All Chapters of あなたの子です。結婚してください: Chapter 31 - Chapter 36

36 Chapters

私の旦那様になって 3

迎えた火曜日。私はどこに行くのか、なにをするのかも知らされないまま、退院したばかりの慧斗を抱いて、塔也さんの車の後部座席に座っている。「あの……本当に、どこに」車窓から見える街並みが、だんだんとオフィス街に変わっていくから、怯んで訊ねた。フラットを出る前、服装は普段着でいいと言われたし、なにより慧斗が一緒だ。普段着に子連れで来るには、一番そぐわない場所な気がするから、落ち着かない。塔也さんはまっすぐ前を向き、悠々とハンドルを操作しながら、「シティ」バックミラー越しに視線を投げ、答えてくれた。「シティ?」「お前、知らない? ロンドンで言う、日本の東京丸の内」私は日本の東京丸の内に行ったことはないけど、ビッグ都市東京でも有数のオフィス街だということは知っている。もちろん、二年前にも訪れた。「そこに、JONAS OCEAN TRADINGの本社ビルがある」目線をフロントガラスに戻して続けるのを聞いて、私の手がピクッと動いた。「……JONAS OCEAN TRADING?」彼の言葉を反芻すると、よくわからない警戒心がよぎる。一瞬、身体が強張ったのが伝わったのか、慧斗が膝の上から顔を上げた。「まーん、むむ」「あ、ごめんね。慧斗」よいしょと、こちらを向かせて抱え直して、ポンポンと背中を叩いてやる。「塔也さん。その会社に行くんですか? どうして慧斗も……」「見えてきた。あれ」改めて質問を重ねる私を、塔也さんはそんな言葉で阻んだ。ハンドルから離した右手で、前方に聳える巨大なオフィスビルを指さす。その仕草につられて、私は少しだけ身を乗り出した。「JONAS OCEAN TRADINGは、二十七年前に二つの会社が合併して生まれた、イギリス  最大の海運会社だ。……計算は合う」塔也さんは、私の気配を気にすることなく、淡々と説明してくれる。「計算……?」斜め後ろから彼の横顔に問いかけたけど、きゅっと唇を結んでしまい、それ以上は答えてくれなかった。それからほどなくして、JONAS OCEAN TRADINGの本社ビルに到着した。塔也さんはビルの駐車場に車を停めると、慧斗を抱えた私の背を押すようにしてビル内に進み、グランドエントランスの総合受付に立った。赤毛のふんわりロングウェーブヘアの受付嬢に、外交官の身分証を示す。「Take the lift on the right to the t
last updateLast Updated : 2025-03-31
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私の旦那様になって 4

愕然として言葉を失う男性と私に、塔也さんは一人冷静に、この事態について説明し始めた。先ほども言っていた通り、JONAS OCEAN TRADINGは、二十七年前に二つの会社が合併して生まれた会社だ。その内の一社、貿易会社は男性の父親が社長を務めていた。当時、業績が低迷していて、この合併により倒産を免れたそうだ。貿易会社を救済する形の合併は、男性の政略結婚が条件だったと言う。塔也さんは、「政略結婚の事情については、私が知るところではありませんが」と前置いた上で、男性の日本への出入国記録を調べたと語った。男性は二十八年前に貿易会社の日本支社で働くために入国し、その一年後に出国、イギリスに帰国していた。「在英日本国大使館に申請されたビザはビジネス目的、期間は五年という記録が残っていました。ところが、たった一年で帰国……なにかよほどの事情があったと考えます。僭越ながら私の想像で言わせていただくと、その政略結婚が理由では?」ちらりと視線を向けて問われ、それまで凍りついたように固まっていた男性が目を伏せた。「……ええ、その通りです。私は、父の会社を救うために、五年間の日本勤務予定を短縮して、帰国しました」たどたどしく、言い回しを考えるように答える。「ですがあなたには、日本で結婚を約束した女性がいた」「…………」男性が、口を噤んだ。さっき塔也さんが、『お前の母親が最期まで会いたがっていた人』と言ったから。私と慧斗の正体を気にしてか、目線は揺れ、定まらない。塔也さんは両足に腕をのせて、身体を前に傾け――。「あなたの子供を身籠っていた女性を残し、帰国した。……そうですよね?」含めるように問われた男性が、わずかな逡巡の後、私の方にまっすぐ顔を向けた。俯いていた私も、視線を感じて身体を強張らせる。この人が、塔也さんの質問を肯定したら……。そこから芋づる式に引き摺り出される真実を予想して、私の心臓が早鐘のように打ち鳴る。男性の方も、激しく戸惑っている。だけど。「君は……エミの子なのか……?」半信半疑といった感じで口にしたのは、確かに私の母の名前だった。私は、意志とは関係なくカタカタと身体が震えるのを、慧斗をギュッと抱きしめて堪えようとした。「まー……?」慧斗も、穏やかとは言えない空気の中、不安そうに私を見上げている。私は返事をしていないのに、男性は沈黙を答えと受け取ったようだ。額に手を遣
last updateLast Updated : 2025-03-31
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私の旦那様になって 5

