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第17話

 高橋優子は顔を上げて、「佐藤さんはなかなか面白い聞き方をするのね。離婚を言い出したのはあなたの方じゃなかった?」と挑発交じりに問い詰めた。

佐藤峻介は明らかに彼女の質問を無視して、「お前はここ数日ずっとあいつと一緒にいたな?」と寒気を帯びて接近してきた。

こんな近距離では、優子は彼の濃密なまつ毛の下の目が発している冷たい目線を感じられた。その目は充血していて、顔全体が暴虐の色に満ちていた。

「違う、天気が悪いからタクシーがなくて、たまたま先輩が近くを通ってたので、送ってもらったの」優子は否定した。

「ふん、お前は嘘をつく時、目が上に向く癖があることを忘れたか?その癖は今でも治っていない。お前は一年かけて俺と対立していたのに、最近になって急に気が変わって、重病の父を置いて失踪するとは、あの男の為だったか?」峻介は嘲笑いながら彼女を問い詰めた。

彼女は言い訳をしようとしなかった。彼のように頭の切れる者にとって、言い訳を探すのは彼の頭脳を侮辱しているようなもので、彼を怒らせるだけだと分かっていた。

だから優子は素早く話題を変えた。「そんなことより、まず離婚の話をしない?」

彼女が歩き出そうとすると、峻介は彼女の腕を掴んだ。力を入れていないにもかかわらず、心まで響くような激痛が走った。優子は眉を寄せ、怒りっぽい目で彼を睨んだ。

峻介の顔には狂気が浮かび、声も一層冷たくなった。「前は離婚こそお前への一番の懲らしめだと思ってたが、今は気が変わった」

「何言ってるの?」優子は一瞬思考が止まった。

峻介の目つきは邪険になり、「急に離婚したくなくなった」

彼の細長い指が優子の頬に触れ、目を垂らして「どうだ、奥さん、嬉しいでしょう?」

半月前であれば、彼女が峻介に離婚したくないと言われたら嬉しかったかもしれないが、真実を知った今では、彼に触られて吐き気しかしなかった。

「離して!」

「佐藤峻介、私はあんたと離婚する、今すぐよ」

男は軽やかに彼女を抱き上げた。前は彼女にとって風や雨を遮ってくれる港湾だったが、この時の彼女には果てしない抵抗しか残っていなかった。

「離して、あんた、狂っちゃったの!」

しかし男女の力の差は激しい。ましてや今の優子は身体が極めて衰弱していて、彼の前では全く反抗ができなかった。

優子は彼に車の後ろの席に座らされ、さっきの抗いは彼女にとって猛烈な運動だった。呼吸が乱れた彼女は、辛うじて口を開いた。「あんた、何をする気?」

「何を、だと?」

峻介はずれたネクタイを直しながら、挑発まじり口調で、「お前には、死んだ方がましだと思うくらいの地獄をみせたいさ。まさか手放してお前をあの男の元へ行かせるなんて思ってないだろうな」

「見直したぜ、あれだけ死んでも離婚したくないと言い続けてたお前が、すぐに他の男についていくなんて、どんだけ欲求不満なんだ?」

優子は頭が裂けそうに痛くなり、彼の刺激で心臓も針に刺されたように痛かった。唇を噛み締めながら、彼女は反論した。「前はあんたがずっと私と離婚したがっていたじゃない。私は叶えてあげようとしているのに、今度は何なの? あんたの方がずっと前から浮気してるのよ。たとえ私が他の男と付き合ったとしても、あんたと何の関係があるの?」

次の瞬間は、男が力強く顎をあげて、冴え切った声で言った。「世の中は誰もが幸福を手に入れることができるが、お前だけはその資格はない!分かったか?」

優子の目線は彼の冷たい瞳に捕らえられ、闇に満ちた目から静寂な威圧を感じた。彼は更に残酷な声で言う。「離婚するかどうかは、俺が決める」

峻介は屈むと、垂らしてくるネクタイは彼女の頬の両側に散り、ゴージャスなウールのコートは皺ひとつなかった。その上からの目線は、他人は皆彼の前ではただの虫けらに過ぎなかった。

車が道路の分離帯を曲がると、優子は向こう側の長い車の列を見つめた。列の一番前には一台のポルシェカイエンがガードレールにぶつかっていた。それは悠斗の車だった。

悠斗は彼女を送ったあとすぐ事故にあった。優子は峻介に大きな声で「止めて!」と叫んだ。

しかし森本はバカでもこの時は止めるべきではないと分かっている。どれだけ叫ばれても聞こえないふりをした。

優子は無理やり車のドアを開けようとしたが、腕は峻介に力強く引っ張られ、彼の胸に押し寄せられた。

「どうした?」

「胸が痛いか?」峻介は落ち着いた声で聞いてくる。

「あんたは狂ったの?私は先輩とは同じ学校を卒業して、普段病院でお父さんが世話になっているだけよ。彼は関係ないのに、なぜあんたはこんなことをするのよ」

「お前が悲しければ悲しいほど、俺は歓ぶからだ」峻介は冷たい声で言いながら、ゆっくりと手を伸ばして、指先が彼女の顔を撫でた。

優子は無力に彼のシャツの襟を掴み、怒りで全身の力が抜けた。「峻介、お父さんは辻本恵に学費を援助したけど、たとえ二人の間に何らかの関係を持っていたとしても、彼女を害するようなことは、お父さんは絶対していないから」優子は無理に力を出して言った。

恵の名前を口にした途端、峻介の顔色は豹変した。一秒前まではまだ嘲笑っていた彼が、急に狂暴になり、力強く優子の身体を押した。

「お前にはその名前を口にする資格はない!」

優子の背中は車のドアに強く衝撃した。ただでさえ弱り切った身体は千切れそうになり、車の隅に縮まって、骨の髄から蔓延る痛みを堪えた。

峻介はその名前にここまで敏感ということは、やはり間違いじゃなかった。辻本恵は彼の生き別れの妹だった。

しかし今の優子にはもう彼に確認する力は残っていない。彼女は目を閉じ、できるだけ自分を落ち着かせ、身体の気味悪さを追い払おうとした。

今の彼女には喧嘩する力すら残っておらず、ただシートに寄り添って身体を丸めるだけだった。

幸い彼女は出かける前に頬紅と口紅を塗っておいたから、青白い顔を人に見られなくて済んだ。

無言になった優子を見て、峻介は彼女はただ丸みこんでるだけだと思い、そのまま放置したが、起伏する心臓はなかなか元には戻らなかった。

車は峻介の家についた頃、優子は既に弱まり切っていて、一歩でも動きたくなかった。

峻介はもうどこかに行ってしまい、昇がドアを開け、小さな声で聞いてきた。「奥さん、具合でも悪いのですか?」

優子が否定する前に、ドアの外に立っていた峻介は上から目線で「いつまでそのか弱いふりをするんだ?そんなありふれた手段に私は騙されるとでも思ってんのか?」

その年は峻介に改心させるために、確かに苦肉の計を使っていた。

「狼が来た」のおとぎ話の結末は、狼は本当に現れたが、彼はもう信じてくれなくなった。

何秒待っても彼女が車から降りてこないので、峻介は苛立った。「中村家に手を出してほしくなければ、大人しく降りてこい」

優子は悠斗にメッセージを送ったばかり、まだ相手からの返事がなく、怪我はどうなっているかも分からない。彼女は歯を食いしばって降りるしかなかった。

つま先が地面に着いた途端、冷たい風がものすごい勢いで吹いてきた。優子はバランスを崩され、意識が飛んでいきなり倒れた。

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