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離婚後、恋の始まり のすべてのチャプター: チャプター 711 - チャプター 720

775 チャプター

第711話

里香はその言葉に少し困ったような顔をして、しばらく黙り込んでしまった。祐介が軽く口角を上げて笑みを浮かべながら立ち上がり、こう言った。「俺、もう行くよ。早めに休んで。何かあったら、いつでも電話して」彼が立ち上がるのに合わせるように、里香も立ち上がり、その背中を見送った。扉が閉まった瞬間、里香は思わず深いため息をついた。どうして物事がこんな方向に進んじゃったんだろう?里香はソファに腰を下ろし、手元のジュースを少しずつ飲みながら祐介に出会ってからの出来事を思い返した。思い出すたびに、頭が少し痛くなる。彼に借りを作りすぎた気がする。でも、それをどう返せばいいのか全然わからない。もう一度ため息をついた里香は、ふっと立ち上がり書斎に向かった。雰囲気の良い洋食レストランで、かおるはスマホを手に写真を撮っていた。化粧もばっちりで、小さな顔が明るく映えて美しい。カメラに向けた瞳はキラキラと輝いている。向かいの席では、月宮が椅子にもたれるようにリラックスした姿勢で座っていた。首にかけたダイヤのネックレスが照明の下でちらちらと煌めいている。かおるが自撮りを終えると、写真をざっとチェックしながら尋ねた。「それで、私に何の用?」月宮はじっと彼女を見つめながら問いかけた。「前に話したことだけど、考えはまとまった?」かおるはその言葉に一瞬彼を見てから、あっさりこう言った。「何のことだっけ?」「とぼけるつもりか?」月宮が一笑して、さらに鋭い口調で言った。「かおる、お前、本当は逃げられないってわかってるから、そうやってとぼけてるんだろ?でも、それじゃ何も解決しないって、自分でもわかってるはずだ」かおるは今日撮った写真がかなり良く撮れていると思い、それを保存すると、スマホをテーブルに置いた。口元にほんのり笑みを浮かべながらも、瞳にはどこか小悪魔的な輝きが漂っていた。「前にも言ったけど、私は誰かの浮気相手になるつもりはないから」月宮は淡々と言い返した。「その問題ならもう片付いた。俺は婚約しないから」「ほぅ?」かおるは興味深そうに彼を見た。「まさか、私のために縁談に反抗したとか?でもね、そんなの絶対やめてよ。財閥に指名手配されたり、追われたりするなんて、冗談じゃない。そんなの怖すぎるから」月宮は冷静な口調で返した。「お前の考えすぎだ
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第712話

「はぁっ!」かおるは月宮を見て、信じられないというように息を呑み、声を上げた。「月宮、そんなこと言うんだったら、私たち話す意味なんてある?いっそのこと、私を直接捕まえて鎖で繋いじゃえば?どうせ私にはあなたと交渉する資格なんてないんでしょ!」怒りが込み上げた。なにこの男、頭おかしいんじゃないの?まともに話す気、全然ないわけ?資格がないってどういうこと?追いかけてきて、「一緒になろう」ってしつこく言ってきたのはそっちなのに。なのに、資格がないとか、よくそんなこと言えるよね?かおるは椅子を押しのけて立ち上がり、その場を去ろうとした。「待て」月宮の声が冷たく響き、眉間に皺を寄せて静かに命じた。「座れ」かおるはその場に立ち尽くしたまま、彼をじっと見つめた。「まともに話し合えるわけ?」月宮は一瞬黙り込んだ後、低く答えた。「それが条件って言えるのか?」かおるは口元に笑みを浮かべたまま、肩をすくめるように言い返した。「なんで条件じゃないって言えるの?正直言うとね、私、そこまでお前と深く関わりたいわけじゃないの。でも一緒にいるのも別に構わない。ただし、期間は決めておきたいの。だってさ、お前の立場を考えたら、そのうち婚約とか政略結婚とかになりそうでしょ?そうなった時、私はどうすればいいの?」かおるは片手をテーブルに置き、身を少し前に傾けた。挑発的な笑みを浮かべながら、月宮の整った顔をじっと見つめた。「だから最初からルールを決めておいた方がいいと思うの。そうすれば、将来何かあってもお互い困らないでしょ?」雅之と里香の、複雑に絡み合った結婚を見てきたかおるには、ある種の達観があった。しっかり食べて、しっかり遊んで、でも常に冷静でいること。泥沼にはハマらない。それが大事。結局、損をするのはいつも女性側なんだから。月宮はかおるの笑顔をじっと見つめた。かおるは自分の魅力をどう使うべきかを心得ているようだった。その仕草は自然体ながらも軽薄さはなく、どこか小悪魔的な雰囲気を醸し出している。月宮の喉がゴクリと鳴った。おそらく、この独特の雰囲気が彼女の魅力なのだろう。もっと知りたくなる。もっと深く見てみたくなるから。だが、それ以上でも以下でもない。「どうなの?」かおるは月宮が沈黙しているのを見て、苛立ちを隠し
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第713話

