とはいえ、晋太郎が帝都で築いた広大な人脈と影響力を、悟が一気に掌握するなんて到底無理な話だ。彼が自分の地位を安定させるためには、人を頼る以外他に選択肢などないだろう。紀美子は胃の中がムカムカとするのを感じた。佳世子がこれを知ったらどんな気持ちになるのか、想像し難かった。アパートの中。このニュースを目にした晴は、すぐさま佳世子に電話をかけた。電話はすぐにつながった。晴は低い声で話し始めた。「佳世子、悟が藍子と婚約した」佳世子はしばらく沈黙した後、「……やっぱり、クズ男と安い女はいつもペアね」と冷たく言い放った。その口調は冷静だったが、晴は彼女の声から燃え上がる怒りを感じた。「佳世子……」晴は心配そうに呼びかけた。「私は大丈夫」佳世子は落ち着いた声で言った。「晴、紀美子のもう一つの電話番号を教えて」晴はすぐに紀美子の別の番号を佳世子の携帯に送った。「送ったよ。他に何か手伝えることはある?」晴が尋ねた。佳世子は深くため息をついてから言った。「藍子を見張れる人を何とか探して。私は紀美子と話してくる」「……分かった」佳世子は電話を切ると、すぐに紀美子にメッセージを送った。ちょうどコメントを見ていた紀美子は振動に気づき、ポケットからもう一つの携帯を取り出した。番号を見た瞬間、紀美子は驚いた。佳世子だ。長年の付き合いで、紀美子は佳世子の番号をしっかり記憶していた。この数日間、佳世子に連絡を取ろうとか迷っていたが、どう切り出せばいいか分からなかった。まさか佳世子が先にメッセージを送ってきてくれるなんて。佳世子と晴は会ったのだろうか?でなければ、この番号をどうして知っているはずがない。そう考えながら紀美子はメッセージを開いた。「紀美子、私よ、佳世子」紀美子はすぐに返信した。「分かってるわ。佳世子。元気だった?」「元気よ。あなたはどう?体調は大丈夫?」紀美子は鼻の奥がツンとした。「体調には問題ないけど、心が空っぽになったみたい」画面越しでも、佳世子には紀美子の痛みが伝わってきた。彼女は慰めた。「紀美子、大変なのは分かってる。本当にごめんね、そばにいてあげられなくて。本当はもっと早く連絡するべきだったけど、最近は藍子をどうするか考
二人は、部屋の扉の鍵をかけ楽しそうにキーボードを叩いていた。念江は冷静になり、パソコンに夢中の佑樹を見つめながら言った。「佑樹、そろそろ始める時間だよ」佑樹は頷いた。「そうだね。もう時間を無駄にはできない」念江はパソコンの電源を入れ、起動を待ちながら窓の外に目をやった。「ゆみ、今どうしてるんだろう。全然連絡がないけど」佑樹は手を止め、呆れたように念江を見つめた。「あの子、昨夜もメッセージを送ってきたよ。まだ一日も経ってない」念江は少し驚き、気まずそうに笑った。「そうだったのか?いないと時間が長く感じるよ」「僕ら二人とも何もしていなかったからだよ」佑樹は言った。「学校にも行けないし」「こんな日々、いつ終わるんだろうな」「後でママに連絡して、悟に学校のことを相談してもらうよう頼んでみる」佑樹は言った。「うん、でもそれは後にしよう。まずは無線のログイン記録を消しておくよ」「その辺は任せる。僕はエリーという人物を調べるよ」佑樹は言った。「了解」三時間後。佑樹のパソコンにエリーの情報が表示された。念江は画面をちらっと見てから、再び自分のパソコンに目を戻した。「見つかったか?」佑樹は眉をひそめながら、見つけた資料をじっと見つめていた。読み進めるにつれ、体中が寒気に襲われるのを感じた。「見つけたよ」佑樹はごくりと唾を飲み込んで言った。「この女、世界殺し屋ランキングで第5位に入っている。悟がこんな人間と知り合いだなんて、信じられない!」「そんなあり得ないことでもないさ。彼は医者だろ?もしかしたら彼女を助けたことがあるのかもしれない」「その可能性も否定できないね」佑樹はさらに資料を読み進めながら言った。「でも、彼女がママのそばにいるのは危険だと思う」「一旦パソコンを閉じよう、佑樹」念江は注意を促した。佑樹はすぐにパソコンを閉じ、念江も最後のIPの記録を消した後、パソコンを閉じた。「彼女がママに手を出すことはないと思う」念江は言った。「でも、悟が本気でママを狙うつもりなら、エリーがいる限り、ママは完全に彼らの手の内だよ」念江は困ったように言った。「それもそうだね」「事実だよ」佑樹は真剣な表情で言った。「でもエリー
