母が亡くなった。 病気で息を引き取った。 最期の時、母は私の手をしっかり握り、繰り返し頼んだ。 「私がいなくなったら、あなたはお父さんを探しなさい」 私は母子家庭で育ち、母と二人で暮らしていた。 自分の実父が誰なのか、今まで一切知らされていなかった。 名前も、素性も、何もわからなかった。 しかし、母が死の間際に父の名前と住所を耳元で教えてくれて、初めて知った。彼が実は社長であることを。 そして、私は私生児だということも。 母はまた、あの女――つまり正妻がようやくこの世を去った、とも言った。 証として父のもとに持っていくものを渡し、母は安らかに息を引き取った。 母は何の未練もないかのように、静かに旅立った。 私は親友の山崎ももこに、このことを話した。 「社長のお父さん?山口グループって、相当な規模だよね!」 ももこはこの話を聞くなり、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。 「私は小さい頃から親がいなくて、両親がいる感じなんて知らないの」 泣き崩れるももこにティッシュを渡しながら、私は彼女の話を聞いていた。 「私なんて、子供のころはゴミを拾って売って、それで学校に通ってたんだよ」 「年末年始はいつも一人で街をさまよっていたしね」 「家族と一緒にいる人たちを見ると、羨ましくて仕方なかった」 ももこの涙が次々と落ち、彼女の姿はとても哀れに見えた。 ももこは両手で私の手を握りしめて言った。 「月、お願い、私にも一度だけでいいから、父親がいる感じを味わわせて」 「どうやって感じるの?」私は疑問の眼差しを向けた。 「あなたと一緒にそのお父さんに会わせて、お願い!」 「え...それは、さすがに無理じゃない?」 母がくれたものは一つしかなく、それを父に見せれば、全てがわかると言っていた。 ももこは私の困惑した様子を見て、泣きながら必死に頼み続けた。 「私は幼い頃から家族がいなくて、家族と過ごしたことなんて一日もないの」 「お願い、たった三日だけでいいから、そのお父さんの娘としていさせて」 ももこが泣きながらそう懇願するので、私は断りきれないでいた。 「一日、一日だけでいい?」 ももこは私が動じないのを見て
私はあれこれと悩んだ末、やはり不安が拭えなかった。 しかし、ももこの知識を駆使した説得に、私は徐々に気持ちが揺らぎ始めた。 最終的に、母が私に託したものをももこの手に渡した。 「何がどうなっても、最後には必ずお父さんにちゃんと説明してね」 「大丈夫、任せて!」 私がももこを信頼しているのには理由があった。 私たちが知り合ったのは大学卒業後だった。私が新卒で就職し、実習で忙殺されていた頃だった。 ある会社に入社して一か月も経たないうちに、職場の同僚たちから嫌がらせを受け始めていた。 そのとき、ももこはその会社で小グループのリーダーをしていて、困っている私を助けてくれたのだ。 ももこが私を庇ってくれたおかげで、職場のトラブルは減り、私たちは同じ学校の出身とわかってすぐに仲良くなった。私はずっと母子家庭で育ち、父親を見たことがなかった。 他の子供たちが「お父さん」と呼んでいる姿を見て、いつも羨ましい気持ちでいっぱいだった。 そのため、私は小さい頃からどこか内向的で、自分に自信がなかった。 今、ももこが私の代わりに父に会い、追い出されるリスクを引き受けると言ってくれたことに、私は感謝してやまなかった。 これが私にとって、対人恐怖症に少しでも安らぎをもたらす救いだった。 私はももこと一緒に、母が生前教えてくれた住所を頼りに父の家を訪ねた。 目的地に到着し、二人して「わあ〜〜」と感嘆の声を上げた。 目の前には、豪邸とお金持ちの証ともいえる壮大な屋敷がそびえ立っていた。 私と母は生涯、古びた借家で暮らし、毎日ねずみやゴキブリと戦っていた。 それでも母は一度も父にお金を求めたことがなかった。 母の財布の中身など、片手の指で数えられるくらいだった。 「私は山口国光の実の娘です。家に入れてください」 ももこは早速役になりきり、母から預かったものを取り出した。 「これは母が残してくれたものです。父に見せていただければ、すぐにわかるはずです」 門の警備員は顔を見合わせたが、豪邸の門番ともなれば、これまで多くの波乱を見てきたのだろう。 「早く社長に知らせてください」 ものを渡してから、わずか十数分後、父は急ぎ足で姿を見せた。 彼の手には
