「ごめん。念のためにね。ジンは芸能人だから、ショウさんが恋愛には反対するだろうし」 だから好きにならないうちに釘を刺したのだ、と甲さんは引き続き柔和な笑みを浮かべた。 ショウさんはジンのマネージャーだから、私とジンが恋愛をしようものならショウさんがジンを守ろうとして邪魔をする。 それはありえることだろうなと納得してしまった。 だけど、きっとジンだって私を恋愛対象として見ていないから、私たちが恋人関係に発展するはずがないのだ。「ジンね、今年の初めに台湾のアーティストのMVに出演したんだ。よくあるでしょ、ドラマ仕立てみたいなやつ。それで、あのイケメンは誰だ?って人気に火がついたんだよ」 MVに出演したことがあると先ほどジンも話していた。 ほんのちょい役だろうと私の中で決めつけていたけれど、今の話を聞く限り、私が考えていたよりもかなり露出していそうだ。「今度その映像を見せてあげるよ」 照れを含んだような甲さんのうれしそうな表情に、私も笑みを浮かべつつうなずいた。 ジンは甲さんにとっても自慢の存在のようだ。「いろいろ仕事のオファーは来てるみたいだけど、ジンは日本に住んでるし、ショウさんもジンの売り出し方には考えがあるようなんだ。だから断る仕事も多くてね」 日本にいながら台湾の仕事をするとなると難しい部分もあるのだろう。 それに、ショウさんは敏腕マネージャーであり、ジンのプロデュースもしているそうで、ジンがどういう仕事を受けるのかはショウさんがすべて決めているのだそうだ。「ショウさんは、ゆくゆくはジンに歌もやらせたいらしいよ。でも、ジンは嫌だって反抗してる。普段はショウさんの言うことは聞くんだけどなぁ」「歌って……歌手、ってことですか?」「うん。向こうの人は多才で、俳優兼歌手って人が多いから。歌手デビューも視野に入れてるショウさんは、ボイストレーニングの予定を組むんだけど、ジンがたびたびサボるんだよ」 やれやれ、とため息を吐きつつ甲さんが苦笑する。「あ! ボイストレーニングって……」 昨夜ジンの口からその言葉が出ていたから、私の頭の中で急に点と点が線で繋がった。『ボイストレーニングはサボった』 ジンが相馬さんに言った文言が脳内に鮮明によみがえってくる。「今朝ショウさんがあんなに怒ってたのは、それが原因ですか?」「うん。ちゃんと行
ジンはわかっていてもそうしたのだから、相当嫌だったのだろうか。 そして、ショウさんから逃れるようにこの部屋へとやって来ていた。 ショウさんにしてみれば、またかという苦々しい気持ちだろう。裏切られたとすら思うかもしれない。 だけど、ジンが逃げ込む場所がどうしてこの部屋なのだろう。 ジンがこの部屋を気に入り、普段から頻繁に来ていることはショウさんも承知しているはずだから、決して秘密の隠れ家というわけではないと思う。 ジンの居場所を考えたとき、真っ先に疑われるのがこの部屋だろうし、本気で逃げ隠れしたいならすぐに見つかってしまうここは避けるべきなのに。「今ごろ、叱られてますかね?」「だろうね。でも、これがジンのささやかな抵抗なんだ。真っ向からショウさんに逆らうことはないジンのやり方って感じかな」 甲さんが発した言葉の意味を、私はどれくらい理解できただろう。 ジンとショウさんの深い関係性は、そんなにすぐに他人がわかるものではないのかもしれない。 考えてみたところで、私には関係のないことだ。 少し気になったから甲さんにいろいろ質問をしてしまったけれど、あのふたりにはもう会うことすらないかもしれない。 本来私とは出会っていなかった人たちなのだから、元々違う道を行く者同士だ。 それが昨夜から今朝にかけて、イレギュラーな縁が交錯しただけだと思う。「そろそろ俺、行かなきゃ。上がりこんで悪かったね」 時計に目をやり、甲さんが立ち上がる。「朝食、ありがとうございました。相馬さんに食事のことはお気遣いないようにお伝えください。私、料理はそこそこ出来るんです」 母が少しずつ調子が悪くなり始めたころから、家では私が食事の準備をしてきたから、おいしいかどうかは別として食事の準備には慣れている。 ここのキッチンに調理器具はそろっているし、自分だけの食事なら簡単なもので済ませればいいのだから楽勝だ。 甲さんが帰ってしばらくすると、私はお昼前にバイト先のカフェへ向かった。 今日は十二月二十五日でクリスマスだし、近隣に映画館があるせいか、昨日と同様に今日も店内は混んでいて若いカップル客が楽しそうに微笑みあっている。 仕事中はスマホの使用は不可のため、貴重品と共にロッカーにしまいこんだままだったから、姉からのメッセージに気がついたのは勤務を終えてスタッフルームに
