Chapter: 8.リントン侯爵家の姉妹 リシュティナ・キャンベラは、リントン侯爵家で働く使用人だ。 茶色の真っ直ぐな髪を腰上で切り揃えており、前髪は目元まで掛かり両目が見えない。 声は掠れてしわがれた声色をしていて、その声を聞くとまるで老婆が喋っているようだった。 そんなリシュティナの見た目と声は、リントン侯爵家の次女であるシャーロットの苛めの対象になっていた。 彼女は、赤茶色の巻き毛の髪と同じ色の瞳を持つ、二十歳だ。自由奔放で我が儘で、毎日使用人達の手を焼いていた。 「ほら、ココも汚れてるわよ? 早く掃除しなさいよっ」 シャーロットに、床清掃用に置いてあった水が入ったバケツを思い切り蹴られた。 バケツがガランと音を立てて転がり、水が飛び出る。 「あーもうやだぁ! アタシの足が汚れたじゃないの! 何やってんのよこのグズ! ノロマッ!」 「……あっ」 シャーロットに足を蹴られ、リシュティナがよろめき地面に倒れ込んだ。 「根暗がいるだけで空気が悪くなるのよ! さっさとアタシの視界から消えていなくなりなさいよっ!」 倒れたところにまたシャーロットの足が襲い掛かり、リシュティナは身体を丸めて耐える。 「――まぁたやってんのぉ、シャーロット? あんたも飽きないわねぇ」 そこへ、リントン侯爵家長女のヘビリアが呆れ顔でやってきた。 「あっ、お姉様! だってコイツ苛めるの面白いんだもん。この顔でババァの声を出して呻くんだよ? もう可笑しくてさー! キャハハッ」 「見える箇所はダメよぉ。やるなら見えない場所にしなさい?」 「分かってるわよ、お姉様♡ キャハハハッ」 ニタリと嫌な笑みを作り、リシュティナの腹部を蹴るシャーロット。 「ホンット不細工な顔と声ねぇ。不快だわぁ」 ヘビリアは嫌そうに吐き捨てると、その場から歩いて去って行った。 「あっ、待って下さいお姉様~!」 苛めに飽きたのか、シャーロットは蹴りを止めてヘビリアの後ろに付いて行った。 リシュティナが長い息を吐いてそろそろと起き上がると、そこに男性の手が差し伸べられた。 「大丈夫かい? 相変わらずシャーロットお嬢様は酷い事をするね……。助けられなくてゴメンよ? ボクが君を助けると、余計にシャーロットお嬢様の暴力が増してしまうから……」 彼の名はロッゾ・バートル。リントン侯爵家の使用人で、
Last Updated: 2025-03-14
Chapter: 7.一矢を報いる「ヴィル兄さんが崖から落ちた……? 兄さんはっ? 兄さんは無事なんですかっ!?」 所用で出掛けていたウェリトは、王城へ帰ってきた後国王に呼ばれ、王の間で言われた内容に信じられない気持ちで一杯だった。「崖下を捜させてはおるが、今も見つかってはいない。スタンリーが言うには、ヴィクタールは自分への嫉妬心から乱心し、崖の上で暴れ騎士達に危害を加えそうだったので、仕方なく斬った。その拍子に足を踏み外して崖から落ちた、との事だ。大怪我もしているし、あの高さから海へ落ちたのだ。きっともう……生きてはいまい――」「……そんな……!!」 ウェリトは父の言った言葉を信じなかった。 まず、ヴィクタールがスタンリーに嫉妬する筈が無い。 毎回スタンリーとの勝負に負けても、「流石、強いですね」とヴィクタールはいつも微笑んでいた。 嬉しそうに、弟の成長を喜ぶように。 それに、いつも冷静な兄が、嫉妬なんかで乱心する筈が無い。 スタンリーは確実に嘘を言っている。「……俺、自分の部屋に戻ります……」「……あぁ。国民にはこの事は暫く伏せておく。混乱を招いてはいけないからな。時期を見て知らせる。