Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第六話「すみませんでした」 「いや、終わり良ければすべて良し。あ、そうそう、ショウさんが心配して様子を見に来てくれたみたいだ」 彼のほうへ目をやると、監督に対してていねいに頭を下げてあいさつをしていた。 会社の人間として今後も仕事がもらえるようにコミュニケーションを取ってくれているのだ。「ショウさん……お疲れ様です」 「控室で話そう」 ショウさんはおじぎをする私の背中に手を添え、マネージャーと三人で控室へ戻った。「俺、コーヒーを買ってきますね」 なんとなくわざとらしい笑みをたたえて、マネージャーが外に出ていく。 おそらくショウさんがふたりで話したいから席をはずせと言ったのだろう。「あの……エイミーに付いていなくて大丈夫なんですか?」 マネージャーとして彼女のそばにいたほうがいいのではないかと気にかかったけれど、ショウさんはふるりと首を横に振った。「今日はもう終わったんだ。急いでここへ向かったらエマの撮影に立ち会えるんじゃないかと思って飛んできた」 「そうだったんですか。ありがとうございます」 おもむろに彼が腕を引き寄せ、たくましい胸に私を閉じ込める。 突然の行為にドキドキしながら、私も彼の大きな背中に手を回して抱きついた。「あ。マネージャーが戻ってきちゃいますね」 ずっとこうしてはいられない。ほかの誰かにこんなところを見られたら大変なことになる。「ゆっくりのんびりコーヒーを買いに行くように言ってある」 「大丈夫ですか? 私たちの関係に気づいたんじゃ……」 「いや。元マネージャーとしてエマと話したいってことにしてあるから」 心の中でマネージャーに「ウソをついてごめんなさい」と謝っておく。 だけどこれで大好きなショウさんとあと少しの時間、ふたりきりでいられる。「おととい、なにがあったんだ? 急に泣き出したって聞いたぞ?」 「ちょっと……情緒不安定で」 「俺となかなか会えなかったからか?」 身体を離し、背の高いショウさんが私の顔を覗き込んできた。 鋭い瞳に射貫かれ、甘い声で問われたらごまかすなんてできなくて、素直にうなずいてしまった。「ごめんな。俺のせいだな」 「違うんです。私が悪いんです。……ヤキモチを焼いたから」 「ヤキモチ? 誰に?」 そんなの聞かなくてもわかると思うけれど。 口ごもる私を見て、
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Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第五話 翌日。ショウさんから電話がかかってきた。『昨日の撮影だけど、体調不良で延期になったって聞いた。大丈夫か?』 どうやら私のマネージャーがそう伝えたらしい。だけどショウさんは私との電話で、原因が体調不良ではないと気づいているだろう。「心配してくれたんですか?」 『当たり前だ』 間髪入れずに返事をしてくれたことがうれしい。彼が心配する相手がこの世で私だけならいいのにと、欲深い考えまで浮かんでしまう。「ありがとうございます。大丈夫です。明日はショウさんのことを思い出しながらがんばりますね」 『エマ……』 「しっかりしなきゃ、CMを下ろされちゃいますもんね」 最後は彼を心配させすぎないよう、明るい声で電話を切った。〝空元気〟という言葉がしっくりくる。 次の日、再び撮影がおこなわれるスタジオへ向かった。 二日前と同じように衣装に着替え、メイクを施してもらう。「エマさん、おとといはすみませんでした。体調が悪かったんですね。私、全然気づかなくて……」 「こちらこそリスケさせてもらって申し訳ないです」 ヘアメイク担当の女性がいきなり謝るものだから、ブンブンと顔を横に振って恐縮した。 体調不良は表向きの理由だから、彼女が気に病む必要はなにもない。 すべて準備が整ったところでマネージャーが呼びにきた。「エマ、撮影本番だ。いけるか?」 「はい」 スタジオに入り、監督やスタッフに先日のことを詫びてからスタンバイする。 幸いにも監督に怒っている様子はなくてホッとした。温和な性格の男性でよかった。 二日前と同じように、スタジオのセットのソファーに寝そべる。 菓子を手に取り、うっとりと眺めたところで監督からカットがかかった。「表情がまだ硬い。もっとリラックスしていこう」 「すみません」 いったん立ち上がって、フゥーッと深呼吸をしながら頭を切り替える。大丈夫、自分を信じろと言い聞かせて気持ちを高めた。 そのとき、スタジオの入口がそっと開き、男性がひとり入ってくるのがわかった。――ショウさんだ。 どんな会話をしているのかは聞こえないが、ショウさんが私のマネージャーに声をかけてヒソヒソと話をしている。 彼がここに現れたことが信じられなくて見入っていると、自然と視線が交錯した。『が・ん・ば・れ』 やさしい瞳がそう言っている気がし