佑樹は携帯を受け取った。「ママ、明日叔母さんに頼んでソフトをあなたに届けさせるよ。絶対に気を付けてね」「分かったわ。ところであなたたちはちゃんとご飯を食べてる?ゆみから連絡はあった?」佑樹はゆみから送られてきた写真を紀美子に送った。写真の中でゆみの自撮りを見て、紀美子は思わず少し驚いた。彼女は急いで返信した。「ゆみ、帝都にはいないの?」佑樹は不思議そうに答えた。「そんなはずないよ。ゆみは帝都を離れるなんて言ってなかったし」ゆみが撮った写真は部屋の中で撮影されたもので、その雰囲気は小林さんが墓地近くに住んでいる家の装飾とは明らかに異なっていた。「佑樹、ゆみの電話番号を私に送って」紀美子がそう返信すると、すぐに紀美子の携帯にゆみの番号が送られてきた。実は、紀美子がゆみの番号を知ったのはこれが初めてであった。晋太郎も、ゆみ自身も知らせてくれなかったからだ。番号を受け取ると、紀美子はすぐにゆみに電話をかけた。しばらくして、ようやくゆみが電話に出た。「もしもし?」そのなじみ深い、少し幼い声が紀美子の耳に届いた。紀美子は彼女への恋しさを抑え、優しく言った。「ゆみ、ママよ」ゆみは驚いて目を見開いた。「ママ?!ママの携帯取り戻したの?!」「そうよ。ゆみ、聞きたいんだけど、今どこにいるの?」紀美子が尋ねた。「北の方だよ!」ゆみはすぐに答えた。「おじいちゃんが私を彼の故郷に連れてきてくれたの!この村にはたくさんの子どもたちがいて、みんなとても優しいの。それに、ここのおじさんやおばさんたちも私のことをとても可愛がってくれるよ……」ゆみが楽しそうに話すのを聞いて、紀美子の胸につかえていた不安がすっと解けた。話の最後になると、ゆみの声が次第に詰まり始めた。「楽しいことや美味しいものはたくさんあるけど……ママやお兄ちゃんたちに会いたいよ……」紀美子は目に涙を浮かべた。「ママもゆみに会いたいわ。お兄ちゃんたちも同じよ。でも、一度選んだ道は最後まで歩き通さないとね?おじいちゃんの言うことをちゃんと聞いて。本当に帰りたくなったら、ママが直接迎えに行くから」「分かったよ、ママ……」ゆみの声には明らかに寂しさがにじんでいた。「ママ、私にもっと電話してきてね。夜がいいわ。
「うん、大変だっただろうが、君は乗り越えたんだな」小林は言った。紀美子は鼻をすすりながら言った。「小林さん、私は子どもたちの父親のことが知りたいんです……」小林さんはため息をついて言った。「紀美子、誰しも人生には苦しみや悲しみを味わうものだが、それを乗り越えた先には、きっと報われる時が来るものだ。だが、俺から多くを語るわけにはいかない。ただ、今言えるのは、もし君にとって理解しがたい出来事があったとしても、それが必ずしも悪いものとは限らない、ということだ」その言葉を聞き、紀美子の心には複雑な思いが広がった。一体どういう意味だ?晋太郎を忘れてしまえば、この先の人生はもっと楽になるということか?「理解しがたい」というのは、いったいどういうことだろう?具体的には理解できなかったが、紀美子は小林さんに感謝の言葉を述べた。「小林さん、お話ありがとうございました。子どもの学費の件ですが、後ほど子どもの口座に振り込みさせていただきます」小林は笑いながら言った。「俺は彼女の師匠だ。遠慮するな。俺は息子や娘もいない。俺の孫娘のように育てていくつもりだ。気にしないで欲しいのだが」「もちろんです」紀美子は笑顔で答えた。「ゆみを可愛がってくださるのなら、ゆみも幸せでしょう」「だが、人生は結局自分で歩むものだ」「ええ、わかっています。それでは、小林さん、これからも子どもをどうぞよろしくお願いします」「紀美子、悪を行う者には悪果が、善を行う者には善果が返る。これを肝に銘じておけ」紀美子は一瞬戸惑った。小林さんは彼女が答える間もなく、「じゃあ、これで切るぞ」とだけ言って電話を切ってしまった。電話を置いた後、紀美子は小林の言葉をしばらく反芻した。たとえ悪人に出会ったとしても、その相手に悪事を働いてはならない、という意味だろうか?では、復讐は「悪」に当たるのだろうか?夜、加藤家。悟は加藤家の人々と夕食を共にし、お茶を飲み終えた後、中庭に出て気分転換をしていた。間もなく、藍子も後を追ってきた。「あなたに助けられた恩があるからこそ、婚約を受け入れたの。でも……人生は一度きり。もし私を愛せないのなら、地位を固めた後で早めに関係を断ち切ってほしい」その言葉を聞いた悟は、彼女に目を向けて静かに答え
「負うべき責任はちゃんと負う」悟は素直にそう言った。藍子は頷き、それ以上は何も言わなかった。彼女は静かに視線を上げ、明るく清らかな月光を見つめながら、心の中にあるほのかな想いが次第に膨らんでいくのを感じた。悟と出会う前、彼女は晴がこの世で最も魅力的な男性だと思っていた。だが今、彼女はそれがそうではないことに気付いた。本当に心を動かされる男とは、闇の中にいる自分に手を差し伸べてくれる人だと知ったのだ。彼女は留置場から出てきたあの日のことを思い出した。家族から悟との婚約を告げられた時、彼女には反発心しかなかった。顔も知らない相手に嫁ぐなんて、納得できるはずがなかった。だが、悟が家族たちと会話する姿を見た瞬間、彼の持つ穏やかで上品な雰囲気、そして柔らかい口調が魅力的に感じた。こういう男なら、結婚しても悪くないかもしれない。少なくとも、帝都の遊び人たちよりは遥かにましだ。……その夜、藍子は悟に連れられて別荘に戻った。シャワーを浴びた後、彼女はバスローブ姿でベッドに座り、悟がバスルームから出てくるのを待った。