お前も、くれぐれもこの事を口外しないように」「……分かりました」 ウェリトは父に向かって一礼すると、唇を噛み締めながら自分の部屋に戻った。 すると、執務机の真ん中に二枚の紙が重ねて置いてある事に気付いた。 近くに行って紙を手に取ると、細かく文字が書かれており、それは誰かからの手紙のようだっだ。 ウェリトは首を傾げながら、それを読んでみる。『ウェリトへ。お前がこの手紙を読んでいる頃は、オレはもうこの世にはいないだろう。こんな形で別れる事になってすまない。オレはもう、生きる希望を失くしてしまったんだ。こんな情けない兄を許して欲しい。お前に真実を言っておく。パーティーの日、オレを嵌めたのはスタンリーとヘビリアだ。ヘビリアが自分が王妃になりたいが為にスタンリーと協力して起こした事件だ。婚約者をオレではなく、次期国王の可能性が高いスタンリーにする為に。そしてスタンリーは、海獣神を召喚に必要な『聖なる巫女』の血を引くヘビリアを得る為に。オレは潔白だ。ちゃんと正礼服を着ていたし、服もシーツも乱れが全く無かった。隣にいた女が、最初から脱着が簡易なワンピースだったのも怪しい。女の参
Last Updated: 2025-03-13
Chapter: 6.ザマーミロ「兄上! 『王位継承権』を先に貰った僕に嫉妬しているのは分かるけど、嫌がらせの度が過ぎるよ! 早くそれを僕に返して!」「ヴィクタール様、子供みたいな真似は止めて下さいっ! それはスタンリー様とあたしに必要な物なんですぅ!」 ヴィクタールの近くまで来ると、スタンリーとヘビリアは早速口を開いて彼を責めた。 そんな二人を、ヴィクタールは無表情の冷めた目で見返す。「あー……うるせぇな。『自信過剰クソ男』に『乗り換えクソ女』が」「自信過剰クソ……!?」「乗り換え!? クソ女っ!?」 ヴィクタールの痛烈な言葉を繰り返し、唖然とするスタンリーとヘビリア。「次期愚劣王と卑猥妃決定ね、はいおめでとさん。オレを卑劣な手で騙した醜悪二人組で仲良く頑張んなよ」「「はぁっ!?」」 ヴィクタールの口調がガラリと変わっている事よりも、彼の言った内容に驚愕し、スタンリーとヘビリアの声が重なった。「ふ……フザけた事を言うなよ兄上! 誰が兄上を騙したって? そんな訳あるか! 僕への嫉妬心からある事ない事言わないでくれよ!」「そ、そうですよ! あたし、ヴィクタール様に裏切られて、とっても悲しかったんですからね!? それをスタンリー様が優しく慰めてくれたんです! だからあたし、彼なら新しい婚約者になってもいいって――」「へぇ? 慰めた? ――あぁそうだな。パーティーがあった日の夜、わざわざ見張りを遠くへやって、貴賓の部屋で慰め合ってたな、お前ら。あれさ、その夜が“初めて”じゃねぇだろ? 慣れた感じだったもんな。『今日は“いつもと”違って、一晩中一緒にいられる』とか言ってたもんな。恐らく一ヶ月前からそういう関係になってたんだろ。あーぁ、完璧不貞じゃん。お前らに慰謝料請求出来るじゃん。――そうそう、オレの隣にいた女に『暗殺者』を差し向けたって? それでもう証拠が何も残らないって言ってたな、お前ら。――はっ、どんだけ悪党なんだよ。怖い怖い」 スラスラと紡がれるヴィクタールの言葉に、騎士達の間に大きなざわめきが起きる。「……だ……黙れ……」「お前らがオレを騙し不貞の末に国王と王妃になるのは勝手だがな、莫大な『力』と『富』は与えねぇ。自分の力のみで王をやっていけよ。スタンリー、お前能力バカ高ぇんだろ? じゃあ海獣神の『力』と『富』なんていらねぇじゃん。そんなのお前にとってクズみたい
Last Updated: 2025-03-12
