偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 3

3 チャプター

エピソード 0 須藤朱莉の物語

 築30年の6畳一間に畳2畳分ほどの狭いキッチン。お風呂とトイレはついているけど、洗面台は無し。そんな空間が『私』――須藤朱莉(すどうあかり)の城だった。――7時チーン今朝も古くて狭いアパートの部屋に小さな仏壇の鐘の音が響く。仏壇に飾られているのは7年前に病気で亡くなった朱莉の父親の遺影だった。「お父さん、今日こそ書類選考が通るように見守っていてね」仏壇に手を合わせていた朱莉は顔を上げた。須藤朱莉 24歳。今どきの若い女性には珍しく、パーマっ気も何も無い真っ黒のセミロングのストレートヘアを後ろで一本に結わえた髪。化粧も控えめで眼鏡も黒いフレームがやけに目立つ地味なデザイン。彼女の着ている上下のスーツも安物のリクルートスーツである。しかし、じっくり見ると本来の彼女はとても美しい女性であることが分かる。堀の深い顔は日本人離れをしている。それは彼女がイギリス人の祖父を持つクオーターだったからである。そして黒いフレーム眼鏡は彼女の美貌を隠す為のカモフラージュであった。「いただきます」小さなテーブルに用意した、トーストにコーヒー、レタスとトマトのサラダ。朱莉の朝食はいつもシンプルだった。手早く食事を済ませ、片付けをすると時刻は7時45分を指している。「大変っ! 早く行かなくちゃ!」玄関に3足だけ並べられた黒いヒールの無いパンプスを履き、戸締りをすると朱莉は急いで勤務先へ向かった。**** 朱莉の勤務先は小さな缶詰工場だった。そこで一般事務員として働いている。勤務時間は朝の8:30~17:30。電話応対から、勤怠管理、伝票の整理等、ありとあらゆる事務作業をこなしている。「おはようございます」プレハブで作られた事務所のドアを開けると、唯一の社員でこの会社社長の妻である片桐英子(55歳)が声をかけてきた。「おはよう、須藤さん。実は今日は工場の方が人手が足りなくて回せないのよ。悪いけどそっちの勤務に入って貰えるかしら?」「はい、分かりました」朱莉は素直に返事をすると、すぐにロッカールームへと向かった。そこで作業着に着替え、ゴム手袋をはめ、帽子にマスクのいでたちで工場の作業場へと足を踏み入れた。このように普段は事務員として働いていたのだが、人手が足りない時は工場の手伝いにも入っていたのである。 この工場で働いているのは全員40歳以
last update最終更新日 : 2025-02-24
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エピソード 0-1 鳴海翔の物語

