Share

7.一矢を報いる

Author: 望月 或
last update Last Updated: 2025-03-13 17:37:03

「ヴィル兄さんが崖から落ちた……? 兄さんはっ? 兄さんは無事なんですかっ!?」

 所用で出掛けていたウェリトは、王城へ帰ってきた後国王に呼ばれ、王の間で言われた内容に信じられない気持ちで一杯だった。

「崖下を捜させてはおるが、今も見つかってはいない。スタンリーが言うには、ヴィクタールは自分への嫉妬心から乱心し、崖の上で暴れ騎士達に危害を加えそうだったので、仕方なく斬った。その拍子に足を踏み外して崖から落ちた、との事だ。大怪我もしているし、あの高さから海へ落ちたのだ。きっともう……生きてはいまい――」

「……そんな……!!」

 ウェリトは父の言った言葉を信じなかった。

 まず、ヴィクタールがスタンリーに嫉妬する筈が無い。

 毎回スタンリーとの勝負に負けても、「流石、強いですね」とヴィクタールはいつも微笑んでいた。

 嬉しそうに、弟の成長を喜ぶように。

 それに、いつも冷静な兄が、嫉妬なんかで乱心する筈が無い。

 スタンリーは確実に嘘を言っている。

「……俺、自分の部屋に戻ります……」

「……あぁ。国民にはこの事は暫く伏せておく。混乱を招いてはいけないからな。時期を見て知らせる。お前も、くれぐれもこの事を口外しないように」

「……分かりました」

 ウェリトは父に向かって一礼すると、唇を噛み締めながら自分の部屋に戻った。

 すると、執務机の真ん中に二枚の紙が重ねて置いてある事に気付いた。

 近くに行って紙を手に取ると、細かく文字が書かれており、それは誰かからの手紙のようだっだ。

 ウェリトは首を傾げながら、それを読んでみる。

『ウェリトへ。

お前がこの手紙を読んでいる頃は、オレはもうこの世にはいないだろう。

こんな形で別れる事になってすまない。

オレはもう、生きる希望を失くしてしまったんだ。

こんな情けない兄を許して欲しい。

お前に真実を言っておく。

パーティーの日、オレを嵌めたのはスタンリーとヘビリアだ。ヘビリアが自分が王妃になりたいが為にスタンリーと協力して起こした事件だ。婚約者をオレではなく、次期国王の可能性が高いスタンリーにする為に。そしてスタンリーは、海獣神を召喚に必要な『聖なる巫女』の血を引くヘビリアを得る為に。

オレは潔白だ。ちゃんと正礼服を着ていたし、服もシーツも乱れが全く無かった。

隣にいた女が、最初から脱着が簡易なワンピースだったのも怪しい。女の参加者は全員ドレスなのに。

最後に彼女が言った「ごめんなさい。どうか許して」の言葉は、スタンリーとヘビリアが彼女にそれをやらせた事に対するオレへの謝罪だと、そう捉えた。

お前なら、オレの言う事を信じてくれると思っている。

お前は城で、唯一オレの味方だった。お前に慕われて、オレはとても嬉しかったんだ。

こんな兄を好きと言ってくれてありがとな。

お前はオレの自慢の弟だよ。

残酷で理不尽な世界だけど、お前は生きろよ。生きていれば、きっと良い事があるからさ。

……なんて、自ら命を絶つオレが言う台詞じゃないな。悪ぃ。

死ぬ前に、オレはアイツらに一矢を報いるよ。その結果、きっとオレはスタンリーに斬られるだろう。

これも計算の内だから気にするなよ。騎士達に不信を抱かせる為にな。ザマーミロだ。

じゃ、いつまでも元気でな。お前は幸せになれよ。

ヴィクタール』

「――うっ、うぅ……っ。兄さん……ヴィル兄さん……っ」

 堪え切れず、ウェリトの両目からボロボロと大粒の涙が零れ出る。

 昔の口調に戻っているその手紙は、例え生きていたとしても、王家には戻らない事をハッキリと示していて。

 『ヴィクタール』の名前の下の余白に書かれてあった殴り書きのような一言に、ウェリトは泣きながら苦笑した。

「兄さん……それは無理だって……。俺を過大評価し過ぎだよ……。――なぁ兄さん……。辛かったよな……? 実の弟と婚約者に裏切られて……。国民にも理不尽に嫌われて……。死にたくなる程に絶望したよな……? ――兄さん……兄さん……っ。うああぁぁっ!!」

