ニュースがあらゆるメディアで流れ、新聞に掲載される情報はどんどん曖昧になっていった。誰かが言った、二人の少女は少年によって突き落とされたのだと。私は無言のまま、警察が手渡してきたジップロックを受け取る。携帯の画面には、まだ十八歳のままの少年が映っている。私は拳を握りしめ、救われた少女たちのピンク色のバスタオルに包まれた姿をじっと見つめた。彼女たちは震えながら、わざと私の視線を避けている。私はカメラを構え、溺れていた少女たちにレンズを向けた。 「助けた少年に、何か言いたいことはあるか?」歯が震え、手のひらは氷のように冷たくなっていく。肩まで伸びた髪の少女が、私のカメラをはじき落とし、40万円もするカメラのレンズにひびが入った。「何撮ってんのよ。さっきまで水にいたの、見てないの?個人のプライバシーって分かってんの?」背の低いもう一人の少女も、同調するように言った。 「最悪。なんでカメラを胸に向けてるの?」私は無言で、穏やかな河面を見つめた。まるで言葉少なかった息子が、疲れ果てながらも必死に足掻いている姿が目に浮かぶようだった。見物人がどんどん増え、私はその輪の外に押し出されていった。少女たちがわざと低くつぶやく声が、私の耳に届いた。「助けてくれなんて頼んでないのに」私は振り返り、二人の少女をずっと見つめた。私の息子、上野健はいつもおとなしく、氷点下の寒さの中で川沿いにスケートをしに行くなんてありえない。彼女たちの姿はどんどんかすんでいき、目が痛くなった。「上野さん、この件どう報道します?」私は無感覚になり、オフィスでエアコンの風を聞きながら座っていた。「事実を書け」二日後、新聞はこう報じた。「少年、命をかけて恩知らずを救う」というタイトルが白い文字に赤く太字で強調されていた。次の日、スマホの画面が明滅し、少女たちのアカウントがライブ配信を始めた。「そのありふれた男が私たちをバーに誘おうとして、断ったら私たちは水に突き落とされたのよ」彼女の頬に流れる涙に、コメント欄は同情であふれた。「うわ、くさい男、ざまあみろ」「お姉さん、辛かったでしょう」「男の子はもっと反省するべきだよね」私はコメントをした。「本当のことを言ってくれませんか?」だが、そのコメ
激しい雨が降り注ぐ中、私は水たまりに落ちた携帯を拾い上げ、服の端で水を拭いていた。すると、突然頭上に影が差した。「すみません、携帯貸してもらえますか?お母さんに電話したいんです」耳に馴染んだ声が響き、私は思わず立ち上がった。瞳孔に息子の幼い顔が一気に映し出された。「健くん?死んでなかったのか?俺は夢を見ているのか?」健は驚いて数歩後ずさり、持っていた傘を地面に落とした。 「何言ってんだよ?死ぬわけないだろ」私は息子を抱きしめ、涙が彼の首筋にこぼれ落ちた。 「パパは本当に会いたかったよ......」健は私を力いっぱい押しのけ、ずれたメガネを鼻に掛け直すと、地面に落ちた傘を拾い上げた。怖がりながらも、彼は私の頭上に傘を差し出してくれた。「ふざけるなよ。携帯貸すかどうか、貸さないならもう行く」なぜ健は私を知らないのだろう?私は携帯を見た。黒い画面には、まだ十代の若い顔が映っていた。熱い感情が胸に込み上げ、私は健の手を握りしめた。神様は私に再び息子と会わせるチャンスをくれたのだ。「行こう、息子よ。家に帰ろう。もう学校なんて行かなくていい。転校しよう」健は眉をひそめ、強く私の手を振り払った。 「息子?頭おかしいんじゃないの?」そうだ、私は若い頃の姿になってしまったから、息子は私のことを知らないのだ。冷静になり、携帯を差し出した。 「はい、パスワードは健くんの誕生日だ」健の目に複雑な感情が浮かび、唇をきつく引き結んで、傘の柄をしっかりと握りしめた。「変態かよ」そう言うと、健は背を向けて雨の中に走り出した。私は大声で注意を呼びかけた。 「走るな、気をつけろ!」健はよろけて水たまりに転んだが、すぐに立ち上がり、そのまま道の角へ消えていった私は携帯を握りしめながら、健の表情や動きを回想していた。心の中に羽毛がそっと触れるような感覚が残り、胸がじんわりと温かくなった。空に一発の雷鳴が響き渡り、私はようやく健の言葉を思い返した。健は母親に電話をかけようとしていたのだ。心臓が激しく脈打ち、立っているのがやっとだった。健の母親は、健が生まれてすぐに亡くなったはずなのに。私は大雨の中、夢遊病者のように家に戻った。古いマンションの入り口には、自転車が雑然と置かれていた。それを避けながら階段を上がり、自宅のドア