「お前、本当に図に乗るな」月宮がボソッとつぶやきながら、かおるの腰を掴んだ。その手つきは、まるで今すぐダイニングテーブルに押し倒すつもりかのようだ。かおるの呼吸は少し乱れていた。しばらくして月宮が手を放すと、かおるはようやく息を整えながら問いかけた。「で、答えてくれるの?」月宮は気だるそうに口元をゆがめて笑った。「ああ、いいよ」かおるは微笑みながら彼の膝から降り、向かいの席に腰を下ろした。そして、自分の前にあったステーキを彼の前に押しやって言った。「切って」そのわがままな一言に、月宮の胸がむずむずして、喉仏が大きく上下した。恋愛経験がほぼゼロの月宮からすると、かおるはまるで恋愛の達人のように見えた。それがまた、彼の心を余計にかき乱した。もし、かおるが初めてを自分に捧げたことを知らなかったら、今どんな気持ちでいるのか想像もつかない。かおるは月宮が黙々とステーキを切る様子を見つめながら、目元に笑みを浮かべていた。さっきのキスで口紅が少しにじんでいて、それがまた月宮を引きつけた。ステーキを切りながら月宮がポツリと言った。「俺に命令する女なんて、お前が初めてだ」かおるは片眉を上げて片手で顎を支え、「彼女のためにすることだよ。これ、命令じゃないでしょ?」と返した。月宮は軽くかおるを一瞥して、切ったステーキをかおるの前に置いた。かおるはフォークで一切れ刺して、それを月宮の唇元に差し出した。「はい、お疲れ様」月宮の瞳がわずかに揺れ、口を開けてその一切れを受け入れた。なぜかその一口がやけに美味しく感じた。かおるは小さく一口ずつ食べながら、時々窓の外に目をやっていた。川沿いの景色を眺める目が静かに輝いている。夜の帳が降り、川面にはフェリーがゆっくり進み、灯りがきらびやかに揺れている。その美しさに思わず見とれてしまう。「今夜は俺のところに泊まれ」月宮が唐突に言った。かおるはその言葉に首を振った。「今夜は無理。明日にしよう」完全に拒絶したわけではない。どうせ三ヶ月だけのことだし、彼と一緒に住むことに抵抗はなかった。それに、月宮のベッドでの技術が回を重ねるごとに上達していて、かおる自身もそれを楽しんでいたのだから。月宮は少し眉をひそめ、じっとかおるを見た。「俺をからかうのはやめろ」その言葉にかおるは笑い
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第714話