 ヴィクタールの手紙を抱きしめ、ウェリトは暫く咽び泣いた。

「……兄さん……。俺の大好きなヴィル兄さん……。兄さんの無念は、俺が必ず果たすよ……。証拠を絶対に掴んでやるから――」

 涙をグイッと腕で拭うと、ウェリトは天の国にいるであろうヴィクタールに強く誓ったのだった。

 ヴィクタールの遺書は、他に重鎮の部屋や騎士達の宿舎にも置かれており、内容はウェリトに宛てた手紙の前半部分とほぼ同じだった。

 証拠が無い為、決定的な打撃にはならなかったが、スタンリーとヘビリアへの不信感を抱かせるには十分な内容だった。

 スタンリーはそれに対して必死に火消しに周り、心身共に酷く消耗する羽目になる。

「……あんのクソ兄貴があぁーーッッ!!」

 そんな叫び声が、スタンリーの部屋中に響き渡ったという――

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Related chapters

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   8.リントン侯爵家の姉妹

     リシュティナ・キャンベラは、リントン侯爵家で働く使用人だ。  茶色の真っ直ぐな髪を腰上で切り揃えており、前髪は目元まで掛かり両目が見えない。  声は掠れてしわがれた声色をしていて、その声を聞くとまるで老婆が喋っているようだった。  そんなリシュティナの見た目と声は、リントン侯爵家の次女であるシャーロットの苛めの対象になっていた。  彼女は、赤茶色の巻き毛の髪と同じ色の瞳を持つ、二十歳だ。自由奔放で我が儘で、毎日使用人達の手を焼いていた。 「ほら、ココも汚れてるわよ? 早く掃除しなさいよっ」  シャーロットに、床清掃用に置いてあった水が入ったバケツを思い切り蹴られた。  バケツがガランと音を立てて転がり、水が飛び出る。 「あーもうやだぁ! アタシの足が汚れたじゃないの! 何やってんのよこのグズ! ノロマッ!」 「……あっ」  シャーロットに足を蹴られ、リシュティナがよろめき地面に倒れ込んだ。 「根暗がいるだけで空気が悪くなるのよ! さっさとアタシの視界から消えていなくなりなさいよっ!」  倒れたところにまたシャーロットの足が襲い掛かり、リシュティナは身体を丸めて耐える。 「――まぁたやってんのぉ、シャーロット? あんたも飽きないわねぇ」  そこへ、リントン侯爵家長女のヘビリアが呆れ顔でやってきた。 「あっ、お姉様! だってコイツ苛めるの面白いんだもん。この顔でババァの声を出して呻くんだよ? もう可笑しくてさー! キャハハッ」 「見える箇所はダメよぉ。やるなら見えない場所にしなさい?」 「分かってるわよ、お姉様♡ キャハハハッ」  ニタリと嫌な笑みを作り、リシュティナの腹部を蹴るシャーロット。 「ホンット不細工な顔と声ねぇ。不快だわぁ」  ヘビリアは嫌そうに吐き捨てると、その場から歩いて去って行った。 「あっ、待って下さいお姉様~!」  苛めに飽きたのか、シャーロットは蹴りを止めてヘビリアの後ろに付いて行った。  リシュティナが長い息を吐いてそろそろと起き上がると、そこに男性の手が差し伸べられた。 「大丈夫かい? 相変わらずシャーロットお嬢様は酷い事をするね……。助けられなくてゴメンよ? ボクが君を助けると、余計にシャーロットお嬢様の暴力が増してしまうから……」  彼の名はロッゾ・バートル。リントン侯爵家の使用人で、

    Last Updated : 2025-03-14
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   9.理不尽な言い分

    ヘビリアは、機嫌悪くリントン侯爵家に帰宅した。「何よスタンリーの奴っ! 偉そうに『五月蝿いッ! 僕に話し掛けるなッ!!』って! 何様のつもりよ!? ――あぁ、でも我慢よ……。王妃になるには奴に取り入るしかないもの……。でもムシャクシャするわぁ! 何かで発散しないと気が済まないわぁ!」 不機嫌丸出しのヘビリアがふと庭園を見ると、リシュティナとロッゾが仲良さそうに笑い合いながらお喋りをしている。 ヘビリアはそれを見て、口の両端を持ち上げ、舌を出しニタリと嗤ったのだった――********「この時間は、ヘビリアお嬢様のお部屋の清掃ね」 リシュティナは掃除用具を持って、ヘビリアの部屋に向かった。 すると、彼女の部屋の扉がほんの少し開いている事に気付く。「お嬢様、閉め忘れて行ったのかな?」 扉に近付くと、中からヘビリアと、自分のよく知る声が聞こえてきた。(この声は……ロッゾさん?) 扉の前で立ち止まり、何気なく二人の会話を聞く。 会話が途切れたらノックをし、清掃に来た事を伝えるつもりだったのだ。「へ、ヘビリアお嬢様……。いいんですか、ボクなんかで?」「えぇ、勿論よぉ。あたしを受け入れてくれるかしら?」「そ、それこそ勿論です! 嬉しいです……お嬢様とこんな――」「あたしもよぉ。でもいいの? あんたにはリシュティナとかいう娘がいたわよねぇ?」「あ、あんな婆さん声の根暗女なんてどうでもいいんです! 冗談で告白したら本気にしちゃって、仕方なく付き合ったんです! ヘビリアお嬢様に比べたら天と地の差ですよ!」「あらぁ、そう? ウフフッ。――じゃあ、こっちにきて……?」「お嬢様……っ、アナタの産まれたままのお姿は女神様のようで……すごく綺麗です……っ」「…………っ」 リシュティナは二人の会話を聞き、中を一度も見ないでその場から逃げ去った。何をしているかは……経験の無い彼女でも分かった。 庭園の隅に駆け込むと、蹲り息を整える。落ち着いてくると、先程の二人の会話が思い出され、両目から大粒の涙が溢れ始めた。(――冗談、だったんだ……。それに気付かずにあんなに喜んで……。ホント馬鹿みたい、私……) 胸がズタズタに切り裂かれたみたいに酷く痛い。涙が次々と零れ出て止まらない―― 涙が果てるくらいまでひとしきり泣き、心が落ち着いてきた頃には一時間が経過

    Last Updated : 2025-03-14
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   10.死にたがりの二人

    「ん……?」 意識が覚醒し、ヴィクタールはゆっくりと目を開けると、そこは何処かの部屋の中のようだった。「――あ、目が覚めましたか?」 すると、近くで掠れてしわがれた声が聞こえてきた。 老婆がいるのかと思い、聞こえてきた方に目を向ける。 そこには茶色の腰上まである真っ直ぐな髪に、前髪で目が隠れた若い女性が椅子に座り、微笑みながらこちらを見ていた。 声の主は、この女性のようだ。 どうやら自分は、ベッドの上に横たわっている状態のようだった。「どこか痛いとか、気持ち悪いとかありますか?」 掠れた声音で、続けて訊かれる。「……オレは……」 何故こういう状況になっているのか、額に手を当て、今までの事を思い返してみる。(――そうだ。オレはスタンリーに深く斬られて崖から落ちたんだ……!)「おい……! 何でオレは生きてんだっ!?」 そう叫び、勢い良く起き上がったヴィクタールは、突然の目眩にクラクラし、耐え切れず再びベッドに沈み込んだ。「くっ……」「あっ……駄目ですよ、急に起き上がっては。傷が塞がっても、出血した分の血は完全に戻っていないのです。貴方は今、貧血状態なんですよ。ですが、栄養のあるものを食べれば直に回復しますよ」 ヴィクタールに毛布を掛け直し、女性――リシュティナは優しい口調でそう言った。「傷が塞がっても……?」 ヴィクタールは毛布をめくり、己の身体に目を向ける。「……っ?」 自分が全裸な事にまず驚いた。「あ……す、すみません。貴方の服が海水に浸されびしょ濡れだったので、脱がして洗濯して今干しています。男性用の替えはここには無くて……。緊急だったので、買いに行く時間も無く……。身体はあまり見ないようにしたので……」「……あぁ、そういう事か。いや、いい。別に見られても構わない」 リシュティナが頬を染めながら説明をすると、ヴィクタールは首を振って答えた。 彼は続いて胸元と腹を見る。あんなに深く斬られた筈の傷がすっかり癒えている事に、更に驚いた。「……お前がオレを助けたのか?」「え? ……えぇ、まぁ……」(回復魔法を使ったのか? あの大傷をここまで完全に治すには、強力な回復魔法でないと無理だ。そんなに魔力のある上級魔導士には見えないが……) ――しかし、それよりも。「……何故助けた……」「え?」 ボソリと呟かれた言

