置で留まったままの拳と俺の顔とを、綺麗な榛色の瞳が行き来して、少し肩の力を抜いたのがわかった。スツールが極々小さな、「キィ」という音をさせる。慎さんが椅子ごと俺の方を向いたからだ。すぐ間近からまっすぐに見つめられて、ますます手と目のやり場に困ってしまう。見つめてくる目はやっぱりどこか不安げに揺れていて、そのくせ潤んで艶っぽく……思わず生唾を、飲みこんでしまった。やばい。もうちょい、いつもみたくガード固くしてくれないと、今の俺はホントにヤバイ。「ちょ……っと、」トイレ、と言ってその場を逃げ出そうとしたのに。「……なんで、止めたんですか」慎さんが俺の手を見ながら、呟いた。何を尋ねているのかは明白だった。「……すんません、その……ちょっと」「僕が、怖がったから?」「俺が悪いんす。ちょっとだけ、のつもりで……あ、頭! 頭、撫でようとしただけで!」いや、ほんとは。頬に手は向かってたけど、怒られそうな気がしてつい控えめに言ってしまった。「……」「……すんません」そんな、まっすぐ見つめられたら。些細な嘘だけど、なんかめっちゃ悪いことをした気になってしまうからほんとに止めて、ごめんなさい。これは、なんだ。拷問か、それとも試練か。俺の忍耐力の限界を誰かが測っているのだろうか。やっぱりトイレに逃げよう、と立ち上がろうとしたら。「……いいよ」と、慎さんの声がして、一瞬何がいいのかぴんと来なかった。「え……」「いいよ、触れば。……別に、陽介さんが怖かったわけじゃない」ぶっきら棒で、ちょっと早口なのは照れ隠しなのだとすぐにわかった。視線が斜め下に逃げて、眉間に皺を寄せてはいるものの頬は触れたら熱そうなくらいに赤い。触っていいよ、というよりも、触って欲しい、と表情はそう言ってるように見えるのは、俺が調子に乗ってるからか?「い、いいんすか、ほんとに」「嫌ならい」「触ります!」……触ります、って宣言はどうなんだ。と自分でも思いつつ、じゃあ……と右手をゆっくり髪に触れさせた。緩くウェーブのかかった髪は、思っていたより艶やかで、想像するよりずっと柔らかく指に絡む。……細。絹糸みたいな細い髪を、最初は手のひらで撫でる。慎さんは恥ずかしそうに目線は背けたままだけれど逃げる様子もなかったから……髪の中に指を差しいれ
「……あの?」「何か?」余りない、距離間だった。いや、慎さんを空手道場に送る時だとか、食事に連れ出す時だとか、俺から近寄っていくことはあっても、慎さんの方からここまで近づくことは余りない。ましてや、店内で。「いや……そうだ。佑さんは?」「今夜はもう帰ってもらいました。後片付けもそれほど残ってなかったし」「あ、そう……っすか」しかも、二人きり。何がどうしてこうなった、と理解ができないままに自然と鼓動は早くなる。男としては、大変美味しいシチュエーションだ。だからといって、簡単に手が出せる相手ではないのだが。スツール同士はあまり離れていないから、すぐ隣だと肩が触れそうなくらいに近くなる。手を伸ばせば触れられるくらいに、抱き寄せられるくらいに、近い。かといって全力で近づいてくるわけでもなくて……なんだろう。この感覚、どこかで覚えがあるぞと思いめぐらすと、すぐに思い当たった。実家で飼ってる猫だ。不愛想でこちらから構ってやろうとすれば、つんと澄まして見向きもしないくせに、たまにソファでテレビを見ているとそろっと近づいてきて隣に座る。それと、似ている。慎さんは例えるならシャム猫みたいで、実家の雑種猫とはずいぶんと雰囲気は違うけど。「あ。えっと、あの子なら、ちゃんと家まで送って来ましたから」「ああ、アカリちゃん。小さくて可愛らしい子ですね」「……送っただけで、何もないっすよ?」