里香が言った。「眠れなくて、ずっと映画観てたの」かおるが近寄ってきて、里香の隣に座ると、腕をそっと抱きしめながら頭を肩に乗せて言った。「里香ちゃん、私ね、月宮と付き合うことになったんだ」「えっ?何それ?」里香が驚いて目を丸くし、かおるを見つめた。かおるは少し事情を話した後、笑いながら続けた。「自分でも、彼がこんなあっさり認めるとは思わなかったよ」里香は眉を寄せ、「本当にちゃんと考えたの?」と問い詰めるように言った。かおるは肩をすくめて苦笑いしながら答えた。「だって、どうしようもないじゃん。彼を本気で怒らせたら困るのは私でしょ?だったら、もうこの状況を楽しむしかないじゃない。なんでわざわざ辛い方を選ぶの?」里香は少し考えてから、「まあ、それも一理あるかもね」と静かに言った。かおるは里香の少し真剣な顔を見て、くすっと笑いながら言った。「大丈夫だって、ちゃんと分かってるからさ。もしかしたら、この3ヶ月で本当に気持ちが芽生えるかもしれないし。もし月宮が『君じゃなきゃダメだ』なんて言い出したら、私の大勝利でしょ?」里香は短く沈黙した後、「まあ……幸運を祈るよ」と言った。かおるは吹き出して笑いながら立ち上がり、「じゃあ、私シャワー浴びてくるね。里香ちゃんも早く寝なよ」と言った。「うん」里香は頷き、かおるが部屋に入っていく姿を静かに見送った。心が、少し複雑だった。蘭と祐介が結婚したから、しばらくの間、月宮は婚約を先延ばしにできる状況になった。そう考えると、月宮とかおるが付き合っても大した問題にはならない気がする。でも……月宮は本当に約束を守るのだろうか?3ヶ月経ったとき、かおるを解放するなんてことが本当にあるのか?胸の奥に、淡い不安が過ぎった。あの日から、里香は病院と家を行き来する日々が続いていた。なんだか病院と妙に縁があるみたいだ。そうと分かっていれば、最初から医療系の学科を選んでおけばよかったとさえ思う。杏の腕は日に日に回復していった。細くて儚げだった彼女の体にも少し肉がつき、顔色もずいぶん良くなってきた。杏と会うたび、彼女の瞳はきらきらと輝いて見えた。その日、里香は杏の腕の今後のリハビリについて医者に相談しに行ったのだが、そこで星野にばったり会うとは思ってもみなかった。「え?なんでこんな
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第715話

「どうしたの?」里香は不思議そうに彼を見つめた。星野は唇を引き結び、里香の手を放して言った。「母さんの状態があまり良くないんです。最近、ちょっとボケちゃうことがあって、万が一、変なことを言っても気にしないでください。心に留めないようにしてほしい」里香は眉を少し寄せて、心配そうに聞いた。「おばさん、そんなに調子悪いの?お医者さんとちゃんと相談した?」星野は苦笑いを浮かべながら、「元々体が弱かったんです。何度も体調崩してるし、前よりもだいぶ弱くなりました。それでも、ここまでなんとか持ちこたえてるのは、こっちに来たおかげですよ」と答えた。星野の声はかすかに震え、目の奥に隠しきれない悲しみと切なさがにじみ出ていた。その感情が里香にも伝わり、彼女は軽く頷いて「分かったわ」と静かに答えた。星野は無理に笑顔を作り、「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にした。「とりあえず、中に入ろうか」と里香が提案すると、星野は「そうですね」と頷いて、病室のドアを開けた。部屋の中から、星野の母親の声が聞こえてきた。「信ちゃんが来たの?」「うん、僕だよ」と星野が返事をしながら、袋を開け、母親の好きな果物を取り出した。「母さん、果物買ってきたよ。ちょっと食べてみて」里香は母親の姿を見て驚いた。以前会ったときとはまるで別人のようだ。元気そうだった母親が、今はベッドに横たわり、体もかなり弱っている。目もどこかぼんやりして見える。星野の母親は「わざわざそんなもの買ってこなくてもいいのに。私、いらないわよ」と言った。星野は優しい声で「でも、せっかく買ったんだから、返すわけにもいかないでしょ?」と説得した。母親は呆れたようにため息をつきながら、「じゃあ、信ちゃんが食べなさい」と言った。星野は笑って、「母さん、忘れたの?僕、これ苦手だって前から言ってるじゃない」と言った。「ほんとにあんたって子は……」母親はため息をつき、星野に促されて、仕方なく果物を少し口にした。「おばさん」と、そのタイミングで里香が声をかけた。星野の母親は顔を上げ、里香を見て目を輝かせた。「あら、小松さんじゃないの?」里香は微笑んで頷き、彼女の手を優しく握った。「はい、私です。おばさん、お元気そうですね。きっともう少ししたら退院できますよ」里香の言葉に、星野の母親はとて
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第716話