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Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第四話「エマ、とにかく次の撮影までゆっくり休んで」 自宅マンションまで送ってもらった私は、深々と頭を下げてマネージャーを見送った。「私って、本当にダメだな……」 ポツリとひとりごとが漏れたあと、頭に浮かんでくるのはショウさんの顔だった。 ……会いたいな。それが無理なら声だけでも聞きたい。……電話をしたら迷惑だろうか。 彼が忙しくしているのは百も承知なのだけれど、それでもスマホを手にして通話ボタンを押してしまった。 打ち合わせ中だとか、タイミングが悪ければ出てはもらえないだろう。 しかし数コールのあと、『もしもし』といつもの低い声が耳に届いた。愛してやまないショウさんの声だ。「ショウさん……今、電話して平気でしたか?」 『ああ。少しなら。そっちの撮影は順調か?』 「いえ、今は家にいます」 『CMの撮影なのにもう終わったのか? えらく早いな』 「……」 私のスケジュールを把握してくれていたことが単純にうれしい。 だけど、そのあとの言葉にはすぐに反応できなくて、口ごもってしまった。『……エマ?』 「実は、今日は中止になったんです」 『中止?! なぜだ』 「私が悪いんです。……うまくできなくて」 コントロール不可能な感情に支配されて、泣きだしてしまっただなんて言えなかった。 ショウさんに慰めてほしいわけでも、がんばれと激励してほしいわけでもない。今日のことは自分の責任だとわかっている。甘えちゃいけない。『大丈夫か?』 彼のやさしい声が聞こえてきて、心にジーンと沁み入った。 あんなに不安定だった気持ちが途端にないでいくのだから不思議だ。 顔が見たいな。可能ならビデオ通話に切り替えてもらおうかな。そう考えた矢先だった――――『あ、いた! ショウさん、ちょっといいですか?』 スマホの向こう側から、彼を呼ぶ女性の声がした。おそらくエイミーだ。ショウさんも『今行く』と返事をしている。 正直、エイミーがうらやましい。仕事の相談に乗ってもらえて、付き添う彼に見守ってもらえる。 ショウさんは本当に素敵でカッコいいから、近くにいたら自然と好きになるに決まっている。エイミーだってそうだ。『話の途中ですまない。俺、行かなきゃ』 「はい。突然電話してすみませんでした。お仕事がんばってくださいね」 『また連絡する』 声が
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Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第三話 小さなものでいい。楽しいこと、幸せなこと……私にとってそれは何なのかと考えたら、真っ先にショウさんの顔が浮かんだ。 彼と一緒にいられるだけで楽しくて、こんな素敵な人が恋人なのだと思うと幸せな気持ちになる。『エイミーちゃんはあのイケメンのマネージャーさんに恋してるのかも』 『待ち時間とか、一緒にいるときはすごく仲よさそうに話しているみたいだし』 先ほどの言葉がタイミング悪く脳裏に浮かんでしまった。 愛されているのは私のはずなのに。 うれしそうに微笑み合うのは私だけの特権なのに。 そう考えたらつらくなって、自然な笑顔を作らなきゃいけないはずが、反対に涙がポロポロとこぼれ落ちた。「あれ? エマさん?!」 私の様子に気づいた監督とスタッフがあわててやってくる。もちろん撮影は一旦ストップだ。「エマ、どうしたの」 マネージャーが駆け寄ってきて、私にそっとティッシュを差し出した。「すみません」 小さく声に出して謝ると、周りにいたスタッフ全員が困った顔をして私の様子を見守った。 心配されているのはわかるけれど、その視線が突き刺さるように痛い。すべて私のせいだ。早く撮影を再開しなければと思うのに、涙が止まってくれない。「ちょっと休憩しよう」 監督がそう告げ、私は頭を下げて謝罪したあと、マネージャーに付き添われて控室に戻った。 肩が出ているドレス姿だったため、マネージャーが背中から上着をそっと掛けてくれた。「なにかあった?」 「……」 「こんなこと珍しいじゃないか。体調が悪いの?」 「えっと……そうじゃないんですけど……」 うつむきながらボソボソと言葉を紡ぎながらも、マネージャーの目は見られなかった。 プロとして失格だ。心が不安定になっているという理由なんて通らない。「監督と話してくるから。とりあえずここで待機してて?」 「はい」 マネージャーがそばにあった水のペットボトルを手渡し、そのまま控室を出ていった。 ほうっと息を吐いてそのまま待っていると、マネージャーが戻ってきて、今日の撮影は中止になったと告げた。監督と話し合った末に、そう決めたらしい。 申し訳なさでいっぱいになりながらも、私はマネージャーと共に監督のもとへ行き、誠心誠意謝罪した。数日後にまた日程を決めて撮影をおこなうとのことだ。 どうやらマネ
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Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第二話 ショウさんのことだとすぐにわかった。彼は裏方にしておくにはもったいないくらいのイケメンだから。「けっこう前に変わったんですよ」 「そうなんですね。実は、あのマネージャーさんは今、エイミーちゃんのマネージメントをしてるって聞いたものだから。エマさんの担当からは外れたのかと思って」 エイミーはうちの事務所に電撃移籍してきたモデルだ。今後は俳優業も積極的にやりたいと言っているらしい。 二重の瞳がパッチリとしていて、二十歳とは思えないくらいの色気を醸し出している、女子力の高い子。事務所も全力で売り込みをかけるつもりのようだ。 ジンくんのサポートは甲さんとふたり体制でおこなうことになったため、ショウさんが当面、エイミーのマネージメントを担当すると聞いている。