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余りにも直球過ぎてこの人の将来が心配だ《4》

Author: 砂原雑音
last update Last Updated: 2025-03-05 12:25:23

「は?!」

「だってお前、今日道場行く日だろ。だったらこいつに掃除手伝ってもらえば早く済むだろ」

何がそんなに不服なんだとでも言いたげな、不思議そうな表情で僕を見る。

が、わからないのは僕の方だ。

確かに今日は週に一度の道場通いの日だけど、別に掃除くらい頼まなくてもできるし時間がなければ佑さんがしてくれていいはずだ。

今までずっとそうだったんだから。

「やります。いいんすか、全然やりますよ俺」

「いいって! 大丈夫だから!」

「頼むわ。俺もっかい寝る」

「うぃっす!」

僕の言葉は丸無視で佑さんはごろんとソファに寝転んでしまい。ビシッと、挙手付きで返事をした陽介さんが、嬉しそうにこちらを向いた。

耳と尻尾の幻影が見える。

まるで大型犬に全力で懐かれている感覚で疲労感が半端ない。

毒気を抜かれる、という単語が頭に浮かぶ。

何か悪態をついてやろうかと口を開くのだが、もはや何を言えばいいのかわからなくてはくはくと唇が空ぶった。

「何からしたらいいっすか。床掃き?」

ぶんぶんと尻尾を振る大型犬がお座りで指示を待っている。

再びソファに身体を沈めて、背もたれの影で見えなくなった佑さんに舌打ちを一つ鳴らして溜息をついた。

「……そこ。小さい取っ手の付いてる倉庫に、掃除機が入ってるから」

「うぃっす!」

と軽い返事でキビキビと僕が指を差した方へと向き直る。

壁に馴染んだデザインで目立たないよう配慮された倉庫の扉を開き、中からイソイソと掃除機を出す後ろ姿に追って言った。

「椅子は全部上げて、隅まできっちりかけてくださいよ!」

ガーガーと掃除機の音がする中で、僕は寝たふりをする佑さんのソファを軽く足で蹴った。

「どういうつもり?」

掃除機の音は僕達には会話の邪魔にはならない程度、だけど掃除機をかけている男には聞こえないだろう。

「何が」

「何がじゃないよ。あんなやつさっさと追い出してくれたらよかったのに」

もう一つ、ソファの底を蹴ると佑さんはむくっと身体を起こしてくつくつと喉を鳴らした。

「いやだってお前、面白いだろあの男」

「ただの馬鹿なお調子者だよ、少しも面白くない」

佑さんにとっては面白い他人事なのだろう。

だったら他人事なのだから変な口出しも気回しもしないで欲しい。

「まあまあ、いいだろ。向こうだってまずは近づきたいって言ってんだから誠実じゃねえか。ようはお友達からってこと
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    浩平は、とにかく俺とアカリちゃんをどうにかしたいらしい。っつか、馬鹿め。この店に来た時点でそんな目論見は破綻している。慎さんがバーテンダーをしているこの店で、彼(彼女)以上に女を引き付けられるわけがないのだ。自分で言っててかなり虚しいが、俺の好きな人は俺なんか足元にも及ばないくらい女にもモテモテなのだから仕方ない。「ヤバイ、あのひとなに?! モデルとかじゃないの?!」「めちゃくちゃ綺麗だったね、男の人にしとくの勿体ない……」慎さんがカウンターの方へと下がっても、視線で後を追うように身体ごと振り向かせ、ほう、とピンクの溜息をつく。彼女たちの前には、慎さんが作った色合いの可愛らしいカクテルが並んでいる。赤い液体に、ミントの葉と白いパウダー状のものが雪みたいに散っているイチゴマティーニと、薄いピンク色のピンキーサワーはどうやらマンゴーらしい。『お二人のアクセサリーの色に合わせてみたんです。こういう楽しみ方もいいでしょう?』そう言って微笑んだ慎さんは、確かに誰よりもかっこよく麗しい、バーテンダーだった。「……馬鹿だろ浩平。ここに来たらこうなるに決まってんだろ」「いや、確かにちょっとは思ったけど……なんかあのひと、今日は特に接客気合入ってねえ?」そうだろうか?いつだって慎さんは女の人にはめちゃくちゃ優しいし、飛び切りの王子様スマイルだけど。「あああ、どうしよう。本気で暫く通っちゃおうかな」「やめとけやめとけ。お前なんか相手にされるわけないだろ」「うっさいわね、そんなのわかんないじゃないの!」浩平とミキちゃんが、喧嘩腰の軽口を叩き合う。大学時代から、これが二人の雰囲気らしい。付き合っている、というわけではないそうだが。「男だって見た目は大事よ! アカリもそう思うよねー」「あはは。そうねえ……すごく綺麗だから、目の保養にはなりそうだけど、緊張しそう」「そう?」「うん、私はもうちょっと、身近な感じの人の方がいいかな」そう言って、アカリちゃんがちらりとこちらを見て視線が合った。同意して欲しいのだろうか。確かに、慎さんが綺麗な人だということには何の異論もないが。「話してみると、結構面白い人だよ。人間味あるし」緊張する、という言葉が、なんとなく「自分たちとは違う人」と一線を引いたものに聞こえて、ついそんなことを言ってしまった。