星野は少し困ったような顔をして言った。「お母さんが冗談で言っただけなのに、君まで乗っかってどうするの?」里香は眉をピンと上げて返した。「だって、あなた私より年下でしょ?」星野は真剣な表情で彼女を見つめた。「たった1歳だけですよ」「それでも年下は年下よ」里香はキッパリと言い切った。星野はそれ以上言い返さず、ただ彼女が満足そうならそれでいいと思った。一方で、星野の母は笑顔で二人のやり取りを見守りながらも、その目の奥にはどこか寂しげな色が浮かんでいた。しかし、里香が少し彼女と話しているうちに、その様子はみるみる良くなっていった。星野の母が疲れるまで付き添った里香は、立ち上がって別れを告げた。病室を出ると、星野は彼女をじっと見つめて言った。「小松さん、本当にありがとうございます」「そんなにかしこまらなくていいわよ。おばさんの体が一番大事なんだから。社長に話して、スタジオに通わなくてもいいようにしてもらったら?病院で図面を描くことだってできるでしょ?」「うん、そうします」星野は深くうなずき、エレベーターまで里香を見送った。「もう大丈夫だから、帰っていいわよ。私は行くから」里香は彼にそう言った。「またね」星野は彼女をじっと見つめたまま一言。「またね」エレベーターのドアがゆっくり閉まり、星野の視線を遮った。その瞬間、星野の目に浮かんでいた感情はもう隠しきれず、溢れそうになっていた。病室に戻ると、先ほどまで目を閉じて休んでいた母が彼の気配を感じて目を開けた。「お母さん、どうして寝てないの?」星野はベッドのそばに座りながら尋ねた。母はじっと彼を見つめて言った。「信ちゃん、あなた、小松さんのことが好きなんでしょ?」星野は視線を少し落とし、苦笑しながら言った。「お母さんには何も隠せないんだね」母は小さくため息をついた。「お母さんも小松さんのこと好きよ。でも、私たちには彼女は不釣り合いよね」星野は黙ったままだった。「お母さんの体はこんな状態だし、家の事情だってあんな感じ。信ちゃんが彼女を幸せにできるのは信じてるけど、彼女ならもっと幸せになれる相手がいるんじゃない?」母は星野の気持ちを手に取るように理解していた。実は、母の口を借りて里香に「一緒にいてほしい」と言わせたかったのだ。でも、里香
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第717話

雅之が彼女の名前を呼んだ。「ん?」里香は疑問そうに返事をすると、雅之は軽く笑いながら「僕のこと、会いたくなったか?」と聞いてきた。里香は言葉を失い、無表情のまま電話を切った。この男、何考えてるの?どうして私が、彼に会いたくならなきゃいけないの?少ししてスマホが振動した。画面を見ると、雅之からのメッセージだった。【僕は会いたい。すごく、すごく】里香のまぶたがピクッと跳ねた。慌ててスマホを閉じると、胸がドキドキし始めるのを感じた。なんで心臓がこんなにうるさいの?深呼吸を何度か繰り返し、やっと気持ちを落ち着けると、里香は安堵のため息をついた。本当に信じられない……三日間はあっという間に過ぎた。里香は再び雅之に電話をかけた。「帰ってきた?」雅之はしばらく黙ったままだった。「雅之?」里香はスマホをじっと見つめ、彼の名前をもう一度呼んだ。「いいけど」ようやく返ってきた言葉は短かった。「僕は二宮家にいる。来てくれ」そう言うと、彼は一方的に電話を切った。何それ?なんで二宮家に行かなきゃいけないの?直接別荘の工事現場に行けばいいじゃない!でも、雅之の気まぐれな性格を考えると、逆らわない方が賢明だ。車はもう修理が終わっていたので、里香はそのまま車を運転して二宮家へ向かった。門の前に到着すると、雅之にメッセージを送った。【着いたよ】少しして、助手席のドアが開き、雅之が冷たい風をまといながら車内に入ってきた。里香は彼を一瞥し、無言で車を発進させた。次の瞬間、彼に手を握られた。雅之の手は驚くほど温かく、小さな里香の手をしっかりと包み込んでいた。その温もりがじわじわと伝わってくる。里香は眉を少ししかめ、手を引こうとした。「何してるの?」雅之は細長い目でじっと彼女を見つめ、「ちょっと寒いんだ。温めてくれよ」「バカじゃないの」里香は手を引き抜くと、再び車を走らせ、工事現場へ向かった。別荘の輪郭が見えてくると、雅之はそれをじっと見つめ、突然尋ねた。「自分の作品に満足してる?」里香は別荘の構造をじっくりと眺めながら頷いた。「ええ、満足してるわ」仕事中は私情を挟まず、全力で最高の結果を目指す。それが彼女の流儀だった。この別荘は、彼女自身も密かに気に入っていた。雅之は車のドアを開けて降り
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第718話