「エイミーちゃん、幸せですね。事務所を移籍して飛ぶ鳥を落とす勢いだし、大好きな人にマネージャーになってもらえて」 「……大好き?」 思わず聞き返してしまった。ショウさんとは年の差があるけれど、エイミーにとってみたら恋愛対象に入るのかもしれない。「あ、これは私の勘なんですけど、エイミーちゃんはあのイケメンのマネージャーさんに恋してるのかも」 「そう……ですか」 「待ち時間とか、一緒にいるときはすごく仲よさそうに話しているみたいですし」 ……ダメだ。聞けば聞くほどグサグサと胸に傷が出来ていく。 ショウさんの恋人は私だ。いくらエイミーが大人っぽくて魅力的でも、彼はそんなに簡単に落ちたりしない。 私を裏切って傷つけるようなことはしない人だと信じている。 信じているはずなのに……――会えていないという現実が、私の心を真っ黒に塗りつぶしていく。 コンコンコンと控室の扉がノックされ、返事をすると男性マネージャーが姿を現した。「エマ、準備できた?」 「はい」 「オッケー。スタジオへ行こう」 マネージャーの後ろをついていき、撮影スタジオに入る。 監督やスタッフに頭を下げてあいさつしたけれど、笑顔が引きつっていたかもしれない。 設置してある撮影用のソファーへうつ伏せで寝そべるようにと指示があった。 うっとりとした顔で商品の菓子をつまみ、ゆっくりと口へ入れる。言われたとおりにしたはずなのに、監督から「カット!」と声がかかった。「エマさん、表情をもう少し明るくして。食べたあと、幸
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Chapter: スピンオフ・エマの気持ち 第一話 ずっと密かに恋焦がれていたショウさんに告白をして、付き合えるようになって早くも二ヶ月が過ぎた。 交際は順調……のはず。といっても、私も仕事があるし、ショウさんもジンくんのマネージメントで忙しくしていて海外を飛び回っている。だから実はそんなに会えていない。 連絡が来た日は浮かれ、来なかった日は落ち込んで不安になる。そんな毎日を送る私は、至極単純にできているなと自分でも思う。 普通の人たちのようにふたりでテーマパークへ行って、手を繋ぎながらデートを楽しみたい……というのは、密かに思い描いている願望だ。 しかし、ショウさんとの恋愛は誰にも言えない秘密。 堂々とデートなんてできない。……私がこの仕事を辞めない限りは。それは付き合い始めた当初からわかっていた。◇◇◇ 今日は以前からお世話になっているチョコレート菓子の新しいCM撮影の日。 衣装のドレスに着替えた私は控室でスマホをいじりながら待機していた。「エマさん、本日もよろしくお願いします」 「こちらこそよろしくお願いします」 やってきたのはヘアメイク担当の女性だった。彼女とは何度か一緒に仕事をしていて顔なじみになっている。「今回は大人っぽい商品イメージなんで、ヘアメイクもそういうオーダーが来ています」 笑みを浮かべてコクリとうなずくと、彼女は私の前髪をあげてピンで固定し、慣れた手つきでテキパキと顔に化粧下地を塗り始めた。「うわぁ、すごく肌の調子がいいですね」 「そうですか?」 「エマさんは元々きめ細かくて綺麗な肌なんですけど、今日は潤っていて絶好調です。なにか良いことありました?」 そう聞かれ、すぐに頭に思い浮かんだのはショウさんの顔だ。 秘密だとしても、恋は恋。彼と付き合い始めてからの私は毎日がバラ色で、わかりやすく浮かれていると思う。「わかった! 恋人ができたとか?」 「で、できてないですよ!」 図星を指されてドキドキしながらも、ウソをつかなければいけないのが心苦しい。 本当なら正直に話して、女子らしく恋バナに花を咲かせたいところなのだけれど。 にこやかに話をしながらもメイクが終わる。髪を綺麗にセットし、髪飾りを付けて完成となった。 鏡のほうを向いてみると、そこには普段より大人に見える自分がいた。さすがプロのヘアメイクの腕前は違う。「めちゃくちゃ素
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Chapter: 第三十二話「白井、今夜みんなで飲み会な?」それから二日経った金曜日の午後、突然私に言い逃げしようとする重森を、ちょっと待てと捕まえる。「急になに?」 「時枝さんのこっちでの勤務が今日までだから、最後にみんなで飲みに行こうってさ。俺もさっき聞いたばっかり」誰が言いだしたか知らないけれど、そういうことはもっと計画的に決められないのかとあきれてしまう。思いつきにもほどがある。「私、パスする」「 なんで?」「 だって......」この一週間、時枝さんと私は一緒に仕事をすることはなかったし、今後も彼女と個人的に親交を深めたいなどとは思っていないからだ。 それに彼女だって、私が行ったところで愛想よく会話などしないだろう。 彼女の目当ては、ただひとりなのだから。「だいたいね、いきなり飲み会って言われても、みんなにも都合があるでしょ」恋人とデートの予定がある人もいるだろう。 その飲み会に何人が参加するのか知らないが、私はとくに予定がなくても行きたくない感情が先走った。「白井はなにか予定あるのか?」「 ないけど......行きたくないの」 「そう言うなよ。行かなきゃなんとなく角が立つだろ?」今更角が立ったとしてもかまわない。 私はそういうのは元から気にするタイプではないから。 それが気になるようなら、あんなにひどい噂を流されているこの会社に勤めていられない。