私の姿が視界から消えて、落ち着いていればいいのだけれど、また別な理由で精神が不安定になっているケースも考えられる。 おそるおそるスマホをタップして、姉からのメッセージを開けた。【由依、お母さんは元気で落ち着いているから大丈夫よ。今朝私がお味噌汁を作ったら、いつもと味が違うって軽く文句言われちゃった】 読み終えると、母が元気で良かったと思うと同時になんだか苦しくなってきて、スマホを胸の前でキュッと握った。「今朝って……朝じゃないでしょう」 周りに誰もいないのをいいことに、苦笑いしながら独り言がこぼれる。 姉の起床時間はいつもお昼ごろだし、母も調子を崩してからは朝早くに起きたりしないのを知っている。 家では私が毎日お味噌汁を作っていた。 母はその味を覚えていたから、いつもと味が違うと不満を言ったのだろう。 私がまだ中学生のころ、お味噌汁の作り方を教えてくれたのは母だった。 あのころの母はまだしっかりとしていて、料理を手伝う私に出汁の取り方や野菜の切り方など、いろいろと細かく教えてくれた。 そんな些細なことなど今の母はもう覚えていないだろう。 娘である私のことすらわからないのだから。 だけど、お味噌汁の味は舌が覚えていたのだと思ったら、とても切ない気持ちになった。 母が落ち着きを取り戻し、再び家に戻れたら、そのときはまた私がお味噌汁を作ろう。 そんなことしか、私は母にしてあげられない。「もう上がり?」 急に背後から声がかかり、私は驚いて肩が跳ね上がった。「あぁ、うん」 振り向くと、そこには怪訝そうな顔をした武田くんが立っていたのだけれど、私はシフトを無視して早上がりしたわけでもないのだから、どうしてそんな顔をされるのかわからない。「まさかと思うけど、今からデートか?」 彼氏がいないとはいえ、“まさか”という失礼極まりない発言に不貞腐れそうになる。「デートならいいけどね。今から違うバイトなんです」 口を尖らせながらも慌ててコートとマフラーを身に着ける私に、武田くんが再び眉根を寄せた。「違うバイトって、そんなのしてたっけ?」「今日一日だけのバイトを入れたの」「お前はほんと、勤労少女だな」
二十二歳の女に向かって、“少女”だなどと言うのは武田くんくらいのものだ。 彼の中では、私はずっと出会ったころの高校生のままなのだろう。「今日こそ一緒に飯でも、って思ったのに」「ごめんね、武田くん。また今度」「お前……大丈夫か?」 バッグを肩に引っ掛け、軽く手を振って立ち去ろうとしたそのとき、武田くんに呼び止められてピタリと足を止めた。「大丈夫って、なにが?」「なにか悩み事があるんなら、遠慮せずに俺に言えよ」 その言葉を聞いた途端、私は周りの人たちに知らず知らずのうちに憂いを秘めた顔を見せてしまっていたのかもしれないと気がついた。 武田くんの心配そうな瞳を目にしてそれを確信する。「ありがとう。もし悩み事ができたら話すね」 私は無理ににっこりと笑って誤魔化し、バイト先をあとにした。 街を吹き抜ける風が昨日よりも冷たい。 武田くんに対して申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが心の中でマーブル模様を描く。 いつか、もう少し私の心に余裕ができたら、母のことを武田くんにも話せる日がくるかもしれない。「じゃあ、これに着替えてください」 今日一日だけやることにした臨時のバイト先で、私は衣装を渡され、唖然としてそれを手に取りまじまじと見つめた。「寒いけどコートは着ないでね。せっかくの可愛い衣装が隠れてしまうから」 ごめんね、と苦笑いで店長の男性は控室をあとにした。 とりあえず渡された衣装に袖を通していく。 こういうものを着ると事前に聞かされていたけれど、私が想像したものと少し違った。「なんか、スカートが短い」 自分の姿を鏡と目視でチェックしながらポツリと独り言が漏れる。 かなり太ももがあらわになったこの格好で、私はこれから外に行かなくてはいけないのだ。 今日だけの臨時バイトとは、洋菓子店の店頭でクリスマスケーキを売る仕事で、たまたま募集を見つけた私はたった一日だけならと応募したのだ。 暗くなり始める夕方からなので、時給もかなり良かった。 臨時で設置された簡易テーブルにずらりと並べられたクリスマスケーキを、待ち行く人を呼び込んで買ってもらう。
