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6.ザマーミロ

Author: 望月 或
last update Last Updated: 2025-03-12 12:49:23

「兄上! 『王位継承権』を先に貰った僕に嫉妬しているのは分かるけど、嫌がらせの度が過ぎるよ! 早くそれを僕に返して!」

「ヴィクタール様、子供みたいな真似は止めて下さいっ! それはスタンリー様とあたしに必要な物なんですぅ!」

 ヴィクタールの近くまで来ると、スタンリーとヘビリアは早速口を開いて彼を責めた。

 そんな二人を、ヴィクタールは無表情の冷めた目で見返す。

「あー……うるせぇな。『自信過剰クソ男』に『乗り換えクソ女』が」

「自信過剰クソ……!?」

「乗り換え!? クソ女っ!?」

 ヴィクタールの痛烈な言葉を繰り返し、唖然とするスタンリーとヘビリア。

「次期愚劣王と卑猥妃決定ね、はいおめでとさん。オレを卑劣な手で騙した醜悪二人組で仲良く頑張んなよ」

「「はぁっ!?」」

 ヴィクタールの口調がガラリと変わっている事よりも、彼の言った内容に驚愕し、スタンリーとヘビリアの声が重なった。

「ふ……フザけた事を言うなよ兄上! 誰が兄上を騙したって? そんな訳あるか! 僕への嫉妬心からある事ない事言わないでくれよ!」

「そ、そうですよ! あたし、ヴィクタール様に裏切られて、とっても悲しかったんですからね!? それをスタンリー様が優しく慰めてくれたんです! だからあたし、彼なら新しい婚約者になってもいいって――」

「へぇ? 慰めた? ――あぁそうだな。パーティーがあった日の夜、わざわざ見張りを遠くへやって、貴賓の部屋で慰め合ってたな、お前ら。あれさ、その夜が“初めて”じゃねぇだろ? 慣れた感じだったもんな。『今日は“いつもと”違って、一晩中一緒にいられる』とか言ってたもんな。恐らく一ヶ月前からそういう関係になってたんだろ。あーぁ、完璧不貞じゃん。お前らに慰謝料請求出来るじゃん。――そうそう、オレの隣にいた女に『暗殺者』を差し向けたって? それでもう証拠が何も残らないって言ってたな、お前ら。――はっ、どんだけ悪党なんだよ。怖い怖い」

 スラスラと紡がれるヴィクタールの言葉に、騎士達の間に大きなざわめきが起きる。

「……だ……黙れ……」

「お前らがオレを騙し不貞の末に国王と王妃になるのは勝手だがな、莫大な『力』と『富』は与えねぇ。自分の力のみで王をやっていけよ。スタンリー、お前能力バカ高ぇんだろ? じゃあ海獣神の『力』と『富』なんていらねぇじゃん。そんなのお前にとってクズみたいなモンだろ。だからこの指輪は冥土の土産にオレが持っていく。有り難く思えよ?」