  • 優しさを君の、傍に置く   触れてはならない、禁断の果実《3》

    別に、ほんのちょっと妬いてくれたくらいでそれがイコール「好き」という感情に直結するとは思ってない。だけど、そのほんのちょっとの嫉妬と同じくらいに、希望があるって思っていいんだよな?胸の奥が苦しいくらいにきゅんきゅんと鳴っている。この人は、良くも悪くも俺の心拍数を上げてくれるから、そこんとこをもうちょっと自覚してほしい。すみませんでした、と小さく頭を下げた彼女に首を傾げると、少しもじもじとしながらもう一度謝罪の言葉が聞こえた。「……陽介さんの気持ちを、疑ったことです。すみませんでした」「ま、慎さん……!」と、またしてもカウンターを乗り越えたい衝動に襲われて、カウンターに阻まれる。いらないだろ。邪魔でしかないだろカウンター。しかし、遮られてなかったら本気で抱き着いて殴られてたに違いない。「受け入れたわけじゃないですよ! し、信じただけですから!」俺の気持ちを信じると言ってくれた。それだけで十分だった。俺はすっかり舞い上がって、その後俺の居ないところで、浩平と慎さんが話をしていたなんて、随分後になるまで全く知らなかった。―――――――――――――――――――――あれから、半月程。今夜のbarプレジスは賑やかだ。カウンターが俺の特等席だが、今は一番奥のテーブル席にいる。なぜなら今夜は、ものすごく不本意ながら……一人ではないからだ。「こんな素敵なバーがあるなんて、浩平ったら全然教えてくれなくて」「本当、こんなお洒落なバー、初めて来ました……なんかそわそわしちゃう」浩平の大学の頃の女友達、ミキちゃんと、その隣で、ほんのり頬を染めて小さな身体をさらに縮こませてモジモジしているアカリちゃん。そして俺の隣で若干白けた表情の浩平の四人という、俺としては何とも複雑な面子での来店だった。「ありがとうございます。ここは女性のお客様も良くいらっしゃいますよ。気楽に楽しんでくださいね」こんな状況にも拘らず、慎さんは今日も変わらず妖艶な微笑を浮かべ、ピンと伸びた綺麗な姿勢で立っている。ミキちゃんとアカリちゃんは、すっかり慎さんの王子様スマイルの虜のようで、ハートがキラキラ飛び散ってる幻影まで見えそうだ。慎さんがオーダーを聞こうとしているのに、何かと脱線してさっきから無駄話しかしていない。それでも、慎さんは嫌な顔一つ見せないのだから……やっぱ