今日は二十五日なので明日に持ち越すわけにいかず、ひとつでも多く売らなければいけないのだ。「クリスマスケーキ販売中です!」 店長から渡された衣装というのが女子用のサンタのコスチュームで、かわいいを通り越したセクシー路線だった。 上は長袖で普通だったけれど下のスカートがかなりミニ丈で、ストッキングをはいてるとはいえ、太ももが冷たい風にさらされて感覚がすでに麻痺しかけている。 日が落ちるとさらに気温が降下して、気を抜くとブルッと身体が震えてしまいそうになるけれど、笑顔を絶やしてはいけないから気合で踏ん張っていた。「かわいいサンタの格好だね」「ケーキ、おひとついかがですか?」 声をかけてくれたのは仕事帰りのサラリーマンの中年男性で、私は懸命に笑顔を振りまいた。「寒い中そんな格好でがんばっているんだから、ひとつ協力しようかな」「ありがとうございます!」 売り始めの最初のころは女性客が多かったけれど、時間が経つにつれて客層が徐々に変わっていった。今みたいに男性客が足を止めてくれるのだ。「大変だね。今日は寒いのに」 店側は色気を武器にひとつでも多く売上をと、考えていたのかもしれないけれど、実際は娘くらいの年齢の子が寒い中がんばっている姿に同情して買ってくれる、といった感じだった。 たしかに今日は風がとても冷たい。 なのに私はこの寒空の下、コートも羽織らず何時間も外にいて、このバイトがかなり過酷なものだと思い知らされた。 ふと空を見上げると、小さくて白い雪がかすかに降ってきていた。 時計で時間を確認すると、バイト終了まであと1時間だから耐えるしかない。 二十時を過ぎ、バイトから解放された私は新しい住処となったマンションへと帰宅した。「ただいま」 誰もいない真っ暗な部屋の明かりをつけ、広いリビングをあらためて見回してみる。 こんな豪華なマンションで、私はひとり暮らしを始めたのだ。 ポジティブに考えてみたら、したいと思ってもできない夢みたいな生活ではないか。 凍えながらあれこれ考え、暖房のスイッチを最大で入れる。 冷え切った体には温かい飲み物だろうか。 いや、それよりも熱いお湯の湯船に浸かるほうがいい。 バスルームへ赴くと、昨日使用した脱衣所のタオルはすべてなくなっていて、代わりに新しいタオルが積まれていた。
湯船や排水溝、鏡まできちんと綺麗に磨かれている。 私のいない間に、家事代行サービスの方が掃除をしてくれたのだ。 あとはお湯を張るだけでお風呂に入れるのだから、なんとありがたいのだろう。 ゆったりと湯船に浸かりながら、そう言えば晩御飯がまだだったとぼんやりと頭に浮かんだが、寒さのせいか心労のせいか食欲はあまりない。 今日はさすがに働きすぎただろうか。 先ほどのケーキ店で残ったクリスマスケーキをいただいたから、それを食べればお腹は十分満たされるだろう。 二日続けてのケーキだし、しかも今日は晩御飯代わりだから、いささか不健康なのはわかっている。 糖分の摂りすぎで太るかもしれない。 だけどお風呂上りにコンビニに行くのは、身体を冷やしたくないから嫌だ。 湯船でぼうっとしていると眠くなってきて、このままだと意識を失いかねないと身の危険を感じてお風呂から上がった。 ルームウェアを身に纏い、頭からタオルをかぶって素早く髪を拭く。 バスルームの中もそうだったけれど、脱衣所に据え付けられている鏡もひと際大きくて、それだけですごく高級感があふれている。 ゆっくりとした足取りでリビングに戻った瞬間、驚きすぎて心臓が止まるかと思った。「え! なんで?」 リビングのソファーにくつろいでいるジンの姿を目にし、思わず大きな声を出してしまった。「いつ来たの?」 そう尋ねてしまったけれど、私がお風呂に入っている間に違いない。 玄関のチャイムは鳴らなかったはずだが、よく考えたらジンはこの部屋の鍵を持っているのだから、事実上出入り自由ということになる。 私が間借りしているとはいえ、油断すれば今みたいに驚くはめになるのだ。「さっき来た。呼んだけどいないし、シャワーの音がしたから」 私は唖然としたけれど、ジンはといえば昨日と同じで自宅にいるようにのんびりと構えている。「安心しろよ。覗いてないから」「当たり前でしょ!」「あはは」 そんな突然の冗談にあわてる私を見て、ジンは綺麗な顔を崩して思いきり笑っていたが、私はあきれて溜め息が出た。「ここに来て……大丈夫なの?」
「なにが?」「ショウさん。今朝すごく怒ってたでしょ」 ショウさんはもうここには来ないようにジンに忠告しているはずなのに、またすぐに戻ってくるとは。 いったいなにを考えているのだろう。 ショウさんをわざと怒らせたいとしか思えない行動だ。「怒ってたけど、喧嘩にはなってないから大丈夫。俺たち一度も喧嘩したことはないんだ」 一瞬どういう意味なのかわからなかったけれど、今朝のも、喧嘩ではないと言われればたしかにそうかもしれない。 喧嘩というのは互いに自分の言い分を主張して争うことだが、今朝ショウさんは怒っていたけれど一方的で、ジンはそれをおとなしく黙って聞いているだけだった。だから、正確には喧嘩ではないのだ。「ここに来てるってわかったら、またショウさんに怒られるよ」「それは仕方ない。昨日とは違うケーキが食べられそうだし。