セックス……セックス。
男同士でどうやるかなど、知識として知っているのは使う場所くらいで実際に映像や生現場を見たことは勿論ない。いや生現場ってどういうことだよ。自分の脳内思考に自分自身で突っ込んでそちらに気が取られていたら、いつの間にか手が緩んでた。ここぞとばかりにぱしんと冷たく手を振り払われて、ちょっと悲しい。怒られた。目が怒ってる。「少しは頭が冷えましたか」
「冷えたっつーか……男同士で諸に想像してしまうと」
「だったら無理でしょう。軽いノリで言っていいことではないですよ」
冷やかに諭されたことで、慎さんの怒りの発生源を知る。
そうだ、現実にそういう性癖の人間はいる。彼らにしてもきっと、最初はそんな自分に戸惑い悩み、周囲との折り合いを付け乍ら過ごしているのだ。俺の考えなしの言葉は、彼らを馬鹿にしているようなものなのかもしれない。確かに浅慮だったなと少々反省もしたけれど、別に俺も軽いノリで言ったわけではない。
ただ、それを主張し返すことよりも、嬉しかった。俺が好きだと思った人が、誰かを気遣う優しい人なんだということが。壁のスイッチを押す音がした。ぱぱっと白色灯が点滅して薄暗がりに慣れていた目が眩む。何度か目を閉じては開くを繰り返して明るさに慣れた頃、目の前の慎さんと目が合った。「何へらへらしてるんですか」
「いや、すんません。確かに、軽率だったなあと……なんで訂正します」
面食らったといった表現がまさに当てはまる慎さんの反応に、「嬉しくて」と言えば被虐趣味だと勘違いされそうなので止めといた。
別に怒られた事実が嬉しいわけじゃねえし。そんなことよりも、もう一度きちんと口
目が覚めて慎さんの顔を見て、改めて好きだと気づいてからずっと俺はハイテンションで、考えてみればもうちょいやりようがあった。とか多少の反省もしつつ、一目ぼれなんだからしょうがねえ。ひとめぼれ……ふためぼれ?そんなわけで開き直った俺は、慎さんの冷たい仕打ちにも全くめげずご機嫌で掃除機をかけている。近づくチャンスが得られるなら、掃除でもなんでもしますとも。どうやら佑さんを味方に付けとくことが、慎さん攻略の最短距離だと思われる。少し古い、小型のその掃除機はがーがーとうるさくて、何やら慎さんと佑さんが話している気配はしても声までは届かなかった。いかにも迷惑そうにしながらも慎さんも遠慮がなく、掃除機の次は拭き掃除を命じられる。いえっさー。元々惰眠を貪るだけになる予定のつまらない土曜日だ。喜んでやらせてもらいます。拭き掃除なら音に邪魔されずに二人の会話にも混ざれるしな。と、思ったら。どうやら、昨夜の俺の恥ずかしい勘違いをネタにされていたらしい。佑さんが、腹を抱えてゲラゲラ笑った。「だって仕方ないじゃないっすか。浩平から慎さんにご執心のゲイの男がいるって聞いたからてっきり」さすがにちょっと拗ね乍ら、カウンターの隅を拭いていると、その内側で洗いあがったグラスを丁寧に磨いて棚に戻していた慎さんが眉根を寄せた。「あー、なるほどな」佑さんが納得したというように、しきりに頷く。ちなみに俺と慎さんを働かせておいて、この人はソファで煙草を吸っていた。「やっぱいるんですか、そういう奴」もしかしたら、昨日の男のしつこい勧誘が客の誰かにそう勘違いされたのか、とも思ったが。どうやら、そうではな
「ほら、そこ。隅までしっかり拭いてくださいよ」小姑と化した慎さんの虐めにも俺はくじけてはいけない。 くじけないけどちゃんとやってるアピールはしとこう。「拭いてますよちゃんと!」「角! まあるく拭いてもダメなんですって」あ。 「まあるく」とかそういう言い方かわええな。 思わず頬が緩んだのを見て、慎さんがちょっと頬を赤らめた。「丸く拭かないで隅まで拭いてくださいって言ってるんです!」いやいや。 そんな赤い顔で怒ってもちっとも怖くないから。 恥ずかしがり屋の一面を見つけて、にまにまとほくそ笑む。 そのやり取りを黙って見ていた佑さんが煙草の煙を吐き出しながら言った。「陽介さ。お前、週末とか結構暇?」掃除の指令を受けた辺りからいつのまにか呼び捨てにされている。 どうやら佑さんにとって俺の存在は客からパシリに変更になったらしい。「そんなん、その時の予定によりますよ」なのでちょっとだけ見栄を張ってみた。 翔子と別れたおかげで本当は、予定が入る気配は暫くない。 精々浩平と飲みに行くのが関の山だ。 しかも行先は絶対ココだろう。「へえ、そうか。じゃあ今日明日は?」「いや、今週はなんも」「来週」「……来週も、とくに」「再来週」「も……なんも」「暇なんだな」「はい、暇っす」慎さんが、ふっと鼻でせせら笑うのが見えた。 嘘の吐けない俺のバカ。「お前、番犬やれよ。そのおっさんが来るのが大抵、木曜以降から