「じゃあ、俺とふたりでどこか行く?」その理由なら飲み会には不参加でいいとでも言うのだろうか。 バカバカしくなって、自然と小さく溜め息が出た。「絶対無理」 「あのな、絶対とか言うなよ。俺だって傷つく」傷ついたフリをしても無駄だとばかりに、重森をギロリと睨んだ。 重森の言う“どこか”は、ホテルしか考えられないからだ。「重森と“どこか”行くくらいなら、仕方なく飲み会に出る。でもすぐに帰るからね。私、明日デートだから遅くなりたくない」 「え? 俺というものがありながら、ほかの男とデート?!」「そう、デートなんですよ。ていうか、重森と私はなんの関係もないんだから、誤解されるようなことは間違っても言わないで」私がビシっと指をさして言い切ると、重森はケラケラと笑っていた。結局あのあと、きちんと戸羽さんから丁寧なメッセージが来て、土曜日の待ち合わせの時間と場所を決めた。 そのデートが明日に迫
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Chapter: 第三十一話 身体が目的ならば、ここで顔色が変わるはずだけれど、戸羽さんは笑顔を曇らせることなく、「楽しみだな」と返事をした。 ガツガツしたところを見せない戸羽さんのようなタイプの人には、素直に好感が持てる。 何時にどこで待ち合わせをするか決めようと思った矢先に、戸羽さんのスマホが着信を告げた。 「ちょっとごめん」と断ると、戸羽さんはその場で電話に出たのだけど、ものの数秒で通話を終わらせ、あわてたように椅子から立ち上がった。「咲羅ちゃん、ごめん。病院から呼び出しが来たから行かなきゃ。急患なんだ」 お医者様はこういうケースがあるから大変だ。 戸羽さんが頼んだウイスキーは、ほんの少し口を付けた程度だから、中身はほとんど残ったままなのに。 だけど今から診察をするのなら、お酒をたくさん飲んでしまう前で良かったと思う。「また連絡するから」 「わかりました」 戸羽さんがあわただしく店を出て行くと、途端に静寂に包まれた。 だけど元々今日はひとりで飲みに来たのだから、これで普通なのだ。「……土曜、行くの?」 しばらくしてから、マスターが心配そうに声をかけてきた。「行きますよ。向こうから連絡があれば、の話ですけど」 戸羽さんがまた連絡すると言っていても、もしなかったとしたら、土曜日の話は自然と流れるのだろう。 申し訳ないけれど、私にとって戸羽さんは絶対にまた逢いたい相手ではないから、私からわざわざ連絡はしない。「さっきの感じだと、連絡はあるはずだよ」 「そうですかね?」 「そうだよ。それに……昼間のデートでも、立派な狼に変身されるかもよ?」 マスターが意味ありげな顔で悪戯に微笑んだ。油断禁物だと言いたいのだろう。「いやいや、ないでしょ。戸羽さんは見るからに、草ばっかり食べてる草食系な感じがしませんでした?」 「は? まったくしなかった! 咲羅ちゃんは男をわかってないな」 あきれた溜め息と共に、マスターはダメだとばかりにフルフルと首を小刻みに振っている。 マスターの言う通りで、わかってないから私は今まで失敗続きだったのだ。 私に男運がなく、自信を持って恋愛だと呼べるものから遠ざかっているのは、そこに原因があるように思う。「大丈夫ですよ。この前の暴力男みたいな失敗はしません」 本城みたいな男との修羅場は二度とご免だと、それだけは
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Chapter: 第三十話「リハビリは……どうせ解除だから」 私は堂々と不機嫌な表情で反論したが、マスターはそうではないのだと首を横に振った。 だけど斗夜がそういうつもりでいると話してくれたのはマスター自身だ。「リハビリ? 咲羅ちゃん、どこか悪いの?」 隣の戸羽さんから真面目な声が聞こえてきたので、あわててそちらに視線を戻した。 戸羽さんは医師だから、私の体を心配してくれたのだろう。「違うんです。今のはこっちの話で……」 顔の前で手をブンブンと振り、微妙な笑みを浮かべながらきちんと否定した。 戸羽さんはもちろんなんの話かわからないままだけれど、それ以上追求しないでいてくれた。「だけど咲羅ちゃん、そのへんでやめとかないと、斗夜に告げ口するからね?」 ずっと私に視線を送り続けるマスターが、釘をさすように私に告げる。 凄みのある表情に変わったマスターを前に、私は叱られた子供のようにうなだれた。「……咲羅ちゃん、彼氏いるの?」 当然ながら、戸羽さんがマスターの意味ありげな言葉に反応した。 私は首を横に振り、気合いを入れて正面にいるマスターを見据える。「マスター、私と八木沢さんはただの同僚です。付き合ってませんから」 私が毅然とした態度で言い切ると、マスターが不服だと言わんばかりに、再びクイっと眉を片方だけ引き上げた。「まぁ、恋愛は自由だからね。だけど、なんのためにリハビリしてたのか、咲羅ちゃんにはそれをもう一度思い出してほしいな」 マスターは不満そうな顔を引っ込め、純粋にやさしさがこもった笑顔でそう言った。 やさしく言われたほうが、胸にズシリとくるものがあるのはなぜだろう。「今度の土曜日、なにか予定ある?」 しばらく私は沈黙していたけれど、戸羽さんが不意に話を始める。「いえ。ないです」 「仕事も休みだよね? 俺と食事しない?」 食事の件は社交辞令ではなかったようで、戸羽さんは具体的に会う日取りを土曜日にしないかと言ってきた。 『なんのためにリハビリしてたのか』という先ほどのマスターの言葉が頭をよぎる。 答えるならばそれは、いい加減で軽くふわふわした自分を戒め、真剣な恋ができるように感覚を取り戻すためだ。「昼間ならいいですよ。ランチして、どこかぶらぶらします?」