午後十時。私は慧斗を寝かしつけた後、お風呂に入った。髪をタオルドライしながら出てくると、塔也さんがラウンジのソファに座っているのを見つけた。条件反射で、胸がドキンと跳ねる。夕方フラットに帰ってきてから、私は慧斗と二人で客室に閉じこもっていた。いろんなことがありすぎて、少し落ち着いて自分自身を見つめ直したかったけど、夜になっても頭がふわふわしている。でも――私は思い切って、ソファに歩いていった。私が声をかけなくても、気配で気付いた彼が顔を上げる。「お前も、飲むか?」「え……」なにを問われたかと答えを探して、ローテーブルに目が向いた。いつかと同じように、ウィスキーボトルとグラスが置かれていた。塔也さんは自分のグラスを軽く揺らして、私の返事を待っている。「……はい」私は一度頷いて、彼の隣に腰を下ろした。「待ってろ」塔也さんは私と入れ違いで立ち上がり、キッチンに入っていった。氷を入れたグラスを一つ手に、戻ってくる。ドスッと勢いよく私の隣に座り、持ってきたグラスに琥珀色の液体を注いだ。「ん」と、私に差し出してくれる。「……ありがとうございます」私は両手で受け取って、グラスに口をつけた。一口、ゴクンと飲んで……。「ごほっ」喉が焼けるように熱くて思わず噎せ返った私に、塔也さんがブッと吹き出す。「お前、ウィスキー飲んだことないのか? 水みたいに飲むな。原液だぞ、これ」面白そうに肩を揺らす彼の隣で、私は何度か咳き込み――。「はああっ」一度大きく息を吐いて落ち着いてから、膝の上で両手で支えるように持ったグラスに目を落とした。「あの……ありがとうございました」ボソッとお礼を言った私に、塔也さんは無言で横目を流してくる。「あの人に会いたがったのは母だから。亡くなってるなら、どこの誰かも知らなくていいって思ってたけど……会えて、よかったです」あの人が……父が私をずっと欲しかった子だと言ってくれたことを思い出し、胸が締めつけられる。それと同時に、塔也さんの言葉も導かれてくる。『俺はお前を産んだ母親に感謝してるよ!!』――。「っ……」胸がきゅんと疼いて、鼓動を猛烈に昂らせるのに慌てて、勢いよく下を向く。塔也さんは、私があたふたするのを気にする様子はなく、短い相槌で返してきた。「悪かったな。二年前……亡くなった可能性が高いなんて嘘ついて」私がそっと視線を戻すと、グラスを持って口元に運んだ。一口含
last updateLast Updated : 2025-03-31
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私の旦那様になって 6