彼女は緊張のあまりバスローブの端をぎゅっと握りしめ、ドキドキと心臓を高鳴らせていた。これが彼女の初めての夜だった。彼女は、この温和で和やかな男が優しく接してくれることを期待していた。そう考えていると、悟がバスルームのドアを開け、湯気に包まれながら出てきた。彼は藍子を一瞥するとすぐに視線を逸らした。「どうしてまだ寝ていないんだ?」藍子はゆっくりと深呼吸をしてから答えた。「あなたを待っていたの」その言葉を聞いた悟は眉をわずかにひそめた。「必要はない。眠りたいなら寝ればいい」そう言うと、悟はベッドに歩み寄り、布団をめくって横になった。「ただ寝るだけなの?」藍子は彼を呆然と見つめた。悟は彼女をじっと見つめた後、静かに言った。「何をしたいんだ?」藍子はベッドの反対側に回り、布団をめくって横になった。そして彼をじっと見つめながら、真剣な様子で言った。「本当にわからないの?私たちはすでに婚約しているじゃない。周りの人たちから見れば、私たちは婚約者よ。何かが起きたとしても、誰も咎めないはずわ」彼女が近づくにつれ、悟の心には微かに苛立ちが募っていった。
悟は、紀美子のことを考えている自分に気づき、ハッとした。なぜこんなタイミングで彼女のことを思い出すのだろう?しかも、彼女と一緒に過ごした日々の情景まで浮かんでくるなんて。自分が紀美子に……感情を抱いているはずがない!絶対にありえない!そう思い、悟は急いで立ち上がり客室を出て行った。一方、寝室では、藍子がまだ悟の態度に悩んでいた。突然ドアが開くと、彼女は再び戻ってきた悟を見て、驚きながら言った。「悟……」悟は大股でベッドの横に歩み寄り、藍子の腕を強く掴んで自分の胸に引き寄せた。続けて彼女の顎を掴み、勢いよく唇を重ねた。だが、彼が藍子に触れるほど、頭の中にはますます濃く紀美子の姿が浮かんだ。彼の呼吸は次第に荒くなり、動きも次第に粗雑になっていった。何があっても、紀美子に自分の心を支配されてたまるものか!午前三時。紀美子は、携帯の振動に起こされた。手探りで携帯を掴み、画面を見ると、瑠美からの着信だった。彼女はすぐに通話ボタンを押した。「紀美子、今すぐ別荘の南東の角に来て。ソフトを渡すわ」この言葉を聞いて、紀美子の眠気は一気に吹き飛んだ。彼女は急いでベッドから飛び起き、布団をめくった。「分かった。すぐに行く」「安心して。子供たちが見張ってくれてるから、ボディーガードたちは今巡回してないわ」瑠美が念を押してくれた。「分かった」スリッパを履き、紀美子は急いで階段を下りていった。そして静かに後ろのドアを開け、南東の角へ向かった。近づいていくと、紀美子は瑠美が黒いスポーツウェアを着て地面にしゃがんでいるのが見えた。彼女が瑠美の前に歩み寄ると、瑠美はすぐにUSBメモリを紀美子に渡した。「これで終わり。あとは気をつけて。私は先に行くわ」瑠美は小声で言った紀美子が感謝を述べようとしたとき、瑠美は急いで付け加えた。「そういえば、ずっと悟を尾行してたんだけど、昨夜、藍子が悟の別荘に行ったのを見たわ」「私は……」「何か言いたいことがあるなら、後でにして!早く戻って!あの女に気づかれる前に!」紀美子が話そうとした途端、瑠美にすごい勢いで遮られた。彼女は頷くしかなく、別荘に戻った。しかし、別荘に戻った途端、紀美子はキッチンの灯りが点いているのを見た
コートを掛けた瞬間、紀美子は目を覚ました。まるで反射的な動作のように、彼女は素早く体を起こし、悟を警戒して見つめた。紀美子の反応を見た悟は、軽く眉をひそめた。彼は地面に落ちたコートをちらりと見てから、穏やかな声で言った。「ずいぶん俺を恐れているみたいだな」紀美子は急いでスリッパを履き、手をポケットに差し込んだ。中に隠したUSBメモリを確認し、ようやく心の中で安堵した。「殺人犯を怖がらない人間なんていないわ」紀美子は冷ややかな声で言った。悟は落ちたコートを拾い上げ、別荘へ向かう紀美子の背中に向かって言った。「失ったものは二度と戻らない。過度の悲しみは君にも子供たちにも良くない。それを理解してほしい」紀美子は足を止め、ゆっくりと振り返って悟を見て、皮肉を込めて言葉を返した。「理解って?」紀美子は冷笑を浮かべて言った。「あなたには関係ないから、そんな冷たい言葉が平気で言えるんでしょうね」「俺にだって同じような経験があるから言っているんだ」悟は目を上げて紀美子の視線を受け止めた。紀美子はその言葉に苛立ちながら答えた。「自分が経験したからって、他人にも同じ苦しみを味わわせるつもり?」悟の唇には苦笑が浮かんだ。「苦しみを知らなければ、他人に優しさを説くな」紀美子は冷たく笑った。「因果応報、報いは必ず巡るわ」それだけ言うと、彼女は毅然と別荘に戻った。紀美子の気配が消えると、悟は突然胸の奥が空っぽになる感覚を覚えた。紀美子が屋内へ入ると、エリーが外に出てきた。悟を見ると、エリーは歩み寄って挨拶した。「影山さん、どうして中に入らないんですか?」悟は顔を上げて命じた。「これからは、この手のことをいちいち報告しなくていい。彼女が何をしようと勝手にさせておけ」エリーは言った。「影山さん、彼女があなたに不利なことをするのではないかと心配です」「もういい」悟は冷たく言った。「彼女の側にはもうほとんど誰もいない。彼女が何をできるというんだ?」悟の言葉を聞いたエリーは、ますます心配になった。まさか影山さんは本当に紀美子のことを好きになったのではないか。しかし、エリーにこれ以上反論する勇気はなく、仕方なくただ頭を下げた。「影山さん、どうか藍子さんのこ
