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第3話

Author: 小春日和
last update Last Updated: 2024-12-13 11:14:50
奈津美の言葉が終わると同時に、外から涼の秘書が慌てて駆け込んできた。

涼という男は、普段なら何が起きても動じない人物だった。

先ほどの婚約破棄の話にも平然としていたのに、この時ばかりは瞳孔が縮み、明らかな動揺を隠せないでいた。

奈津美にはすぐ分かった。綾乃が自殺を図ったという知らせが届いたのだと。

険しい表情で立ち去ろうとする涼の前に、奈津美は立ちはだかった。

「涼さん、私たちの話はまだ終わっていません」

「邪魔するな」

涼の声は冷たく、危険な雰囲気を漂わせていた。

目の前のこの女は、会社と祖母を納得させるための道具に過ぎず、彼女に対する感情など一切持ち合わせていなかった。

奈津美と結婚することはできる。だが今日、綾乃に何かあれば、簡単には済まないつもりだった。

奈津美は一歩も引かず、尋ねた。

「そんなにお急ぎなのは、白石さんのところですか?」

その言葉に、涼は嘲りを込めて答えた。

「そうだが、何か?

綾乃はお前たちに追い詰められて自殺未遂まで追い込まれた。

言っておくが、黒川家の夫人の座は与えてやるが、それ以上は期待するな」

涼の言葉を聞いて、奈津美は虚しさを感じた。

彼女は綾乃に何一つ仕掛けていない。誰にも何もしていない。

なのに涼と綾乃は、彼女に最も深い傷を負わせた。

彼らの愛の生贄にされたのだ。

奈津美は声を張り上げた。

「涼さん、今日はあなたと私の婚約パーティーです。

もしここを出て白石さんのところへ行くなら、私たちの婚約は破棄させていただきます」

奈津美の声は大きくなかったが、周りの招待客全員に届くほどだった。

報道陣のカメラフラッシュが二人を照らし続けた。

涼は危険な目つきで眼を細め、言い放った。

「破談をちらつかせて脅すつもり?滝川奈津美、随分と図々しい女だな」

そう言い放つと、涼は奈津美の横を素通りして立ち去った。

彼は奈津美に黒川家との婚約を破棄する勇気などないと確信していた。

涼が去るのを見届けた奈津美は、凛として壇上に上がり、招待客に向かって微笑んで告げた。

「本日、涼は白石綾乃さんのために婚約を破棄されました。

私、滝川奈津美はそれを受け入れます。これからは涼とはそれぞれの道を歩み、無関係な者となります」

その言葉を聞いて、他の奥様方と談笑していた美香の顔色が一変し、手に持っていたシャンパングラスを落としてしまった。

まさか?

破談?

この奈津美は正気を失ったのか?

一方、車内で。

「社長、先ほど滝川さんが破談とおっしゃいましたが、もし本当なら、会長様の件は......」

破談?

涼は冷笑を浮かべた。

滝川家は必死に奈津美を黒川家に嫁がせようとしていた。

奈津美に至っては綾乃の真似をしてまで彼の気を引こうとしていた。

やっと願いが叶うというのに、破談するはずがない。

滝川家がそんな馬鹿げたことを奈津美にさせるはずもない。

「三浦夫人に伝えろ。芝居はもう十分だと。

黒川家の夫人の座が欲しくないなら、他にいくらでも候補はいる」

もしおばあさまが早く孫の嫁を迎えたいと焦っていなければ、こんなに早く婚約などしなかった。

「社長、では......本当に婚約を取り消すんですか?」

涼は冷淡に答えた。

「滝川家にはまだ用がある。婚約は予定通り進める」

「では先ほどの......」

「婚約は進めるが、滝川家には分をわきまえてもらう必要がある」

「滝川さんに説明を入れた方が......」

「必要ない」

奈津美の名前が出た途端、涼の目には軽蔑と嫌悪の色が浮かんだ。

「どうせ一日も経たないうちに、謝りに来るさ。こんな手は飽き飽きだ」

この三ヶ月間、奈津美は彼に取り入ろうと必死だった。

彼の好みを探り、日々のスケジュールを把握し、しょっちゅう祖母の元へ通っては機嫌を取っていた。

本当に吐き気がする。

おばあさまが奈津美を気に入り、さらに滝川家に利用価値があるからこそ、このような女との婚約を承諾したのだ。

今回、奈津美が婚約パーティーで駆け引きをするつもりなら、決して妥協するつもりはない。

夕方、滝川家の邸内。

奈津美が車から降りると、すぐ後ろに美香の車が止まった。

美香は車から降りるなり怒鳴り始めた。

「奈津美!正気を失ったの?