俺、あの店のケーキもわりと気に入ってるんだ」「……は?」 なにが仕方ないのか。しかもそのあとの言葉も意味不明で、私は時間差で首をかしげた。「由依、早くそれを食おう」 ジンが意味ありげな笑みを浮かべ、私の後ろ方向を指さした。 キッチン脇のダイニングテーブルには、バイト先でもらったケーキの箱が置いてあった。 私が帰って来て真っ先に冷蔵庫にきっちりしまっておいたのだが、ジンがそれを発見して取り出したのだろう。「美味そうなチョコレートケーキだよな」「中身まで見たの?」「それ目当てで来たんだから」 言葉の意味が理解できないでいると、ジンが立ち上がってこちらに近づいて来た。「売れ残ったケーキ、絶対持って帰ってくると思った」 ジンはスマホを素早く操作すると、ニコリと笑って私の目の前に画面を見せつける。「お宝画像もゲット」 スマホの画面にはジンが撮ったと思われる写真が映し出されていたのだけど、私は驚きすぎて固まってしまった。「かわいい。これ、私服?」「そんなわけないでしょ! いつの間に撮ったの?」「たまたま通りかかったときに」
それは数時間前の私の姿だった。 ミニスカサンタの格好で、寒そうにしながらケーキを売っているところを撮られていたのだ。 誰にも見られたくなかった。 たまたま通りかかったとしても見て見ぬ振りをしてくれたらよかったのに、私だと気づいた上で、写真だけ撮っていくなんて信じられない。「バイトって、カフェじゃなかったっけ?」「それは今日だけのバイト」 実は帰り際、バレンタインの時期にもバイトをしないかと店長に誘われた。 今日みたいに外の店頭でチョコ菓子やフィナンシェなどを売るらしい。 もちろんそのときはサンタではないけれど、バレンタインもかわいいコスチュームなのだそうだ。 だけど今日より二月のほうが寒いに決まっている。 寒いとつらいので、と店長にやんわりと断ったのだけれど、今度は時給をもっとアップするからと交渉され、結局そのバイトも受けてしまったのだ。 時給がいいのだから仕方がない。 できるだけ生活費が欲しい私にとっては、背に腹は代えられないから。「へぇ、今日だけなんだ」「その写真、今すぐ消して!」「それは無理」 ジンの手からスマホを奪おうとしたけれど、頭の上にスマホを掲げられたら私がピョンピョン跳ねたところで背の高いジンの手元には届かない。「からかわないでよ」「からかってないけど、このバイトの件、由依の姉さんや社長は知ってる?」 ジンがつぶやくように言ったそのひと言でうろたえてしまって、跳ねていた私の足が止まった。「やっぱり知らないのか」 私は無言でうつむいて、キュッと唇をかみしめた。 姉が良い顔をするわけがないとわかってるから、報告はしていなかった。 私のバイトのことについて姉は以前から口を挟んできていたのだけれど、自分が夜の世界に身を置いているせいか、同じようなバイトは私にはしてほしくないようだ。 イベントコンパニオンなど、露出の高い格好のバイトは姉からNGが出ている。 姉の気持ちは理解できるので、私はずっと言いつけを守っていた。 今日のケーキ店でのバイトは、私の中ではセーフだったけれど、あのミニスカサンタ姿は私も想定外だった。姉の基準からするときっとアウトだ。
「由依って占いっていうか、予知できる能力があったっけ?」 ツボにはまったようにクスクス笑うジンに、思わずプっと頬を膨らませた。「でもわかるの。この俳優さんはまだ若いけど、同世代のほかの人と比べたら演技力が全然違うし、将来はそれが評価されること間違いなしだよ」「そうか」「ジンもそうなれると思うんだけど」 隣にいるジンをそっと見上げた。 ジンがこのまま芸能の仕事を続けるのなら、きっとそうなれる。 息をのむような演技に誰もが見惚れる、そんな俳優になるだろう。「そうなって欲しいなって……思ってるんだけど……」「俺の話はいいって。ショウくんもドラマの話ばっかりしてくるし、うんざりだ」 デートの時にまでそんな話はしたくないと言わんばかりにジンが顔をしかめた。 最後のデートなのだから楽しく過ごしたいと思っていたのに、私はまたジンをこんな顔にしてしまうのだから本当にダメだな。「社長の不動産会社の話、由依も聞いたんだろ」「……うん」「資金調達は社長がなんとかするらしいし、俺もモデルの仕事を増やして協力すれば大丈夫だって」 ジンがあまりにも楽観的にそう言うから、本当にこのままなんとかならないかと心が揺らぎそうになる。「写真集を出す話もあって、その撮影であちこち海外に行くことになるかもしれないけど……」 ジンが色気をたっぷりと乗せて、私をまっすぐ見つめた。「俺、ちゃんと由依のところに戻ってくるから」 ぶわっと一瞬で目に涙が溜まっていく。 私は照れを装い、視線を外しながら笑ってその涙をごまかした。 そんなことを言われたら、離れられずにその胸にすがりつきたくなってしまう。 この日、私たちは映画を見たあとに食事をして会話を楽しんだ。 駅の改札で彼が私の額に素早くキスを落とし、繋いでいた手を放して彼の後ろ姿を見送ったら、すぐに涙があふれてきた。 こうすると決めたのは私なのだから、泣く資格なんてないのに。『ごめんなさい』と彼の後ろ姿に向けて、何度も謝りの言葉を心の中で唱える。 それと同時に、もっと愛情表現をすればよかったと後悔の念も押し寄せた。 愛していると、彼にもっと伝えればよかった、と。 このあと私は相馬さんのマンションを出て ――― 姿を消した。