    Last Updated : 2025-03-15
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   11.王子の予期せぬ行動

    「さぁ、温かい内にどうぞ」 トレイに乗せ、湯気の出た具沢山のスープと焼いた丸パンを持ってきたリシュティナは、ベッドの隣にある小さなテーブルの上にそれを置いた。 その美味しそうな匂いに、ヴィクタールは朝から何も食べていない事にようやく気付き、同時に腹の虫がグゥと鳴った。「…………」「ふふっ、遠慮無くどうぞ? 勿論毒は入っていないので大丈夫ですよ。毒味をしましょうか?」「いや……大丈夫だ」 微笑むリシュティナに促され、ヴィクタールは羞恥を隠す為ブスリとした面持ちで上半身を起こすと、スープの器を手に取った。 スプーンで掬い、それを口に入れると、ミルク風味の温かく優しい味わいが口の中一杯に広がり、ヴィクタールは思わず、「うまっ」 と口に出して言ってしまった。「お口に合ったようで良かったです」 リシュティナはそれを聞き、嬉しそうに微笑む。「……今まで温かい飯なんて食べた事無かった……。毒味をした後だったから、毎回冷めてて……。こんなに……こんなに美味いんだな……。温かいだけじゃなく、味付けもすげー美味い……。こんなに美味い飯がこの世には存在していたのか……」「え、えぇっ……? いえ、そ……そんな、そこまででは……。ほ、褒め過ぎですよっ?」 両手を激しく左右に揺らし、アタフタとするリシュティナの姿に、ヴィクタールは思わずフッと笑ってしまった。 その後がっつくようにスープとパンを食べ、スープを二杯おかわりをしてお腹を満足させたヴィクタールは、再び毛布に包まり、ベッドに横になった。 良い匂いのする毛布に、また何とも言えない気持ちになってくる。 気を紛らわす為に窓を見てみると、外は真っ暗だった。もう夜も深いのだろう。 天井をボーッとしながら眺めているヴィクタールの近くに、ご飯の後片付けを終えたリシュティナがやってきた。「夜も遅いので、宜しければ一晩泊まっていって下さい。ベッド、そのまま使って構いませんよ。母と一緒に眠っていたベッドなので、広くて快適でしょう? ゆっくりと休んで下さいね」 微笑みながら言うリシュティナに、ヴィクタールは疑問に浮かんだ事を訊いてみた。「……なぁ。何でお前はオレにこんなに良くしてくれるんだ。お前はオレが王族だって気付いてるんだろ? 世話して金をせびる為か? やっぱり金の為なのか?」「えっ!? そんな――馬鹿にしな

    Last Updated : 2025-03-16
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   12.リシュティナの危機

     リシュティナは、己の今の状況を理解するのに少々時間を要した。 頭の脇に固定された自分の両手首は男性特有の大きな手によって掴まれ、身体の上には、細身で引き締まった身体を持つ、全裸の美丈夫が伸し掛かっている。(わぁ、腹筋が綺麗に六つに割れてる……。鍛えてるなぁ。すごいなぁ) と、脳が現実逃避を選んで脈絡の無いものに感嘆している。 それより下は決して見てはいけないと、続けて脳が警告を発し、リシュティナは慌てて上に視線を向けた。 そして、紫色の神秘的な瞳と目が合った。 しかし、その瞳は光が灯っておらず、泥沼のように淀んでいる。 リシュティナは、そんな濁った彼の瞳の奥に、揺らめく一つの感情を見つけた。(……傷付いている……? この……自分自身の行動に……? 泣きそうになってる……?) ――あぁ……彼にこれ以上、こんな愚行を続けさせる訳にはいかない。 彼が更に傷付くだけだ――「で――」 「殿下」、と呼ぼうとした時、リシュティナは自分が重大な失念を犯した事に気が付いた。「あっ、しまった! “薬”! “薬”飲まなきゃ……っ! もう『効果』が切れてるっ!」 通常、その薬は夜には飲まないのだが、今日はヴィクタールがいる。 彼を助ける為にバタバタしていて、すっかり忘れてしまっていた。 薬は水と一緒に服用する為、台所にある。 リシュティナはヴィクタールから逃れようと何度も身を大きく捩ったが、全く効果は無く。「コラ、暴れんじゃねぇよ。ぶつかって怪我でもしたら大変だろうが」 心做しか優しい口調と、状況にそぐわない身体を心配する言葉で窘められ、再び動きを封じられてしまった。 キョロキョロと忙しなく顔を動かし、慌てふためくリシュティナの顔を、ヴィクタールは真顔でジッと見つめる。「前髪……邪魔だな。目、見せろよ」 そうボソリと口にすると、ヴィクタールは片手をリシュティナの前髪に近付け、それを掻き上げた。「あ――だ、駄目っ!」「っ!?」 そこには、海のような蒼色にキラキラと輝く、吸い込まれそうな位神秘的な瞳があった。 微かに潤みを含ませ輝きを増しているそれは、心の奥底に長い間鎮座していたヴィクタールの情欲をムクリと起こすのには十分で。 しかし、左の瞳には何故か一切光が入っていなかった。それでも魅惑的に感じる事は確かだ。 ヴィクタールは言葉を失

    Last Updated : 2025-03-17
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   13.懐かしき唄