「黙れ黙れ黙れッ! 嘘をつくのもいい加減にしろッ! その『古の指輪』を返せッ! それはこの国の王になる僕の物だぁッ!!」

 スタンリーが両目をはち切れんばかりに見開き激昂すると、近くにいた騎士の腰に差さっている剣を素早く抜き取り、ヴィクタールに襲い掛かった。

 ヴィクタールは一歩も動かず、表情の無い顔で剣を振り上げるスタンリーを見ていた。

「スタンリー様、いけません!!」

 騎士達の制止の声が飛んだが、頭に血が上っているスタンリーには聞こえなかった。

 彼の剣は、ヴィクタールの肩から腹にかけて斬り下ろされていた。

 深く斬られた箇所から、大量の血が飛び出る。

 憤怒の顔で自分を睨みつけるスタンリーに、ヴィクタールはニヤリと笑って言った。

「ザマーミロ」

 ヴィクタールの血塗れの身体がフラリと後ろによろめき、足を踏み外したそれは海崖の下へと真っ逆さまに落ちていった。

 ――『古の指輪』が入った箱と共に。

「しまった……!」

 ハッとスタンリーは気が付き、慌てて崖の下を覗いたが、そこは激しい波が崖を何度も叩き付けている光景が広がっているだけだった。

「くそっ!!」

 スタンリーは悪態をつくと、後ろを振り返り騎士達に向かって叫んだ。

「兄上は御乱心になり酷く暴れたので、仕方なく僕が斬った。それで足を踏み外した兄上は崖から落ちていった。――分かったな!? もし違う事を周囲に漏らしたら、お前達の命は無いと思えッ!!」

「は――はっ!」

 騎士達は慌てて敬礼をする。

 怒りの表情で城に戻ろうとするスタンリーに、ヘビリアは恐る恐る声を掛けた。

「す、スタンリー様――」

「五月蝿いッ! 今僕に話し掛けるなッ!!」

 鋭い口調に、ビクリとヘビリアの身体が揺れる。

 そんな彼女に構わず、スタンリーは肩を怒らせながら、一人で城に戻って行ったのだった。

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     ヴィクタールは小さく舌打ちをすると、声を出さずにレヴァイに呼び掛けた。(おいコラ、レヴァイ。聞こえるか)『……はい? 何ですか? ワタクシはリシュティナに憑いてるんですから、本来彼女の呼び掛けにしか応えないんですよ。一度目で素直に貴方の呼び掛けに応じたワタクシに感謝して欲しいですね』(相変わらず偉そうなヤツだな……。そんな事よりもお前に頼みがある。“対価”を渡すから、オレが離れている間、リィナをどんな障害からも必ず護って欲しい。コイツに悪意を持って近付くヤツは、バレないようにブッ倒せ)『ワタクシ、力の加減が出来ないかもしれませんよ? もしかしたら相手を殺めてしまうかもしれません。それでも宜しいですか?』(別に構わねぇ。ただ、リィナに絶対容疑が掛からないようにしろ。特にこのヘビリアという女は、コイツに一歩でも近付けさせるな。少しでも何かしてきたら遠慮なく叩き潰せ)『フフッ、貴方のリシュティナ以外に容赦の無い所、ワタクシ好きですよ。“対価”は何ですか?』(オレの封印された魔力をやる。お前なら、封印されてても魔力を抜き取る事なんて簡単だろ?)『おや、それは素晴らしい“対価”ですね。確かに承りましたよ。ただ、魔力は五分の一程度で十分です。貴方の封印された魔力はそれだけ大きいですからね』(約束したからな。任せたぞ)「……分かりました。馬車に乗りましょう」「ウフフッ、ヴィクタール様ならそう仰ってくれると思ってましたぁ。あたしの事大好きですもんね?」「…………」 ヴィクタールはヘビリアに何を言っても無駄だと思ったのか、彼女に冷めた視線を向けただけで何も言わなかった。 ヴィクタールの返答を、リシュティナは呆然としながら聞いていた。(ヴィルが……ヘビリアお嬢様のもとへいっちゃう……? 私を置いて……? そんな……そんな――) 悲しみの衝撃で、リシュティナの身体が冷え、震えが止まってくれない。 そんな彼女の手を引っ張ると、ヴィクタールはその華奢な身体を強く抱きしめた。 そして、耳元に唇を寄せ小さく囁く。「悪ぃ、リィナ。町の奴らがこっちを見てるし、あの女の護衛達が武器を向けてる。逃げても執念深く追い掛けて来るだろうし、ここは一旦奴らの言う事を聞くしかない。お前の事はレヴァイに頼んだから」「……ヴィル……」「心配するな、オレは必ずお前のもとに戻