私は廊下の雑貨の山で一夜を明かした。翌朝、誰かに蹴飛ばされて目が覚めた。「起きろ、俺は雑貨を売りに行くんだ」私は涙でかすんだ目をこすりながら階段の入り口へと向かった。二階から人影が現れ、健の姿が目に飛び込んできた。「息子、いや、上野さん。大丈夫か?お前の父親、何かしてこなかったか?」健は目の下に濃いクマを浮かべ、疲れた様子でまぶたを持ち上げ、私を見つめた。「お前か、木村さん。俺の親父がさ、また一晩中化学の問題集をやらせやがった。天才少年だなんてただの幻想だよ。努力家に過ぎない」健は、昨日の私の異常さなどすっかり忘れてしまったかのように、あの父親を愚痴り始めた。私は言った。「彼のもとから離れろ。逃げるんだ。あいつらは悪い」健と並んで日差しの中を歩くと、二階はまだ陽の光が当たっておらず、暗い影が広がっていた。男がカーテンを引き開け、冷たい目でこちらをじっと見つめていた。私はそれに負けじと睨み返したが、 健に腕を引かれてその場を離れた。「気にするな。あいつは頭がおかしい」私は 健の後ろで呟いた。 「そうだ、頭がおかしいだ。離れろ、俺だけが 上野さんにとって本当に大事な存在なんだ」私はこの木村多也という人間を知らないが、彼は息子と仲が良いようだ。 健は自転車で私を乗せながら、県内の化学コンテストのことを延々と話していた。「父は俺に市の化学コンテストに出ろって言うんだ。俺が一位を取れば、新聞の一面に載せてやるってさ」私は息子の制服の裾を触り、その痩せこけた背中に手を当て、肩にかかる重たいリュックを支えた。「化学の成績が特に良いわけじゃないのに、なんでお父さんがそのコンテストに出させるんだ?」息子の成績はずっと平均的で、絶対天才少年なんて言えない。「父が、俺に期待してるんだろうな」胸が締めつけられる思いがした。新聞の一面なんて、そんな簡単に載れるものじゃない。あの時、息子が自分を犠牲にして助けた恩知らずが巻き起こしたような社会的騒動でなければ、まず無理だ。「着いたよ、木村くん。ちょっと自転車を停めてくるから、ここで待ってて」息子の背中はまるで一片の葉のようで、ちょっとした風でも吹き飛ばされそうだった。私は心臓がぎゅっと縮むのを感じ、急いで息子の後を追った。その時、 健の近くに二人が寄ってきた
時計はもうすぐ10時になろうとしていた。息子が教科書を閉じ、眠っていた私を揺り起こした。「木村くん、帰ろう」私は寝ぼけたまま机の上を片付け、息子はカバンから牛乳を取り出し、私の手に押し付けた。「牛乳アレルギーだから、これあげる」その瞬間、私は完全に目が覚めた。寝る前にはいつも、息子の栄養補給のために温かい牛乳を用意していた。息子は何度か飲みたくないと言っていたが、私はそれをただのわがままで、私の気を引こうとしているだけだと思っていた。私は罪悪感を感じながら息子の手から牛乳を受け取った。健は口を開き、ためらいながらゆっくりと言った。「木村くん、今回の化学コンテスト、出なくてもいいか?」私はほとんど迷わず、「分かった」と答えた。健の目がまた赤くなりかけたので、私は急いで立ち上がり、彼の肩を軽く叩いてなだめた。「コンテストなんて、そんなに大事か?」健は唇を噛みしめ、手を握りしめて言った。「一度でいいから、父さんを喜ばせたいんだ。父さんは俺に一度も優しい顔を見せたことがないんだ。父さんは俺にとって唯一の家族なんだ」では、家にいるあの見知らぬ女性は誰なのだろう?健はもうニュースを見ているのだろうか?「俺の母さんは、祖母に殺されたんだ。祖母は今でも精神病院にいる。今の母さんが父を騙していることは、とっくに知ってる。でも、父さんが幸せそうにしてるのを見て、俺はその真実を打ち明けることができないんだ」健の静かな顔を見て、私の胸は痛かった。「考えたことあるか?上野くんの父さんはとっくに今の母親が彼を騙していることを知っていたかもしれないって。彼女を暴くためにずっと証拠を集めていて、そのためなら、どんな犠牲もいとわない。上野くんも...」私は健の肩を掴み、言葉を絞り出すように続けた。「上野くんの母さんも」健の瞳孔が一瞬で大きく開き、彼は頭を振りながら、かろうじて笑みを浮かべた。「そんなことないよ。父さんはただ仕事が好きなだけで、そんなことをするはずがない」私はため息をついた。「本当は俺が父さんなんだ」という言葉が言えなかった。「上野くんの家にいるあの男は上野くんの父親じゃない。とにかく、彼の言うことを聞いちゃいけない。僕を信じて」私はスマホを取り出し、「これ、僕の番号だ。何かあったらすぐに連絡して」