あんな場で破談なんて言い出すなんて!頭がおかしくなったんじゃないの!」

奈津美は無視して歩き続け、身につけていたアクセサリーを次々と外していった。

女中の鈴木愛理(すずき あいり)は早々に戻ってきた奈津美を見て、不思議そうに尋ねた。

「お嬢様?今日は黒川様との婚約パーティーじゃありませんでしたか?どうしてこんなに早くお戻りに?」

奈津美は答えず、衣装部屋へと向かった。

首のパールネックレスを引きちぎり、ドレスを脱ぎ捨て、クローゼットから綾乃風の服をすべてダンボールに放り込んでいった。

「お嬢様!何をなさっているんですか......」

愛理は呆然とした。

奈津美は棚に並んだ香水の列を見つめた。

これらはすべて綾乃が好んでいた香水だった。

「パリーン」という音とともに、奈津美は香水を床に叩きつけて割った。

愛理は奈津美の突然の行動に驚いて飛び上がった。

「どいてください」

奈津美の冷たい声が耳に入り、愛理が反応する間もなく、奈津美はダンボールを抱えて階下へ向かった。

滝川家の裏庭で、奈津美はダンボールの中身を大きな金属製のドラム缶に空けた。

ガソリンとライターを投げ入れると、たちまち炎が上がった。

燃え盛る炎を見つめる奈津美の目は冷たかった。

天が彼女にやり直すチャンスをくれた。

今度は、もう綾乃の影武者にはならない。

そう思うと、奈津美は携帯を取り出し、親友の村上月子(むらかみ つきこ)に電話をかけた。

「月子、あなたのお家の新聞社に記事を書いてもらいたいの。

一時間以内にネットで話題になるような記事。費用は私が出すわ」

「え?今夜、涼と婚約したんじゃないの?婚約くらいで全国民に知らせる必要ないでしょ!」

「後悔したの」

「何を後悔したの?もっと早く全国民に知らせなかったことを?」

「破談にするって言ってるの」

「破談?冗談でしょ!

誰が破談するっていっても、奈津美は絶対しないはずよ!

三ヶ月も必死に涼を追いかけたんだもの!」

電話の向こうが黙り込み、月子はようやく事の重大さを悟った。

「まさか......本気?」

翌日、滝川家のお嬢様の破談宣言がネットで大炎上した。

この話題について様々な議論が飛び交い、神崎市中の誰もが知っていた滝川家のお嬢様・滝川奈津美が黒川財閥の社長・黒川涼に一途な想いを寄せていたことを。

ところが婚約パーティー当日、奈津美が突然破談を宣言し、黒川家との婚約パーティーを台無しにした。

これは黒川家の面子を完全に潰す行為だった。

「滝川家お嬢様の滝川奈津美氏が、黒川財閥社長の黒川涼氏のED疑惑と暴露。

将来の夫婦生活における不和を避けるため、やむを得ず破談を決意。

黒川家には深くお詫び申し上げます、とのこと!?」

会員制クラブの個室で、早見陽翔(はやみ はると)は携帯を手に大笑いしながら言った。

「おいい涼、マジかよ?お前、そんな問題があったのか?見せてみろよ!」

陽翔が手を伸ばしてきたのを、涼は払いのけ、顔を険しくして尋ねた。

「どこの新聞社だ?」

「どこって?村上新聞だよ。

今回は相当な数の媒体に配信したらしいぜ。一面トップの新聞も10万部刷ったって。

今やネット中が『黒川財閥の社長、ED疑惑』って大騒ぎだぞ。トレンド1位だ。見てみるか?」

陽翔がふざけて携帯を涼の目の前に突き出すと、涼の表情はますます暗くなり、グラスを握りしめながら殺気を帯びた目つきで言った。

「滝川奈津美の仕業か?」

「間違いないでしょ。滝川家のお嬢様と村上家の娘は幼なじみの親友だもん。

お前、何か彼女に酷いことしたんじゃないの?