최신 업데이트: 2025-04-09
Chapter: 第二十九話 戸羽さんはにっこりと笑い、ポケットからスマホを取り出して操作し始める。 戸羽さんも普通の男だから、こうして普通に女性に連絡先を聞くこともあるのだと、なぜか少し残念な気持ちになった。 ゆったりと牧草しか食べない完全な草食動物なイメージを抱いていたのだけれど、なぜそんな思考だったのかと、この状況の自分をあざわらいたくなる。「ごめん。嫌だった?」 意外な戸羽さんの行動に私が固まってしまい、その様子に気づいた戸羽さんが申し訳なさそうにスマホを持つ手を引っ込めた。「あ、いえ。そういうわけではないんですよ」 戸羽さんが嫌いなのではなく、単にイメージと合わなくて驚いただけだ。 それに、ほんの少しだけ本城のケースが咄嗟に頭に浮かんだ。 あのときも安易に連絡先を教えてしまったから、その後も会おうと都合よく連絡されてしまったので、あれは失敗だったと私の中で後悔の念が拭えないのだ。「軽い男だと思われたかな? 俺、いつもは違うんだよ。縁があるから今日咲羅ちゃんとまた会えたんだし、なのに連絡先を聞かないのもなんとなく失礼な気がして……」 照れが含まれた屈託の無い笑顔を見ていると、この人は本城とは根本的に違う種類の人間だと感じた。 彼は本城がしていたような上辺だけ取り繕うこともしない。「今ちょっと、ぼうっとしちゃっただけなんです。……連絡先ですよね」バッグからスマホを取り出す私を目にし、戸羽さんは驚いていたものの、すぐにうれしそうな表情になった。「いいの?」 「はい」 「良かった。今度食事でもご馳走させてよ」 スマホを付き合わせて連絡先の交換をしていると、穏やかな笑みを浮かべる戸羽さんと目が合った。 彼の瞳にはとくに下心はなさそうで、社交辞令かもしれないと、そんな考えが頭をよぎる。 私と食事に行く気はないのかもしれないけれど、それならそれで全然いい。「何が好きなの?」 「え?」 「食事。いい店をリサーチしとかないとね」 自然な流れで問われ、私はぼんやりと前方を見つめて考え込んだ。 とくに希望はないけれど、なにがいいだろう? 呑気に食べ物のことを考えていたところに、マスターの顔が私の真正面に来ていることに気づき、ビクっと肩を揺らした。「咲羅ちゃん……」 「な、なんですか?」 「リハビリ中のはずだよね?」 マスターはクイ
최신 업데이트: 2025-04-07
Chapter: 第二十八話「そうですね。戸羽さんは人気だったから……」 史香の友達が真っ先に照準を合わせたのが戸羽さんだった。 職業が医師なのに堅苦しさを感じさせない戸羽さんに、史香の友達は最初から狙い撃ちをしていた。 人数合わせのただの付き合いとしてその合コンに参加した私は、空気を読んで別の男性とたわいない話をし、なんとなく時間だけが過ぎて終わった記憶がある。 連絡先も交換していなければ、一夜限りという空気だって微塵もなかった。 私の中で、とても記憶に薄い合コンだ。「このバーにはよく来るの?」 「えぇ、まぁ……」 「そっか。俺もたまに来るんだ。病院からわりと近いから」 そういえば、うちの会社から彼らが勤務する病院まで、直線距離でわりと近いとかなんとか、男性たちがそんな話をしていた気がする。そうなると、このバーも近所のはずだ。「朋美(ともみ)ちゃんとは、その後どうなったんですか?」 あの夜は史香の友達である朋美ちゃんが、戸羽さんをずっと独占していた。 それをふと思い出し、何気なく話題を振ってみる。「気になる?」 綺麗な指先をグラスに添え、戸羽さんは注文したウイスキーに口を付ける。 横目でチラリと私に視線を送り、その答えを促してきた。 彼の態度は余裕たっぷりで、ガツガツしていない大人の男性は素敵だと思わせる瞬間だった。「気になりますよ。仲良さそうでしたから」 それは決して戸羽さんだから聞いたのではなく、単にあの合コンで交際に発展したのかどうか結果が気になったまでだ。 付き合っていようがいまいが、私には関係ないのでどうでもいい。 どちらの結果でも、私の反応は「へぇ」だろう。「連絡先を交換して、ふたりで一度だけ食事に行った。だけどそれっきり。どうやら俺を気に入らなかったみたいだよ」 「へぇ」 食事のあとにホテルに誘って撃沈したのかと一瞬想像したけれど、合コンでは朋美ちゃんのほうがアプローチしていたのだから、それはなんとなく考えにくい。 もしかすると、戸羽さんは草食だから誘わなかったのかもしれない。 朋美ちゃんは彼のその態度が物足りないと感じ、脈なしだと判断したのかも……と、推測してしまった。「だから今も俺は“空き家”なんだ」 戸羽さんがふわっと笑えば、温かい空気が漂い、私の気持ちもゆったりと落ち着く。「勿体無いですね、
최신 업데이트: 2025-04-05