「わかったよ、ママ」佑樹は少し躊躇してから続けた。「ママ、悟に頼んで、僕たちを学校に通わせてもらえないかな?」紀美子は眉を軽くひそめた。「学校に通わせてもらっていないの?」「そうなんだ。病院から帰ってきてから、僕と念江、それにおばあちゃんもずっと別荘から出れていない」「わかったわ」紀美子は答えた。「後で悟に電話して、学校に通わせてもらえるよう話してみる」「分かった」電話を切ると、紀美子はすぐに悟に電話をかけた。その時、悟は藍子と一緒に婚約指輪を選んでいた。携帯が鳴った瞬間、藍子の視線は悟の携帯の画面に移った。だが、悟の動きの方が速く、彼女は何も見ることができなかった。電話を取った悟は、藍子には何も言わず、その場を離れて電話に出た。「お客様?」販売員は笑顔で尋ねた。「こちらの指輪も素敵ですよ。試してみますか?」藍子は視線を戻し、販売員に軽く微笑んだ。「少し待ってください」「はい」一方。紀美子は悟に直接問いかけた。「子供たちには学校が必要よ。いつまで閉じ込めておくつもり?」「忘れていた。すぐに通学の送り迎えを手配する」紀美子は苛立ちを抑えながら言った。「一体いつになったら子供たちを私の元に戻してくれるの?」「その時が来たら戻す」悟は答えた。「今、少し忙しいから……」「悟、誰と話しているの?」悟が言葉を切る前に、藍子の優しい声が聞こえてきた。悟は彼女を一瞥し、電話に向かって言った。「切るよ」携帯を置いた悟は藍子を淡々と見つめた。「もう選んだのか?」藍子は悟をじっと見つめた。「さっき誰と電話していたの?私たちの間に愛情はないとしても、隠し事はしてほしくないわ」悟は冷たく言った。「入江紀美子だ」「紀美子?!」藍子は目を見開いた。「あの佳世子の友達でしょ?どうして彼女と知り合いなの?」悟は軽く眉をひそめた。「藍子、君の家の地位が必要だからと言っても、プライベートにそこまで踏み入るのを許したわけではない。君の代わりは他にいるんだ」そう言うと、悟はカウンターに向かってしまい、藍子に再び質問する余地を与えなかった。藍子は悟を見つめた。どんなに心が苦しくても、表向きには何事もなかったように装った。
「大河さんからいろいろ聞いた」紀美子は優しい口調で、悟のそばに座った。「全ての恨みを捨てて、どこかでまたやり直そう」悟は大河を一瞥し、明らかに不満げな視線を向けた。「君もついて来てくれるか?」紀美子は悟の浅褐色の、澄み切った瞳を見つめた。これほどの苦難を乗り越えたとは信じ難いほどの、純粋な眼差しであった。彼には彼の事情があるが、彼女にも許せないことがあった。悟を去るように説得することは、彼女の最大の譲歩だった。「それができないのは分かっているでしょう?晋太郎は私を探すのを諦めないわ。一生ビクビクしながら生きていきたいの?」紀美子は言った。「君がそばにいてくれれば、私はどうなっても構わない」悟はそう言いながら、紀美子の手に触れようとした。しかし、紀美子はとっさに手を引っ込めた。悟の手は空中で止まり、数秒間硬直した後、静かに下ろされた。「紀美子、もうこれ以上言わなくていい。君がここに少しでも長くいてくれるだけで十分だ」悟は紀美子に言った。「そして大河、お前の気持ちは分かるが、彼女を脅す必要はない」大河は一瞬呆然とした。「しかし、社長……」「もうこれ以上言うな」悟は言った。「もう十分に話したはずだ。これ以上説明しても無駄だ。お前は大海と行け」大河は納得いかず、まだどう説得しようか考えていたその時、民宿の入り口から二人の男が入ってきた。大河はその二人の体格から、彼らは訓練を受けた者たちだとすぐに分かった。彼らは普段着を着ていたが、明らかに危険なオーラを帯びていた。大河は視線を紀美子に移し、いきなり彼女を掴んだ。その急な挙動に、紀美子も悟も反応できなかった。次の瞬間、大河は悟の目の前で、再び銃を紀美子のこめかみに突きつけた。「大河、紀美子を放せ!」悟の表情は一気に冷たくなった。「嫌です!」二人の男は足を止め、険しい表情で大河を見つめた。「社長、奴らが来ました。この女を人質にして逃げましょうよ!社長もこの女を連れていきたいでしょう?俺が無理やり連れていきます!」「大河!」悟は怒声を上げた。「お前、そんなことをして何の得がある?そう簡単に彼女を連れ去れるとでも思うのか?私は強要ではなく、彼女自身の意思でついて来てほしいんだ!」「社長!