【神崎慎】店を出て石畳の通りを端まで歩くと、近くの駅から電車に乗る。夏の暑さも通り過ぎ過ごしやすい気候に加え、今年は晴天の爽やかな日和が続いていた。この男さえいなければ爽やかな散歩であったのに、結局ずっと後ろに張り付いたままでとうとう切符売場まで着いてきた。「どこまでついてくるんですか」「えっ、どこまで行くんですか」券売機に小銭を入れながら背後に向かって問いかけると、そう尋ね返された。質問に質問で返すな。「僕は行く宛がありますので、貴方はどうぞお帰りください。店の掃除、ありがとうございました」背中を向けたままそう言って、出てきた切符を手に改札へ向かう。彼も切符を買わなければ行けないだろうからその隙に行ってしまえと思ったのに、そのまま離れることなく着いて来た。かしゃん、と音をさせて改札を抜けるとすぐに振り向いた。どうするつもりだと思ったら、彼はパスケースを翳してさっさと僕に続いて改札を抜けてくる。僕の非難の目に気がついて、申し訳なさそうに眉尻を下げた。「あ、俺はチャージしてあるんで」くそ、ここで撒けると思ったのに。そういうICカードがあるのは当然知ってるけども、僕には余り馴染みがない。週に1度電車に乗るくらいだから、今まで考えたことがなかった。「だから、着いてこないでくださいって!」「いや、だって佑さんにも頼まれてるし」「ほんっと真に受けすぎですよ!」ホームまでの階段を早足で駆け上がっても、彼は難なく着いてくる。当然だ、コンパスの長さが全然違う。ホームに上がると丁度電車が入ってくるところだった。これだけ冷たくしても追ってくるのだから、どうせ最後までついてくるのだろう。いっそ後ろは気にしないで、只管いつもの先頭車両の二つ目の扉に向かう。冷静なつもりだったのに、やはり少し頭に血が上っていたみたいだ。この時間の電車は案外人が多くて、停車して扉が開くと同時に結構な人数が降りてくる。それを良く知っているはずなのに、おそらく真後ろにいるだろう男の気配にばかり気を取られて失念していた。「うわっ」降りてくる人を確認もせずに乗り込もうとして、急ぎ足で降りて来た男性と危うく衝突しそうになった。寸でのところで免れたのは、腕を取られて後ろに身体を引っ張られたからだ。とん、と背中に少し硬い感触が当たる。「結構、人多いっすね、こ
「佑さんと慎さんって……どういう関係なんっすか」「は?」複雑そうな顔してる割には聞き方がストレートだ。 いや、聞き方がっていうか、その表情も合わさって何が聞きたいのか察することができてしまう。 何考えてんだ。 ぞわっと鳥肌が立ち怒鳴ってやりたいのを、懸命に声を抑えた。「何って……義理の兄だけど。元」「元?」「姉の元旦那。頼むからどろどろいかがわしい昼ドラみたいな妄想に僕を巻き込むなよ」 こんな話をしたら、それこそ僕と佑さんがどうにかなって姉と別れただとか思われそうだ。 だから余り人には話さないのだが、それこそ今まさに勘違いしてそうな男にはきちんと話しておかねばなるまい。「別れた今の方が仲良くしてるみたいだし、いい関係のようですよ。僕はただあの店で働かせてもらってるだけ。姉も知ってますしね」ぽかん、と口を開けた顔は、恐らく僕の答えが思っていたものと違ったからなのだろう。 耳が垂れてしょぼくれた犬を彷彿とさせる表情で、それが存外可愛らしくて思わず噴き出した。「僕はそういう趣味はないって言ったでしょう。一体何を言われてそういう発想になったんですか」僕が出かける準備を済ませて店に戻った時、何やら二人で話しを済ませたような雰囲気があった。 その時は特に気にも留めていなかったが、もしかすればその時何かを言われていたのかもしれない。 佑さんのことだから、面白がって陽介さんをからかったに決まってるけど、余計なことまで話していないか、急に心配になった。「何をっていうか……佑さんがやけに慎さんのこと心配してて」「心配?」「そう。番犬をするにあたり注意事項をこんこんと。まずはお触り禁止令と……」「さっき触ったじゃないですか」「そういうお触りじゃなくって……」