「由依が観たい映画って、これか」 ジンが映画館のパネルポスターを見ながらポツリとつぶやいた。 私はその姿を目に焼き付けるように、隣に佇むジンを眺めていた。 今日のジンはなぜか黒ぶちめがねをかけている。 目は悪くなかったはずだから、おそらく伊達めがねだろう。 普通の大学生を装う意図があるのか、特に意味はないのかわからないけれど。「恋愛映画だな。由依と見るならなんでもいい」「なんだか楽しそうね」 以前と少し変わったことと言えば、今日のジンは表情が柔らかくて機嫌が良さそうな感じがした。「由依と会ってデートするのは久しぶりだから」「……あ」「どうした?」「ううん。何でもない」 私はふるふると頭を振り、照れくささから視線を外した。 思わず言葉が出たのは、ジンが左側にエクボを作り、パッと花が咲いたように笑ったからだった。 それは私が心待ちにしていた大好きな笑顔で、久しく見ていなかった光り輝く彼の顔を最後に目に焼き付けることができたのだから、これだけでもう十分だ。 少しずつでも、私の前でなくてもいいから、彼が笑えるようになってくれたならそれでいい。「何でこの映画なんだ? もっとほかにも面白そうな作品があったのに」「だってこの俳優さん……素敵」 ポスターに写っている俳優をじっと見つめながら言うと、隣から小さく舌打ちするような音が聞こえた。「由依はこういう顔がタイプなのか? たしかにイケメンだけど、どこにでもいる若い俳優だろ」 私はポスターに視線を注いだまま、ゆっくりと首を横に振る。 私が素敵だと感じたのは恋愛映画に向いていそうな綺麗な顔だからではなく、その俳優はとても演技が上手なのだ。 逆に甘いマスクが邪魔をして、それに気づかれにくいのではないかと思うくらいに。「顔じゃなくて演技がタイプなの。この人はきっとすごい俳優さんになる。今はまだ売れてる途中かな。将来はヒーローからヒールまでカメレオンみたいに変化してなんでも演じられる俳優さんになるよ。断言する!」 きっぱりと私がそう言い切ったので、ジンは驚いて目を丸くしていた。
私はマンションに帰ってさっそく荷造りを始めた。 来たときと同じようにボストンバッグひとつで出ていくわけにはいかない。 年始に姉が送ってきた八つのダンボールに再び荷物を詰め直す作業があるからだ。 幸いジンはしばらくここには来ないはずだから、彼に知られずに荷造りはできる。 実家に帰るのだと嘘をつきたくはないし、引っ越し先の新しい住所を教えてしまえばジンが訪ねてくるのは目に見えている。 それを避けるために『消える』道を選んだ私は卑怯者だ。 それにこのマンションにはジンとの思い出がたくさん残っているから、別れるのなら私も早くここを出たい。 そう思うくらいつらいと自覚したら、自然と涙が出た。 別れるという私の決断は間違っているだろうか。 ……いや、きっとこれが正解だ。 相馬さんも、姉も、母も、ショウさんも、みんなが幸せになれる。 ジンは私がいなくなれば少しは寂しがるかもしれないけれど、それはしばらくの間だけだろう。 たぶん私よりも彼のほうがダメージは少ないはず。 ―――私のほうが、ジンを愛してる。 だけど私と一緒にいることで彼が輝けないのは嫌だし、笑顔になれないのも嫌だ。 彼が身を置くべき場所は芸能界で、私のためだけに自分の住む世界を変えてほしくはない。 私のことは忘れてくれていい。 華やかな世界でキラキラと輝き、毎日を忙しく過ごしていれば私の記憶など薄れるはずだ。 彼には自分の道を行ってもらいたい。 私は不幸を呼ぶ女なのかもしれない。 だからといって、周りの人たちまで巻き込みたくはない。 それから五日が過ぎ、甲さんが新しい住処となるマンションを見つけたと連絡をくれた。 今のバイトは辞めて新しく探しなおすつもりだったから場所はどこでも良かったし、私はすぐにそのマンションを契約した。『会えないか?』 最後に一目、ジンの顔を見たい。 そう思っていたタイミングでジンから連絡が来た。 どうやら今は日本に帰ってきているらしい。『ジンと一緒に見たい映画があるの』 私は自分から誘うようなメッセージをジンに送り、映画デートをすることにした。 今日もじめじめと雨が降って蒸し暑い中、映画館に赴くとジンが待ち合わせ場所に先に来ていた。