     結局、ヴィクタールには毛布に包まって貰い、リシュティナは改めて話を始めた。「最初にお尋ねしますが、海獣神ネプトゥーの“愛し子”である『セイレン』は御存知ですか?」「『セイレン』? あぁ、美しい歌声で人々を“魅了”し惑わせるっていう、半人半魚の事だろ?」「はい、その『セイレン』の血を引く者が母だったんです」「は……」 ヴィクタールは小さな声で話すリシュティナを凝視した。前髪の隙間から、神秘的な蒼色の瞳が見え隠れする。「母も、人々を“魅了”する声帯を持っていました。けれど母は強い魔力があった為、その力を制御出来ました。私もその声帯を持って産まれたのですが、私の場合、魔力が全く無かったので、その力を制御出来ませんでした。だから母は、声を枯れさせる薬を作ってくれ、私は毎日それを飲んでいました。朝飲んで夜に切れる即効短時間型の薬だったので」「魔力が……全く無い……?」 ヴィクタールは、リシュティナの言ったそれが胸に引っ掛かった。(魔力が無いって事は、回復魔法も使えないじゃないか。じゃあ、オレの大怪我をここまで綺麗に治したのは……?)「私の目の色も、『セイレン』特有の瞳の色だから人前では常に隠しなさいと母に言われ、前髪で隠していました。私の声の力は、唄を歌った時と、感情を込めた時に発動するので、今のように普通に喋る分には大丈夫なのですが、ふとした瞬間に感情が出てしまう場合もあるので、毎日の薬は欠かせないんです」「……成る程な……。――その、お前の母親は……?」「二年前に病気で亡くなりました。私は母から薬の作り方を教わっていたので、今もこうして薬を飲み続けながら生活をしています」「そうか……」(……ここまで父親の話が出ていないって事は、訊いちゃいけない事柄なんだろうな……)「話してくれてありがとな。――その、気になったんだが、その薬って喉に負担は掛からないのか?」「声帯を強制的に枯れさせるので、多少負担はありますね」「その“魅了”に掛かってしまった場合の効果時間はどれくらいだ?」「えっと……恐らく数時間程度だと思います」「じゃあ今日はもう飲むな。オレの前では飲まなくていい。理由が分かったしな」 リシュティナは、ヴィクタールに戸惑いの表情を向けた。「怖く……恐ろしくないんですか? 私が――」「いや、全ッ然? もっと怖ぇ女を知ってるし」

    Last Updated : 2025-03-18
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   14.夜が明けて

    「初対面の女に抱きついて、泣き喚いて泣き疲れて寝る――って、どこのガキだよオレは……」 ――翌朝。 フッと目を覚ましたヴィクタールは、そこがリシュティナのベッドの上だと分かると、昨日の自分の痴態を思い出し、頭を抱えて蹲った。 けれど、気持ちはとてもスッキリとしていた。流した涙と共に、ドロドロした膿のような感情が洗い流されたような気持ちだ。「いたっ」 台所からリシュティナの声が飛んでくる。いつでも聞いていたい位の、鈴を転がすような澄んだ声音。 薬は飲んでいないようだ。(……にしてもアイツ、昨夜からちょくちょくどこかをぶつけてるな……。ドジっ子なのか?) 『ドジっ子』という言葉に、自分で言って自分で苦笑していると、リシュティナが畳まれたヴィクタールの服を両手に乗せてやってきた。「おはようございます、殿下」「……あぁ、おはよ」 痴態をやらかした昨日の今日なので、何だか座り心地が悪い。「服、乾いていたのでお持ちしました。破けている箇所は一応縫っておきましたが、下手なので縫い目が目立つし、すぐに買い替えて下さいね」「別に構わない。ありがとな」「いえ、お礼を言われる事は何も。――着替えたら朝ご飯にしましょうか。昨日のスープがまだ残っているので、それでも宜しいですか?」「あぁ、寧ろそれが嬉しいよ。色々と済まないな」「いえ、気にしないで下さい。――スッキリされたようで良かったです。朝ご飯の準備してきますね」「――!」 リシュティナはヴィクタールに服を手渡しニコリと笑うと、再び台所に戻っていった。「いたっ」 ……また、どこかぶつけたようだ。 ヴィクタールは自分の顔を触ると、照れ臭いような、むず痒いような気持ちになったのだった。◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆「殿下はこの後どうされるのですか?」 朝ご飯を、今度はダイニングテーブルで美味しく戴いた後、リシュティナが後片付けをしながらヴィクタールに質問した。「……あぁ。そう言えば考えてなかったな……。昨日は死ぬ事ばかり考えて――」 そこで、ヴィクタールはハッとなってリシュティナに勢い良く尋ねた。「なぁ! オレさ、掌位の小さな箱を持ってなかったか!?」「え、箱? ――あぁ、ごめんなさい。すっかり忘れてました。これですね」 リシュティナは頷くと、棚の上に置いてあった、掌に乗る大きさの箱を取ると、

    Last Updated : 2025-03-19
  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   15.海の精霊