父と再会した後、彼は私に視線を向けた。 「それで、こちらは…...?」 すると、ももこが私を指差して言った。「こちらは家政婦の面接に来た方で、私も門でたまたま出会った」 私は思わず驚いた。 ももこが突然態度を変え、私とは面識がないふりをしているのだ。 ももこは再び泣き始め、まるで役者のように、目を閉じるだけで涙がこぼれてくる。 見ている人が同情してしまうほどだった。 「彼女もお父さんと親子の再会をしに来たのかと思った......私はお父さんの唯一の娘じゃないのかと......うぅぅ......」 父は娘の涙を見ていられず、すぐに慰めにかかる。 「お前は父さんのたった一人の娘だ。父さんが愛したのはお前の母さんだけだ。他の人なんてどうでもいい、父さんの娘はお前だけだ」 そう言いながら、父はそっとももこの涙を袖で拭いてやった。 「もう泣くな、可愛い娘よ。父さんの心が痛むよ」 「お前も雪子と一緒に苦労してきたんだな。じゃあ、こうしよう。父さんが十軒の家を買ってやるよ。それに車も一台プレゼントだ。もう二度と苦しい生活はさせない。全部お前の名義で書くからな!」 この言葉を聞いた瞬間、私は胸が震えた。 一方で、ももこは嬉しそうににこにこしている。 父に何か説明しようと思ったが、ももこが「たった一日だけ」と約束したことを思い出した。その一日が過ぎれば、父を私に返してくれるはずだ。 だから、私はその場で何も言わず、衝動を抑え込んだ。 「お父さん、それで......私たちの家にはまだ家政婦が必要なの?」 ももこは父に、私を家に残さないようにという視線を送った。 私は拳を強く握りしめた。彼女が約束を破るとは思わなかった。 しかし、父は私を一瞥し、優しい眼差しを浮かべながら、静かに首を横に振りながら言った。 「似ている......本当にそっくりだ」 「君は結婚しているのか?」 私は父を見つめ、正直に首を横に振った。 「ここに残りなさい」 父がそう言い終えた瞬間、ももこは足元がふらついたようだった。 「お父さん~」ももこは不満げに足を踏み鳴らした。 父は理由が分からず、不思議そうにももこを見つめた。 「どうしたんだ、可愛い娘よ?」
翌朝、目を覚ますと、執事や清掃スタッフが噂話をしているのが耳に入った。 「昨日の夜、社長があの新しく来たお嬢さんに、十軒の家と五台の車を買ってあげたそうだ。すべて彼女の名義らしい」 「聞いたところによると、彼女のお母さんは昔、社長の初恋だったらしいよ。会長はあの娘をとても可愛がっていて、明日には五軒の別荘まで贈る予定だとか」 その話を聞いた途端、私はいてもたってもいられなくなった。 ももこは少しも遠慮せず、さらに贅沢な要求をエスカレートさせている。 私は布団を跳ね除け、すぐに外へと駆け出した。 庭に出ると、ももこがアクセサリーを身にまとい、豪華に装い、新しい車を見つめていた。 「ももこ!」と大声で叫び、彼女に向かって突進した。 すると、ももこの傍にいたボディガードが私の前に立ちはだかった。 「彼女の口を塞ぎなさい!」と、ももこが小声で指示を出した。 ボディガードはその命令に従い、私の口をテープで封じた。 私は目を大きく見開き、ももこを睨みつけた。 「何の騒ぎだ!」 突然、父が背後から現れた。 ももこは父を見て笑みを浮かべた。 「お父さん~」 「どうだい?父さんが買った車、気に入ったかい?」 父は私の前で足を止め、私をじっと見つめた。 「彼女に何かあったのか?」と、ももこに尋ねた。 ももこは体をくねらせ、しおらしい様子で答えた。「お父さん、彼女がさっき私を罵ったから、ボディガードに口を塞いでもらった」私はももこをじっと睨みつけ、口から漏れる声で抗議した。 「早く、早くテープを外してやれ!」 父は自分のボディガードに指示を出し、私のテープを剥がすように言った。 ボディガードは優しい笑みを浮かべ、私の顔を見つめる眼差しも穏やかで、テープを外す手も慎重だった。まるで私が痛みを感じないようにと気遣っているかのようだった。テープが外れたとき、ようやく新鮮な空気を大きく吸い込むことができた。 その時、ももこは父の後ろで「言わないで」とジェスチャーをし続けていた。 「私こそが......」 言葉を続ける間もなく、ももこがすぐに私の口を塞ぎ、別の場所に引っ張っていった。 「お父さん、ちょっと待ってて~、彼女と少し話した