「そうですか」いつもと違う空気のわけを、思い当たる節から確かめようと敢えてアカリちゃんのことを口に出してみたが、手ごたえがない……ような、あるような。「……てっきり告白でもされたかと思いました」はは、と笑った顔が平静を装っているだけのようにも見えた。「……されました」「えっ」「俺は会うつもりないんすけど……ここに多分、ちょくちょく来ると思います」こんな雰囲気で、何か不安そうな慎さんに言いたくはなかったけれど、アカリちゃんが本当に来るなら話しておいた方がややこしくならない、気がした。俺が居ない間に来られてアカリちゃんの口から喋られるよりは、ずっといい。『だから―――また、会いたいな。あの店に行けば会えるよね?』最後に言われた言葉を思い出して、溜息を付く。アカリちゃんに毎度毎度来られたら、慎さんと話す機会が絶対に減る。ましてや、その度送れとか
―――――――――――――――――――――――――急いで駅まで走ったものの、やっぱり終電には間に合わなくて慌ててタクシー乗り場を探す。ところが、俺と同じように終電を逃した連中か、とっくに営業を終えてるバスの利用者かで長蛇の列となっていた。しかも見ていると回転率が悪い。中々タクシーが戻ってこないのだ。「……くそ」どうしようか。携帯から連絡しようかと思ったけれど、タクシーに乗るくらいなら家に帰れと言われそうで、結局止めた。この駅から店までは、線路上で言えば三駅分。でも、直線距離で結べば三駅もない……はず。走るか。いや、それならタクシー待つ方が早いか。悩んでいても答えはでないと、結局じっとしていられないのが性格ってやつで。店の方角を確かめながら、適当な道を選んで車も人通りも少ない暗がりを行く。走る必要もないのに走るのは、一分一秒でも早く会いたいからで。案外ヤキモチ妬きのあのひとを、不安にさせたくないからで。あ、いや。不安に思ってくれるならちょっとは嬉しいけど、不安にさせたいわけじゃない。応えてくれない人を好きで居続けるという恋愛を、今までしたことがなかったから、俺にとっては複雑で初めての心境だった。「くっそ、あつ……」半分くらい走ったところで、一度足を止めて呼吸を整える。バスケ現役で走っていた頃なら、もうちょい走ることができたのに。再び走り出してすぐ、流しのタクシーを捕まえることができて、それからは店まではものの数分だった。タクシーを店の前で降りると、ぶるりと寒さが身体に堪えた。散々走ったおかげでシャツが汗で濡れていて、今度はそれが逆に身体を冷やしている。当然だ、来週には十二月だ。慎さんに出会ったのは、まだ秋のはじめの頃だった。ふと、風の温度に季節の移り変わりを感じて、あれからまだ二か月ほどしか経っていないのだと気が付いた。随分長い間、この店に通っているような気がしていたけれど……それほどの回数、ここに訪れているということだろう。「……はあ」階段を降り切った踊り場、店の扉にかけられたプレートの「close」の文字に溜息をつく。今夜は最後の客が早く帰ってしまったのかもしれない。場合によっては、週末は特に明け方近くまで開けていることが多いのに、今夜に限って早々に閉めてしまったようだった。素っ気ないけど律儀な