大河は一歩ずつ紀美子に迫ってきた。「社長があいつらに手を出したのは仕方がなかったんだ!本当は社長だってそうしたくなかった!あの忌まわしい父親さえいなかったら、社長だって子供の頃からお前たちと同じように過ごせた!あいつに脅迫されなかったら、彼は一生消えない傷を負わされずに済んだんだ!」「社長が最も惨めだった頃のこと、お前は知らないだろうけど、俺はよく知っている!俺は社長の資料を調べ、昔の監視カメラの録画映像も観たからな。社長は毎日のように殴られ、ドブ川の汚水をぶっかけられるどころか豚や犬の餌を食わされそうになっていた。いかがわしい女を呼び寄せ、社長の体をボロボロになるまで弄んだこともあった!社長は一人でその時期を耐え抜いたんだ!あんなことをされたら、誰でもあいつらを恨むのは当然だ。」「確かに社長の手によって多くの人の命が失われた。だが彼は、正当な理由がなければ絶対に命を奪ったりしない!社長が、自分の医療技術でどれだけの人を救い、どれだけの家庭を助けてきたかわかってるのか?俺と外にいる運転手の大海も、社長の助けがあってここまで来られたんだ!社長は資金援助だけでなく、生きる希望を与え、病気を治し、薬を提供してくれた!あんな素晴らしい人間に、なぜ世界はこんなにも不公平なんだ?」大河が怒りに震えながら吐き出した言葉を聞いて、紀美子は完全に呆然とした。彼の話からすると、悟に関してまだまだ知らないことがたくさんあるらしい。いや、知らなかったわけではない!聞いていたとしても、自分の同情を引くための嘘だと思い込んでいたのだろう。本人が話すのと、他人から聞かされるのとでは全く印象が違う。「悟に話がしたいと伝えてくれる?できるだけ早く、彼を説得してみるから」「お前のような女、何を考えてるかわかったもんじゃない!」大河は紀美子の話を遮り、いきなり彼女の襟首をつかんだ。彼は紀美子を拘束しながら、拳銃を彼女のこめかみに突きつけた。紀美子は全身が硬直したが、それでも冷静さを保ち、交渉を続けようとした。「私を殺したら、悟があんたを許すと思う?」落ち着いて話すのは通じない。紀美子は強気に出るしかなかった。「怒られるのはわかってる。俺は殺されても構わない。社長の命さえ救えればそれでいい!」「私が死んで、彼は一人で生きようとすると思
悟の部屋を出て、大河はしばらく躊躇ってからエレベーターに乗り込んだ。三階に着くと、彼は紀美子の部屋の前へと歩み寄った。「お前一人で来たのか?社長は?」佳世子を見張っていた大海は不審そうに尋ねた。「社長に内緒で来た」そう言って、大河は殺意に満ちた視線を紀美子の部屋のドアに向けた。「お前、何をする気だ?」大河の視線に気づいた大海は尋ねた。「この女さえいなければ、社長はきっと俺たちと一緒に逃げてくれる!」大河は歯を食いしばって言った。「大海、お前は社長が命を落とすのをただ見てるつもりか?こんな女のせいでよ!」「どういう意味だ?」大河は今の状況を説明した。「どんな事情があろうと、社長の命令なしでは彼女に手を出してはならん!彼女はお前に何の恨みもないだろ!」「恨みがないだと?」大河は問い詰めた。「もし社長が本当に行かなかったら、社長の言う通りに俺達だけで逃げるのか?」大海は黙り込んだ。「いや……社長は俺の家族を六年も面倒見てくれた。この恩は命をかけても返しきれない」「だから社長を連れて逃げないと、俺たち全員がこの女のせいで殺されるんだ!」大河は警告した。「たとえそうだとしても、彼女を殺しちゃいけない。彼女は社長が最も愛した女だ。もし殺したら、社長はどうなる?」大海は依然として反対した。「時間が全てを癒やしてくれるはずだ!」大河は言い放った。「俺は、たとえ社長に恨まれ、殺されても構わない!」そう言い残すと、大河はドアを押し開け紀美子の部屋に入った。その時、背後からドアが開く音がした。二人の会話を聞いていた佳世子が、我慢できずに部屋から出てきたのだ。「部屋に戻れ!」大海は慌てて振り返り、彼女を遮った。「紀美子に手を出すなんて、許さないわよ!」佳世子は焦って横を見ながら叫んだ。「紀美子!早く逃げて!この二人があんたを殺そうとしてるわ!!紀美子!!」佳世子は身を乗り出しながら叫び続けた。部屋の中では、紀美子が驚いた様子で入ってきた男を見つめた。そして外から聞こえる佳世子の叫び声に耳を澄ませた。大河が速足で近づいてくるのを見て、紀美子はすぐに布団を蹴り飛ばし、ベッドの反対側に立った。「何をする気?」彼女は警戒しながら大河に問いかけた
