Share

第2話

明彦は腕を組み、まるで何も感じていないかのように冷たい目で言い放った。

「行きたいなら勝手に行けばいいさ。ただし、一度出て行ったら、二度とチャンスはやらない」

深く息を吸い込んで、私は静かに告げた。

「もういいわ、明彦。八年も一緒にいたけど、もう疲れたの。終わりにする」

そう言って、鍵を彼に押しつけ、そのまま振り返ることなく部屋を出た。

背後から叫ぶように響く明彦の声が聞こえる。

「結花、後悔しても知らないぞ!」

冗談じゃない。この白崎結花は、一度だって後悔するようなことをした覚えなんてない。唯一の汚点は、この八年間彼に関わりすぎたことくらい。正直、もう限界だった。だから、心置きなく去れる。

ホテルにチェックインして一息つくと、さまざまな思いが込み上げてきた。まずは手持ちの案件を整理して、会社には正式に辞職を申し出ることにした。

その知らせを受けて、人事部の担当者が驚きのメッセージを送ってきた。

「白崎さん、どうしたんですか?今まで順調だったのに、急に辞めるなんて。

それってもしかして、西園寺さんのせいですか?あの人ひどすぎます!社長と仲がいいのを盾に、私たちを好き放題圧迫してくるんです。いくつかのプロジェクトも彼女の手で止められてます。

白崎さんがいなくなったら、会社はどうなるんですか?」

ほら、こんな風に人事の人も見抜いているくらいなのだ。華音が特別扱いされていることに、社内では不満が募っている。それでも、皆が従わざるを得ないのが現実だ。

だが、私のキャリアまで明彦に潰される筋合いなんてない。

「これは明彦が自分で選んだ道よ」私はただこう伝えた。「マニュアル通りに進めて。必要な手続きが終わればそれでいいから」

人事担当者はその言葉で全てを理解したようだった。私は明彦と完全に決別するつもりだと気づいたのだろう。彼女の態度は一気に動揺へと変わっていった。

この会社において、明彦が「トップ」なら、私はその右腕にあたるポジションだった。これまでの多くの案件は、私の計画や判断があってこそ実現してきた。

明彦の前で「良い顔役」を務める一方で、私は「厳しい役」を担ってきたのだ。この役割分担で、数え切れない契約をものにしてきた。

明彦はいつも「君は俺の完璧な補佐役だ」と言っていた。

私がいればこそ会社は順調に発展したのに、いつの間にか明彦はそれを自分一人の実力だと思い込むようになったらしい。

「俺の今の成功は全部自分の努力の賜物だ。結花、お前は自分が功労者だと思っているかもしれないが、君なんかいなくても会社は回るんだ」

つい最近、言い合いになった時、明彦はそう言い放った。

その瞬間、全てがはっきりした。私が何の価値もないと言うなら、思い切って出て行ってやる。その未来を明彦に譲るだけのことだ。

翌日、私はいつも通り会社へ向かった。離職するなら、引き継ぎを完璧に終わらせるのが筋だと思ったからだ。オフィスに着くと、明彦と華音が二人揃って現れ、見下すように声をかけてきた。

「まあ、流れに乗っているようだな。じゃあ早いところ手持ちの仕事を引き継いでくれ」

華音もにっこりと微笑みながら私に言う。

「白崎さん、これであなたのデスクは私のものですね。お手数ですが、片付けて早く出て行ってくださいね」

私は黙ってうなずいた。「分かったわ。

じゃあ、まずは引き継ぎをお願いね」

引き継ぎ表を三部印刷して、会社と担当者にそれぞれ渡し、私も控えを一部取った。表を手渡すと、華音はちらりと見てから、口元に微笑を浮かべた。

「それからクライアントデータもお願いね!」

「データは全部パソコンに残してあるし、顧客リストは会社にすでに返却済みよ」

私がそう告げると、明彦は一瞬目を見開いて、信じられないという顔を浮かべた。

「結花、お前、本当に辞めるつもりか?この何年もかけて築き上げてきた市場を手放すのか?」

Related chapters

Latest chapter

DMCA.com Protection Status