「わかった。それは俺が責任を持って対処すると約束する。……君のお姉さんとお母さんを人質に取ったような言い方をしてすまないと思ってる。だけど俺にとってはジンしかいないんだ」 まさか謝られるとは思っていなかった。 ショウさんは、決して悪い人ではない。 誰にだって守りたい人や事柄があるし、ショウさんにとってジンは家族同然で、実の弟のような存在だから。 ショウさんはジンのことを思い、世界に羽ばたいて欲しいだけなんだと私にも理解できた。 私と一緒にいることで、彼が窮地に立たされてしまうのなら…… 私から離れるしかないじゃないか。「由依ちゃん、さっき『消える』って言ったけど、あのマンションを出るの?」 心配そうな面持で甲さんに問われ、私は小さくうなずいた。「相馬さんが大変なことになってるのにこれ以上お世話にはなれません。住むところを早急に見つけて引っ越します」「実家には帰らないのか?」 ショウさんが少しばかり気の毒そうな表情を浮かべて私の返事を待った。「帰りません」「わかった。甲、由依の住むとこ見つけてやって。引っ越し費用は俺が出す」 うなずきながら言うショウさんに、私は慌てて首をブンブンと横に振った。「私は大丈夫ですから。それよりショウさんにもうひとつ約束してほしいことがあります」「なんだ?」 頬の涙をぬぐい、ピンと姿勢を正す私を見てショウさんが様子をうかがうように眉根を寄せる。「ジンの笑顔を取り戻してください。ショウさんは頭が良くて勘の鋭い人ですから、こんなことを私から言われなくてもわかってると思いますけど、最近のジンは本当に笑わないんです。私と出会ったころはいつも明るく笑っていたのに」 私の言葉を聞き、ショウさんは無言で視線をテーブルへと下げた。「私、ジンの笑顔が好きなんです。片側だけにできるエクボが素敵だから。でもしばらくそんな笑顔は見ていません。エクボだって左側にできていたはずだけど、もしかしたら右側だったかな?って忘れちゃうくらい」「………」「彼がまた、自然に笑えるようにしてあげてください」 頭を下げると、ショウさんはつらそうに参ったという表情を浮かべていた。「自分も大変なのに、最後に頼むのがジンのことだなんてな」 呆れられたのかもしれないが、今言ったことが私の本心だ。 誰もが惹きつけられる不思議な空気を纏う笑顔
激しく動悸がして、息ができないくらい苦しくなった。 後頭部をなにかで殴られたような衝撃を受けている私を気の毒に思ったのか、さすがに言い過ぎだと甲さんが止めに入ってくれた。 姉と母は相馬さんの恩恵があってこそ今がある。 ジンのことで頭がいっぱいで、大事なことなのにすっかり抜け落ちていた。 就職するのだと、気恥ずかしそうに話していた姉の姿が頭に浮かんだ。 それがダメになったら、また夜の仕事を続けるのだろうか。 母も施設の入所が決まっているようだったし、そこで治療しながらゆっくりと過ごすはずだ。 なのに白紙となれば、また自宅で暴れたりするのかもしれない。 姉と母の幸せを奪って踏みつけるようなことをし、お世話になった相馬さんが大変なときに恩を仇で返すようなことをしてまでもジンと一緒にいたいだなんて、そんなワガママが許されるはずがないじゃないか。 ボキッと音を立てて、このとき私の心が折れた。 私はなんのために実家を出てあのマンションで暮らし、就職をして独り立ちしたかったのかと理由を思い返せば、すべては家族のためだったはず。「君が離れてくれればジンは必ず大成する。台湾と日本だけじゃない。韓国、フィリピン、タイ、シンガポール、中国本土、香港……必ずアジアは制覇する。俺がさせてみせる。そしてその次はハリウッドだ」 夢で終わらせるつもりはないのだと、ショウさんが至極真面目に言ってるのが伝わってくる。「君が思っているより、ジンの“光”は強い」 ジンは生まれもってのスターで、その使命をもって生まれてきた。同じ人間でも私とは全然違う。 そんな、星のような人に近づきたいだとか、今なら手が届きそうだなんて願った私が ―――身の程知らずだったのだ。「もし、姉の就職や母の施設入所が白紙になりそうになったら、ショウさんが助けてくれませんか?」 ボロボロと止まらない涙を流す私を見て、ショウさんは黙って聞いていたがなにかを感じ取ったらしい。「由依、それは……」「…………私は消えます」 涙で濡れて視界が歪んで見えるけれど、ショウさんがホッと息をついたのがわかった。「その代わり、姉と母を助けてください。お願いします」 最初から許されない身分違いの恋だったのだ。 周りに反対され、ほかの人を不幸にしてまで突き進むだなんて、私にはやっぱりできない。 私の大切な人