里香は目を少し見開き、信じられないという表情で雅之を見つめた。何それ。まさか誰かに体でも乗っ取られた?「そんな目で僕を見るなよ」雅之はまるで彼女の心の中を読んでいるかのように、薄い唇をわずかに弧を描くように持ち上げて言った。「前の僕はさ、ただお前の匂いとか体が好きで、お前がそばにいるのが嬉しいだけだったんだ。お前が嫌がろうがなんだろうが、そばにいてくれるだけで満足してた。だからさ、お前の気持ちなんて全然考えたことなかったし、どう思ってるとか何をしたいとか、そんなのどうでもよかった。ただ無理やり引き留めてたんだ。もちろん、今だってその気持ちがゼロになったわけじゃない。でもさ、もしかしたら別のやり方でお前を引き留められるかもしれないし、この結婚、まだなんとかなるんじゃないかって思ったんだ」そう言いながら、雅之はずっと彼女の目を見つめていた。その漆黒の瞳は深くて、どこか柔らかさを秘めているようだった。里香の胸には、酸っぱいような複雑な感情が込み上げてきた。それが一体何なのか、自分でもわからなかった。もしもっと早くそうしてくれてたら、こんなことにはならなかったのかもね。彼女は少し目を伏せて言った。「もう遅いんだよ」紙を丸めてまた広げても、元には戻らない。そこには、どうしても消えないシワが残る。でも、雅之は言った。「僕たち、まだ若いだろ?70や80になって動けなくなったわけじゃないんだから、全然遅くない」その言葉を聞いて、里香の長いまつ毛が微かに震えた。冷たい風が吹き抜け、心の中に広がる空洞を通り抜けるようで、ただただ悲しさだけが増していく。雅之は真剣な表情で彼女を見つめ、「里香、もう一度チャンスをくれないか?」と頼んだ。「嫌だ」里香は彼を見上げて、短く言った。「分かった。じゃあ、お前が頷いたってことでいいな」「……」ほら、まただ。彼は相変わらず自分の世界に浸っている。好きな相手の言葉でさえ、都合のいい部分だけ拾って、あとは全部聞き流してるんだから。里香は振り返ると、そのまま歩き出した。雅之は黙って彼女の後ろをついていく。彼は足が長いから、特に努力しなくても、自然と彼女と同じペースを保てる。黒いコートをまとった雅之の姿は、まっすぐ伸びた背筋が彼の肩幅をさらに広く見せ、その体型を一層引き立ててい
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第719話

