9．夏山の覚醒

「あの……夏山、さん……？」

　どこか悪いところを打ったのか、とうとうおかしくなってしまったのかもしれない。

その瞳は虚空を見つめ、もうボス自体にも焦点が合っていないようだった。

「ひぇっ……」

　皐月もさすがにこの様子には引き気味で、何よりこの状態に陥るトリガーとして自分が関係していることを悟ってやや恐怖すらしていた。

やはりオタクの熱量というものは向けられる当人に対してはそういった性質のものなのだろう。

しかしそこから、皐月は続ける。

「……こんな風に目覚める人、初めてだよ……」

「…………え？」

　目覚める、とそう言った。

確かに。

明らかにそう言ったはずだが、それでも自分の耳を疑わずにはいられない。

目覚めると言ったら、この場合一つしかない……スキル覚醒だ。

それを一日目にして成し遂げたのだ。

　夏山さんはいまだ異様な眼光を持って「何か」を読み上げるようにつぶやく。

「ミノスの骨化牛頭……推定レベル、８レべ……」

　武器をすべて失い、今や隻腕となったボスを見上げる。

皐月も値踏みするかのような視線をモンスターに注いだ。

「８か……初戦にしては少し手ごわい相手だったかもね……。ま、それももう……」

　夏山さんがハッと我に返る。

そして全員に届くように大きな声で叫んだ。

「弱点！　弱点がわかりました！　肋骨の奥、全身に魔力回路を構築する……いわばこいつにとっての心臓があります！」

　ボス部屋に響き渡る夏山さんの声、それに全員の視線が上に向いた。

現時点では一番ボスの近くにいる皐月がつぶやく。

「なるほどね、あそこか……」

　皐月の視線の方向をなぞれば、それは俺のところからも目視できた。

太く頑丈な肋骨の、その隙間からちらりと見える真っ黒な肉の塊。

それが菌糸を張るようにして体の内側に張り付いていた。

「しかしあんなのよォ……」

「どうすりゃいいんだよ……」

　他のみんなも見つけられたようで、皆口々に似たようなことを言う。

そしてそれは全くその通りで……。

「あれじゃ……」

　あんな高い位置じゃ、攻撃は届かない。

弱点の判明、それはむしろ俺たちを失望させた。

　ボスは今まで降り積もらせた怒りをあらわにするように手のひらを強く握りしめる。

そして上を向いて大きく咆哮した。

「ブォォォォォォォォォォォォッッッ…………！！！！」

　自らを鼓舞し、赤い瞳をよりいっそう強く輝かせる。

それに応じて、血が滲むようにジワリと体色が赤く変わっていった。

「活性化してる……！　ダメ、早くしないと……腕も再生し始めてる……！！」

　夏山さんは目覚めたスキルのおかげで敵の状態がわかるようで、焦り始める。

しかしかといってどうすることができるというのか。

再生までし始めてしまったら、おそらく俺たちのダメージはどうやったって追いつかない。

あの弱点を突けなければ……。

「あー……ほんとによォ……。めんどくせぇなぁ……」

　ダンジョン突入前に皐月に突っかかった男が投げやりな風に言う。

けれど、その瞳はどこか据わっていて……明確に何らかの意思を宿していた。

そして……。

「バッチキショオォォォォォ……！！」

　叫んで、あろうことかボスに向かって直線で突っ込む。

そうして赤く染まりきったその脚にしがみついた。

　ボスはまるでまとわりついた虫を払うように、足を振る。

それでも抱き着いて、必死にしがみついて離れない。

「この……クソが……！　舐めやがって……！！」

　しかし力の差は歴然、結局振り払われてしまった。

「ケッ……図体だけのくせによォ……ッ！！」

　それでも再び脚に向かって突進していく。

その様に感化されたのか、他の若者集団も同じようにその脚に突撃した。

　ボスの巨体が、それにややよろめく。

それを見て、俺はやっとその意図に気づいた。

「そうか……！」

　あの巨体を、人数の力技で転倒させようというのだ。

好都合にも今は隻腕、体のバランスは最初から崩れている。

「我々も……！」

　中年の人たちも、その意図に気づきボスに向かって駆け出す。

俺もそれに混じってボスの方に向かった。

しかし……。

「いや、あなたは……あなたはボスにとどめを！！　もう若いとは言えない我々では、やはり不安が残ります。どうか……お任せしましたよ」

　中年集団の一人に止められる。

俺はその言葉にうなずいてから、集団から離れた。

離れきる前に彼らに言葉を残す。

「では、あなたたちは……ボスの腕を引いてください！」

「はは……まぁなんとか……」

　ほとんど無茶ぶりに近い俺の要望に、その人は笑って答えてくれる。

そうして今度こそボスの方へと向かっていった。

「おらこっちだ！」

「この豚骨野郎！！」

「ハゲ！！！！」

　言葉が通じる相手かわからないが、中年集団は罵声を浴びせてボスの注意を引く。

そうして誘い出した腕の一振りを、その体でもってして受け止めた。

何人かは勢いに負けて地を転がるが、しかし一人が確実にその手首を捉えた。

その人が振り落とされないうちに弾き飛ばされた人も群がった。