    「海の精霊、レヴァイ……? 人の姿をしていて、自由に姿を現す事が出来る――お前、上位の精霊だな? リシュティナってアイツの事か?」「おや? まだお互いの自己紹介もしていませんでしたか。まぁ、死にたがりのお二人ならそれは意味の為さないモノですもんね。どうせすぐに死ぬんですからねぇ」 ニヤニヤとしているレヴァイに、ヴィクタールは怪訝な顔を向ける。「死にたがりの二人……? 一人はオレなのは分かるが、どうしてアイツも入ってるんだ?」「だって彼女、死ぬ為に海辺に行ったんですよ。そこでアナタを見つけてしまった」「は……っ?」 それを聞いて固まってしまったヴィクタールに、レヴァイは両目を半月にしてクスクスと笑う。「さぁて、ここでアナタに質問です☆ ここはリシュティナと彼女の母君が共に暮らしていた家、場所は町から少し外れた森の中。アナタは正反対の海辺に倒れていました。ここまでの長い道程を、誰がアナタをせっせと運んだのでしょうか?」「誰が……」 確かに、リシュティナのような華奢な身体の女性では、成人男の自分を抱えて運ぶのは無理だ。「…………」「はーい、時間切れ☆ 正解はワタクシでしたぁ。アナタを浮かばせて運んだのですよ。難しかったですか?」「そんなの分かるわけねぇだろ……」「クヒッ。さて、次の質問です☆ アナタは海辺で倒れていた時、あちこち骨折をしていて打撲や裂傷も激しく、胸の傷からの大量出血で、いつ死んでもおかしくないほどの虫の息状態でした。それをサラッと華麗に治したのは誰でしょう?」「…………」「おや? これも難しいですか? 仕方ないですね、そんなアナタに特別ヒントを差し上げましょう☆ リシュティナは魔力が全く無いので魔法は使えず、勿論回復魔法も使えません。そうなると……消去法で考えたらすぐに分かりますよね?」「…………お前、か?」「はーい、大正解☆ 海は『全ての生命の母』と呼ばれていますからね。海の精霊のワタクシは最上級の回復魔法なんてお手の物ですよ♪」 得意げにふんぞり返り過ぎてシルクハットが落ちかかっているレヴァイに、ヴィクタールは頭を下げた。「……礼を言う」「いいえ~? モチロン、タダでは治しませんよ? 精霊の世界は『等価交換』です。それと同等の“対価”をリシュティナから戴いたので、御礼には及びませんよ。最初に申し上げた通り、御礼

    Last Updated : 2025-03-20

Latest chapter

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   32.召喚決行の日

     海獣神ネプトゥーを召喚する決行の日がやってきた。 『召喚の間』には、国王を始め、王国の重鎮達や貴族達、抽選で選ばれた国民達が集まり、魔法陣の上に立つスタンリーを固唾を呑んで見守っている。 第三王子のウェリトは、船に乗り隣国の視察に行っているので、この場には居ない。 スタンリーの隣には、『聖なる巫女』の直系の血を引く、リントン侯爵家の長女であるヘビリアが笑みを浮かべて立っていた。 二人の左手の薬指には『古の指輪』がそれぞれ嵌められ、キラキラと輝いている。 しかし二人共、指輪が少し小さかったようで、指の真ん中辺りで止まっていた。 見守る貴族の中に、海を渡って外交をしており、いつも屋敷を不在にしているリントン侯爵家当主の姿もあった。 ピンク色の珍しい髪に少し白髪が交じり、金茶色の瞳を持つ、穏やかな風貌のリントン侯爵は、静かな眼差しでヘビリアを見ている。 その隣には、リントン侯爵夫人が少し青褪めた顔で夫の様子をチラチラと窺っており、その母の隣でシャーロットは、ウットリとした面持ちでスタンリーを見つめていた。 スタンリーは、海獣神召喚にかなりの自信があった。 自身の魔力はこの城の者達の中で一番高いし、ヘビリアとも幾度となく“絆を結んでいる”。 万が一の為の“保険”もしてある。 失敗する要素が何一つ無い。 先日、王家に言い伝えられている『伝承』を再確認しようと書物を調べていると、興味深い文章を発見した。 “魔力高き王族の者と、『聖なる巫女』の直系の血を引きし者との“絆”が更に強く深まる時、伝説の獣神の召喚が成功するであろう”、と。 今の自分に全て当て嵌まっているので、スタンリーは、海獣神を召喚したら、次は伝説の獣神を召喚を試みようと目論んでいた。 それで更に王国内で自分の評価は急上昇するだろう。 もしかしたら、海を越えて世界中でもその名誉ある評判は広まるかもしれない。 スタンリーはニタリと口の両端を持ち上げると、真面目な顔を作り観客に厳かに告げた。「では、海獣神の召喚を始める」 スタンリーは目を閉じ、詠唱を唱え始めた。「――海獣神ネプトゥーよ、我の呼び掛けに応えよ!!」 詠唱が終わり、スタンリーが最後の言葉を放つと、魔法陣が赤く輝き出した。「赤色……? 儂の時は確か青色だった気が――」 淡く輝く魔法陣の色に、国王が疑問の言葉を

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   31.求め合う二人

     リシュティナには、いつ朝が来たか分からない。 眠りから目覚めて瞼を開けても、ただ一面暗闇が広がっているだけだからだ。 今も脳が覚醒し始め、そっと瞳を開けても、目の前は闇一色だ。 身体から、ヴィクタールの温もりが消えていた。「……ヴィル?」 上半身を起こし、小さな声でヴィクタールに呼び掛ける。 しかし、返事は無い。暫く待ってみても、返ってこない。 リシュティナは、真っ暗闇の中、急に独り取り残されたような疎外感に襲われた。「ヴィル……ヴィル、どこ? どこにいるの……?」 震える声でヴィルを呼びながら、カタカタと小刻みに揺れる手を前に伸ばす。「ヴィル――」 泣きそうになった、その時。「――リィナ」 待ち望んでいた声が聞こえたと同時に、伸ばされたリシュティナの小さな手を、大きく温かな手がギュッと握り締めてきた。 そのまま引っ張られ、いつもの温もりがリシュティナの身体全体を包み込む。 その温もりに、無意識にホッとしている自分がいた。「悪ぃ、手洗いと顔を洗いに行ってた。グッスリ寝てたからまだ起きないと思ったんだ。大丈夫だ、オレはお前に黙って遠くへなんて絶対行かない。死んでもお前の隣にいるって言ったろ?」 ヴィクタールは、リシュティナの震える身体を労るように更に深く抱きしめ、自分の額を彼女の額にコツンと当てた。「怖がらせちまって悪かった。けど、オレを求めてくれてすっげぇ嬉しかった。もう無いようにするが、万が一またこんな事があったらすぐ声を出してオレを呼んでくれ。すっ飛んで来るから」「…………うん、ありがとう」「ん。もっとオレを求めていいからな?」 ヴィクタールは嬉しそうな声音を出すと、リシュティナを抱きしめたまま、その首筋に自分の顔を埋めた。 滑らかなリシュティナの首筋に、ヴィクタールは甘えるように頬を擦り寄せている。(あぁ……どうしよう。私もヴィルに依存しちゃってる……?) リシュティナの心の中で、ヴィクタールを“魅了”から解放してあげたい気持ちと、ずっとこのまま彼と一緒にいたい気持ちがせめぎ合い、心揺らぐ自分が嫌になるのであった……。◆◇◆◇◆◇◆◇◆ “魅了”を解除する方法を探そうと決意したリシュティナだったが、一つ大きな難関があった。 それは、ヴィクタールが文字通りリシュティナから離れない事だ。 朝の件があってか