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   37.蛇のように執念深い女

    (この声は……ヘビリアお嬢様!?) リシュティナは思わずビクリと肩を揺らしてしまったが、それに気付いたヴィクタールは彼女の手を強く握り締めた。 そして、リシュティナを護るように彼女の前に立つ。 ヘビリアは、ヴィクタールがリシュティナの指に自分の指を絡ませ、騎士のように護っている姿に、唇をギュッと噛み締めた。「はぁ? 何よ、あたしの時は全く触れようとしなかったのに――」 そうボソリと呟いたが、次の瞬間には笑顔に戻っていた。「ヴィクタール様、捜していたんですよぉ。この町は港町に行く為に必ず通らなきゃいけないから、ここに来ると思って見張ってたんですぅ。あたしの推理もなかなかのものでしょぉ?」「……リントン侯爵令嬢が、私に何の御用でしょうか。私は貴女に全く何も用はありませんが」「あらぁ? 言葉遣いを戻したのですねぇ? あたしの為に戻してくれたのですかぁ? やっぱりそっちの方があたしは好きなので嬉しいですぅ」「私は王家を捨て、平民として生きる事にしました。ですので、貴族の者に敬語を使うのは至極当たり前です。決して貴女の為などと言う大層巫山戯た理由では無い事を御理解頂きたい」「なっ――」 言葉を失い、口元をひくつかせているヘビリアを、ヴィクタールは無表情の冷めた目で見る。 リシュティナは、二人の会話を聞いていて違和感を感じていた。(この二人、知り合いなの? ヘビリアお嬢様の台詞の内容がやけに――)「酷いですぅ。元婚約者のあたしにそんな事言って……。今もあたしの事大好きなくせに……。――あっ、そっか、照れ隠しですかぁ?」「……っ!?」(ヘビリアお嬢様がヴィルの元婚約者!? ――そうか……だからお嬢様はヴィルとこんな親しげに……。ヴィルは、裏切られても今もお嬢様の事を――) リシュティナの胸の中が、キュッと切なく縮まる。「……貴女を好ましいと思っていた時期は確かにありました。けれど今は全く貴女の事は眼中にありません。頭の片隅にも全く残っておりません。寧ろ貴女の本性を知った今、好ましく思っていた自分が最大の恥です。最上級の汚点です。その記憶を抹消したい程の恥辱です」「はぁっ!?」 抑揚も無く淡々と話すヴィクタールに、ヘビリアは顔を真っ赤にさせながら身体を震わせている。(そっか……ヴィル、ヘビリアお嬢様の事、何とも想ってないんだ……) ホッ

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   36.野宿の夜

     辺りも暗くなってきたので、野宿する事にした二人は、魔物の死角になりそうな場所を選び、木の枝で火を起こした。「早速精霊達のくれた種を植えてみるか。どんな風に実が成るのか気になるしな」 ヴィクタールは心做し弾んだ声でそう言うと、地面に種を一つ植えてみた。 すると、種を植えた場所から、ニュッと緑色の茎が飛び出し、すぐに美味しそうな橙色の果物の実が成った。「すっげ、種を植えたらすぐに草が生えて実が成ったぞ。精霊達のくれたモンだから、腹壊す事はねぇだろ。ほら、リィナ。先食べな」 ヴィクタールはそう言うと、リィナに摘み取った果物の実を手渡す。「ありがとう。戴きます」 リシュティナは果物を両手に持って、一口囓った。「……瑞々しい! すごく美味しいっ」「おっ、そりゃ良かった」 リシュティナが夢中になって食べているのを微笑みながら見ていたヴィクタールは、不意にフッと吹き出すと、彼女の顔に自分の顔を近付けた。「付いてる」 一言そう言うと、ヴィクタールはリシュティナの口の端に付いていた果物の欠片に指を伸ばし、それを取る。「っ?!」 固まってしまったリシュティナの隣で、ヴィクタールは指に付いた果物の欠片を口に入れ、頷いた。「ん、確かに美味いな。オレも食べるか」 機嫌良く地面に種を植え始めたヴィクタールの後ろで、リシュティナは暗闇でも分かる程に真っ赤になり、(い、今のは指! 絶対に指だから! くっ、口なんて、絶対に、ちっ、違うから!!) と、プルプル身悶えていたのだった……。******** 携帯食で晩ご飯を終え、歯を磨いて水筒で口を濯ぐ。 魔物除けは置いてあるが、万が一奴らが現れた時の為、いつでも逃げられるように二人は木の幹に寄り掛かって眠る事にした。「リィナ」 名を呼ばれたと同時に腕を引っ張られ、リシュティナはヴィクタールの胸の中に包み込まれる。 その上からふわりと毛布が掛けられた。「寒くないか?」「う……ううん、大丈夫」「ん」 ヴィクタールは小さく笑うと、リシュティナの頭を優しく撫でる。 心地良さに目を細めながら、リシュティナは徐ろに口を開いた。「……ヴィルって強いよね」「あ? 何だいきなり」「だって、昼間何回か魔物が襲ってきたでしょ? でも、私と手を離したのはほんの少しだったし。すぐにやっつけてたから」「そっか? 