だって、あれだけお前に夢中だった奈津美が、ここまでお前を全国的に貶めるなんて」

そこへ田中秘書が個室に入ってきて、声を上げた。

「社長......」

涼は険しい表情のまま尋ねた。

「調べたか?滝川奈津美はどこにいる?」

「あの......隣の部屋にいるようです」

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    「婚約パーティーでわざと破談を宣言し、週刊誌にくだらない記事を書かせ、今度は望月に擦り寄ってオークションで挑発する。全て俺の気を引くためだったんだろう?ご苦労だったな」涼は奈津美の顎を掴み、唇を奪おうとした。その瞬間、奈津美は不意に笑みを浮かべた。「社長、それで白石さんに顔向けができますか?」「白石綾乃」という名前に、涼の体が一瞬硬直した。奈津美はその隙に手を振り払い、逆に涼の首に腕を巻きつけた。妖艶な眼差しで見上げながら囁いた。「社長のおっしゃる通りです。私のしたこと全ては、社長の目を引くため。でも、ソファーじゃ窮屈ですわ。私の寝室は......いかがかしら?」奈津美の本性を見抜いた涼は、即座に彼女を突き放した。「奈津美、そんな下衆な手を使うな」「まあ社長こそ、私の下衆な手管がお好みじゃありませんの?」奈津美はソファーに優雅に寄りかかりながら言った。「そんなにお堅くならなくても。男性なら、心は一人に捧げても、別の女性の体を求めても、矛盾しませんわ」奈津美は更に涼に体を密着させ、耳元で囁いた。「社長、ご心配なく。今夜のことは絶対に綾乃さんには......」「触るな!」涼は奈津美を強く突き飛ばし、露骨な嫌悪感を滲ませた声で言った。「警告しておく。俺の前でそんな下品な真似は止めろ。お前みたいな女は山ほど見てきた。おばあさまが気に入っていなければ、お前なんか絶対に黒川家には入れない」涼の目に浮かぶ嫌悪感を見て、奈津美は涼しげに言った。「それが一番よろしいですわ。社長、どうぞお帰りください」階上で盗み聞きしていた美香は血の気が引いた。涼は彼らの最大のパトロンだ。黒川家を失えば、滝川家の明日はない。美香は階段を駆け下り、奈津美を詰った。「奈津美!何てことを!早く社長に謝罪なさい!」「お母さん、私が社長にお体を差し上げないわけではありませんわ。さっきもあれだけ積極的だったのに、社長がお断りになったんです。それに社長も私のような女は嫁にしないとおっしゃった。破談の件も世間の知るところ......この婚約も終わりですわね」奈津美が芝居がかった残念そうな口ぶりで言うのを、涼は鼻で笑った。全て自業自得だ。今更後悔したところで、誰のせいでもない。「黒川様!う

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    「違います。このカードの金は滝川家の資金ではありません」礼二は眉をひそめた。「滝川家の資金じゃない?」「父が私に残してくれた持参金です」前世では、美香がこの持参金に目をつけ、自分を黒川家に押し付けたのも、この100億円を横取りするためだった。美香は黒川会長が自分を気に入っていることを知っていたから、密かに会長と相談し、持参金を取り消させた。さらに会社の危機を乗り切るためと嘘をつき、全額を出させた。結局、会社の危機は解決されず、美香は金を持ち逃げした。今世では、逆転の一手を打つ。持参金どころか、滝川家の財産は一銭たりとも美香には渡さない。「望月さん、この数日間の資金の件は、しばらくお手を出さないでいただけませんか」「滝川家はもう風前の灯火だぞ。今投資しなければ、潰れることになる」奈津美は意味ありげに微笑んだ。美香は息子に会社を任せたがっているのだから、この数日間の負債は全て健一のような役立たずに任せればいい。利益が崩壊する寸前に、株主たちがまだ美香親子を庇うかどうか、見物だった。夕暮れ時、礼二が奈津美を自宅まで送り届けた。滝川邸で。玄関を開けると、応接間の明かりが点いているのが目に入った。突然、強い力で室内に引きずり込まれ、悲鳴を上げかけた瞬間、首を押さえつけられ壁に叩きつけられた。「滝川奈津美、連絡を取るのが随分と手間取ったようだな」涼の声は底冷えのする響きを帯びていた。首を締め付けられ、息苦しさを感じながら奈津美は必死に言った。「離せ!」力加減を悟ったのか、涼は手を放した。奈津美は壁に寄りかかって激しく咳き込んだ。それを見て涼は眉をひそめ、すぐさま冷笑を浮かべた。「さすがは奈津美お嬢様だな。黒川家の嫁になりたがりながら、望月とも駆け引きか。どうだ?誰が得かと天秤にかけているのか?」「社長は御冗談を。望月さんとは普通のお付き合いです。それより社長こそ、こんな夜更けに私の家に来られて、望月さんとの関係を詰問なさるおつもりですか?」「望月さんだと?さっきまでのオークションでは『礼二くん』『礼二くん』と随分と親しげだったじゃないか」涼は奈津美の手首を強く握り締めた。「滝川家を助けて欲しいなら、わざわざ望月に頼る必要はない。俺に頭を下げれば済む話だ」