Chapter: 第二十七話 昨日はここでどんな話をしていたのか知らないけれど、少なからずふたりは楽しそうに笑いあっていたと、容易に想像がついた。 そんなことが頭をよぎると、名前のわからない感情が私をまたモヤモヤさせる。「今度、斗夜を叱っとくから」 「……え?」 「かわいい咲羅ちゃんにそんな顔をさせるなんて、俺がアイツを説教する」 マスターの言葉で、私は今ひどい顔になっていたと自覚して恥ずかしくなった。 やさしさと労わりが混じったマスターの声で、目に涙が浮かんできたけれど、私は必死でそれをこらえる。 なぜ泣きそうになっているのかわからなくて、だんだんと自分自身に腹が立ってきた。「咲羅ちゃんも覚悟を決めて、斗夜にちゃんと言ったほうがいいよ」 「……なにをですか?」 「まさか気づいてないわけじゃないよね?」 そう言われても、最初に飲んだお酒がまわってきたのもあって、頭がぼうっとしてマスターの発言内容がよく理解できない。 言いたいことを言え、ということだろうか。 だけど今の私はよくわからない感情に圧倒的に支配されていて、斗夜になにを伝えたいのか、そもそも伝えたいことがあるのかすらも、わからなくなっている。「本気なら、昨日の子から奪っちゃえばいいんだよ」 そんなマスターの言葉の意味も、いまいちよくわからない。 誰の話をしているのだろうとさえ思ってしまった。 自分の今の感情が、マスターの言葉に靄(もや)をかけて不明瞭にしている。 マスターとの話の途中に入り口のドアが開いて、ひとりの男性客が入って来た。 黒縁眼鏡をかけ、センスの良いネイビーのスーツを着こなしている。 もしかして……という私の勘は見事にはずれた。 斗夜がひとりでやって来たのかと思ったけれど違ったので、私は再び前を向き、マスターの作ったピンクのカクテルに口を付ける。 だけどなぜかその男性はゆっくりと私のかたわらまで歩み寄ってきた。「偶然だね、咲羅ちゃん。また会えるなんて思わなかったな。横座っていい?」 名前を呼ばれて驚いていると、男性は返事を待つことなく隣の椅子に座り、私の顔を覗き込むようにしてにっこりと微笑んだ。 この人には若干見覚えがある。 以前会っているはずだけれど、それはどこだったのかと必死に記憶をたどった。「えっと……ごめんなさい、あの……」 向こう
최신 업데이트: 2025-04-05
Chapter: 第五章 パーティの魔法 第五話「興味が沸いたんですか?」 「興味? それなら初めからずっとあるけど?」 へぇ、そうなんだ。今度はジュエリーか。 最上梨子が本気で作るジュエリーは、きっとまた誰もが心を奪われるデザインなんだろうな。 「興味がなきゃ、こんなに構いたいとは思わないし……この腕や指に似合うものを作ってみたいなんて思わないよ」 「………」 今もまた、会話がかみ合わなかった気がする。 私が尋ねた興味の対象は、ジュエリーデザインのことだったが、宮田さんが言った対象はきっとそのことじゃない。 さっき美容室でマチコさんにも、私のことを好き……みたいなことを口走っていたけれど、この人がどこまで本気で言ってるのかはわからない。 社交辞令というか冗談なのだとすれば、こちらも笑って聞き流せばいい。 だけど、もしも…… 先ほどの「好き」も、今の言葉も、本気で言っているのだとすれば…… 私は宮田さんに、その想いに対しての答えのようなものを用意しなければいけないんじゃないのかな。 ――― 私が彼のことをどう思っているのか。 タクシーが、パーティ会場であるホテルの正面玄関前に、滑り込むように停まった。 先に車を降りた宮田さんが、私が降りようとすると、にっこり笑って手を差し伸べてくれる。 その紳士的な行動に、自分がお姫様にでもなったような錯覚を起こしてしまいそうだ。 辿り着いた先は某有名ホテルだった。 そこのスタッフさんはもちろんきちんとした応対だし、どこもかしこも手垢ひとつ付いていないくらい清掃が行き届いている。 パーティ会場の入り口で受付をし、中へ入ると普段の自分がいる世界とは全く違う異世界が広がっていた。「さすがは香西健太郎。お金かかってるね」 「そ、そうですね。私……帰りたい」 こんな世界に、私が居ちゃいけない気がする。普通に混じっていたらダメだ。 全員が絢爛豪華なドレスを身に纏って颯爽としているのだから。 私のように着慣れないドレスを着て挙動不審にしている人なんて、ひとりもいない。「そんなこと言わないでよ」 帰りたい、と言った私の言葉を耳ざとく聞きつけた宮田さんがそう言って苦笑う。「ほら、ビュッフェの料理、おいしそうだよ? ホテルの自慢のおいしい料理の食べ放題バイキングだと思って、リラックスして!」 「む、無理です」
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Chapter: 第五章 パーティの魔法 第四話 さすがプロ。ドレスとも合っているし、目はパッチリとしたけれど上品さは残したままだ。 鏡に映る自分を不思議な気分で見つめていると、宮田さんが後ろから近寄ってきているのに気づいた。 彼はなにも言わずに私を椅子から立たせて、自分と向かい合わせになるように正面から凝視する。 ドレス姿の私をじろじろと上から下まで見た後、私の顔に焦点を合わせた。「どうしよう。めちゃくちゃ可愛いよ!」 とびきり嬉しそうな顔をして、宮田さんが思い切り抱きついてきた。「わっ! 」 慌てた私が、咄嗟に驚きの声をあげる。 な、なにをするんですか! 仕切られたスペースだとは言え、美容院ですよ、ここは。「宮田くーん。せっかくのメイクと髪、崩さないでね。今ここでイチャイチャしないで、パーティが終わってからにしなよ」 気持ちはわかるけど、なんて言いながらマチコさんが呆れて笑っている。「うん。パーティ後にはいっぱいイチャつくよ。今キスしたらリップもグロスも落ちちゃうからね」 「え、宮田くんって意外と肉食なのね。まぁ、男は多少肉食じゃないとね。草食なんてダメダメ!」 ……なんという恐ろしい会話をしてるんですか! だけど……私を抱きしめる宮田さんの温もりがやさしくて、彼の上品なスーツから漂うフレグランスの香りに酔いそうになる。 その場を取り繕うように少し抵抗して見せるけれど、ドキドキとうるさい自分の心臓に、私自身が嫌でも自覚させられた。 ――― この人を、意識していると。「二人とも、また来てね」 「うん、ありがとう。またね」 マチコさんがタクシーを呼んでくれて、美容室を後にした。 だいたい、今日の宮田さんは反則だ。 いつもふざけた調子で、なにひとつ真剣なことを言ってる感じがしない人なのに。 今日ばかりは、どこを取っても普通の大人のイケメンだ。 普段とギャップが激しすぎる。 ……だからだ。私もドキドキしてしまったり、いつもと違ったりするのは。 タクシーの中、窓の外の流れる景色を見ながらそんなことを考えていると隣に座る宮田さんが私の手をふいに繋いだ。「朝日奈さんって綺麗な手をしてるよね。……そうだ、今度はブレスレッドやリングもデザインしてみようかな」 繋いだ手をまじまじと見つめながら、彼が穏やかな口調でそう言った。 ジュエリーのデ
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Chapter: 第五章 パーティの魔法 第三話「で、彼女は……モデルさん?」 「いえ! ち、違います!」 マチコさんのその甚だしい勘違いには、驚いて目を丸くしながら私は全力否定した。 どこをどう見間違うと、私がモデルに見えるのか…。 もはや謎としか言いようが無い。「あ、じゃあ宮田くんの彼女だ。ふたりで仲良くパーティに出かけるってわけね」 私の髪をテキパキと巻いていきながらもニヤリと冷やかすような笑みを浮かべて、マチコさんは私と宮田さんを交互に見る。「か、彼女ではないです!」 「そう、彼女じゃないよ。僕は好きだなんだけどね」 サラっと人前で、どうしてそんなことを言うかな。 恥ずかしいけど、髪をやってもらってるから俯くこともできず、鏡の中の自分を見ると耳が赤くなっていた。「なにをモタモタしてるんだか。こんなにかわいい子なんだから早くものにしないと。ほかの男に持っていかれちゃうわよ?」 好きだと言った彼の言葉にマチコさんはさほど驚くこともなく、説教の混じった言葉を宮田さんに投げかけると、鏡の中の私にニコっと微笑む。 マチコさんの手際は神がかり的で、私の髪は短時間で綺麗に巻かれてセットされた。 あとはメイクだけど…… 助手の人に、あれやこれやと細かく指示を出してメイク道具を準備させていたその時 ―――「宮田くんもやってあげる」 後ろで私の様子を見守っていた宮田さんに、突如マチコさんが近づいてそう言った。「僕も?」 「うん。ワックスつけたらもっとカッコよくなるから!」 そう言いながらマチコさんの手には既にワックスが付けられていて。 宮田さんが必要ないと言っても、やるつもりなんだなと思うと笑いがこみ上げた。 鏡も何もないスペースに座る宮田さんに、マチコさんが魔法をかける。 「できあがり」と呟いてマチコさんが離れると、ワックスで無造作にセットされた黒髪の宮田さんが鏡越しに見えた。 もう……何よ。 黒スーツにアスコットタイ、それだけでも似合っているのに、さらに髪型までかっこよくなっちゃってる。 そうしているうちにメイク道具がそろったようで、今度はマチコさんが私に近づいてくる。 椅子をくるりと横に向きを変えられメイクが始まった。 いつも私が自分でしているナチュラルな適当メイクとは違って、いくつもの筆を使い、丁寧に絵画を描くようにマチコさんが仕上げてい
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Chapter: 第五章 パーティの魔法 第二話「ありがとうございます。宮田さんもすごく素敵ですよ」 少し照れたけれど素直に感想を言うと、当の本人の宮田さんは私以上に照れてしまったみたい。 顔を赤くしたのを私は見逃さなかった。 タクシーを呼んで、二人で美容室へ向かう。 大して事務所から距離は遠くなくてすぐに到着した。 そこはけっこう大きな美容室で、日曜だから来店客で少し混雑している。「マチコさーん!」 受付カウンターの奥にいた女性に、宮田さんが声をかけると、30代後半くらいの女性が振り向いて笑顔を向けてくれた。「宮田くん、待ってたわよ。いらっしゃい」 こんにちは、とお決まりの挨拶を済ませると、宮田さんと私を手招きして美容室の奥にある個室のようなスペースへと案内したこの女性・マチコさんは、ここのオーナーらしい。 私は促されるままに、大きな鏡の前に座らされた。「マチコさん、このドレスに合うようにセットしてね」 「はいはい。最上さんのドレスを台無しにはしませんよ」 「あはは。そこは信じてるけど」 マチコさんは、なんでもテキパキとこなすやり手のオーナーという印象だ。 仕事でお世話になっている美容師だと、宮田さんからは聞いていたけれど、けっこうふたりは親しそうだ。「で、ご希望は?」 「全体を緩くふわふわ~っと巻いて……後は任せる。あ、メイクもね」 「了解」 その会話に私は一切入れず、ただ唖然と聞き入るだけだった。 マチコさんは鏡の中の私ににっこりと微笑むと、私の髪をサラサラといじり始める。「かわいくしてあげるからね。任して!」 「よ、よろしくお願いします」 この人の手で、今から魔法をかけられる…… なんだかそんなふうに感じさせられるほど、マチコさんはカッコいい。「忙しい日曜に、ごめんね」 後ろの椅子に腰掛けて待機している宮田さんが、マチコさんに申し訳なさそうに声をかけた。 美容室の土日は忙しい。 だけど、知り合いである宮田さんの為にマチコさんはわざわざ予約をあけてくれたのだろう。「ほんとだよ。だけど宮田くんの頼みじゃ断れないでしょ。パーティだって?」 「うん。最上さんの代理でね」 「へぇ、いろいろ大変ね」 ――― 今の会話でわかった。 マチコさんは、宮田さんの正体を知らない。 話しぶりからすると親しい間柄のようだし、自分の正体を話して