「……何言ってるんですか。もう終電もなくなりますよ」「大丈夫です、走れば間に合うし。それに週末はあのオッサンまた来るかもしれないじゃないですか」「梶さんなら、最近は来ても別に僕に絡まないし、佑さんがお相手してるから特に困ってませんよ」呆れたと言わんばかりの顔で慎さんは言うけれど。確かに、近頃来店してもそれほどしつこく絡んでいる様子はないし、佑さんと話していることが多い。だが、それを認めてしまうともう番犬は必要ないから来なくていいと言われてしまいそうだ。っていうか、ちょっと……今。イヤなものを想像して、寒気が。「……あのオッサン、まさか佑さんに鞍替えっすか?」「は? いや、まさか……そんな」ぽかん、とした表情の慎さんと顔を見合わせる。恐らくは今、脳内で似たような絡みを想像しているのではないだろうか。次の瞬間、血の気が引いた青い顔色で思いっきり口と鼻を歪ませた。「……んなわけないでしょう。変なもの想像させないでください」「すんません……俺も鳥肌立った……」おえっ。オッサン二人の絡みなんか。当然美しいわけがない。当の佑さんは流し台で洗い物をしていて、こちらの話は全く聞こえていないようだが、もしも聞いていたら面白がって悪ふざけを考えたに違いない。「…っと、とにかく。戻ってきますから。閉店までには」「そんな、無理をしなくても」「無理じゃなくて、俺がそうしたいだけですから!」そうと決まれば、早く行かなければ。出来れば終電があるうちに戻って来たいところだ。急いで背を向けた一瞬、複雑な表情を浮かべながらもほんの少し、嬉しそうに見えたのは……希望的観測が過ぎるだろうか。三人の元に戻れば、まだ二回目だというのにまるで決まり事の如く俺がアカリちゃんを送る形で解散した。そこからの俺は気もそぞろで、電車の中でアカリちゃんと話はしたものの内容はさっぱり覚えていない。彼女の家の最寄り駅で降りてからも、つい早足になる歩調に気付いては、後ろを振り向いて慌てて緩める、の繰り返し。しまった。大した距離じゃないんだし、電車を降りたらすぐにタクシーに乗れば良かったのだ。一生懸命俺の後ろを着いてくる彼女に、罪悪感が沸いて少し気を落ち着かせようと深呼吸をする。「なんか、ごめんな」「ううん、こっちこそごめんね。またこんなとこまで送らせちゃって……」
浩平は、とにかく俺とアカリちゃんをどうにかしたいらしい。っつか、馬鹿め。この店に来た時点でそんな目論見は破綻している。慎さんがバーテンダーをしているこの店で、彼(彼女)以上に女を引き付けられるわけがないのだ。自分で言っててかなり虚しいが、俺の好きな人は俺なんか足元にも及ばないくらい女にもモテモテなのだから仕方ない。「ヤバイ、あのひとなに?! モデルとかじゃないの?!」「めちゃくちゃ綺麗だったね、男の人にしとくの勿体ない……」慎さんがカウンターの方へと下がっても、視線で後を追うように身体ごと振り向かせ、ほう、とピンクの溜息をつく。彼女たちの前には、慎さんが作った色合いの可愛らしいカクテルが並んでいる。赤い液体に、ミントの葉と白いパウダー状のものが雪みたいに散っているイチゴマティーニと、薄いピンク色のピンキーサワーはどうやらマンゴーらしい。『お二人のアクセサリーの色に合わせてみたんです。こういう楽しみ方もいいでしょう?』そう言って微笑んだ慎さんは、確かに誰よりもかっこよく麗しい、バーテンダーだった。「……馬鹿だろ浩平。ここに来たらこうなるに決まってんだろ」「いや、確かにちょっとは思ったけど……なんかあのひと、今日は特に接客気合入ってねえ?」そうだろうか?いつだって慎さんは女の人にはめちゃくちゃ優しいし、飛び切りの王子様スマイルだけど。「あああ、どうしよう。本気で暫く通っちゃおうかな」「やめとけやめとけ。お前なんか相手にされるわけないだろ」「うっさいわね、そんなのわかんないじゃないの!」浩平とミキちゃんが、喧嘩腰の軽口を叩き合う。大学時代から、これが二人の雰囲気らしい。付き合っている、というわけではないそうだが。「男だって見た目は大事よ! アカリもそう思うよねー」「あはは。そうねえ……すごく綺麗だから、目の保養にはなりそうだけど、緊張しそう」「そう?」「うん、私はもうちょっと、身近な感じの人の方がいいかな」そう言って、アカリちゃんがちらりとこちらを見て視線が合った。同意して欲しいのだろうか。確かに、慎さんが綺麗な人だということには何の異論もないが。「話してみると、結構面白い人だよ。人間味あるし」緊張する、という言葉が、なんとなく「自分たちとは違う人」と一線を引いたものに聞こえて、ついそんなことを言ってしまった。
