私は、父の顔を知らない。 戸籍上でも、存在しない。 それでも、私が生を得た以上、父親の役割を持つ人間がいるのは確か。 私は父に関する情報を、すべて母から伝え聞いた。 なんでも、『ジョン・エヴァンズ』という名のイギリス人だそうだ。 父が外国人というのは、私の髪が周りの他の子と違って薄い栗色で瞳はヘーゼル、顔立ちも日本人離れしているから納得できる。 純粋な日本人の母は、イギリスの貿易会社の社員だった父が日本に赴任していた時に、東京で出会ったという。 母は幼い私に、『王子様みたいな人だったのよ』と語った。 多分、私が夢中で読んでいた、シンデレラや眠り姫の王子様のように、素敵な人だと刷り込みたかったんだろうけど、その王子様はお姫様を迎えに来るのではなく、私が生まれる前に身重の母を置いて姿を消した。 そんなわけで、私の家族は、生まれる前からずっと母一人だった。 今の時代、シングルマザーは、それほど珍しくない。 でも、私が育った母の生まれ故郷の田舎町では、住民の感覚は都会に比べて一時代くらい遅れている。 母子家庭は、うちくらいだった。 その上、私がハーフだから、母は私を連れて歩くだけで、外国人に弄ばれて捨てられた惨めな女という色眼鏡で見られる。人々から向けられる奇異の目と偏見は、ただでさえ苦しい生活に精神的苦痛という拍車をかけた。 せめて、父が日本人ならよかったのに。 いや、私を産まなきゃよかったのに。 母一人なら、見世物みたいに生きるんじゃなく、ごく普通の幸せな生活を送ることができただろうに――。 いつの頃からか、私は同じ女として、母に冷ややかな視線を送るようになっていた。 そうすることで、『私は母とは違う』と、自分自身に刻みつけていたんだと思う。 それなのに、二十五歳になった今。 私は、母と同じ運命を辿るか逃れるか、人生の岐路に立っている。 「妊娠……ですか。私が」 一通りの検査を終え、粗末な丸椅子に座って初老の男性医師と向き合った私は、呆然と呟いた。 大きく目を瞠ったまま、瞬きも忘れる私に、そばに控えていた看護師が眉尻を下げる。 「沢尻(さわじり)さん、もう十二週目です。すぐにお相手の方にも報告してくださいね」 狭い田舎町。私が知らなくても、看護師は私を知っている。
Last Updated : 2025-03-31 Read more