僕がそう言うと、彼はきょとんとした顔をした。まるで、僕の言った意味がわからないようだった。「なんでですか?」「いや、なんでって。普通、気分悪いでしょう」「俺としては、慎さんをもっと知るのに都合がいいし。あんなに心配性の佑さんが番犬に任命するくらいには、信用されてるのかと思って」「……」嬉しそうに破顔する、その邪気の無さに返す言葉が見つからない。がたんごとん、と電車が揺れる。降車駅が近づいて、車掌のアナウンスが流れた。「ここです。降りますよ」とん、と腕を叩いて一緒に降りるように促すと、やはり彼は嬉しそうだった。駅を降りると、目的地はすぐ近くだ。こじんまりとしたビルの二階のフロアを貸し切っていて、下から眺めると窓に空手道場の看板が掲げてあるのが見える。「え、慎さん空手なんかやるんすか」「まあ、ちょっとだけ。護身術程度に。昔っからこんな形ですから色々とありまして」「かっけえ……ってか、空手やってんなら番犬なんて必要ないんじゃ」言いながら、陽介さんがなぜかするすると自分の鳩尾辺りを撫でていた。「そうですね。辞めますか?」にや、と口角を上げて笑うとぶるぶると顔を横に振った。「辞めませんよ、絶対」ふん、と意気込んで鼻息を鳴らした彼に、ほんの少しほっとしたのはなぜなのか自分でもよくわからない。「それじゃ、ここまでついてきてくださってありがとうございました」ビルの入り口手前で、深々と頭を下げた。この中まで、着いて来られるわけにはいかないのだ。「えっ? 待ちますよ俺。ってか見学してみたいなって」「見学禁止です、すみません。それに貴方、着替えた方がいいんじゃないですか。昨日のままでしょう」指摘すると、彼は俯いて少しよれたワイシャツの襟元を指で引っ張って匂いを嗅ぐような仕草をする。「終わるまで一時間以上かかりますし、お待たせするのも悪いですから」「あっ、ちょっ」「上がって来たら怒りますよ!」まだ何か言いたげな陽介さんを置き去りにして、階段を駆け上がる。踊り場で一度立ち止まり、後ろの様子を暫くうかがってみたけれど、追ってくるような様子はなくてほっと溜息を落とした。念のためそこで、数分浪費する。ここから先はどうしたって、見つかるわけにはいかない。それにしても、佑さんがあれほど陽介さんに注意事項を言い聞かせてまで、番犬などと
フロア奥にある、カーテンで遮られているだけの更衣室でロッカーを開けると、手にしていたトートバッグの中から白い道着を取り出した。 ボタンを外してシャツを脱ぐと、骨張った細い肩が露わになる。 ロッカーの内側にある小さなミラーに、鎖骨や肩の骨が映ってその華奢さに溜息が落ちた。「……もう少し、肉をつけたらがっしりして見えるかな」肉がついたら、ここもデカくなったりするんだろうか、と胸元を覗き込んだ。 朝起きた時は陽介さんのこともありさらしを巻いていたけれど、どうも息苦しくて結局またチューブトップ一枚で隠してある。 もともと、豊な方ではない。 どちらかというとささやかだ、かなり。 まあ、デカければ隠すのに苦労するわけだから、小さくて良かったと思うべきなのだろうけれど。家族以外の場所でここは唯一『女』として居られる場所で、ここではほんの少し、楽に呼吸ができる。 だが、外では男として働いているなんてことは当然先生も他の生徒も知らない。 男のような格好は、僕の単なる趣味だと皆思っている。 決して僕は、男になりたいわけではなかった。 ただ、自分が『女』であることが怖い。 チューブトップを着たまま道着を羽織り、ぎゅっと前を合わせて両手で握りこむ。”あんくらい勢いあるやつなら、お前もぶっ壊れるかな、と思って”今朝の佑さんの言葉が、頭を過る。 僕は、必死で守り続けているというのに。 佑さんは、壊したい、と言う。「他人事だと、思って」ぼそりと悪態をつくと、下唇を噛みしめた。――――――――――――――稽古を終えて、女性陣は暫くの間雑談しながらのんびりと着替え
【高見陽介】※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※◎番犬の心得1.お触り禁止 2.必要以上の接近は禁止注:どちらも下心がある場合に限る(つまりエロ目的で触るな近寄るな)3.怖がらせない4.傷つけない仲良くなりたいなら、3,4項目は特に必須事項である。◎番犬の役目木曜以降、週末は出来る限り店に顔を出す。特に閉店後の時間帯は要注意人物の出没に細心の注意を払うべし。⇒要注意人物梶 孝弘 (35)独身、ゲイであることは本人から確認済み百貨店のバイヤーらしい。買付の為世界各地を飛び回っている、らしい。金は持っている。らしい。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※……と、箇条書きにしてみた。慎さんが出かける用意をしに部屋に戻った時、佑さんが俺に出した注意事項は、仮にも男である慎さんに関することにしては随分と過保護な内容だった。まあ、それも全部、梶っておっさんがいるからなんだろうけど。「半年くらい前からかな、梶さんっていう客が慎目当てに来るようになったのは」「慎さん目当てってのは、確かなんすか」「見りゃわかる。お前も近々会えると思うけどな」何をどう見りゃわかるんだと首を捻ったが、佑さんがそう言うなら余程わかりやすいオーラかなんかが出てるんだろうか。