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Chapter: 第五章 パーティの魔法 第一話 日曜日。誘われていたパーティ当日になった。 迷ったけれど私はいつものスーツで最上梨子デザイン事務所を訪れた。 どのみちドレスに着替えるのだから律儀にスーツじゃなくてもいいような気がしたけれど、仕事ではないとはいえ、私の中では少し仕事気分だ。「朝日奈さん、今日もスーツなの?」 よっぽどスーツが好きなんだね、って出迎えてくれた宮田さんがケラケラと笑うのは、この際無視だ。 事務所は日曜だから業務は休みで、スタッフはもちろん誰もいない。 照明もあまりついておらず、昼間でも薄っすらと暗い中、宮田さんの後に続いて、この前の衣裳部屋へと入っていく。 パーティは夜からだけど、今日のスケジュールはこうだ。 まずこの衣裳部屋で、ドレスに着替える。 そして、宮田さんが予約してくれている美容室までタクシーで移動。 そこで髪をセットし、メイクをしてもらったら、そこからパーティ会場までまたタクシーで移動、という予定になっている。「靴、用意しといたよ」 部屋に入るなり、満面の笑みで宮田さんが私にパンプスを手渡す。 色は大人しめなシャンパンゴールドで、ピンヒール。 つま先から外側のサイドにかけて、ストーンが上品にあしらわれているデザインだ。 早速履いてみるように言われ、真新しいその綺麗な代物にそっと足を入れてみた。「どう? 足、痛い?」 「いえ。大丈夫です」 「そう、良かった」 「ありがとうございます。素敵な靴を準備していただいて」 お礼を言うと、「どういたしまして」と宮田さんが余裕めかして笑った。「じゃ、僕も隣の部屋で着替えるから、朝日奈さんもドレスに着替えてね」 意気揚々……とでも言うんだろうか。 宮田さんがなんだか楽しそうに、この前試着したドレスを私の両手に乗せて、そのままひらひらと手を振って部屋を出て行った。「入るよー」 コンコンコンと小気味よく扉がノックされ、着替え終わった宮田さんが再度登場する。 私もそのときには着替え終わっていて、自身を鏡で確認しながら大丈夫だろうかと心配していたときだった。「うん。やっぱり似合うな」 宮田さんのその言葉が私の不安を少しばかり軽減してくれる。 似合っているかは自分ではわからないけれど、ドレスと靴は見事にマッチしていた。 そして鏡に向かう私の後ろから、この前もつけ
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Chapter: 第四章 ドレスの魔法 第十四話 兄妹の会話が面白くて、思わず少し声に出して笑ってしまった。 だって操さんは冗談のつもりは一切無く、至極真面目にそう言ってる。 今度の日曜にふたりで一緒にパーティに赴く事情を知らない彼女は、彼が理由もなく私に強引にドレスを着せて遊んでいるのだと誤解したらしい。 そうじゃなきゃ、仕事上の関係でしかない私がドレスに着替える必要がないと考えるのは当然だ。 ――― それにしても、ド変態はウケる。「違うんですよ。今度パーティに出席する際に宮田さんにドレスをお借りすることになって、さっき隣で試着してたもので。でもこんな格好でここにいたら驚きましたよね」 今更ながら自分がドレス姿なのが猛烈に恥ずかしくなってきて、赤面しながら操さんに説明すると、事情をわかってくれたようだった。「で? 操はなんの用?」 「なんの用?じゃないわよ。これよ、これ!」 操さんは思い出したようにムッとし、持っていた紙片をピラピラとさせながら、こちらへツカツカと歩み寄ってきた。 私は今がチャンスだと思い、ふたりが話している間に隣の部屋に戻ってスーツに着替えようと、そっとその場を離れる。「入金金額、間違ってるよ! ほら!」 「あれ? そうだったか?」 部屋をそっと出て行くときにふたりのそんな会話が聞こえたから、なにか仕事がらみの話なのかもしれない。 言葉の発し方に真剣さをうかがわせる操さんの様子から、なんとなくそう感じた。 隣の部屋でドレスを脱いで、着て来たスーツに着替え終わると再びアトリエ部屋に戻った。 てっきりまだ操さんがいるものだと思っていたのに、その姿は既になく……。「あれ? 操さん、帰られたんですか?」 「うん。僕が振り込んだ金額が違うとかなんとか喚いて、帰って行ったよ」 ……操さんの用事は短時間で済んだみたいだ。 操さんがまだいるのなら、私は自分の用事も済んだし、挨拶だけして帰ろうと思っていたのに。「操が働いてる会社、海外の輸入雑貨を扱ってるんだ。この前久しぶりに会ったらいろいろ仕入れさせられちゃってさ。で、その代金を振り込んだんだけど金額が間違ってるって、あの剣幕だよ。細かいこと言いすぎだよね」 「いや……全然細かくないですよ。振込み金額が間違っていれば指摘されるのは当たり前です」 至極当然だと私が素で言えば、冗談だよとケラケラと宮田さん
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