「お父さん、悟の車の位置がわかった!前僕たちが泊まってたホテルだ!」晋太郎は早急に電話を切り上げ、立ち上がって佑樹の元へ駆け寄り、パソコンの画面を見た。確かに、以前宿泊していたホテルだ。「悟ってやつは本当に計算高い。父さんが監視役を引き上げた途端、そこを選んぶだなんて。父さんをバカにしてるの?それとも、父さんがそこを狙わないと踏んだのか?」「今はそんなことを言っている場合じゃない。すぐに人を送って状況を確認させる」晋太郎は美月の携帯に電話をかけた。「森川社長、何かご指示ですか?」美月はすぐに応答した。「前の民宿だ。佑樹が悟の車の場所を突き止めた」美月は佑樹がこんなに早く手がかりを見つけ出したことに驚いた。彼女は携帯を持ちながら、隣でまだコードを打ち続ける技術者たちに目をやった。こいつら、子供二人にも及ばないのね!口元を少し歪ませながら、美月は心の中でそう思った。「わかりました、すぐ偵察班を向かわせます」電話を切ると、晋太郎もテーブルの上の車の鍵を手に取った。「父さんも行くの?」佑樹が声をかけた。「母さんが悟の手中にいるんだ。ここに座っていられない」晋太郎は頷いた。「俺も行く!」晴は慌てて立ち上がり、晋太郎の側へ歩み寄った。「佳世子は抑えられてるし、俺もじっとしていられない」「分かった」晋太郎は佑樹を見た。「お前と念江はここで大人しく待っていろ。何かあったらすぐに電話しろ。ボディガードも外で待機させておく」「わかった。父さん、必ず母さんと佳世子おばさんを助けてきて!」今回の民宿への移動では、晋太郎は多数のボディガードを分散させて配置した。しかし、どれだけ慎重に行動しても、大河の監視網から逃れることはできなかった。ホテル。大河は再び悟のもとへ駆けつけた。「社長、もうここはバレています!晋太郎の手下がすでに向かってきています!」しかし、座って茶を飲んでいた悟は、大河の言葉にも大して動揺を見せなかった。「彼女が行きたがらない」声は淡々としていたが、悟の心は万本の針で刺されるように痛み苦しくなっていた。「社長!命あっての復讐です!女なんかより、自分の命の方が大事じゃないんですか!」「大河、行くならお前と大海だけで行け。もう私のことを構うな
紀美子は体を無理やりに起こそうとした。悟は手を差し伸べたが、触れる前に紀美子に冷たく払いのけられた。「触らないで!」紀美子は憎悪に満ちた目で悟を睨んだ。悟は手を引っ込め、紀美子が自力で体を起こしてベッドにもたれかかるのをただ見守った。「何度も言ったはずでしょう?馬鹿でもわかるくらいに!」「ああ、わかっている」悟は目を伏せた。「わかってるなら、なぜ何度も私を連れ去ろうとするの?」紀美子の声は次第に激しくなっていった。「あんたほど意地の悪い人間は見たことないわ!」悟は唇を噛み、深く息を吸ってから顔を上げた。「紀美子、私と一緒に来てくれないか?」「行く?」紀美子は冷笑した。「どこへ?あんたの頑固さと身勝手さで、どれだけの無実な命が奪われたか知ってる?自首して、あの世で彼らに悔い改めるべきよ!あんたが生きていると思うと、呼吸すら苦しくなってくるの!」「彼らが無実だというが、私はどうなんだ?」悟の目には苦痛が溢れていた。「私には少しの情さえないのか?他人ならともかく、私の全てを知っている君まで……少しも分かってくれないのか?」悟の言葉に、紀美子は心の底から嫌悪を感じた。「情?」紀美子は冷ややかに嘲った。「野良犬の方が同情できるわ。ましてやついてこいなんて!もし無理やり連れ去ろうとするなら、警察に通報される覚悟でいてね!」悟は体が鉛のように重くなり、突然ひどく疲弊感を感じた。「じゃあ、私にどうしてほしいんだ?」悟は力なく尋ねた。「死んでほしい!」紀美子の声は冷たく、なんの感情も見えなかった。「天国に行けないような死に方を!」「そうすれば、君は私を許してくれるのか?」悟は苦笑した。「それで許せると思う?」「君が許してくれるなら、私は何でもする!」「そう?」紀美子は嘲るように笑った。「じゃあ、私の母と初江さん、それに朔也の命を返してよ。できたら許してあげる。どうなの?」「……つまり、君の許しは得られないのか」悟の表情は完全に暗くなった。「わかってるでしょう?悟、みっともない死に方をしたくなければ、今すぐ私を帰らせなさい!」「できない」悟の声は次第に弱くなっていった。「君だけは、死ぬまで手放す気になれない」「往生際が悪