と、とりあえずそれは男に会った時に確かめてみるとして、話の続きを黙って聞くことにした。「よく見るんだよ、営業時間以外にも店の周りうろついててさ」「は? それってストーカー行為なんじゃ」「わからん。家が近いから前の道はよく通るんだと本人は言ってる。その時も話しかけたら普通に会話に応じるから、ただの思い過ごしだといいんだけどな」その時の佑さんの表情は、真剣だった。この店の周辺でその男を見かける頻度がかなり高くなっている、そのことを慎さんは知らないらしい。俺はそれなら身を守るためにも知らせるべきなんじゃないかと思うのだが、そこで出てくるのが、3と4の項目だ。怖がらせない。傷つけない。「あいつ。ああ見えて蚤の心臓なんだよ。そんなこと知ったら店に閉じ籠っちまう、今だって精々週に一度出かけるだけなのに」その時は『そういうもんか』となんとなく聞き流していたが、よくよく考えれば違和感が拭えない。傷つけない、とは。現実的に身体につく傷のこと
佑さんの過保護も俺が慎さんに対して感じてしまう守護対象的なものと同じなのだとしたら……佑さんと慎さんの関係って何なんだ?違和感から滲んだその疑惑は、義理の兄弟だとさらりと言いのけた慎さんによって半分は晴れた。慎さんは少なくとも、そう思っているらしい。佑さんは、どうだかわかんねぇな。だが「昼ドラみたいな如何わしい妄想に僕を巻き込むな」と慎さんに釘を刺されたことだし、それ以上は考えないことにした。佑さんが慎さんを案じていることに嘘はなかったと思うし、ならば俺がどうこう言えることでもないのだ。そんなことよりも、今は。佑さんにもくれぐれも頼むと言われたミッションをこなさなければならない。一緒に飯食って、店までちゃんと連れ帰る。それだけだが、慎さんは確かに細い。昼飯も殆ど手を付けていなかった。これはなんとしても、何か食べさせないと。道場で稽古した後ならば、少しは腹も減るだろうし。洋食が好きなのか和食が好きなのか、好き嫌いはあるのか、とか。知らないことが多すぎて、これから知ることが楽しみだった。見学すらさせてもらえなかった空手だったが、何度も御伴すればその内見せてもらえるだろうか。無理にくっついて行って嫌われても意味ないし、と周辺を散策して店を探すことにしたが。「……あ。そういや、携帯も聞いてねぇや」聞いたら、教えてくれるんだろうか。なんか店の名刺とか渡されそうだよな、店の番号だけ書いたやつ。なんとか言い包めて、番号くらいは聞き出したいところだ。慎さんにはダメ出し拒否を食らってばかりなのに、何故だか心は浮足立っていた。ビル周辺では、慎さんの好みもわからないので結局大した店も見つけられず、和食洋食どちらでもいけるよう
【神崎慎】「ほんと、何か変っすよ」陽介さんが、心配そうに僕に向かって手を伸ばす。その手に過剰反応して、思わずびくんと身体が跳ねた。「すみません、つい」驚いて手を引っ込めた陽介さんは、それでも尚、僕の心配をしてくれているのはひしひしと伝わってくる。確かに、僕は今、おかしい。原因の大半は、陽介さんが店に戻ってくるまでの間、佑さんと二人の時に起きた出来事にある。陽介さんたちが店を出てから、暫くして他のお客も居なくなり、普段より早めに店じまいをすることになった。有線で流れていた音楽を止めると、佑さんが何かにやにやと唇を歪ませながら僕を見た。「お前さ、なんか間違ってねえ?」「は? なにが」「気になって仕方ないからって、何女の方を悩殺しようとしてんだよ」くつくつと可笑しそうに肩を揺らす。佑さんに指摘されたことは十分に身に覚えがあって、僕はいっそわかりやすいくらいに狼狽えた。「そ……そんなことない。いつも通りだ」「まあ、お前にしかできない妨害かもしんないけどさー、妨害にしちゃ消極的だ。どうせやるなら結婚詐欺くらいの勢いで落としにかかんねえと」「別にそんなんじゃないってしつこいな!」確かにいつもより若干、女の子が喜びそうな接客をしたかもしれないが。それは、アカリちゃんが僕から見ても可愛らしかったからで。僕は、元々可愛い女の子を見るのは好きだし、ほら、言わばマリちゃんに対して見せるのと同じような。と、脳内で勝手に慌てて誰に対してかわからない言い訳を並べ立てていた。だけど本当は自覚している。合コンという名目で、浩平さんが陽介さんにあてがおうとしているアカリちゃんを見た時、僕は軽くないショックを受けた。陽介さんの隣に並んで店に入って来たのは、小柄で華奢で、清楚な長い黒髪をハーフアップにした、可愛らしい女の子だった。僕とは全く、正反対の。男というのは、一般的にああいう子が好みだろうなと見ていて思った。だけど陽介さんは、僕を好きだと言う。信じてくれと、真摯な言葉で訴えてくれたことを忘れたわけじゃない。その言葉に、僕はまだ一度も応えていないというのに、ショックを受けた自分も嫌だ。独占欲ばかり一人前に成長して、僕は一体何がしたいんだろう。テーブル席とカウンターテーブルをダスターで綺麗に拭いて、カウンターに戻ってくると、流し台に汚れた