  • 優しさを君の、傍に置く   触れてはならない、禁断の果実《2》

    どくどくどくと早鐘を打つ鼓動に焦燥感も煽られる。「アカリちゃんって子が明らかに陽介狙いだったんで、送ってやれって二人きりにさせてみたんすけどね」「だから俺は」焦って説明しようとする俺の言葉に被せるようにして、慎さんが言った。「恥ずかしがることないじゃないですか。陽介さんにも春が来たんですね」「……」ぷつん。と何かが切れた音が頭の中でした気がする。目の前には、慎さんがいれてくれたシャンディガフ。薄黄色の透明な液体で埋められたグラスの中、きらきらと小さな粒のような泡がくるくる昇るのを見乍ら、苛立ちを抑えようとしたけれど。我慢できずに、グラスを掴みひと息に飲み干した。冷えた液体が身体の中心を通ったけれど、頭は冷えてくれなかった。春が来た、って何。俺はずっと春だけど。慎さんと出会ってから、頭ン中ずっと春爛漫だけど?!なんで今更他の女と春を迎えなきゃならないんだ。好きだって言ったのに、なんで信じてくれてないんだ。だん!と勢いよくグラスを置いた衝撃で、会話を続けていた二人の声がぴたりと止まった。「陽介さん?」「俺は!」椅子から立ち上がり張り上げた声に、慎さんが目を見張る。今漸く、ずっと逸らされたままだった視線が合った。「俺は、慎さんが好きだって言いました!」信じてもらえない苛立ちそのまま言葉をぶつけてしまったけど、それでいいやと抑止は全く働かない。驚いた慎さんの手から、ダスターがぽとりと落ちた。「ちょっ、陽介さん……」「拒否されててもわかってはくれてるものと思ってました! もっと口に出した方がいいっすか、もっと態度で示さないとわからないですか」「ちょ、ちょっ……馬鹿かお前!」「どうせ俺は馬鹿ですよ!」嘘つきだとか節操無しだとか思われるより、馬鹿の方がなんぼかましだ。完全に頭に血が上った俺に、慎さんが動揺したのか目線がちらちらと他所を向く。なんだよ、俺に集中しろよ!子供染みた独占欲みたいなものが沸いてでて。その視線の先に、慎さんの動揺の理由に気付いた。「浩平ならもう知ってます。俺、言ったから」「は?」ぽかん、と口が開いたままおかしなものでも見つけたような、表情だった。「ば……馬鹿じゃないか、本当に」「なんとでも。男も女も関係なく、慎さんが好きです。何回でも言いますし誰に知られても、俺はいいです」そう

  • 優しさを君の、傍に置く   触れてはならない、禁断の果実《1》

    【高見陽介】「上手くいくといいですね、その彼女と」浩平が、何やら誤解を招きそうな言い回しをしやがると思っていたら、案の定。しっかり誤解はされたけれど、慎さんは怒っている風でもなく、俺一人が必死になって言い訳して。挙げ句、笑顔で言われたその台詞は結構な打撃だった。咄嗟に、言葉が続かないくらい。店があるから、と身を翻したその時も彼女はいつものごとくそれはそれは綺麗な笑顔で、俺の静止にも止まってくれなかった。「浩平、お前ぇぇ!!」誤解された。それよりも、全く平気な顔をされたことのがショックなんだから、浩平に当たるのは筋違いなのかもしれないが。「お前、なんで余計なことばっか言うんだよ!」「なんだよ、昨日アカリちゃんとどうなったか聞きたかっただけだろ」「なんともなるわけねぇだろ、くそ!」後を追いかけなくては。わかっちゃいるが、さすがに凹んでしまってすぐには立ち直れず、その場にしゃがんで頭を抱えた。さっきまでは、すげー幸せ気分だったのに。この落差に頭が追い付くのに時間がかかった。「お前さあ。全然脈なんかなさそうじゃんか」「……うっせぇ」「ってか、相手が男ってとこでまず無理だろ。お前本気であの人相手に恋愛出来る気でいんの」浩平の言い分は尤もだった。言い返せる材料がない。いや、あるとするなら慎さんが本当は、女だっていうことだ。言ってしまえば浩平だって反対しないだろうし、誰にだって堂々と話せるのに。「……恋愛してるよ、俺は!」当然、秘密を言うわけにはいかなくて、しゃがんだままぐしゃっと髪を掻きむしる。違う、そうじゃない。今だって、堂々と出来る、俺は。別にあのひとが男だって女だって関係なく好きだった。今までだって堂々と、迷惑はかけたくないから営業中はアカラサマな態度は避けていたけど。慎さんが好きだって、態度には出してたつもりだった。だけどその全部が、余りにも綺麗に何もなかった出来事のように処理されてしまった気がする。伝わらなかった?そういえば、「好き」だと言葉にしたのは最初の一度きりかもしれない。足りなかっただろうか。だから、浩平の言い回しをそのまま全部鵜呑みにして、俺とアカリちゃんが昨夜どうにかなったように信じたのだろうか。平気な顔をされたのもショックだが、気持ちが伝わってなかったことの方がショックだった。

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