父の言葉に、一瞬頭が真っ白になった。 こ、これは...... これはどういう意味なの? 私はその場で呆然と立ち尽くし、言葉も出なかった。 父は手を伸ばし、そっと私の頬に触れた。 「本当に彼女によく似ているよ」 「今夜、俺の部屋に来なさい。ちょっとセクシーな格好でね」 そう言い残して、父は立ち去った。 頭の中は、雷が落ちたような衝撃で混乱していた。 実の父だよ?神様、信じられない! そして亡くなったばかりの母さん! 父親と呼ぶはずの人が、今にも私を愛人のように扱いそうだなんて、どうすればいいの? 父が去った後、私はしばらくその場で立ち尽くし、ようやく我に返った。 今まで父がこんなにもエロおじさんに見えたことはなかった。 寮に戻ると、清掃係が私に窓拭きを命じてきた。 「新しく来たんだから、もう少し要領よく動きなさいよね。働いてるのか働いてないのか、ちゃんと目で見て分からせなさい」頭の中には、ももこが私に身代わりになる前に言った言葉が浮かんだ。 「ただ家政婦を装えばいいの。私はあなたを本当に使用人扱いするつもりも、仕事をさせるつもりもないから」でも、ももこはその約束を全く守っていない。 彼女の本性が少しずつ明らかになっているのだ。 それでも、私は心の中で少し迷っていた。 これは一人の人生に関わる問題だ。 ボロ布を手に、大きな邸宅でテーブルや椅子を拭いていると、上の階から会話が聞こえてきた。「お父さん~、あの使用人が本当に気に入らないの。彼女を追い出してくれない?」 ももこの甘えた声が上から聞こえてきた。 「ももこ、月は君に何もしていないだろう?なぜ毎日彼女を辞めさせたいなんて言うんだ?」その言葉を聞いた瞬間、私は雑巾を握る手に力が入った。 ももこはずっと私を追い出そうとしていたのだ。 彼女は私の同情心を利用し、私を計算に入れて動いていた。 「彼女、いつも私の悪口を言っているのよ。あの子本当にずるい性格で、私のこと嫌ってるの。お父さんは私だけを大切にすると約束してくれたのに、どうしてこんな品行の悪い使用人のために私のお願いを断るの?」 父は何も答えなかったが、ももこの甘えた声がさらに続いた。 「お父さ
夜が更けてきた。 私は家政婦の寮の中で行ったり来たりしながら、どうやってももこの正体を暴くべきか、何万通りも考えていた。 けれど、こんな状況になるなんて思いもしなかった。 伝言が届いた。 「月、社長が呼んでいるぞ」 オーマイガッ!私の倫理観が粉々に砕け散った。 雷が自分に直撃したような気分だ。 どうしても行きたくない。 今夜が過ぎれば、父も私が彼を拒んだことに気づくだろうと思っていた。 しかし、二時間が経過した頃、数人のボディガードが直接やってきて、私を連れて行こうとする。 「何をするの!離してよ!」 「助けて!私は無実よ!」 玄関に着くと、父のボディガードが待ち受けていた。 私は哀れみの目で、ボディガードに必死に訴えかけた。 すると彼は、私を支えていたボディガードたちに退くよう指示し、「どうだ?怪我はないか?」と尋ねてきた。「社長が今夜君を.....迎えたがっている。それと、避けるためのアレも用意したが......」 ボディガードはそこで言葉を濁し、じっと私を見つめて真剣な表情で言った。 「もし君が嫌だと言うなら、俺は連れて行く。この仕事なんか辞めてやる。一緒に逃げるか?」 私は全身に鳥肌が立った。 嫌に決まってるでしょ、兄貴! 私はまだ二十歳そこそこ、あなたは白髪交じりにしわがあるし...... 「私、あなたが......」 父親でもおかしくない年齢だと言いたかったが、その失礼な言葉は飲み込んだ。 「社長が急かしている。今すぐ君の顔が見たいそうだ!」 私は必死にもがきながらも、強引に連れて行かれた。 ボディガードが私を父の部屋に放り込み、扉を開けると、私は勢いよく頭を下げた。 「親父!」 そして自分の頬をぴしゃりと叩き、「ぺっ!」と言って訂正した。 「違う、父さん!」 その瞬間、ベッドで布団を腰までかけていた父は、顔色が変わり慌て始めた。 急いでそばにあったバスタオルを手に取り、体を包み込む。 「どういうことだ?!」 父は全身をしっかりと覆い、一切隙を見せなかった。 私は頭を下げながら言った。 「お父さん、実は私が本当の娘です!」 遅れて告げられた真実に、父は気