私は、塔也さんの寝室に、お姫様抱っこで運ばれた。彼の大きなダブルベッドの真ん中に組み敷かれ、何度も何度も角度を変えてキスをする間に、服を全部脱がされていた。「っ……」目元を情欲でけぶらせた彼が、遠慮なく視線を注ぐから、激しい羞恥で身を捩る。「こら、隠すな」胸を隠した腕に、塔也さんが手をかけて解こうとする。「嫌。恥ずかしい……」「この期に及んで、なにを言う」「だって。塔也さん……貧相って言った」私が、じっとりと詰るような目を上げると、まったく悪びれることなく、ふんと鼻を鳴らした。「事実だろ」「ひっ、酷っ……!」「あの時も今も肉付き足りないし、煮干しみてえ」「にっ……!?」あまりに酷い喩えように涙目で絶句する私に、ふっと目尻を下げて笑う。口にするのはデリカシーのない最低な言葉なのに、反則なくらい優しい微笑み。ズルすぎるギャップに、私の胸がドキッと弾む。塔也さんは私に覆い被さり、唇を奪った。「んっ、ふ」今までで一番の、執着めいたキス。呼吸を乱し、胸を上下させる私に、塔也さんがベッドについた腕を支えに上体を持ち上げ、ねっとりとした視線を絡ませる。「なのに……俺はこの身体に狂わされたんだよな……あの日」「え……? あ、んっ!」なにか耳慣れない言葉を向けられ、虚を衝かれた隙に、胸を覆っていた両腕を観音扉みたいに開かれた。躊躇なく顔を埋められ、彼のサラサラの前髪や吐息が肌を掠めて、ビクンと身体が撓る。敏感な胸の先を、チロチロと動かす舌先に容赦なく攻め立てられ、いやがおうでも腰が跳ねた。「あ、あ……」二年近く前、他でもない彼自身から植えつけられた、生まれて初めての官能の痺れ。今もなお変わらず、ゾクゾクと背筋を昇る。「とう、塔也、さ……」堪らず、彼の頭を掻き抱いた。「好き。塔也さんが、好き……」喉に引っかからせながら、掠れる声で必死に想いを紡ぐ。荒い呼吸で途切れ途切れになってしまい、聞き取りづらかったかもしれないけど……。「っ、く……」塔也さんはブルッと頭を振って、小さな声を漏らした。そして、指で、舌で、私に施す愛撫を強めていく。「俺も……好きだ、長閑。愛してる」耳元に湿った声で囁かれ、体幹から湧き上がるゾクゾクとした痺れに戦慄いた瞬間。「あっ……!」ズシッと存在感のある質量のなにかに、容赦なく身体の中心を貫かれ――ビクンビクンと痙攣して、目の前に星が飛んだ。「大丈夫か? 落ち着け
last updateLast Updated : 2025-03-31
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Epilogue

長閑と慧斗を連れてJONAS OCEAN TRADING本社に乗り込んだあの日――事前の打ち合わせ通りの時間に、オリヴィアとその上司である国税局幹部の男が、応接室に入ってきた。JONAS OCEAN TRADINGの脱税疑惑を捜査している当局の男に、真相解明に向けての協力を求められ、エヴァンズ氏は当惑した。しかし、やや硬い表情ながら、素直に応じた。最初から、俺が国税局側と行動を共にしなかった理由は、エヴァンズ氏が抵抗に出る可能性があったからだ。結婚を約束した愛する女性とお腹の子を捨て、自身をも犠牲にして救った会社だ。愛着がないはずがない。脱税は重大犯罪だと正論を翳し、良心に訴え出ても、拒否される可能性を否めなかった。会長秘書という、願ってもいない強力な協力者を逃すわけにはいかない。俺とオリヴィアは、上司も交えて綿密に作戦を立て……彼らが来る前に、エヴァンズ氏に長閑と慧斗を会わせることにしたのだ。どんなに社に忠実で鉄壁な男だったとしても、捨てたはずの恋人が娘を産んでいて、その上孫を連れて目の前に現れたら、動揺しないわけがない。彼の人情に訴えるという、素朴で泥臭い、一か八かの賭けでもあった。結果的に、俺たちの目論見通り、彼を協力者に取り込むことに成功したが――。それからしばらくして、改めて思考を巡らせても、俺は長閑と慧斗の力を借りずとも、エヴァンズ氏の協力を仰ぐことは可能だったと考えている。『私は父の会社の何千という従業員とその家族を守ったかもしれないが、自分の大事なものは守れなかった。そんな男が、一企業の経営者になってはいけない』たとえ救済合併とはいえ、一企業の社長子息だった男が、今、会長秘書という身分に甘んじている理由をそう語った彼には、無理矢理引き摺り出すまでもない真摯な人情を感じた。『エミとノドカを犠牲にして守った会社を、これ以上汚すわけにはいかない』沈痛に顔を歪めながらも、しっかりした口調で言い切り、協力を約束した彼だから――長閑の母親が死ぬ間際まで忘れず愛していたのも、納得できる。会長秘書という協力者を得たことで、JONAS OCEAN TRADINGの組織的脱税疑惑は、国税局の手によって全貌解明に向かっていた。そして、三月が終わり四月。第二土曜日、オリヴィアから、『来週初めに、国税局が強制捜査に入るわ』という報告の電話をもらった。午前の休日出勤中に電話を
last updateLast Updated : 2025-03-31
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Epilogue