　まるで綱引きでもするかのように、ボスの腕を強く引く。

その様に思わず皐月も軽く笑ってしまう。

けれども決して馬鹿にしたような顔ではなく、どこか暖かくすらあるまなざしで見守っていた。

　まとわりついた全員が力を合わせて、脚を押し、腕を引く。

そしてタイミングも合わさりついに……。

「グッ……オオオオオオオ！？」

　ボスが激しく転倒した。

砂塵が舞い上がり、それと一緒にまとわりついていた人々も地面に投げ出される。

そんな中、俺は一人舞い上がる砂埃の中に突っ込んでいった。

　ボスは起き上がろうともがくが、片腕しかないため時間がかかっている。

この機を逃すわけにはいかない。

　多少の危険は顧みず、スカスカの隙間からボスの体内……肋骨の内側に侵入する。

そしてそこでとうとう、ボスの心臓部と対峙した。

「お……おおっ……と」

　ボスが起き上がりかけているようで、足場の角度が変わる。

制限時間がすでに残り僅かなのは明らかだ。

　今日一日を共にした短剣を構え、駆ける、跳躍する。

そして……。

　真っ黒な、歪でグロテスクな姿をした肉の塊に刃を突き刺した。

「これでっ……決まれっ……！！」

　肉の中に俺自身の腕ごと短剣をねじ込む。

無理やり、力任せに奥へ……！

　血なんだかなんなんだか分からないどす黒い液体が噴き出す。

それを全身に浴びながら、肉塊に半ばしがみつくようにして刺し続けた。

そしてとうとう、その瞬間は訪れる。

　俺の右手が、握った短剣が、久しく外気に触れる。

刃が、貫通したのだ。

あとは……。

「こんのォォォォォッッッ……！！！！」

　ステータス補正にものを言わせて、そこから肉塊を切り裂いた。

その瞬間、水風船が割れるみたいにそれが爆ぜて、俺の体は大きく吹き飛ばされる。

　モンスターの体液まみれで落下しながら、さかさまの視界でボスの体が瓦解していくのが見えた。

「あだっ……」

　べちゃりと、不格好に地上に帰還する。

しかし俺はそれでも、今までにないほどの達成感に包まれていた。

　体も起こさず、その場で大の字になる。

その様を夏山さんが苦笑いで見下ろした。

「水瀬さん……ひどい有様ですよ？」

「はは……知ってる……」

◇◇◇

　研修一日目、結局俺はスキル覚醒することはなかった。

皐月もあれだけ濃い時間を過ごしたのに、攻略が終わると何も言わずにさっさとどこかへ行ってしまった。

いや、彼女にとってはあれが日常なのか……。

俺だって、明日また別のダンジョンが待ってる。

「はぁ、まぁ……とにかく今日はもう休もう……」

　いつもと変わらぬ自室。

けれどもまるで数日ぶりに帰ってきたような気分だ。

姉さんは俺を見るなり急いで料理を作り始めた。

いつもよりさらにうまい飯が食えそうだ。

姉さんの張り切りようからしても、俺の心境からしても。

　スキルには目覚めなかったとて、まだ一日目。

今日のような日々があと六日続くのだ。

「お……」

　ポケットに入れておいた携帯が震えるのに気づく。

今日のメンバーでチャットグループを作ったのだ、もちろん皐月は含まないが。

最初は話しづらそうな奴らばかりだと思っていたけど、今は仲良くなれそうだと思えていた。

　急いで携帯の画面を見る。

すると、着信はグループの方ではなかった。

夏山さんとはまた個別で連絡先を交換していたのだ。

にゃつやま

『お疲れさまでした～』

『いやぁ、無垢ちゃん最高にかっこよかったですね！』

　お疲れさまでしたの後に最初に話すことがそれかい、と苦笑する。

もうすでに夏山さんのイメージは第一印象とは大きく異なっていた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　水瀬

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「笑」

　　　　「夏山さんもすごかったじゃないですか」

　　　　　　　　　　「初日でスキル覚醒なんて」

「皐月さんと一緒に仕事することもあるんじゃないですかｗ」

にゃつやま

『きゃー>_<』

『そしたらどうしよ(　ﾟдﾟ)』

水瀬

「ていうか今日も結構話せてたじゃないですか結局」

「よかったじゃないですか」

にゃつやま

『ヴッ…(´ཀ`)』

『思い出したら死ねる(；ω；)』

『私なんか変なこと言ってませんでした？』

水瀬

「w」

にゃつやま

『ちょっと！』

『え』

『ほんとに！！』

水瀬

「ははは…」

　あの時の夏山さんに皐月がどういう表情をしていたかは言わないでおこう。

それからもくだらないやり取りは続いて、ありがたいことに「水瀬さんもクリーナーになれたら一緒にご飯でも行きませんか？」とも言ってもらえた。

非常に頑張り甲斐があるというものだ。

その後「残念会でもいいですけど」と続いたことで頑張りは関係なくなったが。

　姉さんの料理の準備ができたようなので、急いでそちらの方へ向かう。

その間にグループチャットにて夏山さんの食事のお誘いが全体に向けて投下されていたのはまた別の話だ。