「彼女の名前が木村月なら、母親の名前が木村雪子なんだから、母の苗字を名乗っていて何が悪い?それに引き換え、お前は木村ではないしな。証拠がなければ、どうしてお前を信じることができたんだ!」そう言って、父は親子鑑定書をももこの顔に投げつけた。 実は、父はももこの怪しさを早くから察知しており、最初から彼女を密かに調べさせていたのだ。 ももこは自分の頬から滑り落ちていく鑑定書を見つめ、目を大きく開いて、信じられないといった表情を浮かべていた。「お前はただの詐欺師だ!今すぐ警察に突き出してやる」 父のその言葉に、私は小さく震えた。 ももこに最初は同情していた私も、今は彼女が私をも巻き込んだ一部の計画に過ぎなかったと気づき始めた。だから、最終的な結果を聞いた時、私はもう冷静だったが、それでも心の中で驚きを隠せなかった。ももこは泣きながら父の足にすがりつく。 「月が、全部月が私にやらせたんです!私には事情があって......お父さん!」 父はうんざりした表情でボディガードに合図を送り、ももこを引き離させた。 ももこは絶望的な表情を浮かべた。 もし本当に刑務所送りになれば、彼女の人生は台無しになるだろう。 「車も家も返します!どうか刑務所にだけは入れないで!」 その声は徐々に遠ざかっていく。 私はソファに座り、何も言わず、動くこともできなかった。 自分もまた父を欺いたことが少なからず関わっているため、怒りが自分にも向けられるのではないかと不安だったからだ。その後、父が私の隣に座り、そっと背中を叩いてくれた。 「すまなかったな、愛しい娘よ。つらい思いをさせてしまった」 私は首を横に振った。 「辛くありません」 やっと認められた父であることを考えれば、まだ父に対する感情が育っていないのは事実だ。 認められなくても構わない、ただ、ももこに私の代わりをさせるわけにはいかないのだから。「彼女はどうなるの?」 私はももこが引きずられていった方向を指さしながら尋ねた。 「まずはどこかに閉じ込めて、明日改めて処罰するつもりだ」 私は心の中で、父がももこをどうするつもりなのか気になっていた。 本当に刑務所に送られるのだろうか? しかし翌朝、事態は驚
名前がつよしという兄が、泣きじゃくっていた。 「父さん、俺とももこは大学で同じクラスだったんだ。彼女のことをよく知っているんだ。ももこはそんな人じゃない。きっと何か別の事情があるんだ」 大学のクラスメート? 突然、記憶が蘇った。 ももこが以前、大学時代に彼女をずっと追いかけてきた男の話をしていたことを思い出した。 だがその男はとても控えめで、しょっちゅう授業をサボり、女の子に声をかけることもなかった。 見た目からして貧乏で、デートする余裕もなさそうだったため、ももこは彼をずっと拒絶していた。 もしかすると、その話の「男」というのは目の前のつよしなのだろう。 つまり、ももこはつよしの中では半ば初恋のような存在になっているわけか。 でも、ちょっと待って……「別の事情」って? この件で悪いのはももこじゃなく、まさか私だとでも? 私は不満げに父の隣に歩み寄り、兄に向かって言った。 「兄さん、私がももこを陥れたとでも思っているの?」 つよしは私を一瞥し、あからさまな嘲笑を浮かべた。 「愛人の子供が、どの面下げて兄貴と呼ぶつもりだ?」 その言葉で一瞬、私は思い知らされた。 なるほど、このつよしはももこの味方なんだ。 どうりでももこがつよしとすぐに関係を持ったわけだ。 「兄さん、私を認めなくても構わないけど、恋愛をするなら相手をよく見極めた方がいいわよ」 私は極めて自然で、全く怒っている様子も見せなかった。 ももこはそれを見て唇を噛み、悔しそうにしていた。 父は自分の初恋相手を侮辱されたことに腹を立て、つよしの腹にもう一度蹴りを入れた。 そして二人を外に放り出し、「俺にお前のような子供はいない!」と宣言した。財閥の家での制裁がこんなものだけで終わるはずがない。 父はその日のうちにつよしのカードを停止し、全ての資金を回収した。 さらに父は、ももこを刑務所に送ると言い放った。 ももこはその晩、手に入れたばかりの車や家をすべて返却した。 ももこはつよしに寄り添えば今後楽になると思っていたが、つよしのカードが止められたことで、二人はホテル代すら払えなくなったのだ。 つよしは強がり、父が許してくれるまで路上で暮らす覚悟を決めた。