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第28話

    「涼様、おめでとう。金海湾の土地を手に入れたわね。今回は黒川財閥も大儲けできるわ」綾乃は笑顔で言ったが、涼の表情が徐々に険しくなっていることに気付かなかった。向かい側では、奈津美が勝ち誇ったような笑みを浮かべ、礼二とシャンパンで乾杯していた。その光景が涼の目には針のように突き刺さった。「社長、どうすれば......」田中秘書は礼二が入札を続けなかったことに困惑していた。数日前まで、礼二はこの土地に並々ならぬ執着を見せていたのに。なぜ突然手を引いたのか。「どうもこうもない。この損失は飲むしかないだろう」涼は立ち上がった。表情から笑みは消え、代わりに暗雲が立ち込めたような影が差していた。この件は明らかに不自然だ。必ずあの奈津美という女が糸を引いているはずだ。「涼様!」綾乃は涼を追おうとして、咄嗟に彼の腕を掴んだ。次の瞬間、涼は反射的に腕を振り払い、彼女に言った。「綾乃、先に帰っていてくれ」綾乃は一瞬凍りついた。我に返った時には涼の姿はもう見えなかった。涼が彼女を置いて行くなんて......今までに一度もなかったのに。会場の外で、涼は鬼気迫る表情で命じた。「三浦美香を引っ張って来い!」「かしこまりました」一時間後、黒川財閥のオフィスで。美香は警備員に両脇を抱えられて部屋に入れられ、涼の形相を見て血の気が引いた。「社、社長......何かございましたか?奈津美が何か失礼なことでも?」「とぼけるな!」涼は氷のような冷たい声で言った。「奈津美と望月、どういう関係だ?」「え?」奈津美と礼二?そんな筈がない!美香は慌てふためいて言った。「黒川様、奈津美の不埒な振る舞い、私がきちんとお仕置きいたします。どうかお怒りを鎮めていただきたく......滝川家の黒川家に対する忠誠の念は、決して偽りではございません」「無駄話は結構だ。金海湾の件は罠だった。奈津美に情報を流させたのはお前か?」「わ、私は......私は本当に存じません!金海湾のことなど何も!本当です!社長、これは誤解でございます!」「誤解だと?」涼は冷笑を浮かべた。「奈津美はお前に謝罪させておきながら、その裏で望月に近づいていた。これも誤解なのか?」「社長、あの子