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   35.二人の想い

    「今日は良い天気だ。雲一つ無いぜ。あぁ、鳥が羽ばたいてった。気持ち良さそうに飛んでたな」「ふふ、そっか」 草原の道を、ヴィクタールはリシュティナの細い指に自分の指を絡ませながら歩く。 リシュティナはヴィクタールの言葉を聞きながら、優しく微笑んでいた。 心地良い風が、彼女の前髪を揺らす度、光の無い蒼色の瞳が見え隠れする。 それでも、その瞳は吸い込まれるようにとても綺麗だった。 ヴィクタールが景色よりもリシュティナを眺めている時間の方が多い事は、見えない彼女には気付かないだろう。 ふと、リシュティナがヴィクタールを見上げて、ふわりと笑った。 途端、ヴィクタールの心臓が大きく跳ねる。「ヴィル、ありがとう。私の為に、どんな景色か教えてくれてるんだね」「あ……あぁ」「だから……楽しいよ、私。とっても」 目を細め、嬉しそうに微笑むリシュティナに我慢出来ず、ヴィクタールは彼女の身体を引き寄せ抱きしめた。「えっ?」 瞬間、彼女の頬が真っ赤に変わった。「も、もうっ! 外ではいきなりやらないでって言った!」「あぁ、悪ぃ……。お前が可愛過ぎて我慢出来なかった」「!!」 正直に告げると、リシュティナの顔が更に朱に染まる。恥ずかしがる彼女も可愛くて堪らない。 自分の腕の中に一生閉じ込めていたい思いに囚われ、バタバタと身体を動かす彼女を深く抱き込んだ。 ――あの時。 元婚約者に裏切られ、“恋”だの“愛”だの、『好き』だの『愛してる』だの、もう沢山だと辟易した。 けれどリシュティナと出会い、いつの間にか自分の中は彼女で埋め尽くされ、彼女無しではいられないようになった。 “恋”や“愛”という陳腐な言葉では言い表せない、『好き』だの『愛してる』だの、そんな軽い言葉で言い表したくない、酷く深く重く熱い想いが自分の胸を焦がした。 その熱情に身を任せ、彼女の滑らかで柔らかい身体を余す事無く貪り尽くしたい気持ちに必死になって蓋をした。 こんな強い欲望があったなんて自分でも驚いた。 懸命に我慢はしているが、想いは留まる事を知らず、きつく閉じた蓋から少しずつ漏れてきて。 手繋ぎから抱擁、そして額への口付けと、彼女への欲が止まらず出てきてしまっていて。 それ以上は彼女が自分を好きになるまで駄目だと、最後の砦のように理性を最大限にして抑えている。 彼女が一