Chapter: 5.王子の決意 ふらつく足取りで自分の部屋に戻ると、ヴィクタールは身体を投げるように、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。「……裏切られていた……。あの二人に――」 一体いつから……? ……そう言えば、この一ヶ月はヘビリアから自分に会いに来る事は一度も無かった。 一ヶ月前に起こった事と言えば――スタンリーが召喚に成功し、『王位継承権』を授かった事だ。「……あぁ、成る程……。私は“見限られた”のか……」 はは、と乾いた笑いがヴィクタールの口から漏れる。「そんな簡単に見限れる程度の関係だったんだな、私達は――」 ヴィクタールが二十歳、ヘビリアが十八歳の時に決まった、二人の婚約。 四年間の決して短くない年月で、お互いに良好な関係が築かれていると思っていた。 「好きです」と、ヘビリアは何度も口にしてくれた。 それに自分も同じ言葉を返していた。 彼女が欲しいと言った物は、買える物なら自分の私財で買ってあげた。 その度に彼女は喜んで、「大好きです」と言ってくれた。 彼女の無邪気な笑顔が好きだった――「……抱きしめれば良かったのか、彼女を? スタンリーのように――」 ヘビリアは、自分を抱きしめたり口付けをしない事に、ずっと不満を持っていた。 それをすれば、こんな事態は避けられた……?「――いや、それは違う……」 例えそれをしても、彼女に一切欲の湧かなかった自分だ。きっと失敗に終わっていただろう。 それに万が一成功したとしても、結局彼女は自分を裏切っていただろう。『未来のあたしの王様』『未来の僕の王妃様』 二人はそう言い合っていた。 彼らはこの国の『国王』と『王妃』になる事を切望したのだ。 だから彼女は、自分ではなく、次期国王になる可能性が十分に高いスタンリーを選んだ。 スタンリーも、海獣神ネプトゥーを召喚し“王の器”として認めて貰う為、『聖なる巫女』の直系の血を引くヘビリアとの婚姻を望んだ――「は……はは……」 自分の唇から、乾いた笑いが止まらない。 今や国民の誰もが、スタンリーが王になる事を望んでいるだろう。 何もかも兄に勝る弟。 情けなく頼りない自分より、何でも出来るスタンリーの方が選ばれるに決まっている。 それに今回の件で、元から低かった自分の評判は、更に地の底に沈んだであろう。 無実の証明をしてくれる者が誰もいない今、その評判
Last Updated: 2025-03-12
Chapter: 4.受け入れたくない事実「……なんて事をしてくれたのだ、ヴィクタール」 あの後、混乱もなくパーティーは閉幕した。 会場から離れていた休憩室での出来事だった為、大事にならずに済んだのだ。 しかし、騎士数人と何人かの参加者に目撃されてしまった。 騎士達に連れられ、自分の部屋で謹慎していたヴィクタールは、国王に呼ばれ王の間へとやってきていた。 悲痛なヴィクタールの顔を見た国王は、眉間に拳を当てながら大きな溜め息を吐き、冒頭の台詞を言ったのだった。「父上、私は何もしておりません! 己の礼服に乱れはありませんでしたし、ベッドのシーツに汚れも乱れもありませんでした。何も無かった事は確かです。私は誰かに嵌められたのです!!」「そうだとしても、お前と裸の女性が一緒に寝ていたという最悪な状況を騎士達や貴族の何人かに見られてしまった。すぐに王城や王国中にお前の醜悪な噂が広まるだろう。広まった噂は抑えが利かず、“嘘”が『真実』となって更に広まっていく。どうする事も出来ないのだ」「…………」 ヴィクタールは俯き、奥歯をきつく噛み締める。「……あの逃げた女性は……? 