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第27話

    「奈津美は婚約者のことをよく心得ているようですね」よく知っている程度ではない。前世での惨めな3年間、彼女は涼に対して犬のように忠実だった。涼が一瞥をくれただけで、自分への態度が変わったと思い込み、一言かけられただけで、ようやく涼の心が溶けたと信じ込んでいた。会社への出資者集めから、黒川会長の介護、涼のための手作り薬膳スープまで作った。好みを知るだけではなく、シャワーの時間や、トイレの回数、使用するトイレットペーパーの枚数まで把握しようとしていた。「望月さん、今夜はきっと大勝利になりますよ」奈津美はそう言いながら、テーブルのシャンパンを一気に煽った。オークションが再開し、ついに金海湾の土地の番になった。「金海湾の土地、市郊外6平米、開始価格60億円!」60億円という開始価格を聞いて、礼二は眉をひそめた。これは奈津美が先ほど言っていた通りだった。このオークションは会場での価格提示が原則で、事前に価格が漏れることはありえない。奈津美がどうして開始価格を知っていたのか。もしかして...今回の金海湾のオークションは、本当に涼の仕掛けた罠なのか?「100億!」「160億!」「200億!」開始早々、会場は盛り上がってきた。この土地は最近、将来1000億円の価値になるという噂が広まっていたからだ。礼二が様子見をしているのを見て、奈津美は礼二のパドルを勝手に上げながら声を上げた。「400億です!」礼二は横目で奈津美を見て言った。「人の金だと気楽に言えるものだな」「そうですとも」案の定、向かいの涼がパドルを上げた。「600億」一気に200億も跳ね上がり、周りは値をつける気力を失った。その時、涼は近くの買い手に目配せし、すぐさま声が上がった。「700億!」「800億」礼二の声に、会場が騒然となった。この価格は危険水域だ。噂の将来価値でさえ1000億円だというのに。その時、涼が満場の注目を集めながらパドルを上げた。「900億」一瞬、空気が凍りついたかのようだった。全員が礼二の出方を見守っている。礼二と涼がこの土地を争っていることは周知の事実だった。この土地は1000億という天井価格まで跳ね上がるかもしれない。だが結果的には、間違いなく大

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第26話

    「奈津美!そこで待て!」休憩時間に奈津美がトイレに向かおうとした時、背後から涼の声が響いた。「涼?何かご用でしょうか?」奈津美は振り返り、まるで他人のような口調で言った。「よくやったな。うちが目をつけた土地を、損を出してまで買うとはな。どういうつもりだ?俺に対抗するつもりか?それとも俺の注意を引きたいのか?」「誤解なさっているようです。私はただあの土地が気に入っただけです。涼とは何の関係もありません」奈津美は真摯な様子で言ったが、涼は一言も信じなかった。その時、綾乃が涼の後を追ってきた。「滝川さん、今日は本当に軽率でしたわ。あの土地で大損することになりますよ」綾乃は隣の涼を見やりながら続けた。「今日、涼様が私を連れてきたことで、奈津美さんの気分を害してしまったのは分かります。涼に対抗なさりたい気持ちも分かりますけど、こんな無謀なことをなさっては......結局、損失は涼が滝川家のために埋め合わせることになるでしょう。それではお互いのためになりませんわ」それを聞いて、涼は冷笑した。「自分で入れた値段は、自分で払え」「冗談でしょう。私が入れた値段は当然私が払います。もう婚約も解消したのですから、私の支払いと涼は無関係です」「お前......」涼の表情が険しくなった時、礼二が会場から出てきた。奈津美は礼二を見るなり、わざと声を大きくして笑顔で呼びかけた。「礼二くん!」この親しげな呼び方に、涼の表情は更に暗くなった。奈津美は礼二の腕に自然に手を添えながら言った。「休憩時間ももう終わりですね。私たち戻りましょう。金海湾の土地、私ずっと狙っていたんです。涼、綾乃さん、失礼します」奈津美は涼と綾乃に丁寧に会釈をした。綾乃は隣の涼から漂う冷たい殺気を感じた。「涼様......」綾乃は思わず涼を見た。まさか奈津美が涼の目の前で礼二とあんなに親しげにするとは。礼二は涼の宿敵なのに。「滝川奈津美か......今まで見くびっていたようだな」涼は拳を握りしめた。こんなに軽んじられたのは初めてだった。特に先ほど奈津美が礼二の腕に手を添えて去っていく様子は、まるで自分への挑戦のようだった。奈津美は本気で、自分が彼女なしでは済まないと思っているのか。