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   30.王子の変化

     ヴィクタールは宣言通り、リシュティナから片時も離れようとはしなかった。 歩く時は指を絡めて手を繋ぐ。町で歩く時は勿論、家の中にいる時でもだ。 リシュティナがそっと立ち上がると、直ぐにヴィクタールが反応し、「どこに行くんだ? 一人じゃ危ねぇよ」 と、必ず手を掴まれ指を絡ませてくる。「えっと……ちょっと物を取りに行くだけだよ。場所は分かるから、手探りで行けるよ。一人でも大丈夫――」「ダメだ。そう言ってどこかにぶつかったらどうすんだ。言えばオレが取りに行く。お前はオレの傍で座っているだけでいいんだ」「え……そんな、悪いよ……」「全然悪くない。もっとオレに頼ってくれ、リィナ。オレはお前の為なら何でもやる。人を殺せと言われても、お前がそれを望むなら喜んで殺ってやるさ」「そ……そんな事絶対に言わない!!」「あぁ、そんなの知ってるよ。けど、それだけオレは本気だという事を分かってくれ」「…………」 こんな風に、過保護に拍車が掛かっている。度々不穏な台詞を言ってくるのが心臓に悪いけれど。 手洗いや浴室までついてこようとしたので、それは流石に全力で阻止した。「一人で出来ねぇだろ? オレが手伝う。最初から最後まで」「てっ、手伝……!? 最後まで!? だっ、大丈夫だよ、出来るから! 手探りで何とかなるから! 流石にものすっごく恥ずかしいからっ!」「……あぁ、いいな。オレに対してすごく恥ずかしがるリィナを眺めていたい――」「ヴィルッ!」「……分かったよ。チッ……」 とても不服そうな声を出され、更に舌打ちまで聞こえてきたけれど、そこは絶対に譲れない! とリシュティナは心を鬼にしたのだった。 ご飯はヴィクタールが作ってくれた。リシュティナの料理を手伝ってきたからか手際が良く、味も満点だった。 彼は一度教えたら、すぐにコツを掴んで何でもやってのけるのだ。 だからリシュティナは、町の人がヴィクタールについて噂していた、「何をやっても中途半端」「兄の方が出来損ない」とは全然違う事に疑問を持っていたのだった。 ――そしてそこでも、彼女にとって羞恥の時間が待っていた。「ほら、リィナ。あーんしろ、あーん」 ヴィクタールがリシュティナにご飯を食べさせたがるのだ。「あ、『あーん』て……。じ、自分で食べられるよ。大丈夫だから……」「ダメだ、こぼすだろうか。

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   29.いつまでも傍に

     視界が、真っ黒に染まっていた。 目を開けている筈なのに、一面に塗り潰された黒。 それ以外、何も無い。(――あぁ、本当に見えなくなったんだな……)「レヴァイ? レヴァイ……そこにいる?」「はーい☆ レヴァイ君、ここにいますよ~」「良かった……。ヴィルは? ヴィルは治った?」「えぇ、もうすっかり元気でピンピンですよ☆ けど、盲目の貴女の面倒を看切れないからって、どこかに行っちゃいましたよ。いやぁ、本当薄情ですねぇ。折角貴女が視力を失ってでも治したのに」「……そう……」 リシュティナは小さく頷くと、微笑んだ。「……良かった。ヴィル、こんな私の傍にいたら迷惑掛けるだけだもん。自分の行きたい所へ行って、幸せになってくれるといいな。折角『生きよう』って思ってくれたんだから」「おや? 恨まないんですか?」「え、何で? これは私が決めて勝手にやった事だよ。私は私の大切なヴィルに生きていて欲しかった。生きて幸せになって欲しかった。ただそれだけ」「おやまぁ、何とも健気ですねぇ。そんな絶望的な状態になって、死のうと思いますか?」 リシュティナは、レヴァイのその問いに首を横に振る。「ううん、思わないよ。だってヴィルが生きてるんだもん。離れていても、彼が生きている限り、この同じ空の下で一緒に生きるよ。そう……『約束』もしたから。……でも、何も見えないと本当不便だね……。それに、真っ暗だとやっぱり怖いね、ふふっ……。――ねぇレヴァイ、“対価”を渡すから、歩いててぶつかりそうになったら教えてくれる? あとは欲しい物がある場所とか――」「――そんなモン、コイツに頼む必要はねぇっ!!」 突然割り込んできた馴染みのある声に、リシュティナはビクッと身体を震わせた。「え? もしかして……ヴィル?」「この仮装悪魔がっ! 無理矢理オレに『沈黙魔法』を掛けやがって……! はっ倒すぞ!?」「おやまぁ、強制的に魔法を解除しましたね。流石莫大な魔力を秘めているだけありますねぇ。でも良かったでしょう? リシュティナの本音が聴けたのですから」「……クソ悪魔がっ!!」 ヴィルの悪態をつく声が聞こえたと思ったら、リシュティナの身体がふわりと温かいものに包まれた。「このバカッ! オレがお前を置いてどこかに行くわけねぇだろうが!! オレの幸せはお前と共にあるんだよ! お前がいなき

