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第139話

翌日、北條守が琴音の代わりに軍罰を受けたという話が、陣営中に広まった。

琴音が捕虜になって以来、二人の件は陣営中だけでなく、邪馬台ほぼ全ての民衆の知るところとなっていた。

最初、琴音は気にしないふりをし、傷が癒えると普段通りの任務をこなした。そうすることで全ての非難を鎮めようとしているかのようだった。

しかし、噂が広まるにつれ、彼女を見る目つきもますます奇妙になり、耐えられなくなった彼女は傷が完治していないという口実で姿を隠した。

守は黙ってすべてを受け入れていた。噂は彼の耳にも入っていたが、何の反応も説明もできなかった。

なぜなら、この件の背後には関ヶ原の戦いや琴音に殺された平安京の民衆の問題など、複雑な事情があることを知っていたからだ。

これらは説明できないことで、説明すればむしろ事態を悪化させるだけだった。

しかし、兵士たちはそれを知らない。彼らは琴音将軍が軍令に従わず、勝手に主力部隊を離れたために敵軍に捕まったと考えていた。

さらに、攻城戦の際、彼女が部隊を率いて突進し、玄甲軍の陣形を乱したことで、上原将軍がほとんど城を攻略できなくなるところだった。

そのため、兵士たちは琴音を軽蔑していた。功を奪おうとする手段があまりにも汚く、自業自得だと思い、誰も彼女を哀れむ者はいなかった。

一方で、守が妻の代わりに軍罰を受けたことで、彼の部下の兵士たちの心を掴んだ。

しかし、北冥軍や元々邪馬台にいた将兵たちは、誰一人として彼を好意的に見ていなかった。戦場で血を流して戦う男たちは、表向きは国や領土を守ると大義名分を掲げるが、誰もが自分の家族を第一に考えているのだ。

北條守は軍功を立てた後、その功績を利用して賜婚の勅旨を請い、一年間彼の両親の世話をしていた妻を捨てた。血の通った軍人なら、誰もが彼を軽蔑していた。

さらに、邪馬台の兵士の多くは昔の上原元帥の部下だったため、当然上原さくら将軍に肩入れしていた。

五月初旬、影森玄武が辺境防衛計画を策定し、数名の将軍に薩摩の守備を任せた後、玄甲軍と北冥軍を率いて都への帰還を開始した。

関ヶ原から派遣された兵は、関ヶ原へ戻ることになった。

位牌の彫刻が完成し、玄武は特別に人員を配置して位牌を護送させた。都に到着する際には、彼と上原さくらが抱いて入城することになっていた。

都は邪馬台から遠く離れており、
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