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第25話

    特に涼は冷ややかに嘲笑した。こんな手で自分の注意を引こうとするなんて、安っぽすぎる。「40億」涼は静かにその言葉を吐き出した。奈津美ごときが、自分に勝てるとでも?「50億」「60億!」値段が徐々に法外になり、綾乃は眉をひそめて言った。「涼様、この土地にそんな価値はないわ」涼も眉をひそめた。田中秘書が傍らで小声で言った。「社長、もう予定価格を超えています」それを聞いて、涼は冷笑した。奈津美には金などないはず。こんな値段をつけるのは、ただ自分に対抗したいだけだ。いい、少し損をしても今日は奈津美に教訓を与えてやる。涼は冷たい声で言った。「70億だ」礼二は涼の強気な態度に満足げだった。データによると、涼はすでに10億の赤字になっている。まさか奈津美がこんな手を使って涼を罠にはめるとは思わなかった。これまで奈津美を見くびっていたようだ。礼二が奈津美に引き下がるよう言おうとした時、隣の奈津美が突然パドルを上げた。「100億です!」100億という数字が飛び出した時、会場は騒然となった。何が100億なのか?どうして100億になったのか?奈津美の一言にオークショニアも呆気にとられた。オークショニアは自分の耳を疑った。南部郊外地区の3万平方メートルの土地は、価値は20億円程度のはず。さっきまで70億ぐらいだったのに、どうして突然100億になったのか?「奈津美は気が狂ったのか?」涼の表情が険しくなった。郊外の価値の低い土地に、100億などと言い出すとは。誰に後ろ盾でもついているのか。「社長、もう入札はできません。これ以上は損失が大きすぎます!」田中秘書も焦り始めた。奈津美のやり方は、明らかに無謀な入札だ。これまで郊外の土地でこの規模のものが100億円になったことなど一度もない。「奈津美、黙りなさい!」礼二は声を潜めて言った。「いくら損することになるか分かっているのか?」「損をするのは私じゃなくて、礼二ですよ。忘れないでください。これはあなたが私にくださると約束したものです。男の約束は守るべきでしょう?」「お前......」礼二は奈津美が10億程度の別荘を望むと思っていた。まさか100億もの土地を要求するとは。

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第24話

    綾乃が奈津美を弁護しようと急いだが、その言葉がかえって涼の怒りを煽る結果となった。好きだと?あの女は、ただの出世欲の塊じゃないか。以前は俺に取り入り、今度は望月という獲物を狙っている。最近奈津美が俺に媚びなくなった理由も分かったものだ。涼の眼差しは一層冷たさを増した。よくも騙してくれたな。「行くぞ」涼は二人を一瞥もせず、綾乃の腕を引いてオークション会場へ入った。一方、礼二は自然な様子で奈津美を腕に添わせ、冷ややかに言った。「今夜は俺のパートナーだ。私の指示に従え。分かったな?」「望月さん、ビジネスの世界の人間同士ですもの。今夜のパートナーを務めさせていただく以上、経費は社長持ちということで?」「君は俺のパートナーだ。恋人じゃない」奈津美は困ったような表情を作って言った。「でも涼さんは私にお金を使ってくださいましたわ。カリスマ性で、望月さんが涼さんに負けるわけないですよね?」「これは挑発かな?」「まさか......」「見事に挑発されたよ」「......」会場内では既に参加者全員が着席していた。今回のオークションには主にアシスタントが参加し、涼と礼二という二人の大物だけが直接出席していた。何が起きているのか周りには分からなかったが、会場内は普段とは違う緊張感に包まれていた。涼と礼二の前で誰も値をつける勇気がなかった。「涼様、滝川さんと望月さんの関係、ただごとじゃないみたいね......」綾乃は涼の表情を窺った。主催者の意図的な配置なのか、礼二と奈津美は彼らの真向かいの席に座っていた。顔を上げれば互いの姿が見える位置関係だった。涼は向かいの二人が楽しそうに会話を交わすのを見て、さらに危険な口調で言った。「奈津美......よくやってくれる」最初は綾乃の真似をして俺に取り入り、次に祖母の前で良い子を演じ、破談を口にしながらも何度も祖母に取り入り、今度は礼二に取り入って、さらに継母に謝罪させる。俺を愚弄しているつもりか。奈津美は背筋に冷たい視線を感じていた。礼二が言った。「黒川が君と俺が一緒にいるのを見て、どんな気持ちだと思う?」「どんな気持ちもないでしょう」奈津美は無関心そうに答えた。「涼さんが愛していらっしゃるのは綾乃です