悟は唇を強く結んだ。「ほら、私が提案したって無駄でしょ?あんたの結末はもう決まってるわ」「それでも、紀美子を諦めない」悟は立ち上がった。「三日あれば、全てを整えて彼女を連れていける。たとえ手下はいなくとも、金さえあれば何とかなる!」その最後の言葉に、佳世子の背筋が凍った。悟は、三日もあれば莫大な資金で逃亡経路を確保できる!「目を覚ましてよ!あんたに紀美子を連れ出せるはずがない!」佳世子は叫んだ。「道は二つだけだろ?」悟は、そう言い残すとドアを開けて出て行った。佳世子は急いでベッドから飛び降り悟を追いかけようとしたが、屈強な男に阻まれた。力づくでは無理だと悟ると、彼女は不貞腐れてベッドに戻った。一方、別の部屋では——悟はまだ眠っている紀美子の寝室に入った。ベッドの縁に座り、悟は彼女の整った顔に見入った。彼は手を伸ばし、そっと頬に触れて髪をかきあげた。「紀美子」悟は嗄れた声で呼びかけ、目に優しい眼差しを浮かべた。「五年前と何も変わっていないな。もしもっと早くこの気持ちに気づいていたら、全てが違っていただろうか?一歩踏み出していれば、今頃君は私のものになっていただろうか?」悟は声が震え出した。「負けを認めたくないが、これが現実だ。私は全てを失ってもいい。ただ……側にいてくれないか?」涙が紀美子の手の甲に落ちたのを見て、悟は慌てて拭いた。彼女には、まだ目覚めてほしくなかった。ただ静かに傍にいてくれればいい。冷たい言葉を浴びせなければいい。そう考えると胸がさらに締め付けられ、悟は涙を堪えれなかった。彼は手を引くと、シーツを強く握りしめた。その時突然、ドアがノックされた。悟は急いで涙を拭い、深く息を吸って顔を上げた。「入れ」「社長、我々のIDが特定されました!ここは時期に探知されます!」大河が慌てた様子でタブレットを持って入ってきた。「静かに」悟は唇に指を立て、紀美子の方を見た。「起こすな」大河は眠っている紀美子、そして悟の赤い目に気づいた。「社長、なぜこんな女のために危険を冒すのですか?馬鹿げています!」「お前も愛する女ができたら、きっとこの気持ちがわかるだろう」悟は静かに言った。大河には、今逃げなければ終わりだという
「馬鹿な真似はよしてよ!」佳世子は再び激怒した。「晋太郎が逃がしてくれると思う?寝言は寝てから言って」「不可能だと分かっているからこそ、君に頼んでいるんだ」悟は静かに答えた。「何で私が親友を裏切り、あんたのような悪者を助けなきゃいけないの?私の両親の命でもかけて脅すつもりなの?バカバカしい。あんたに手を貸す人なんて、もう誰もいないわ!」佳世子の言葉に、悟は無力感を感じた。「ああ、今の私には、もう紀美子しか残っていない」声を落として彼は言った。「そんな情に訴えても無駄よ。あんたは紀美子を撃ったのよ。忘れたの?彼女は、あんたの卑劣な手口のせいで飛び降り自殺しそうにもなったよね?」「嫌だ、死んでも絶対に協力しないわ!」「こうなることは分かっていた」悟は前かがみになり、肘を膝につけてうつむいた。「私は完全に敗北した。しかしまだ生きたいんだ」「生き延びてどうすんの?あんたのような悪魔は早く地獄に落ちてくれればいいのに」佳世子は罵った。「今の私が生きる唯一の希望は、紀美子の人生を見届けることだ」悟は言った。「何それ?」佳世子は問い詰めた。「好きな人を利用して、自分の人生の心残りを埋めようとしてるの?」悟は黙り込んだ。複雑な感情が佳世子の胸をよぎった。悟は確かに悪だが、その境遇は憐れでもあった。だが、そんな感情で人を傷つける権利などない!「もしあんたにまだ良心が残ってるなら、私と紀美子を帰しなさい。あんたはもう昔の力を完全に失ったのよ。それに、紀美子の子供たちがどれほど優秀かも知ってるでしょ?ここもいつか必ず晋太郎に見つかるし、その時のあんたの末路は言うまでもないわ」「一度始めたことはもう引き返せない」悟は目を上げて断言した。「死ぬか、紀美子を連れて行くかだ」「どうしてそんな極端な考え方しかできないの?」佳世子は眉をひそめた。「私に他に道があると思うか?」悟は自嘲的に笑った。「捕まれば獄死、見つかれば殺される。そうだろう?」それを聞いて、佳世子の胸は苦しくなった。昔仲が良かった頃のことを思えば思うほど、言葉は重くのしかかった。「悟、本当のことを教えて」佳世子は真剣な眼差しで悟を見つめた。「後悔しているかどうか聞きたいんだろう」