彼女は最後に『ごめんなさい、どうか許して』と言ったんです。だから彼女は私を嵌めた者にあんな事をさせられたんだと思うんです。彼女を捜し出し、弁明させれば――」「……捜させてはいるが、未だ見つかっていない。恐らく、お前を嵌めた犯人がその者を遠くに逃したか、既に“処分”されたのだろう。――お前を弁護出来る者は、もう誰一人いないのだよ」「…………」 国王は深い息をつくと、厳かに言葉を続けた。「……ヴィクタールよ。騒動が落ち着くまで、お前を謹慎処分とする。そして、ヘビリア嬢との婚約を解消し、代わりにスタンリーを彼女の婚約者とする。ヘビリア嬢の希望だ。スタンリーもそれに了承した」「なっ!? そんな……!」「世間の目もあるし、彼女は酷く心が傷付いたそうだ。気持ちを汲んでやれ」「…………」 それは、ヴィクタールが無言で引き下がるには十分の言葉だった。「……もう下がって良い。謹慎中でも公務はしっかりと――それ以上に勤勉にやってくれ。その姿が、お前の評判を下げる噂を払拭する近道になるだろう」「……はい、分かりました……」 ヴィクタールは敬礼をすると、早足で王の間から出て行った。(今すぐにヘビリアに説明をしに行こう。ちゃんと話せ
Last Updated: 2025-03-12
Chapter: 3.信じ難い状況 スタンリーが召喚に成功してから一ヶ月後、それを祝うパーティーが王城で開催され、勿論ヴィクタールもヘビリアをパートナーとして参加した。 ダンスが終わった後、ヘビリアは笑顔でヴィクタールに水の入ったグラスを差し出した。「お疲れ様です、ヴィクタール様ぁ。喉が渇いたでしょう? お水をどうぞぉ」「ありがとうございます、ヘビリア。丁度飲み物が欲しかったので助かりました」 ヴィクタールはヘビリアに微笑むとグラスを受け取り、その水を一気に飲み干す。「…………?」 一息ついた時、突然眠気が襲ってきた。「……っ。――すみません、ヘビリア。気が抜けたのか、少し睡魔が……。ちょっと休憩室に行って休んできますね」「大丈夫ですか、ヴィクタール様ぁ? あたしの事は気にせずにゆっくりと休んできて下さい!」「はい、ありがとうございます……」 ヴィクタールはおぼつかない足取りでパーティー会場を出て、休憩室に入るとすぐさまベッドにうつ伏せで倒れ込み、そのまま意識を失ってしまった。 ……どのくらい眠っていたのだろうか。 まだ意識が朦朧としている。「ヴィクタール様、起きましたかぁ? パーティーもうすぐ終わりますよぉ? 入っていいですかぁ?」 ヘビリアの声が遠くからし、扉が開く音がした。(ヘビリア、迎えに来たのか……。もう起きないと……) すると突然、「きゃああぁぁっ!!」 と、彼女の悲鳴が部屋中に響き渡った。「っ!?」 ヘビリアの甲高い叫びでヴィクタールは完全に覚醒し、ガバッと身を起こした。 彼女の方を見ると、両手を口に当て目を大きく見開いている。「ヘビリア? どうしました――」「その――その女性は誰ですかっ!? まさかヴィクタール様、その女性と――」「え?」 怪訝に眉を顰め、ヴィクタールはヘビリアの視線に倣って、自分の隣を見た。「…………っ!?」 そこには、ヴィクタールも驚愕の光景があった。 見知らぬ女が全裸で寝そべり、両腕で胸を隠し震えながらこちらを見上げていたのだ。「……は? これはどういう――」 自分の置かれた状況が理解出来ない。 急いで自分を見ると、ちゃんと服は着ていた。パーティーの正礼装のままだ。乱れも無い。 しかし、隣には素っ裸の女性が横たわっている……。 眠ってからの記憶が、全く無い。「そんな……ヴィクタール様、酷い……
Last Updated: 2025-03-12