「ちょっと待ってください。なぜそうなるんですか?」「俺だってこんなことを君に頼みたくはなかった。だけどジンがドラマの仕事を受けない理由はただひとつなんだ。君と一緒にいたい気持ちが強い」 最初はそうだったかもしれないけれど、相馬さんの会社の資金繰りの話をすればジンだって気持ちが変わるかもしれないのに。「私が説得してみます。事情があるとわかればジンはオファーを受けるはずです」「いや、無理だ。ジン自身がこの倒産危機を知らないとでも思ってるのか? すでに話してある。それでもジンは君と離れるのが嫌で、芸能活動を辞めるとまで言った。そうなると俺は、アイツと君を無理にでも引き離すしかない。なりふり構わないと言ったろ。必ずドラマには出演させる。俺は本気だ」 決して激高はしていなかったが、ただ淡々と話すショウさんが私は逆に怖くなった。 誰がなんと言おうと絶対に自分の意見を押し通して、この局面を必ず乗り越えるのだという固い決意がショウさんの中に見えたから。「気づいたんだ。今後もし同じことが起きたらジンはまた君を優先する。それは芸能活動をしていくにあたって“支障”になる。だったら今のうちに別れさせるべきだろう」 いつも助け舟を出してくれる甲さんも、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいる。 次から次へと矢継ぎ早に言葉を並べられ、私は頭が混乱してなにも言い返せない悔しさからかじわりと目頭が熱くなった。「それでも………どうしても一緒にいてはダメですか?」「……由依」「私はジンのことが、すごく好きなんです」 涙がポロリと両目からこぼれ落ちた。 一度だけワガママが許されるのならば、ジンと一緒にいたい。 ほかには何も望まない。愛する彼と笑って一緒に生きていきたいだけだ。 そんなたったひとつの切なる願いを訴えてみたけれど、ショウさんは眉間にグッとシワを寄せて私を真正面から見つめた。「もっとすんなりとわかってもらえると思ってた。君は今俺が話したことをなにも理解できなかったのか?」「いえ、そういうわけでは……」 手の平で頬の涙を拭う私に、ショウさんは動揺することなく視線を送り続けてきた。「今回の倒産危機は君も他人事ではない。今君が住んでるマンションも社長は手放すことになるだろう。それにお姉さんの就職もきっと白紙だ。系列会社だといっても間違いなく危機に陥り、コネで
「俺らはポラリス・プロの人間だが他人事じゃない。相馬コーポレーションの資金力でポラリス・プロは成り立ってると言っても過言じゃないからだ。あっちに倒れられたら、こっちも共倒れだ」 いつも緩慢な笑みを浮かべる癒し系の甲さんまで神妙な顔つきでただ聞いているだけだから、どうやら私が思う以上に事は深刻なのだろう。「資金繰りは社長がなんとかするって言ってるけどね。だけどショウさんのツテで、台湾の事務所にも借り入れをお願いしてるんだ」 個人でなんとかなるような、そんな金額ではないと思う。 私は会社の経営に関しては詳しくないけれどその程度のことはわかる。「幸い、台湾の事務所は協力すると言ってくれてる。だけどそれには条件を突き付けられた」「……条件?」 おそるおそる聞き返すとショウさんはコクリと首を縦に振った。「例の長編ドラマにジンを出演させることだ」 あのオファーについては、ジンが頑なに嫌がっていて未だに保留の状態らしい。「こうなったら、なりふりなんて構っていられない。俺はこの話を受けるつもりでいる」「でもジンが……」「なんとしてでもあのドラマには出てもらう。俺が出させる」 強行突破、というのはこういうのを言うのだろう。 本人の意向を無視してでも出演させるとは、かなり強引なやり方だと思う。 だけどジンの気持ちを無視してまでも、その選択しかないのだと追い詰められているみたいだった。「どうして台湾の事務所はそのドラマにこだわるんですか?」 仕事ならほかにもオファーがあるはずなのに、本人が嫌がっている仕事をなぜ無理強いするのか私はそこが引っかかる。「長編ドラマの仕事を受けたら、ギャラとして事務所に大きなカネが入る。だけどそれだけじゃない。断れば懇意にしているプロデューサーの顔に泥を塗ることになる。事務所はプロデューサーと関係が悪化するのを避けたいんだ」 力のあるプロデューサーに逆らいたくないからだとショウさんが説明してくれた。 それにドラマのオファー自体は悪い話ではない。 むしろジンの人気を後押しするきっかけになるはずだから、あとはジン自身が首を縦に振るだけだとみんな思っているのだろう。「相馬コーポレーションもポラリス・プロも倒産回避。ジンは俳優として本格デビューして人気が上がる。ドラマはヒット間違いなし。それで全部丸く収まる」 たしかにシ
