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第2話

私は客席に座ったまま、込み上げてくる怒りを必死に抑えていた。

私の命がけで産んだ子が、今は床に跪いて他人を母と呼んでいる。

式には大勢の人が来ていて、内情を知っている人も少なくなかったが、伊藤瑾也の威厳があまりにも強く、誰一人として声を上げる者はいなかった。

壇上の伊藤瑾也は黒のスーツ姿で、五十を過ぎているのに、凛とした姿に歳月を感じさせなかった。

高橋蘭子は晴れの日にふさわしい、赤い旗袍に白のショールを合わせた装いだった。

二人は長年連れ添った夫婦のように見えた。

一方の私は淡いピンクのドレスを着て、片隅に一人佇み、まるで部外者のようだった。

負け犬という言葉では言い表せないほどの惨めさだった。

伊藤瑾也は泣き崩れる高橋蘭子をそっと抱きしめ、その目に深い愛情を湛えていた。

「蘭子、泣かないで。うちの子が立派になったんだ。喜ぶべき日だよ。

君は彼の母親なんだ。そう呼ばれて当然のことさ」

息子の伊藤言和も頷きながら、高橋優子の手を取って一緒に跪いた。

息子の嫁の山田優子は戸惑いの表情を浮かべていた。そもそも私とは一度も顔を合わせたことがなかった。

伊藤言和に促され、彼女も「お母さん」と呼んだ。

高橋蘭子が泣き止まないのを見て、瑾也と言和は慌てて声をかけた。

伊藤瑾也が優しく言葉をかけながら、ふと私と目が合った。すぐに視線を逸らしたものの。

その一瞬の後ろめたそうな表情を、私は見逃さなかった。

胸が締め付けられる思いだった。

彼は全てを分かっていたのだ。

私の屈辱、怒り、苦しみ、全てを承知の上で。

それでも高橋蘭子を選び、私の苦しみを見過ごしてきた。

壇上の伊藤言和は司会者から話を引き継ぎ、伊藤瑾也と高橋蘭子の若かりし日々を語り始めた。

最後には目を潤ませながら言った。「叶わなかった恋が、今やっと実を結びました」

叶わなかった恋?

実を結ぶ?

私が身を引いて、彼らの幸せな家族を祝福しろというのか。

この時、私は司会者への怒りすら覚えた。なぜこんなにはっきりとしたマイクを使うのか。

なぜ伊藤言和の言葉をこんなにも鮮明に聞かせるのか。

椅子に座ったまま、全身から力が抜けていくのを感じた。

どうして私の人生はこうなってしまったのか、理解できなかった。

式がいつ終わったのか覚えていない。気がついた時には、もう自分はベッドに横たわっていた。

他の人たちは新婚夫婦の部屋に押しかけ、からかったり騒いだりしているようだ。

伊藤言和は新しい「母」と離れたくないと言って、高橋蘭子を新居に招いていった。

その間、伊藤瑾也から何度も着信があった。出なかったら、メールを立て続けに送ってきた。

最初は心配そうな内容だったが、次第に非難がましくなり、最後には全て私が悪いという論調になっていった。

「なぜ一言も言わずに帰ったんだ。

息子の大切な日なのに、なぜみんなを困らせるんだ。お嫁さんへのご祝儀も、結局蘭子が用意することになったのよ。

いい加減、こんな意地は張るのはやめろ。もう私には君を慰める気力もない。本当に呆れた」

伊藤言和からは連絡一つもなかった。まるで私など存在しないかのようだった。

きっと、いつものように私から謝りに行くのを待っているのだろう。今までもそうだった。

結局は私が頭を下げることになっていた。

三歳になる前まで、伊藤言和は私に甘えていて、可愛らしい声で「ママ」と呼んでくれた。

おいしいものがあれば、最初の一口は私にくれて、私が疲れているときは膝の上で甘えてくれた。

小さな手で不器用に私の頭をなでてくれた。

夫の伊藤瑾也の裏切りよりも、息子の伊藤言和の変わり様の方が、私の心を深く傷つけ、受け入れ難かった。

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