緊張で固くなった唇は、何度も重ねて舐めるたびに柔らかく熱を持った。抵抗しないのをいいことに、唇を貪ることに夢中になって、苦しそうな彼女の息遣いも扇情的なものにしか感じられなかった。「……ん、も……やめっ……」「もう少し……すんません」最初は片手で支えていただけだったのに、いつのまにか両手でがっちり彼女の首筋を捕まえていて、よくもまあ、あの慎さんが大人しくしていてくれたものだと、気付くのは後になってからだが。「……くるしっ……」「もう、ちょい」止まんないんだよ、仕方ない。声を遮るように角度を変えて深く口づけると、咄嗟に閉じようとした歯の間に舌をねじ込んで絡みつく。唾液にまみれて滑りのよくなった唇がこすれ合って、心地よさに恍惚とする。柔かくてあたたかくて、気持ちよい。舌を絡めることに慣れてない様子に、益々身体が熱くなった。無理だ。止めろって言われても、無理。ほんとに嫌なら、噛みつくなりなんなりしてくださ……。「いっ!!」突如、口の中でガリッという音がして同時に鉄のような味が広がり、陶酔しきっていた意識が現実に引き戻される。舌先に走った激痛に、慌てて彼女の唇と首筋を解放した。いってぇえええええ!噛まれた!おもっきし噛まれた!口を片手で押さえて前屈みになる。声も出せないくらいの痛みを地団駄を踏んで逃がしていると、息も絶え絶えといった様子の慎さんの声が聞こえた。「くっ、苦しいって、言ってるだろう、いいかげんにしろ!」見上げると、涙目で顔も真っ赤な慎さんが般若のような表情を浮かべて肩で息をしていた。やべえ。調子に乗りすぎた。「す、すんませ……気持ちよくてつい」「き、きもちよいって……」かああ、と一層赤く染めながら、慎さんが一度言葉に詰まる。照れてるのか恥ずかしがってるのか、でも間違いなく怒ってもいる。やばい、嫌われてたらどうしよう、と、散々貪っておきながら今更不安になってきた。「いくらなんでも、苦しい! 息継ぎくらいさせろ!」「い、息継ぎ?」そんなん……どうやったっけ?無意識にやってるから、あんまり考えたことがない。キスの最中のことを思い出しながら、ふと、気が付いたことを言ってみた。「……鼻、息止めてました? 合間に口でするのもありますけど……苦しかったら多分、鼻?」「鼻……」恐らく今、慎さんの中で
中途半端な位置で留まったままの拳と俺の顔とを、綺麗な榛色の瞳が行き来して、少し肩の力を抜いたのがわかった。スツールが極々小さな、「キィ」という音をさせる。慎さんが椅子ごと俺の方を向いたからだ。すぐ間近からまっすぐに見つめられて、ますます手と目のやり場に困ってしまう。見つめてくる目はやっぱりどこか不安げに揺れていて、そのくせ潤んで艶っぽく……思わず生唾を、飲みこんでしまった。やばい。もうちょい、いつもみたくガード固くしてくれないと、今の俺はホントにヤバイ。「ちょ……っと、」トイレ、と言ってその場を逃げ出そうとしたのに。「……なんで、止めたんですか」慎さんが俺の手を見ながら、呟いた。何を尋ねているのかは明白だった。「……すんません、その……ちょっと」「僕が、怖がったから?」「俺が悪いんす。ちょっとだけ、のつもりで……あ、頭! 頭、撫でようとしただけで!」いや、ほんとは。頬に手は向かってたけど、怒られそうな気がしてつい控えめに言ってしまった。「……」「……すんません」そんな、まっすぐ見つめられたら。些細な嘘だけど、なんかめっちゃ悪いことをした気になってしまうからほんとに止めて、ごめんなさい。これは、なんだ。拷問か、それとも試練か。俺の忍耐力の限界を誰かが測っているのだろうか。やっぱりトイレに逃げよう、と立ち上がろうとしたら。「……いいよ」と、慎さんの声がして、一瞬何がいいのかぴんと来なかった。「え……」「いいよ、触れば。……別に、陽介さんが怖かったわけじゃない」ぶっきら棒で、ちょっと早口なのは照れ隠しなのだとすぐにわかった。視線が斜め下に逃げて、眉間に皺を寄せてはいるものの頬は触れたら熱そうなくらいに赤い。触っていいよ、というよりも、触って欲しい、と表情はそう言ってるように見えるのは、俺が調子に乗ってるからか?「い、いいんすか、ほんとに」「嫌ならい」「触ります!」……触ります、って宣言はどうなんだ。と自分でも思いつつ、じゃあ……と右手をゆっくり髪に触れさせた。緩くウェーブのかかった髪は、思っていたより艶やかで、想像するよりずっと柔らかく指に絡む。……細。絹糸みたいな細い髪を、最初は手のひらで撫でる。慎さんは恥ずかしそうに目線は背けたままだけれど逃げる様子もなかったから……髪の中に指を差しいれ