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第23話

    「そうだよね、神崎市じゃ誰でも知ってるわ。滝川家と黒川家の婚約なんて、あの子が必死に取り入って漕ぎ着けたものでしょう。彼女、本当に自分を何様だと思ってるの?涼なら、婚約を破棄しても翌日には新しいお相手が見つかるでしょうけど、あの子はどうなるの?もう神崎市で誰も相手にしないんじゃないかしら」......会場の外で数人の令夫人たちが、遠くにいる奈津美を露骨に嘲笑していた。奈津美は到着してから7、8分が経過しており、涼と綾乃より少し早く会場に着いていた。本来ならもう会場に入る時間だったが、あの意地悪な礼二が外で待たせているのだ。まるで前世で何か悪いことをしたかのように、この厄介な男に絡まれてしまった。礼二と涼はどちらも厄介な存在だと理解した。だからこそ、この二人は前世でも今世でも死闘を繰り広げる運命なのだ。「滝川さん、もう涼を諦めたほうがいいよ。涼の側にはもう白石さんがいるんだから、ここまで追いかけてきても無駄じゃない?」「そうそう、数日前には偉そうに婚約破棄なんて言ってたくせに、今度は自ら追いかけてきた。残念ながら、代役は代役。涼には本命がいるから、もう振り向いてもらえないよ」「自業自得というしかないわ。やっと手に入れた黒川家の奥様の地位を手放すなんて、自分を鏡で見てみなさいよ。彼女が白石さんと比べられると思ってるの?」その時、一人の社交界の華やかな女性が奈津美の前に歩み寄り、皮肉な口調で言った。「滝川さん、この可愛い顔立ちを持っているんだから、若いうちに男性をどう扱うか学んだほうがいいわよ。さもないと、神崎市で誰もあなたを相手にしなくなるわ」その言葉に周囲から笑い声が上がった。結局は涼と婚約していた女性でありながら、大恥をかかせた奈津美。どんなに美しい容姿を持っていても、神崎市ではもう誰も彼女を求めない。その時、一台の黒いマイバッハが横に停まった。降りてきた人物は完璧なスーツ姿で、その冷たい表情を見た瞬間、人々の息が止まった。礼二は金縁の眼鏡を軽く押し上げながら、降りる際に先ほど噂話をしていた人々を一瞥し、そのまま奈津美を引き寄せた。「入口で待つように言ったはずだ」礼二の低く落ち着いた声には磁性があり、その何気ない一言で周囲の人々は驚きの目を見開いた。奈

  • 前世の虐めに目覚めた花嫁、婚約破棄を決意   第22話

    「コンコン」ドアの外で綾乃がノックを二回して、オフィスのドアを開けた。綾乃は純白のイブニングドレス姿で、気品と優雅さが際立っていた。腰まで届く黒髪が、しっとりとした雰囲気を醸し出していた。「涼様、オークションが始まるわ。行きましょう」綾乃を見た美香の表情が強張った。黒川家の奥様の座は、綾乃さえ邪魔をしなければとっくに奈津美のものだったはず。こんな大事なオークションに、黒川は滝川家の面子など全く考えず、綾乃を同伴するつもり。これは明らかな当てつけではないか。「美香さんですね。涼様からお話は伺っています。こちらは......」綾乃はやよいの、自分とよく似た装いを見て、軽く微笑んだ。滝川奈津美一人では足りず、もう一人用意したというわけか。でも何人来ても同じこと。所詮は代役に過ぎない。綾乃がやよいに注目するのを見て、美香は落ち着かない様子でやよいの手を引いた。「用件は済みましたので、これで失礼します」涼は綾乃を見て眉をひそめた。「まだ怪我が治っていないのに、どうして来たんだ?」「もちろんオークションに付き添うためですよ。今日がどれだけ大切な場だか分かっているもの。私が欠席するわけにはいかないでしょう?」綾乃は涼の傍らに寄り、言った。「もしかして......今日は他の人を誘ったのですか?」涼は黙った。確かに今日はドレスを奈津美に送らせた。だが、これは祖母の意向だった。自分の意志ではない。傍らで田中秘書が涼の耳元で囁いた。「社長、滝川さんは欠席だそうです......」欠席?滝川奈津美め、随分と図太くなったものだ。普段なら飛びつくような機会を、今になって意地を張るとは。綾乃は不機嫌そうに言った。「滝川さんを誘っていましたね。だから私に付き添いを頼んだのですか」涼は眉をひそめた。「奈津美が頼んだのか?」「滝川さんは本当に破談を望んでいるみたいですね。涼様、もう......彼女を無理に引き止めるのは止めましょう」以前なら、綾乃はこんなことを気にも留めなかった。でも最近、何となく不安を感じていた。奈津美が涼にとって、単なる代役以上の存在になりつつあるような気がした。もし涼が本当に奈津美を愛してしまったら、二度と奈津美を涼に近づけるわけにはいかな

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