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   28.貴方を失うくらいなら

    「ほら、さっさと持ってこないとまた刺すよ? いいのかな? このまま兄上が死んでも、さ?」 スタンリーはニヤニヤとしながら、鮮血の滴り落ちる短剣をリシュティナにわざとらしく見せる。「……わ……分かりました。だから……だからもうこれ以上、ヴィルを傷付けるのは止めて下さい! 約束してくれたなら、その指輪を持ってきます!」「あぁ、いいよ? 僕は嘘はつかないから安心するといい。君らと違ってね? アハハハッ!」 嘲笑いながら肩を竦めるスタンリーにリシュティナはギュッと唇を噛み締めると、家の方へと走っていった。「……フフッ、ねぇ兄上? あの女、兄上の大切な子なの? 随分と趣味が悪いねぇ。老人声だし、ヘビリアと正反対じゃん。彼女に振られたからって趣向替えでもしたの? そうだ、あの女を兄上の目の前で犯せば、兄上は悔しがってくれるかな? 僕の好みじゃ全然ないけど、身体は好みかもしれないしね。あの女が戻ってきたら早速始めようか? ククッ……」 スタンリーがうつ伏せで倒れ込むヴィクタールの傍に屈み、意地の悪い笑みを浮かばせながらそう言うと、ヴィクタールはゆっくりと顔を上げた。 その顔を見て、スタンリーは「ヒッ」と息を呑む。「おい、ゲス野郎……。そんな事しやがったら、オレはテメェを地獄以上の苦しみを与えて殺し、テメェが地獄に逃げて逝っても追い掛けてグッチャグチャになるまで殴って斬り続けるからな……。死んでも絶対に許さねぇ……」 激しく鬼気迫るヴィクタールの表情に、スタンリーの身体が無意識に大きく震える。「ふ……ふんっ! 僕より劣っていて、刺されて何も出来ない癖に何を言ってるんだか……っ」 悪態をつきながら、スタンリーはさり気なくヴィクタールと距離を取った。 その時、リシュティナが小さな箱を持って戻って来た。 スタンリーとヴィクタールが離れている事にホッと息をついたリシュティナは、表情を引き締めるとスタンリーに箱を差し出す。「どれどれ……」 スタンリーはリシュティナから奪うように箱を取ると、中身を確認する。 二つの指輪が、ちゃんとその中に入っていた。「――あぁ、そうだ、これだよ! ハハハッ! これでようやく海獣神を召喚出来る! 『富』と『力』は全て僕のものだっ!!」 スタンリーは大きく高笑いすると、クルリと踵を返した。「目的も果たせたし、僕はこれで失礼す

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   27.悪魔のような男

    「す……スタンリー殿下に御挨拶申し上げます」 ハッと我に返ったリシュティナは、慌てて立ち上がるとスタンリーに敬礼をした。(薬、前もって飲んでて良かった……。けど何でスタンリー殿下がここに? ……もしかして……ヴィルを捜して……!?) スタンリーは、リシュティナの声を聞いて眉をあからさまに顰めた。「……ふぅん。ホントに不快な声を出すんだね、君。まぁいいや。兄上はどこ? ここにいる事は分かってるんだけど。ずっと……ずーっと捜してたんだよ」「………っ!!」(やっぱり……! どこで気付かれてしまったの……? 町の人達じゃ絶対にないわ。皆、ヴィルの事を私の兄だって信じてたもの。最近、変わった事は――あ! ……まさか……ヴィルの正体に気付いたロッゾさんが告げ口をした……!? ど、どうにか誤魔化さないと……!) どうしてヴィルを捜していたのかは分からないけれど、スタンリー殿下に彼の存在を知られては駄目……! ――リシュティナの本能が、何故かそう強く警告をしていた。「……スタンリー殿下の兄上とは、ヴィクタール殿下の事でしょうか。何故そのようなお話になっているのか分かりませんが、ヴィクタール殿下はここにはおりません。ご覧の通り、私一人でございます。家の中を探して頂いても構いません。御足労をお掛けしてしまい、大変申し訳ございません」 そう言い、深々とスタンリーに向かって頭を下げる。 家には二人分の生活用品があるが、母と一緒に暮らしていた時の物だと言えば話の筋が通るだろう。「……兄上はいない、ねぇ……」 スタンリーはそうボソリと呟くと、顔を伏せているリシュティナの方へと歩いてきた。 そしてスタンリーは、リシュティナの頬を平手で強く叩いた。「………っ!」 リシュティナの身体が吹っ飛ばされ、地面に崩れ落ちる。「嘘をつくなよ。王族に虚偽を告げた不敬罪としてこの場で処罰されたいのか? さっさと兄上の居場所を言えよ」「………ヴィクタール殿下は……ここにはおりません。どうかお引き取りを……」「チッ、まだ言うか……。更に痛い目をみないと分からないらしいな」 倒れても尚頭を下げ続けるリシュティナに舌打ちをすると、スタンリーは拳を握り締め、彼女にゆっくりと近付く。「リィナッ!!」 その時、リシュティナを呼ぶ声と共に、一人の男が地面に倒れ込む彼女のもとへと一直線

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   26.不穏、来たる

    「まだ兄上は――『古の指輪』は見つからないのかっ!?」「も……申し訳ございません! ヴィクタール殿下が落ちた海の中や周辺をくまなく捜しているのですが、一向に見つからず……。引き続き探索を致します」「兄上はともかく、『古の指輪』は僕にとって大切な物なんだ。さっさと見つけ出してこいっ!!」「は――ははっ!」 スタンリーに怒鳴られた騎士達は、慌てて深く敬礼をすると、部屋からそそくさと出て行った。「畜生、兄上め……! 一人で勝手に死ねばいいものを、余計な真似をしやがって……!!」 スタンリーは顔を歪めながら、近くにあった椅子を蹴り飛ばす。 ヴィクタールが崖の上で言い放った言葉と、城の者達に宛てた彼の『遺書』の所為で、スタンリーとヘビリアの評判は確実に落ちていた。 懸命に火消しには回ったが、不信感を払拭する事までは出来なかった。 その『遺書』については箝口令を敷いたが、やはり城だけに留まってくれなかった。 人の口に戸は立てられない。 案の定、城の者が家族や親しい者に言ってしまったのだろう。城下町にも漏れてしまっていた。そうなると、早い内に王国全土に広まる事は確実だ。 ヴィクタールが行方不明な事はまだ国民には公表していないが、彼が姿を一切見せないのは、濡れ衣を着せられ、弟と婚約者に裏切られて絶望し、自ら命を絶ったからだという“噂”が信憑性を増して広がっている。 早く手を打たないと、折角築き上げた自分の名声が地に落ちてしまう。 一気に評価を取り戻す一番の策は、『古の指輪』を使い、海獣神ネプトゥーを召喚し、彼から“王の器”として認められる事だ。 その為にも早急に『古の指輪』が必要なのに――「クソッ!!」 ヴィクタールが崖から落ちていく時の、勝ち誇ったような笑みを浮かべた顔が、スタンリーの機嫌を更に悪くさせる。「何だよあの顔はっ! 死ぬんなら悔しがって死ねよ……!」 鋭く舌打ちし、更に椅子を蹴っていると、部屋の扉がノックされ、間も置かずヘビリアが姿を現した。「こんにちは、スタンリー様ぁ。何だかお怒りのご様子ですねぇ?」「……何の用だ、ヘビリア。僕は今君に構っている時間は無いんだ」「つれない事を言わないで下さいよぉ。とっておきの情報を持ってきてあげたのにぃ」「……何?」 動きを止めたスタンリーに、ヘビリアは目を細めてクスリと笑うと、彼の