「……あの?」「何か?」余りない、距離間だった。いや、慎さんを空手道場に送る時だとか、食事に連れ出す時だとか、俺から近寄っていくことはあっても、慎さんの方からここまで近づくことは余りない。ましてや、店内で。「いや……そうだ。佑さんは?」「今夜はもう帰ってもらいました。後片付けもそれほど残ってなかったし」「あ、そう……っすか」しかも、二人きり。何がどうしてこうなった、と理解ができないままに自然と鼓動は早くなる。男としては、大変美味しいシチュエーションだ。だからといって、簡単に手が出せる相手ではないのだが。スツール同士はあまり離れていないから、すぐ隣だと肩が触れそうなくらいに近くなる。手を伸ばせば触れられるくらいに、抱き寄せられるくらいに、近い。かといって全力で近づいてくるわけでもなくて……なんだろう。この感覚、どこかで覚えがあるぞと思いめぐらすと、すぐに思い当たった。実家で飼ってる猫だ。不愛想でこちらから構ってやろうとすれば、つんと澄まして見向きもしないくせに、たまにソファでテレビを見ているとそろっと近づいてきて隣に座る。それと、似ている。慎さんは例えるならシャム猫みたいで、実家の雑種猫とはずいぶんと雰囲気は違うけど。「あ。えっと、あの子なら、ちゃんと家まで送って来ましたから」「ああ、アカリちゃん。小さくて可愛らしい子ですね」「……送っただけで、何もないっすよ?」「そうですか」いつもと違う空気のわけを、思い当たる節から確かめようと敢えてアカリちゃんのことを口に出してみたが、手ごたえがない……ような、あるような。「……てっきり告白でもされたかと思いました」はは、と笑った顔が平静を装っているだけのようにも見えた。「……されました」「えっ」「俺は会うつもりないんすけど……ここに多分、ちょくちょく来ると思います」こんな雰囲気で、何か不安そうな慎さんに言いたくはなかったけれど、アカリちゃんが本当に来るなら話しておいた方がややこしくならない、気がした。俺が居ない間に来られてアカリちゃんの口から喋られるよりは、ずっといい。『だから―――また、会いたいな。あの店に行けば会えるよね?』最後に言われた言葉を思い出して、溜息を付く。アカリちゃんに毎度毎度来られたら、慎さんと話す機会が絶対に減る。ましてや、その度送れとか
―――――――――――――――――――――――――急いで駅まで走ったものの、やっぱり終電には間に合わなくて慌ててタクシー乗り場を探す。ところが、俺と同じように終電を逃した連中か、とっくに営業を終えてるバスの利用者かで長蛇の列となっていた。しかも見ていると回転率が悪い。中々タクシーが戻ってこないのだ。「……くそ」どうしようか。携帯から連絡しようかと思ったけれど、タクシーに乗るくらいなら家に帰れと言われそうで、結局止めた。この駅から店までは、線路上で言えば三駅分。でも、直線距離で結べば三駅もない……はず。走るか。いや、それならタクシー待つ方が早いか。悩んでいても答えはでないと、結局じっとしていられないのが性格ってやつで。店の方角を確かめながら、適当な道を選んで車も人通りも少ない暗がりを行く。走る必要もないのに走るのは、一分一秒でも早く会いたいからで。案外ヤキモチ妬きのあのひとを、不安にさせたくないからで。あ、いや。不安に思ってくれるならちょっとは嬉しいけど、不安にさせたいわけじゃない。応えてくれない人を好きで居続けるという恋愛を、今までしたことがなかったから、俺にとっては複雑で初めての心境だった。「くっそ、あつ……」半分くらい走ったところで、一度足を止めて呼吸を整える。バスケ現役で走っていた頃なら、もうちょい走ることができたのに。再び走り出してすぐ、流しのタクシーを捕まえることができて、それからは店まではものの数分だった。タクシーを店の前で降りると、ぶるりと寒さが身体に堪えた。散々走ったおかげでシャツが汗で濡れていて、今度はそれが逆に身体を冷やしている。当然だ、来週には十二月だ。慎さんに出会ったのは、まだ秋のはじめの頃だった。ふと、風の温度に季節の移り変わりを感じて、あれからまだ二か月ほどしか経っていないのだと気が付いた。随分長い間、この店に通っているような気がしていたけれど……それほどの回数、ここに訪れているということだろう。「……はあ」階段を降り切った踊り場、店の扉にかけられたプレートの「close」の文字に溜息をつく。今夜は最後の客が早く帰ってしまったのかもしれない。場合によっては、週末は特に明け方近くまで開けていることが多いのに、今夜に限って早々に閉めてしまったようだった。素っ気ないけど律儀な