ジンは私の頭を優しく撫で、額にチュっとキスを落とす。「外で会って平気?」「日本は大丈夫だろ。不安ならホテルで密会する?」「え?! 」 一瞬動揺した私を見て、ジンが吹き出すように盛大に笑った。「なにを想像したんだよ。まぁ、間違ってはいないけど」「もう!」 ケラケラと笑う彼を見て、なぜか少しホッとした。 出会ったころはよく笑っていたのに、最近めっきり笑顔が減った気がしていたから。 彼にはいつも笑っていてほしいし、自分の周りにいる人たちもみんな笑顔になれたらいい。 だけど私にとって彼はもう特別な存在だから、誰よりも心から笑顔でいてほしいと願っている。 ジンとショウさんの言い争いが絶えなくなった、と甲さんから聞いたのは、それから一ヶ月ほど経ったころだった。 ドラマのオファーのことで大揉めになっているのかと思ったけれど、それだけではないらしい。 今後の仕事の方針や、プライベートの過ごし方など、あらゆることで衝突する日々なのだそう。 ほんの些細なことでも衝突するなんて以前なら考えられない光景だけれど、今のジンとショウさんならあり得ると思う。 空気が悪いなんてもんじゃない、と甲さんが嘆くぐらいだから相当殺伐としているのだろう。 そんな日々も過ぎていき、季節は梅雨も半ばを迎えようかという蒸し暑さの中。―― 多くの人間が関係する大変な事が起きた。「話がある」 私を呼び出したのはショウさんで、用件はなんだろうかと特に気構えることなく待ち合わせのカフェへと向かった。 するとそこには甲さんもいて、私を手招きしている。 挨拶もそこそこに私の向かい側に座るふたりの顔を見て、なにか良くないことを告げられると予感した。 こういうときの勘は、なぜか当たるものだ。「回りくどく言うのは苦手だから結論から言う」 無表情に淡々とショウさんが話を切り出した。「ジンと、別れてくれ」 神妙な顔つきで私を見つめるショウさんは苦渋の表情だ。「あ、あの……」 一瞬で声が震えた。 誰かに交際を反対されるかもしれないと一定の覚悟はあったけれど、交際の事実を自分たちから伝えないままショウさんからいきなり別れろと言われて、私の頭は途端に混乱し始めた。「お前たちが数ヶ月前から付き合ってるのは知っていた。相手が由依だから黙認してただけだ」 ショウさんは私たちの交際を
「さっきショウさんに聞いたの。ドラマの話とか、第二弾の記事とか」「俺、しばらくここに来るのはやめる」 ジンは不本意だ、という気持ちを前面に出した表情をしていた。 さっきの電話の口調とは反対に、やけに素直なところに私は違和感を覚えた。「ショウくんに、お前が出入りすることで由依がそこに住めなくなるかもしれない。由依が追い出されてもいいのか? って説教された」 私のためを思って動けと、ショウさんはある意味ジンを脅したみたいだ。 自分のことを理由にされるのは気持ちよくはないけれど、それでもショウさんの助言どおり、ジンが不用意にここに出入りするのは危険だと私も思う。 彼がこれ以上週刊誌で騒がれて傷つかないためにも、しばらくここに立ち寄らないのは私も賛成だ。「ショウさんから聞いたけど、ドラマには出ないの?」 早速もう帰るつもりなのか、テーブルの上を片付け始めたジンに言葉をかけると、なんでもないことのようにあっさりと首を縦に振った。「断ってくれって言ってる」「せっかくの大きな仕事なのに」 考える余地なく断るにはもったいない話だと、私の気持ちが言葉尻で伝わったのか、ジンは私に小難しい視線を送って来た。「相手の女優が気に入らないのもあるんだ。柳 莉紋(リュウ リーウェン)で内定してるらしいから」「りゅ……?」「ほら、俺が初めて出たMVで共演した子」 あのMVでしか見たことはないけれど、今でもはっきりと覚えている。 男心をくすぐるようなほんわかとした雰囲気のとってもかわいらしい容姿をした女性だった。「すごくかわいい人なのに、どうして気に入らないの?」 彼女を思い出しながらも笑顔で話す私とは対照的に、ジンがうんざりだとばかりに顔をしかめた。「顔はどうでもいいとして性格が悪いんだ。ありえないくらいにワガママ」 おそらくだけれど、彼女のそのワガママな性格に以前直面したのだろう。「また共演なんてごめんだ」と、ジンが心の底から嫌そうに言った。 人は見かけによらないとはこのことで、あんなにかわいらしくて素直そうな女性なのに、性格の悪い一面があるとは思いもよらなかった。「これでドラマの話が来なくなるならそれまでだ。細々とモデルだけやってもいいし、全部やめたっていい」「……ジン」「俺は北京語ができるから、どこか日本の企業に就職できるだろう」 ジン