別に、ほんのちょっと妬いてくれたくらいでそれがイコール「好き」という感情に直結するとは思ってない。だけど、そのほんのちょっとの嫉妬と同じくらいに、希望があるって思っていいんだよな?胸の奥が苦しいくらいにきゅんきゅんと鳴っている。この人は、良くも悪くも俺の心拍数を上げてくれるから、そこんとこをもうちょっと自覚してほしい。すみませんでした、と小さく頭を下げた彼女に首を傾げると、少しもじもじとしながらもう一度謝罪の言葉が聞こえた。「……陽介さんの気持ちを、疑ったことです。すみませんでした」「ま、慎さん……!」と、またしてもカウンターを乗り越えたい衝動に襲われて、カウンターに阻まれる。いらないだろ。邪魔でしかないだろカウンター。しかし、遮られてなかったら本気で抱き着いて殴られてたに違いない。「受け入れたわけじゃないですよ! し、信じただけですから!」俺の気持ちを信じると言ってくれた。それだけで十分だった。俺はすっかり舞い上がって、その後俺の居ないところで、浩平と慎さんが話をしていたなんて、随分後になるまで全く知らなかった。―――――――――――――――――――――あれから、半月程。今夜のbarプレジスは賑やかだ。カウンターが俺の特等席だが、今は一番奥のテーブル席にいる。なぜなら今夜は、ものすごく不本意ながら……一人ではないからだ。「こんな素敵なバーがあるなんて、浩平ったら全然教えてくれなくて」「本当、こんなお洒落なバー、初めて来ました……なんかそわそわしちゃう」浩平の大学の頃の女友達、ミキちゃんと、その隣で、ほんのり頬を染めて小さな身体をさらに縮こませてモジモジしているアカリちゃん。そして俺の隣で若干白けた表情の浩平の四人という、俺としては何とも複雑な面子での来店だった。「ありがとうございます。ここは女性のお客様も良くいらっしゃいますよ。気楽に楽しんでくださいね」こんな状況にも拘らず、慎さんは今日も変わらず妖艶な微笑を浮かべ、ピンと伸びた綺麗な姿勢で立っている。ミキちゃんとアカリちゃんは、すっかり慎さんの王子様スマイルの虜のようで、ハートがキラキラ飛び散ってる幻影まで見えそうだ。慎さんがオーダーを聞こうとしているのに、何かと脱線してさっきから無駄話しかしていない。それでも、慎さんは嫌な顔一つ見せないのだから……やっぱ
どくどくどくと早鐘を打つ鼓動に焦燥感も煽られる。「アカリちゃんって子が明らかに陽介狙いだったんで、送ってやれって二人きりにさせてみたんすけどね」「だから俺は」焦って説明しようとする俺の言葉に被せるようにして、慎さんが言った。「恥ずかしがることないじゃないですか。陽介さんにも春が来たんですね」「……」ぷつん。と何かが切れた音が頭の中でした気がする。目の前には、慎さんがいれてくれたシャンディガフ。薄黄色の透明な液体で埋められたグラスの中、きらきらと小さな粒のような泡がくるくる昇るのを見乍ら、苛立ちを抑えようとしたけれど。我慢できずに、グラスを掴みひと息に飲み干した。冷えた液体が身体の中心を通ったけれど、頭は冷えてくれなかった。春が来た、って何。俺はずっと春だけど。慎さんと出会ってから、頭ン中ずっと春爛漫だけど?!なんで今更他の女と春を迎えなきゃならないんだ。