他の人たちはみんなどこかに行っちゃって、何してるのかもさっぱりわからない。里香はオフィスの方をちらっと疑わしげに見やった。この時間なら、聡がいるはずだ。「うーん……」歩き出そうとしたその時、別の声が聞こえてきた。里香は思わず足を止め、引っ込めて、そのまま立ち去った。オフィスの中では、聡が星野のネクタイを掴んでいた。その険しい眉の下で唇を歪ませ、笑っている。「星野くん、どうしたの?お昼に飲んだお酒が効きすぎちゃった?手伝ってあげようか?」聡の目は妖艶に輝き、柔らかな体がそっと星野の体に近づいていった。星野は瞬間的に体がこわばり、額に青筋が浮かび上がる。端正な顔には抑えきれない苦悩の色が滲み、荒い息をつきながら勢いよく聡を突き放した。「……何してるんですか?」必死に理性を保とうとする彼の姿に、聡は感心したように薄く笑った。「わからないの?」聡は色っぽい目でじっと彼を見つめる。「星野くんを誘惑してるのよ。どう?私の誘い、乗ってみない?」星野の額の青筋がさらに浮き出た。「どいてください!」星野には、以前から薄々感じていた違和感があった。聡の自分への関心が、どう考えても普通じゃない。そして今、それを隠そうともしない彼女に、怒りが込み上げた。怒りに震える星野を前にしても、聡は怯むどころか、むしろニヤリと笑ってみせた。「実はね、あのお酒に何か入れられるのを見ちゃったのよ。その様子を見る限り、もう効き始めてるみたいね。この状態で病院に行っても、あまり意味がないかもしれないわ。冷水を浴びるか、耐えるしかないけど、それだと体に相当な負担がかかるわね。まだ若いのに、もし体を壊したらどうするの?」聡は冷静に状況を分析しつつ、言葉に脅しと誘惑を織り交ぜて続けた。「助けてあげてもいいわよ。でもその代わり、これからは私の言うことをちゃんと聞いてくれる?そうすれば、君が望む生活を保証してあげるわ。どう?」聡が提示した魅力的な条件は、普通なら誰もが飛びつきそうなものだった。しかし星野の体調が確実におかしくなっていく中でも、彼の目には冷たい光が宿っていた。「この仕事、辞めます……」星野はきっぱりと言い放つと、ドアを開け、そのまま出て行った。ほんと、一途ね。その背中を見送りながら、聡は肩をすくめて首を振った。「里香が好き
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第720話

里香は階下でコーヒーを飲んでいたが、ふと目を上げると、聡と星野が一緒に去っていくのが見えた。一瞬、疑問が頭をよぎった。また二人で出かけるの?とはいえ、特に深く考えず、少ししてからオフィスに戻った。契約をすべて終え、財務部から最終支払いが完了したという通知を受け取ると、大きく息をついた。スマホを取り出し、弁護士に連絡を取った。状況を説明すると、弁護士は「日程が決まり次第、すぐにお知らせします」と言った。パソコンの前に座ると、心の中にあった緊張が少し和らいだ気がした。1週間ほど経った頃、雅之についての調査結果がゆかりの元に届いた。そのときゆかりはショッピングモールで買い物をしていたが、部下の話を聞いた瞬間、表情が変わった。まさか、雅之の妻が里香だったなんて!何かを思いついたようで、ゆかりは部下に指示を出した。「里香に関する情報を全部集めて」「かしこまりました」その時、スマホの着信音が鳴った。ゆかりが画面を見ると、顔に笑みが浮かぶ。「もしもし、お兄ちゃん」スマホの向こうから景司の穏やかな声が聞こえてきた。「買い物はもう終わったのか?」ゆかりは甘えた声で答えた。「まだだよ、お兄ちゃん。一緒に来てよ。一人だとつまらないの」景司は少し笑いながら答えた。「こっちはまだ仕事が終わってない。疲れたら先にホテルに戻って、後で美味しいものを食べに連れて行くよ」「お兄ちゃん、今どこにいるの?そっちに行ってもいい?絶対邪魔しないから」「今、二宮グループにいるよ。でも、お前には関係ないだろうから、来ないほうがいい」「そんなことないよ、興味あるもん。お父さんも言ってたでしょ?お兄ちゃんたちに連れて行って勉強させてって。もし連れて行ってくれないなら、お父さんに言いつけるから!」ゆかりが甘えるように言うと、景司は少し困ったようにため息をついた。瀬名家にとって、ゆかりはお姫様で、欲しいものは何でも与えられてきた存在だった。「分かった。来てもいいけど、余計なことしちゃいけないよ」「うん!約束するよ」ゆかりは満足そうに答えると、電話を切った。荷物をボディーガードに預け、すぐにショッピングモールを出て二宮グループに向かった。景司は部下に指示を出し、ゆかりを階下で迎えさせ、そのまま会議室へ案内させた。その会
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