「おい、翔。書類選考が通った彼女達の履歴書だ。ここから最終面接をする人物を選ぶんだろう?」此処は日本でも10本の指に入る、東京港区にある大手企業『鳴海グループ総合商社』本社の社長室である。「ああ……。そうか、ありがとう琢磨。悪いな。嫌な仕事を頼んでしまって」前面大きなガラス張りの広々とした部屋に大きなデスク。そこに書類の山と格闘していた鳴海翔(26歳)が顔を上げた。「お前なあ…。本当に悪いと思っているならこんな真似よせよ。選ばれた女性が気の毒じゃないか」九条琢磨は溜息をつきながら鳴海翔に言った彼は翔の高校時代からの腐れ縁で、今は有能な秘書として必要な存在となっている。「仕方無いんだよ……。早く誰か結婚相手を見つけないと祖父が勝手にお見合い相手を連れて来るって言うんだからな。大体俺には愛する女性がいるのに……。」「まさに禁断の恋だもんな? お前と明日香ちゃんは。普通に考えれば絶対に許されない恋仲だ」琢磨はからかうような口ぶりで言う。「おい、琢磨! 誤解を招くような言い方をするなっ! 確かに俺達は兄妹の関係だが血の繋がりは一切無いんだからなっ!?」翔は机をバシンと叩きながら抗議する。「いや、分かってるって。そんな事くらい。だけど世間じゃ何と言うかな? いくら血の繋がりが無くたって、義理の兄妹が恋仲ですなんて知れたら、ゴシップ記者に追われて会社ごと足元を掬われるかもしれないぞ?」「ああ、そうだ。祖父も俺と明日香の関係に薄々気付いている。だから俺に見合いをするように迫ってきているんだ。考えても見ろよ。俺はまだ26だぞ? 結婚するには早すぎると思わないか?」「ふ~ん。だけど明日香ちゃんとは結婚したいくせに……」翔は苦虫を潰したような顔になる。「祖父も大分年だ……。それに長年癌も患っている。早くても後数年で引退するはずなんだ。その時が来たら誰にも文句は言わせない。俺は明日香と正式に結婚するよ」「そしてカモフラージュで結婚した女性を、あっさり捨てる気だろう?」琢磨は何処か憐憫を湛えた目でデスクの上に乗っている履歴書に目を落した。「おい、人聞きの悪い事を言う。言っておくが、結婚を決めた女性には事実をきちんと説明する。それに自分の人生を数年とは言え犠牲にして貰う訳だから、それなりに手当だって払うし、離婚する際はまとまった金額だって提示する。だか
last update最終更新日 : 2025-02-24
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第1部 1-1 面接

 今日は【鳴海グループ総合商社】の面接の日だ。面接時間は10時からだが朱莉は気合を入れて朝の5時半に起床した。「面接でどんな事聞かれるか分からないからね……。ここの会社のHPでも見てみようかな?」朱莉はスマホをタップして【鳴海グループ総合商社】のHPを開いた。HPに企業理念やグループ会社名、世界中にある拠点、取引先等様々な情報が載っている。これら全てを聞かれるはずは無いだろうが、生真面目な朱莉は重要そうな事柄を手帳に書き写していき、ある画面で手を止めた。そこに掲載されているのは若き副社長の画像だったのだが……朱莉は名前と本人画像を見てアッと思った。「鳴海翔……鳴海先輩……」思わず朱莉はその名前を口にしていた――**** 話は朱莉がまだ高校生、16歳だった8年前に遡る。その頃はまだ父親は健在で、朱莉も社長令嬢として何不自由なく生活をしていた。高校は中高一貫教育の名門校として有名で、大学も併設されていた。朱莉は当時吹奏楽部に所属しており、鳴海翔も吹奏楽部所属で2人とも同じ楽器「ホルン」を担当していた。上手に吹く事が出来なかった朱莉によく居残りで特訓に付き合ってくれた彼だった。背が高く、日本人離れした堀の深い顔は女子学生達からも人気の的だったのだが、異母妹の明日香が常に目を光らせてい…た為、女子学生達の誰もが翔に近付く事を許されなかったのである。ただ、そんな中…楽器の居残り特訓で翔と2人きりになれた事があるのが、朱莉だったのである。「先輩……私の事覚えているかな? ううん、きっと忘れているに決まってるよね。だって私は1年の2学期で高校辞めちゃったんだし……」結局朱莉は高校には半年も通う事は出来なかった。高校中退後は昼間はコンビニ、夜はファミレスでバイト生活三昧の暮らしをしてきたのである。「せめて……1年間だけでも高校通いたかったな……」急遽学校をやめざるを得なくなり、翔にお世話になった挨拶も出来ずに高校を去って行ったのがずっと心残りだったのである。朱莉の憧れの先輩であり、初恋の相手。「もしこの会社に入れたら……一目だけでも会いたいな……」朱莉はポツリと呟いた。****「では須藤朱莉様。こちらの応接室で少々お待ちください」秘書の九条琢磨はチラリと朱莉を見た。(あ~あ……。可哀そうに……この女性があいつの犠牲になってしまうのか……い
last update最終更新日 : 2025-02-25
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