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   34.旅立ちの日

    「旅の資金もある程度貯まったし、明日にでも旅に出るか。王国の地図も買ったし、旅の準備も出来てるしな」「えっ、いきなりだね!? しかももう準備万端っ!?」 ある日の夜。 いつもの如くベッドでリシュティナを抱き込みながら、ヴィクタールは唐突にそう告げた。「スタンリーの野郎はもう召喚を決行しただろう。成功したのなら、父上が現国王でも、王権は奴が半分以上握る事になる。悪影響が本格的に出る前にこの王国を去りたい。――オレは、お前とずっとこんな風に穏やかな生活を送っていきたい。ただそれだけがオレの望みなんだ」「ヴィル……」「リィナ……。いつまでも一緒だ」 ヴィクタールの声が近くなったと思ったら、前髪を掻き上げられる気配がし、額に柔らかく温かいものが触れた。「えっ!?」 驚くリシュティナに構わず、ヴィクタールは彼女の首筋に顔を埋めた。「……可愛い、リィナ」 首筋に顔を埋めたままそう言われ、吐息が直接当たる擽ったさに、リシュティナの身体がブルリと震える。「……お前の温もりって眠気誘うよな……。しかも快眠の……。おやすみ、リィナ――」「えっ、ヴィルッ?」「…………」 ……ヴィクタールは、リシュティナの首筋に顔をつけたまま眠ってしまった。(――さ、さっきの額の感触は……もしかして……。う、ううん、きっと指だよ指! ……で、でも、指よりも柔らかかった……。――もうっ、一体何なのーーっっ!?) 真っ赤な顔のリシュティナの叫びは、虚しくも心の中で消えていったのだった……。◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 朝になり、少し寝不足気味のリシュティナをヴィクタールが心配しながらも一緒に朝ご飯を食べ、旅の支度を整えた。 家を出て畑の所に行くと、ヴィクタールは心地良く響く低音の声を張り上げる。「土の精霊、水の精霊、聞いてるか? 今までありがとな。オレ達これから旅に出るから、野菜や果物達を土に還してくれねぇか? 思い入れがあるし、このまま枯れていくのは嫌だしさ。頼むよ」 すると、畑に生い茂っていた野菜や果物達が、シュルシュルと音を立てて小さくなり、やがて土の中に消えていった。「ありがとな、お前ら。いつまでも元気でいろよ。ここが危なくなったらすぐに逃げろよ――ん?」 ヴィクタールは、土の上に幾つかの小さな種がある事に気が付いた。「何だコレ?」「精霊達の“餞別”です。

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   33.召喚決行の結末

    「シャーロット様も『聖なる巫女』の血を引いていない……!?」「じゃあシャーロット様も、リントン侯爵閣下の子では無い――?」 周りが酷くざわめく中、とうとう立っていられなくなった侯爵夫人は、戦慄いたまま、ガクリと両膝をついた。「……ヘビリアが産まれてから二年後、君が『子供が欲しい』と言ってくれた時、ようやく私を見てくれたと嬉しかったよ。けれどそのすぐ後に『子供が出来た』と言った君に不信感を抱いた私は、君の事を調べさせて貰った。……結果、まだ不貞の相手と切れていなかった。私を求めたのは、不貞の相手との間に子供が出来、それを私の子とする為の偽造工作だった。……ヘビリアの時も似たような状況だったと思い当たった時、酷く失望したよ」「あ、あなた……」「君の義務は、『聖なる巫女』の直系である私との子を産む事だった。その為の“政略結婚”だった。けれど君はそれを軽く考え、義務を放棄した。そして他の男の子供を作った。それも二度も。――そんなに私との子を産むのが……私との子を育てるのが嫌だったんだな。……言ってくれれば、すぐに君と離婚したのに」「ご、ごめんなさい、あなた……。本当にごめんなさい……! け、けど、離婚だけは許して……!」「…………」 リントン侯爵は、夫人の謝罪に何も言わず、眉間に皺を寄せ瞼を閉じた。「そ……そんな……。それじゃあ『聖なる巫女』の血を直系で引く者は誰もいないじゃないか! “王たる器”を持つ僕の世代に! そんなの――そんなの許されないっ!」 スタンリーが両目を見開き激昂すると、再び海獣神ネプトゥーの声が聞こえてきた。『何を巫山戯た事を言っている、王族の人間よ。汝には“王たる器”はどこにも無い。貪欲に塗れた愚者よ。偽の「聖なる巫女」といい、このような茶番に付き合わされ、我は酷く腹立たしい。我は非常に忙しいのだ。今すぐにこの王国の国民を滅しないと気が済まない』 海獣神ネプトゥーの言葉に、その場にいた全員がギョッと目を剥いた。 殆どの者が慌てふためく中、国王が前に出て、その場で勢い良く土下座をした。「海獣神ネプトゥー様のお怒り、御尤もで御座います。しかし、こちらの予期せぬ不備で御座いまして、一度貴方様の召喚を成功した私めに免じて、お怒りを鎮めて頂けないでしょうか」「ち、父上……」 スタンリーは、威厳をかなぐり捨てて床に頭を付けて土下座

