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第2話

激しい雨が降り注ぐ中、私は水たまりに落ちた携帯を拾い上げ、服の端で水を拭いていた。すると、突然頭上に影が差した。

「すみません、携帯貸してもらえますか?お母さんに電話したいんです」

耳に馴染んだ声が響き、私は思わず立ち上がった。瞳孔に息子の幼い顔が一気に映し出された。

「健くん?死んでなかったのか?俺は夢を見ているのか?」

健は驚いて数歩後ずさり、持っていた傘を地面に落とした。 「何言ってんだよ?死ぬわけないだろ」

私は息子を抱きしめ、涙が彼の首筋にこぼれ落ちた。 「パパは本当に会いたかったよ......」

健は私を力いっぱい押しのけ、ずれたメガネを鼻に掛け直すと、地面に落ちた傘を拾い上げた。怖がりながらも、彼は私の頭上に傘を差し出してくれた。

「ふざけるなよ。携帯貸すかどうか、貸さないならもう行く」

なぜ健は私を知らないのだろう?私は携帯を見た。黒い画面には、まだ十代の若い顔が映っていた。

熱い感情が胸に込み上げ、私は健の手を握りしめた。神様は私に再び息子と会わせるチャンスをくれたのだ。

「行こう、息子よ。家に帰ろう。もう学校なんて行かなくていい。転校しよう」

健は眉をひそめ、強く私の手を振り払った。 「息子?頭おかしいんじゃないの?」

そうだ、私は若い頃の姿になってしまったから、息子は私のことを知らないのだ。

冷静になり、携帯を差し出した。 「はい、パスワードは健くんの誕生日だ」

健の目に複雑な感情が浮かび、唇をきつく引き結んで、傘の柄をしっかりと握りしめた。

「変態かよ」

そう言うと、健は背を向けて雨の中に走り出した。私は大声で注意を呼びかけた。 「走るな、気をつけろ!」

健はよろけて水たまりに転んだが、すぐに立ち上がり、そのまま道の角へ消えていった

私は携帯を握りしめながら、健の表情や動きを回想していた。心の中に羽毛がそっと触れるような感覚が残り、胸がじんわりと温かくなった。

空に一発の雷鳴が響き渡り、私はようやく健の言葉を思い返した。健は母親に電話をかけようとしていたのだ。心臓が激しく脈打ち、立っているのがやっとだった。

健の母親は、健が生まれてすぐに亡くなったはずなのに。

私は大雨の中、夢遊病者のように家に戻った。

古いマンションの入り口には、自転車が雑然と置かれていた。それを避けながら階段を上がり、自宅のドアの前に立った。

いつも鍵を置いていたはずの玄関マットの下は空っぽだった。ポケットを探ってみたが、鍵は見つからない。

焦りながら鉄の扉を叩き続けた。 「健、開けてくれ、開けろ!」

部屋の中からスリッパが床を擦る音が聞こえ、すぐに見知らぬ女性がドアを開けた。私は驚きで口がふさがらなかったが、その女性は優しく微笑んでいた。

「健くん、お友達?」

私は無意識に自分の顔を触った。

見知らぬ女性の後ろから、見慣れた影が現れた。

40歳の私がその女性の肩を抱いて、まるで知らない人を見るような目で私を見つめていた。

背筋が寒くなった。私が二人存在しているなんて。

「上野直規ですか?」

「俺を知ってるのか?」40歳の私は一瞬顔を強ばらせたが、すぐに平常心を取り戻した。

「俺の記事を読んだんだな?俺は記者なんだ。もしニュースがあれば、教えてくれよ、報酬もあるぜ!」

私は苦笑し、心臓がドキッとした。40歳の私は、若い頃の自分を知らないふりをしているに違いない。あいつは偽物だ。私こそが本物の上野健の父親だ。

「パパ、誰なの?」

「健、よく聞け。こいつらは本当の両親ではない。俺が本当の父親だ」

健はその夫婦の後ろに立っていて、三人とも同じように驚愕の表情を浮かべていた。

「お前、なんでまだ家までついてくるんだよ?俺はお前なんて知らない、さっさと消えろ」健は不機嫌そうに眉をひそめ、ドアを閉めようとした。

私は焦り、手で木製のドアを押さえながら、怒りがこみ上げてきた。

「お前、父親に向かってなんて口をきいてるんだ!あの二人は両親じゃないんだって言っただろ?どうして信じないんだ?早く出てこい、騙されるな!」

私は必死に手を伸ばして健の手を掴もうとしたが、40歳の私は上野健の前に立ちはだかり、不気味に口角を上げた。気持ちは複雑だった。

「俺こそが上野健の父親だ。何もないならもう帰ってくれ。見ての通り、うちの息子は歓迎していないようだしな」

私は目の前にいる16年後の自分に恐れを抱き、震えながら後ずさった。

ドアは勢いよく閉まり、どれだけ叩いても誰も応じなかった。

二階の窓から離れた場所で、私は窓の中で仲睦まじく過ごしている三人家族を遠くから見つめ、涙が頬を伝った。

息子が元気に生きてさえいれば、それでいい。

窓が閉められ、誰かがその窓辺に立っていた。彼はナイフを振り上げ、力強く振り下ろした。その前には背の低い影がいた。影は声もなく倒れた。

それは私の息子だ。

私は悲鳴を上げ、二階に駆け上がり、力いっぱい防犯ドアを蹴った。

「開けろ!ドアを開けろ!お前、息子に何をしたんだ!」

廊下の感知式ライトが次々と点灯し、近所の人たちが顔を出した。

「静かにしろよ。うるさい」

私は慌てて201号室のドアを指差し、 「息子が家にいるんだ。彼は危険な状態なんだ。俺が助けに行かないと!」

「息子だって?お前、何を言ってるんだ。まだ学生だろ?それに、この家がお前の家だって?じゃあ、なんで鍵がないんだ?」

私は自分を見下ろした。昼間にちゃんと着ていたはずの青いシャツが、いつの間にか灰色の制服に変わっていた。

「鍵を、なくしたんだ」

「さっさと行けよ、もう」

「俺に息子なんていないのか?じゃあ俺は誰なんだ?俺って誰なんだ?」私はイライラしながら、着ていた制服を引っ張った。

誰かが手を伸ばし、ICカードを指差した。

「ここに書いてあるだろ?臨水高校、高二三班、木村多也だって」

木村多也?

廊下の灯りが点いたり消えたりする中、私はカードを取り外し、それをきつく握りしめた。安全ピンの先が手のひらに突き刺さり、血が指の間から滴り落ちた。

俺が誰であれ、息子だけは必ず守る。

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