「……何言ってるんですか。もう終電もなくなりますよ」「大丈夫です、走れば間に合うし。それに週末はあのオッサンまた来るかもしれないじゃないですか」「梶さんなら、最近は来ても別に僕に絡まないし、佑さんがお相手してるから特に困ってませんよ」呆れたと言わんばかりの顔で慎さんは言うけれど。確かに、近頃来店してもそれほどしつこく絡んでいる様子はないし、佑さんと話していることが多い。だが、それを認めてしまうともう番犬は必要ないから来なくていいと言われてしまいそうだ。っていうか、ちょっと……今。イヤなものを想像して、寒気が。「……あのオッサン、まさか佑さんに鞍替えっすか?」「は? いや、まさか……そんな」ぽかん、とした表情の慎さんと顔を見合わせる。恐らくは今、脳内で似たような絡みを想像しているのではないだろうか。次の瞬間、血の気が引いた青い顔色で思いっきり口と鼻を歪ませた。「……んなわけないでしょう。変なもの想像させないでください」「すんません……俺も鳥肌立った……」おえっ。オッサン二人の絡みなんか。当然美しいわけがない。当の佑さんは流し台で洗い物をしていて、こちらの話は全く聞こえていないようだが、もしも聞いていたら面白がって悪ふざけを考えたに違いない。「…っと、とにかく。戻ってきますから。閉店までには」「そんな、無理をしなくても」「無理じゃなくて、俺がそうしたいだけですから!」そうと決まれば、早く行かなければ。出来れば終電があるうちに戻って来たいところだ。急いで背を向けた一瞬、複雑な表情を浮かべながらもほんの少し、嬉しそうに見えたのは……希望的観測が過ぎるだろうか。三人の元に戻れば、まだ二回目だというのにまるで決まり事の如く俺がアカリちゃんを送る形で解散した。そこからの俺は気もそぞろで、電車の中でアカリちゃんと話はしたものの内容はさっぱり覚えていない。彼女の家の最寄り駅で降りてからも、つい早足になる歩調に気付いては、後ろを振り向いて慌てて緩める、の繰り返し。しまった。大した距離じゃないんだし、電車を降りたらすぐにタクシーに乗れば良かったのだ。一生懸命俺の後ろを着いてくる彼女に、罪悪感が沸いて少し気を落ち着かせようと深呼吸をする。「なんか、ごめんな」「ううん、こっちこそごめんね。またこんなとこまで送らせちゃって……」
浩平は、とにかく俺とアカリちゃんをどうにかしたいらしい。っつか、馬鹿め。この店に来た時点でそんな目論見は破綻している。慎さんがバーテンダーをしているこの店で、彼(彼女)以上に女を引き付けられるわけがないのだ。自分で言っててかなり虚しいが、俺の好きな人は俺なんか足元にも及ばないくらい女にもモテモテなのだから仕方ない。「ヤバイ、あのひとなに?! モデルとかじゃないの?!」「めちゃくちゃ綺麗だったね、男の人にしとくの勿体ない……」慎さんがカウンターの方へと下がっても、視線で後を追うように身体ごと振り向かせ、ほう、とピンクの溜息をつく。彼女たちの前には、慎さんが作った色合いの可愛らしいカクテルが並んでいる。赤い液体に、ミントの葉と白いパウダー状のものが雪みたいに散っているイチゴマティーニと、薄いピンク色のピンキーサワーはどうやらマンゴーらしい。『お二人のアクセサリーの色に合わせてみたんです。こういう楽しみ方もいいでしょう?』そう言って微笑んだ慎さんは、確かに誰よりもかっこよく麗しい、バーテンダーだった。「……馬鹿だろ浩平。ここに来たらこうなるに決まってんだろ」「いや、確かにちょっとは思ったけど……なんかあのひと、今日は特に接客気合入ってねえ?」そうだろうか?いつだって慎さんは女の人にはめちゃくちゃ優しいし、飛び切りの王子様スマイルだけど。「あああ、どうしよう。本気で暫く通っちゃおうかな」「やめとけやめとけ。お前なんか相手にされるわけないだろ」「うっさいわね、そんなのわかんないじゃないの!」浩平とミキちゃんが、喧嘩腰の軽口を叩き合う。大学時代から、これが二人の雰囲気らしい。付き合っている、というわけではないそうだが。「男だって見た目は大事よ! アカリもそう思うよねー」「あはは。そうねえ……すごく綺麗だから、目の保養にはなりそうだけど、緊張しそう」「そう?」「うん、私はもうちょっと、身近な感じの人の方がいいかな」そう言って、アカリちゃんがちらりとこちらを見て視線が合った。同意して欲しいのだろうか。確かに、慎さんが綺麗な人だということには何の異論もないが。「話してみると、結構面白い人だよ。人間味あるし」緊張する、という言葉が、なんとなく「自分たちとは違う人」と一線を引いたものに聞こえて、ついそんなことを言ってしまった。