大使館を出て、十分ほど車を走らせてフラットに帰り着いた。玄関からまっすぐラウンジに向かうと、慧斗がきゃっきゃっとはしゃぐ声が、ホールにも聞こえてくる。「い~ち、に……わっ」弾む声でなにかをカウントしていた長閑が、パチパチと拍手をしている。そして、ラウンジに入った俺に気付き、「あ」と顔を綻ばせた。「塔也さん! お帰りなさい」随分と高揚した様子だ。俺は相槌で応えたものの……。「で? 今はなにをしてたんだ? お前」床にペタンと座った彼女の前には、これまた興奮気味の慧斗がいる。「慧斗が何秒立てるか、計測です」「は?」「あー、また写真撮り損ねた……」俺はパチパチと瞬きをして、尻を浮かせてドスドスと跳ねる慧斗に目を落とした。「初たっちって……前から立ってたろ」「それは掴まり立ちです! 伝い歩きもするけど、なにか支えがないとダメで。でも今、なにも掴まらなくても、たっちできたんですよ、一秒も!」「……ふ~ん?」子供の成長スピードはよくわからない。曖昧に流す俺に、長閑が憤慨した。「すごいことなのに! 塔也さんは感動が足りない!」頬を膨らませてプリプリする彼女の隣に、俺もドスンと胡坐を掻いた。「感動もなにも……こんなブレブレの写真でどう感動しろって」上着のポケットからスマホを出し、彼女の前に突きつける。「慧斗が初めて立った瞬間に、未確認飛行物体でも着陸したか? むしろその方が奇跡だ」「う……だって驚いて、スマホ落っことしちゃって」長閑が、しゅんと肩を落とす。まあ……確かに、その瞬間の彼女の動転だけは、よく伝わってくる画像ではあるけれど。「……どれ。慧斗、立て」慧斗の脇に両手を挿し込んで持ち上げ、床に両足をつかせる。「むー。ぱー」なにか不服そうな声を漏らすのに構わず、両手を抜いてみる。慧斗は一秒ももたずに、へにゃっと座り込んだ。「……立たねえじゃん」「もーっ!! 塔也さんのバカ」長閑は勢いよく慧斗を抱き寄せ、二人揃って俺をじっとりと睨んでくる。「あー、はいはい」俺はつーっと視線を逸らし、指先でポリッとこめかみを掻いた。長閑にぎゅうっと抱きしめられた慧斗は、機嫌を直してコロコロと笑っている。感動の瞬間も、大ブレの画像で共有されただけだ。一人だけ疎外され、無意味に面白くない気分に駆られ――。「っ、え? ひゃっ!」俺は慧斗を抱く長閑を、後ろから抱え込んだ。「な? なに?」「なにって。ショッピ
last updateLast Updated : 2025-03-31
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