好きだって言ったのに、なんで信じてくれてないんだ。だん!と勢いよくグラスを置いた衝撃で、会話を続けていた二人の声がぴたりと止まった。「陽介さん?」「俺は!」椅子から立ち上がり張り上げた声に、慎さんが目を見張る。今漸く、ずっと逸らされたままだった視線が合った。「俺は、慎さんが好きだって言いました!」信じてもらえない苛立ちそのまま言葉をぶつけてしまったけど、それでいいやと抑止は全く働かない。驚いた慎さんの手から、ダスターがぽとりと落ちた。「ちょっ、陽介さん……」「拒否されててもわかってはくれてるものと思ってました! もっと口に出した方がいいっすか、もっと態度で示さないとわからないですか」「ちょ、ちょっ……馬鹿かお前!」「どうせ俺は馬鹿ですよ!」嘘つきだとか節操無しだとか思われるより、馬鹿の方がなんぼかましだ。完全に頭に血が上った俺に、慎さんが動揺したのか目線がちらちらと他所を向く。なんだよ、俺に集中しろよ!子供染みた独占欲みたいなものが沸いてでて。その視線の先に、慎さんの動揺の理由に気付いた。「浩平ならもう知ってます。俺、言ったから」「は?」ぽかん、と口が開いたままおかしなものでも見つけたような、表情だった。「ば……馬鹿じゃないか、本当に」「なんとでも。男も女も関係なく、慎さんが好きです。何回でも言いますし誰に知られても、俺はいいです」そう
【高見陽介】「上手くいくといいですね、その彼女と」浩平が、何やら誤解を招きそうな言い回しをしやがると思っていたら、案の定。しっかり誤解はされたけれど、慎さんは怒っている風でもなく、俺一人が必死になって言い訳して。挙げ句、笑顔で言われたその台詞は結構な打撃だった。咄嗟に、言葉が続かないくらい。店があるから、と身を翻したその時も彼女はいつものごとくそれはそれは綺麗な笑顔で、俺の静止にも止まってくれなかった。「浩平、お前ぇぇ!!」誤解された。それよりも、全く平気な顔をされたことのがショックなんだから、浩平に当たるのは筋違いなのかもしれないが。「お前、なんで余計なことばっか言うんだよ!」「なんだよ、昨日アカリちゃんとどうなったか聞きたかっただけだろ」「なんともなるわけねぇだろ、くそ!」後を追いかけなくては。わかっちゃいるが、さすがに凹んでしまってすぐには立ち直れず、その場にしゃがんで頭を抱えた。さっきまでは、すげー幸せ気分だったのに。この落差に頭が追い付くのに時間がかかった。「お前さあ。全然脈なんかなさそうじゃんか」「……うっせぇ」「ってか、相手が男ってとこでまず無理だろ。お前本気であの人相手に恋愛出来る気でいんの」浩平の言い分は尤もだった。言い返せる材料がない。いや、あるとするなら慎さんが本当は、女だっていうことだ。言ってしまえば浩平だって反対しないだろうし、誰にだって堂々と話せるのに。「……恋愛してるよ、俺は!」当然、秘密を言うわけにはいかなくて、しゃがんだままぐしゃっと髪を掻きむしる。違う、そうじゃない。今だって、堂々と出来る、俺は。別にあのひとが男だって女だって関係なく好きだった。今までだって堂々と、迷惑はかけたくないから営業中はアカラサマな態度は避けていたけど。慎さんが好きだって、態度には出してたつもりだった。だけどその全部が、余りにも綺麗に何もなかった出来事のように処理されてしまった気がする。伝わらなかった?そういえば、「好き」だと言葉にしたのは最初の一度きりかもしれない。足りなかっただろうか。だから、浩平の言い回しをそのまま全部鵜呑みにして、俺とアカリちゃんが昨夜どうにかなったように信じたのだろうか。平気な顔をされたのもショックだが、気持ちが伝わってなかったことの方がショックだった。