別に、ほんのちょっと妬いてくれたくらいでそれがイコール「好き」という感情に直結するとは思ってない。だけど、そのほんのちょっとの嫉妬と同じくらいに、希望があるって思っていいんだよな?胸の奥が苦しいくらいにきゅんきゅんと鳴っている。この人は、良くも悪くも俺の心拍数を上げてくれるから、そこんとこをもうちょっと自覚してほしい。すみませんでした、と小さく頭を下げた彼女に首を傾げると、少しもじもじとしながらもう一度謝罪の言葉が聞こえた。「……陽介さんの気持ちを、疑ったことです。すみませんでした」「ま、慎さん……!」と、またしてもカウンターを乗り越えたい衝動に襲われて、カウンターに阻まれる。いらないだろ。邪魔でしかないだろカウンター。しかし、遮られてなかったら本気で抱き着いて殴られてたに違いない。「受け入れたわけじゃないですよ! し、信じただけですから!」俺の気持ちを信じると言ってくれた。それだけで十分だった。俺はすっかり舞い上がって、その後俺の居ないところで、浩平と慎さんが話をしていたなんて、随分後になるまで全く知らなかった。―――――――――――――――――――――あれから、半月程。今夜のbarプレジスは賑やかだ。カウンターが俺の特等席だが、今は一番奥のテーブル席にいる。なぜなら今夜は、ものすごく不本意ながら……一人ではないからだ。「こんな素敵なバーがあるなんて、浩平ったら全然教えてくれなくて」「本当、こんなお洒落なバー、初めて来ました……なんかそわそわしちゃう」浩平の大学の頃の女友達、ミキちゃんと、その隣で、ほんのり頬を染めて小さな身体をさらに縮こませてモジモジしているアカリちゃん。そして俺の隣で若干白けた表情の浩平の四人という、俺としては何とも複雑な面子での来店だった。「ありがとうございます。ここは女性のお客様も良くいらっしゃいますよ。気楽に楽しんでくださいね」こんな状況にも拘らず、慎さんは今日も変わらず妖艶な微笑を浮かべ、ピンと伸びた綺麗な姿勢で立っている。ミキちゃんとアカリちゃんは、すっかり慎さんの王子様スマイルの虜のようで、ハートがキラキラ飛び散ってる幻影まで見えそうだ。慎さんがオーダーを聞こうとしているのに、何かと脱線してさっきから無駄話しかしていない。それでも、慎さんは嫌な顔一つ見せないのだから……やっぱ
どくどくどくと早鐘を打つ鼓動に焦燥感も煽られる。「アカリちゃんって子が明らかに陽介狙いだったんで、送ってやれって二人きりにさせてみたんすけどね」「だから俺は」焦って説明しようとする俺の言葉に被せるようにして、慎さんが言った。「恥ずかしがることないじゃないですか。陽介さんにも春が来たんですね」「……」ぷつん。と何かが切れた音が頭の中でした気がする。目の前には、慎さんがいれてくれたシャンディガフ。薄黄色の透明な液体で埋められたグラスの中、きらきらと小さな粒のような泡がくるくる昇るのを見乍ら、苛立ちを抑えようとしたけれど。我慢できずに、グラスを掴みひと息に飲み干した。冷えた液体が身体の中心を通ったけれど、頭は冷えてくれなかった。春が来た、って何。俺はずっと春だけど。慎さんと出会ってから、頭ン中ずっと春爛漫だけど?!なんで今更他の女と春を迎えなきゃならないんだ。好きだって言ったのに、なんで信じてくれてないんだ。だん!と勢いよくグラスを置いた衝撃で、会話を続けていた二人の声がぴたりと止まった。「陽介さん?」「俺は!」椅子から立ち上がり張り上げた声に、慎さんが目を見張る。今漸く、ずっと逸らされたままだった視線が合った。「俺は、慎さんが好きだって言いました!」信じてもらえない苛立ちそのまま言葉をぶつけてしまったけど、それでいいやと抑止は全く働かない。驚いた慎さんの手から、ダスターがぽとりと落ちた。「ちょっ、陽介さん……」「拒否されててもわかってはくれてるものと思ってました! もっと口に出した方がいいっすか、もっと態度で示さないとわからないですか」「ちょ、ちょっ……馬鹿かお前!」「どうせ俺は馬鹿ですよ!」嘘つきだとか節操無しだとか思われるより、馬鹿の方がなんぼかましだ。完全に頭に血が上った俺に、慎さんが動揺したのか目線がちらちらと他所を向く。なんだよ、俺に集中しろよ!子供染みた独占欲みたいなものが沸いてでて。その視線の先に、慎さんの動揺の理由に気付いた。「浩平ならもう知ってます。俺、言ったから」「は?」ぽかん、と口が開いたままおかしなものでも見つけたような、表情だった。「ば……馬鹿じゃないか、本当に」「なんとでも。男も女も関係なく、慎さんが好きです。何回でも言いますし誰に知られても、俺はいいです」そう