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   25.垣間見えた狂愛の断片

     新しく耕した畑に、購入した種を植え終わった時には、もう日が暮れようとしていた。 家に入ってそれぞれシャワーを浴び、協力して晩ご飯を作り美味しく戴く。 その間、リシュティナはヴィクタールに対し平常心を心掛けた。彼もいつもと変わらない応対で、内心ホッとする。 後片付けをして歯を磨き、あっという間に就寝時間となった。(……どうしよう……) ヴィクタールへの想いを強く自覚してしまったリシュティナは、彼と至近距離で、更に向かい合わせで眠る鋼の心臓を持ち合わせていない。 そんな彼女の心など全く知る由もなく、ヴィクタールは先にベッドに入ると寝転び、リシュティナを呼んだ。「どうした? 早く来いよ、リィナ」「あ……う、うん……」 リシュティナはオドオドとベッドに入り、ヴィクタールの隣に横になると、すぐに彼と反対側を向いて布団を被った。 今の自分はこれが精一杯だ。「……リィナ、どうした? 何でこっち向いてくれないんだ?」 案の定、ヴィクタールから疑問の言葉が投げ掛けられる。「……えっと、その……。私の顔不細工だから、近くであまり見て欲しくないというか……」「はぁ? 何だよそれ? もしかして、雑貨屋で会った男に何か言われたのか? やっぱアイツ、十発ブン殴っておけば良かったぜ……。――そんなの気にすんな、リィナ。お前は可愛いよ。誰よりもすっげぇ可愛い。オレはいつでも四六時中お前の顔を見ていたい」「…………っ」(む、無自覚なのに殺し文句過ぎる……っ)「う……あ、ありがと……」「だからさ、こっち向いてくれよ。リィナ?」(貴方のその台詞の所為で、顔が異様に熱くて余計にそちらを向けません……っ)「……ご、ゴメンね……。今日はやっぱり……このまま寝るね……? お、おやすみ……」「…………」 リシュティナの一杯一杯の言葉に、背後から深く息を吐く音が聞こえた。 そして、後ろから逞しい腕が伸ばされ、リシュティナの肩と腹に回される。 そのままグイッと引き寄せられ、リシュティナはヴィクタールの腕の中に閉じ込められていた。「えっ!?」 背中に彼の温かい体温を感じ、リシュティナは身体をピシリと硬直させる。「無防備。――襲うぞ?」 ヴィクタールはリシュティナのすぐ耳元でそう“男”の声音で囁くと、突然、彼女の耳朶を甘咬みしてきた。「ひゃっ!?」 ビクリと

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   24.落とされた不穏な波紋

     ヴィクタールは舌打ちをしながらロッゾの腕を乱暴に離すと、彼が涙目になりながら喚いた。「な、何だお前はっ!? いきなり乱暴を働くなんて野蛮な奴だなっ!」「お前の方が先にオレの妹に乱暴を働いたんじゃねぇか。コイツの手首を見てみろ。こんなに赤くなっちまって……。妹に謝って貰おうか」(……妹……) ……分かっている。最初にそういう“設定”の提案をしたのは私だ。 だから、彼が私を『妹』だと言うのは間違っていない。 けれど、彼が私の事を『妹』と言う度、胸が痛くて苦しくなる……。(あぁ……。こんな自分、本当に嫌だ――)「は? 『妹』……? リシュティナに兄がいたのか……?」「お前にオレの大事な妹は絶対にやらねぇ。聞けばお前、コイツに告白した翌日に浮気したんだろ? お前が働く屋敷の娘と。そんな軽薄男に大切な妹をやるわけねぇだろうが。二度とそのツラ見せんな。次コイツの前に姿を見せたら、問答無用で叩きのめすからな」「ヒェッ……」 ヴィクタールのドスの利いた声音と、怒り全開の気迫に、ロッゾの顔は真っ青になり、身体中に冷や汗を吹き出させながら走って逃げていった。「ちっ、クソ野郎が。――大丈夫か、リィナ? 家に帰ったら、その手首手当てしような」「……あ……。うん、ありがとう……」「……元気ないな? あの男の言った事なんて気にすんな。もしまたヤツに会っちまったら、すぐにオレんとこに逃げてこい。分かったか?」「うん……ありがとう」 無理矢理笑顔を作るリシュティナをヴィクタールは眉根を寄せて黙って見つめると、唐突に彼女の手を握った。そして、その細い指に自分の指を絡める。 温かく大きな彼の指と手に、リシュティナの胸が一気に跳ねた。「会計してすぐに帰ろうぜ。早速新しい種植えてみるか。楽しみだな?」「……うん、そうだね」 会計の時もリシュティナの手を離そうとしなかったヴィクタールに、店主から、「おやおや、仲の良い兄妹だねぇ。まるで恋人同士みたいだ」 と笑われながら冷やかしを受け、「あぁ、恋人みてぇにすっごく仲良いぜ、オレら」「おやおやまぁ、ごちそうさま。ホッホッホ」 その冗談にヴィクタールまでも乗っかったので、リシュティナの顔が瞬時に真っ赤に染まったのだった。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「何だよ……。リシュティナに兄がいたなんて聞いてないぞ……。アイツが

Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status