愛されている時は掌中の珠、愛されていない時は足元の泥
結婚の二週間前、田中陽介は突然、結婚式を延期すると言った。
「由美がその日、初めての個展を開くんだ。オープニングセレモニーは彼女一人だけだって。きっと心細いだろうし、俺が行って手伝わないと」
「俺たちの関係はこんな形式に縛られないだろう?結婚するのが一日早かろうが遅かろうが、何も変わらないさ」
でもこれで、陽介が高橋由美のために結婚式の日取りを延ばすのは三度目だった。
一度目はこうだった。由美が手術を終えたばかりで、故郷の食べ物が恋しいと言い出した。陽介は二ヶ月間も海外に行って、彼女の面倒を見ていた。
二度目は由美が深い山奥にスケッチに行くと言い出した時だ。彼女が危険な目に遭うんじゃないかと心配して、同行した。
そして、これが三度目。
電話を切った私は、向かいに座っている幼馴染の松本優斗に目をやった。彼は相変わらず、気だるそうな姿勢で椅子にもたれている。
さすが御曹司。手元のエメラルドがあしらわれた杖をリズミカルに大理石の床に叩きつけている。
「奥さんがまだ一人足りないんじゃない?」
結婚式当日、由美は軽い笑みを浮かべながらグラスを掲げ、男が乾杯に応じるのを待っていた。
けれどその男は赤い目をして、全国最大の不動産会社である松本グループの御曹司の結婚式のライブ中継を見つめていた。