「念江がファイアウォールを突破したIDを特定してからでないと追跡できない」佑樹は小さな眉をひそめて説明した。「30分くれ。長くても30分で特定できる!」念江は言った。30分は長くないが、今は一分一秒が耐えがたいほど長く感じた。十数分経った頃、念江は極度の緊張で鼻血を出してしまった。周りの者は皆、念江の様子に胸を締め付けられた。だが念江は気に留めずに手で鼻血を拭うと、再びハッキングに集中した。「心配しないで。お医者さんに、回復期に時々鼻血が出るのは正常だと言われてるんだ。お母さんが見つかったら少し休めばいい」念江の説明を聞いて、皆はやや安心した。ちょうど29分経った時、念江はエンターキーを叩いた。「よし、IDを特定した。佑樹、後は任せた」「君は休んでおいて。残りは僕がやる」念江は青白い顔でうなずき、椅子にもたれかかった。晋太郎は彼の小さな体を抱き上げた。「父さん、大丈夫…」念江は疲れた目を開いた。「暫く休め。何かあればすぐ知らせる」晋太郎は息子をベッドに運びながら言った。「うん…」わずか数時間で、晴の顔には疲労の色が濃く出ていた。「何だか最近、自分が子供たちにすら及ばないのではないかと不安になるんだ」晋太郎が寝室から出てくると、晴は自嘲気味に笑った。「お前が役に立ったことなどあったか?」晋太郎は冷たく見下ろした。「まあ……そうだな」晴は言葉に詰まった。「唯一の長所は一途なことだな」晋太郎は軽く一言を付け加えた。「確かにその通りだ。俺の心には佳世子しかいない」晴は頭をかいた。一方、別の場所では——悟は、意識を失っている紀美子を以前滞在していた民宿に連れ込んだ。そこのボディガードは既に全員が撤収しており、最も安全な場所だった。佳世子は紀美子とは別の部屋に閉じ込められていた。悟は紀美子の布団を整えてから、佳世子の部屋に向かった。佳世子のベッドの横に座ると、悟は彼女の手を掴み、特定のツボを強く押した。すると、佳世子はパッと目を開いて、そして反射的に手を引っ込めた。見慣れない景色を見て彼女は慌てて起き上がり、ようやく隣に人が座っていることに気付いた。悟と目が合うと、佳世子は眉をひそめた。「悟!やはりあんただったのね!」
その時、晋太郎もボディガードからの連絡を受け取った。隅々まで探したが、結局紀美子と佳世子の姿は見つからなかった。警察もすぐに到着し、ホテル全体を捜索し始めた。それでも、二人が見つかることはなかった。その報告を聞いた晋太郎は、怒りで窓ガラスに拳を叩きつけた!ガラスの割れる大きな音に、佑樹と念江は体を震わせた。二人はそのまま、手から血を流しながら震える父を驚いた表情で見つめた。父に何を言っても無駄だということも分かっていたため、ただ歯を食いしばった。「悟の仕業だ」晋太郎は険しい表情で窓際に立った。ここまで完璧に痕跡を消せるのは、奴しかいない!今、彼を悩ませているのは、悟が紀美子たちをどこに隠したかということだ。奴の勢力はもう完全に潰したはずだが、今最も恐れているのは、奴が紀美子を連れて完全に姿を消すことだった。そうなると、大海原で針を探すようなもので、手がかりすらつかめないだろう。晴が事情聴取を終え警察署から戻ってきても、子供たちはまだパソコンを操作していた。晴はソファに崩れ落ち、頭を抱えてうなだれた。「くそっ!!!絶対に悟だ!!あいつに違いない!!晋太郎、何とかして二人を助けてくれ!悟は紀美子を傷つけないかもしれないが、佳世子は殺されるかもしれない!」晴は晋太郎に助けを求めた。「分かってる!既にあの辺りに配置していたボディガードを引き上げさせた。これからは山と町内を徹底的に調べさせる!美月も動き出している!」晋太郎は歯を食いしばりながら言った。「お父さん、相手の車のナンバーは分かる?正確な情報があれば、もっと早く調べられる!」突然、佑樹が振り返って言った。晋太郎は直ちに美月に電話をかけた。通話が繋がると、美月が話す前に佑樹が切り出した。「美月さん、悟たちの車のナンバーって分かる?」「分かるわ」美月は答えた。「9000だけど、あっちの技術者が、通った場所の監視カメラの録画データを全て消してるわ」佑樹は念江を見た。「念江、ダメなら先生に頼ろう!できるだけ早く母さんと佳世子さんを見つけないと」「わかった、今電話する!」念江は言った。隆久はすぐ電話に出た。念江が状況を説明しようとした時、電話の向こう側からマウスボタンのクリック音が聞こえてきた。