  • 弟と婚約者に裏切られた不運の王子は、孤独な海の娘を狂愛する   32.召喚決行の日

     海獣神ネプトゥーを召喚する決行の日がやってきた。 『召喚の間』には、国王を始め、王国の重鎮達や貴族達、抽選で選ばれた国民達が集まり、魔法陣の上に立つスタンリーを固唾を呑んで見守っている。 第三王子のウェリトは、船に乗り隣国の視察に行っているので、この場には居ない。 スタンリーの隣には、『聖なる巫女』の直系の血を引く、リントン侯爵家の長女であるヘビリアが笑みを浮かべて立っていた。 二人の左手の薬指には『古の指輪』がそれぞれ嵌められ、キラキラと輝いている。 しかし二人共、指輪が少し小さかったようで、指の真ん中辺りで止まっていた。 見守る貴族の中に、海を渡って外交をしており、いつも屋敷を不在にしているリントン侯爵家当主の姿もあった。 ピンク色の珍しい髪に少し白髪が交じり、金茶色の瞳を持つ、穏やかな風貌のリントン侯爵は、静かな眼差しでヘビリアを見ている。 その隣には、リントン侯爵夫人が少し青褪めた顔で夫の様子をチラチラと窺っており、その母の隣でシャーロットは、ウットリとした面持ちでスタンリーを見つめていた。 スタンリーは、海獣神召喚にかなりの自信があった。 自身の魔力はこの城の者達の中で一番高いし、ヘビリアとも幾度となく“絆を結んでいる”。 万が一の為の“保険”もしてある。 失敗する要素が何一つ無い。 先日、王家に言い伝えられている『伝承』を再確認しようと書物を調べていると、興味深い文章を発見した。 “魔力高き王族の者と、『聖なる巫女』の直系の血を引きし者との“絆”が更に強く深まる時、伝説の獣神の召喚が成功するであろう”、と。 今の自分に全て当て嵌まっているので、スタンリーは、海獣神を召喚したら、次は伝説の獣神を召喚を試みようと目論んでいた。 それで更に王国内で自分の評価は急上昇するだろう。 もしかしたら、海を越えて世界中でもその名誉ある評判は広まるかもしれない。 スタンリーはニタリと口の両端を持ち上げると、真面目な顔を作り観客に厳かに告げた。「では、海獣神の召喚を始める」 スタンリーは目を閉じ、詠唱を唱え始めた。「――海獣神ネプトゥーよ、我の呼び掛けに応えよ!!」 詠唱が終わり、スタンリーが最後の言葉を放つと、魔法陣が赤く輝き出した。「赤色……? 儂の時は確か青色だった気が――」 淡く輝く魔法陣の色に、国王が疑問の言葉を

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